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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
六章 塞道回峰篇
229/233

2話 行き交う人の、日々を護らんがために2

 焦れるように、それでも時間は残酷に流れるものである。

 気付けば晶は、何の進展のないままに山狩りの日を迎えていた。


 篝火の中で松明が音を立て、獣除けの煙が広がって行く。


 練兵たちが出撃の準備に奔走する喧騒の中、夜劔晶と輪堂(りんどう)咲は天幕を潜った。

 ばさりと(ひるがえ)る幕布に、床机を囲んでいた防人たちが一斉に席を立つ。


 奥座に腰を掛けた20代後半の青年が、厳しい面持ちで前に出た。


「来たか、夜劔衛士」

「現着いたしました、真桑(まくわ)隊長代理殿」


 短い挨拶に敬礼を交わす。


 ――描かれている箇所からして、山頂までを掃討する心算(つもり)か。

 机上に敷かれた妙覚山の概略図にちらりと視線を奔らせ、晶はそう目算を瞬時につけた。


「今日の指揮は自分だが、問題は無いか?」

阿僧祇(あそうぎ)隊長より、厳命を頂いています。――良しなに」

「結構。華族も板について来たな、喜ばしいことだ」


 ――確認したかったものは、この挨拶で確信できた。

 少年の青臭い視線を意にも介さず、今回の山狩りで総指揮を与る真桑(まくわ)