閑話 手遊びに、影踏み鬼に惑うは
――統紀3999年、文月中旬、北部國天洲、五月雨領廿楽。
「どうなっているの!?」
押し殺せない怒気と重たそうな音が、千々石木材商の支社長室のドアを軋ませた。
その中には接客用のテーブルに散らばった報告書の数々と、肩で息をしている千々石楓。
「あれも、これも、全然、調査が進んでいないじゃない!」
当初の予想を超えて晶の捜索が暗礁に乗り上げてしまったのが、楓が荒れている原因であった。
「……と、申されましても、私共も困惑しきりにございまして」
見るからに中間管理職然とした初老の男性が、壁際に立って額に浮かんだ脂汗を拭いながらそう抗弁した。
「雨月のお屋敷には、月に一度は足を運んでおります。
それなりに当家の方々と顔を合わせておりますが、晶さまと名乗る方とは面識がありません。
雨月のご当主からはご嫡男として雨月颯馬さまを紹介頂いておりまして、てっきりそうだとばかり……」
「っっ…………!! っ!……………………はぁ」
怒鳴りたい衝動を何とか堪えて、長椅子に腰を下ろす。
楓とそのみが雨月の膝元である領都廿楽に足を踏み入れて、今日で1週間が経とうとしていた。
当然その間も、休みなく調査と探索は続けられていたものの、晶の居場所に予想すら立つことはなかった。
周囲を歩く市民たちにそれとなく話題を振ってみたが、碌に情報も入ってこない。
まぁ、それは予想されたことだ。
市民たちにとっては自身の領主が誰であろうとも、日々の生活には然程の変化は生じないからだ。
強いて領主の姓が雨月であることか、名前が天山であることを知っているくらいが精々だろう。
だが、千々石木材商は、直系の孫娘である楓の贔屓目を抜いたとしても老舗の大店だ。加えて、五月雨杉はこの領の特産であり、雨月にしても千々石木材商は手放したくない取引先のはずだ。
事実、壁際に立つ初老の支社長も、月に一度は屋敷に足を運んでいると云っていた。
家族を紹介される機会も多いはず、晶と云う存在を知らないなどあり得ない。
「気になると云えば、これもですわね」
長椅子前に置かれた新聞紙を、改めて大きく広げる。
苦労して入手した、過去数年を遡った年始に回る領都の季報新聞。
そこに載っている、領主、雨月天山の挨拶と家族の写真。
少なくとも、三年以内の写真には雨月天山とその妻の早苗、そして颯馬しか載っていない。
「まるで最初から、晶さまなんて存在しなかったような扱い。
雨月の当主、何を考えているの?」
ここまで難航するとは思ってもいなかった調査に、隠しきれない疲労が浮かぶ。
個人的な言葉を交わしたことは無いものの、義王院の前当主や現当主の静美の傍で半年に一度の参内と報告を聞いていたため、顔と声の印象は憶えていた。
時候の挨拶と事務的な報告からは実直な性格が垣間見えたが、晶の近況に関しては、決まって不機嫌そうに眉根を寄せて当主教育も碌に覚えない凡愚と、悪しざまに嘆いていたのには驚いた。
静美から伝え聞くに、晶は年齢10で回生符を作れたとあったから、随分と厳しく鍛え上げているのだな、としか思わなかったが、今となってはおかしいところが多すぎる。
「――楓お嬢さま。晶さまの件もそうですが、人間を一人を居ないように細工するのは、想像以上に難事にございます。
先ずは、決して誤魔化せないところから始めてみるのは如何でしょうか?」
意を決したような支社長からの提案の内容は、楓にも予想は付いた。
人別省に問い合わせて、晶の魂石を確認しては? と云っているのだ。
「…………それは最後の手段よ。
あそこに問い合わせたら、雨月はおろか央洲にまで報告が行く可能性がある。
折角、義王院の方々が骨を折って、ここまで晶さまの存在が他洲に露見せずにこれたの。
私の独断で、他洲に横やりを入れられるような隙を作る真似は避けたいわ」
「――――浅慮でした、申し訳ありません」
「……それより、そのみさんは?」
ふと、組んでいる相方の姿が見えないことに気付いた。
情報を辿る作業に没頭しすぎて、どこに行ったのかも分からない。
「そのみさまでしたら、郊外にある上級中学校に向かわれると。
五月雨領の華族の方々は、央洲の天領学院かそちらの方かの2通りの進路を選ばれるのが大体ですので」
あぁ。楓は納得の息を漏らした。
月に送られてくる晶からの手紙にはあまり良い内容は無かったが、中学校に進学したとの旨が有ったことを思い出した。
今年、天領学院の中等部に雨月颯馬が入学したことに触れた返答として、晶は当主教育に専念させるため、天領学院への進学を断念させたとあったが。
「そうね。誤魔化しようのない部分から詰めるしかないか。
そのみさんが学校なら、私たちは別口を詰めましょう。
支社長。昨日、雨月の屋敷に出向いたのよね。何か気になることでもあった?」
「……気になると云いますか、少し騒ついておられましたな」
「何か、変事でも?」
「いえ、そのようなものでなく。浮かれていると云いますか、宴会の用意をしているようでして」
「…………宴会!?」
「はい。あの様子では、今週末辺りに人が集まるのではないかと」
「本当にどうなっているの? 謀反を企図しているにしては警戒はほとんどしてないし、挙句に宴会。
私たちを馬鹿にしているの!?」
「も、申し訳ありませんっ!」
思わず怒鳴ったが、実際のところ支社長に罪は無い。
追い打ちに口を開くが、思い直して卓上に置かれた湯呑を掴んで、生温くなった緑茶を一気に呷った。
「…………支社長。その宴会、潜り込める?」
「内々の開催のようでしたが、…………何とか粘ってみます」
「お願い」
逃げるように退室する支社長を見送って、楓は再度、掻き集めた資料に視線を落とす。
集めた資料はそれなりで、まだ目を通すべきものは卓上で山を成して楓を待っていたからだ。
――――――――――――――――
楓が千々石木材商で頭を抱えていた頃、同行そのみは困惑の面持ちを隠そうともせずに、楓と合流するべく千々石木材商に向けて足を速めていた。
廿楽で唯一の上級中学校での収穫は、そのみたちの期待を裏切って、完全に無収穫のままで終わったからだ。
手ぶらでは帰れないとギリギリで食い下がり、2年生から1年生へと記録を遡ってみるが、そもそも、生徒の人数が厳格に管理されている上級中学校の記録だ。
一縷の望みをかけたものの、結果は空振りとしか出なかった。
ならば、とやけくそで上級小学校へと足を運んでみたものの、こちらでも晶の記録は見当たらない。
――まるで、最初から晶さまが居なかったかのようね。
雨月はどこまで晶を隠匿したいのだか。
苛立ちまじりの悪罵を口の中で呑み込む。
何か見落としているとは思っているのだが、それが何かは分からない。
真夏の熱気に、思考が短絡的になりすぎている事を自覚した。
――考えよう。
先ず、晶の記録が辿れないのは、雨月の情報操作ではない。
こんな手間を掛けるくらいなら対外交渉に余力を回す方が断然にいいし、そうする理由がない。
――つまり上級学校に記録が残っていないのは、雨月が手を回したのではなく、
「ただの結果……?」
問題は、何の結果か、と云うことだ。
仮定から、現実という剃刀で推論を彫り出す。
単純に、明確に、思考を純化する。
そうやって残ったものが、事実と呼ばれるのだと信じて。
ややあってから、そのみは呆然と最後に残った結論を呟いた。
「そもそも、晶さまは学校に通っていない?」
ぞく。その結論に、知らず背筋が総毛立つ。
暑気でも覆い隠せない悪寒に、そのみは棒立ちになった。
「…………静美さまは、晶さまが学校に行っていたと云っておられた。
少なくとも、家庭教師ではやらない基礎教育を受けていたのは確実。
――だったら、上級小学校には通っていたのは確かなはずなんだけど」
必死になって否定材料を列挙するが、一度浮かんだ疑惑は消えることなく思考の裏側にこびり付いた。
五月雨領の上級小学校は、先刻に足を運んだ場所だけだ。
だが学校の教諭は、ここ数年で雨月の子息は雨月颯馬しか預かっていないと断言していた。
記録からも、颯馬に関しては確認できたからそれは信頼していい。
「領外の上級小学校……?
いえ、領の外に出す理由がないし、晶さまの存在を他領に知られることは、雨月にとっても厄介事のはず。それは無いか」
仮定して、否定する。
だが、確信できる仮定が見つからない。
「流石に情報が足りない。楓が何か見つけているといいのだけれど」
情報の少なさに結論を棚上げして、そのみは視線を上げた。
その時、暑気を吹き飛ばすような歓声と共に、麻の着物を着た少年たちがそのみの脇をすり抜けるように駆けて行った。
8歳かそこらの少年が、互いの影を踏み合って競い合う。
定番の遊びの一つ、影踏み鬼だ。
どうやら、鬼に踏まれたら攻守が入れ替わる、変則的なルールで遊んでいるらしい。
夏の日差しが落とす黒い影を、子供たちが踏んでは踏まれてを繰り返す。
楽しそうなその様子を、そのみは疲れた感情でぼやりと眺めた。
影が躍り、過ぎた後を刺すように少年たちの足が踏み込む。
まるで、今の自分のようだ。
自虐的な思考に、そのみは知らず苦笑した。
晶という影を追う、現実のそのみ。
唯一違うのは、影は見えるが実体は無く、晶は確実に存在していたというのに影も踏めないというところか。
否、追っているのは晶ではない。
晶が学んでいた基礎教育の影だ。
追っているものの、さらに影を追う。
――晶さまを見失うのも、当然の結果か。
夏の暑気に茹だる思考が、現実逃避を囁く。
諦観から投げやりに一歩、足を踏み出した。その足の先で少年たちの影が躍り、
――待て。私は今、何を考えた?
そもそも、選択肢に入れてすらいなかった可能性が、そのみの歩みを再び止めた。
追っているのは、晶の基礎教育の影だ。
つまり、基礎教育でさえあれば良い。
「…………ねぇ、坊やたち」
震えそうになる声色を必死に抑えつけて、そのみははしゃぐ少年たちに声を掛けた。
「何ぁに~~?」
「――バカッ。華族のお姫さまだよっ!!」
一番年若そうな子供の呑気な返事に、血相を変えて年長の少年が窘める。
頭を下げろ下げろ。そう小声で年少たちの頭を押さえつけながら、自身も頭を下げて拙い礼節の体裁を取る。
「す、すみません。お姫さまの前で騒いじゃって。
直ぐに退きますので……」
「ううん。遊んでいるところを止めちゃって御免なさい。
――ちょっと訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「は、はい」
見るからに高位の華族と直接、会話する機会など一生のうちにもそうは無い。
委縮して視線を上げようとしない少年たちに、努めて優しく言葉を紡ぐ。
「ねぇ、あの山は知ってる?」
連翹山を指さして微笑みながら問うそのみに、年少の誰かから応えが返った。
「僕、知ってる。領主さまが住んでる山だ!」
「うん、正解! よく知ってるね」
笑顔を絶やさず、首肯する。
今は夏休み? 勉強、どう?
答え易い質問を矢継ぎ早に繰り出して、緊張を解きほぐす。
少年たちに緊張が無くなった頃合いを見て、努めて何でもない風を装いながら、そのみは核心を問いかけた。
「――ねぇ、あの山の近くに、尋常小学校ってあるかな?」
TIPS:学校について。
晶たちの生きる時代、学校は大きく分けて二通り存在する。
平民が通う公立の尋常学校、そして、資産家を含む上流階級が通う私学に当たる上級学校。
親が要求する子供の価値観がこの二通りで完全に違うため、資産で仕分けしている。
当然、同行そのみも千々石楓も上級学校に通っていたため、尋常学校の選択肢を無意識に排除していた。
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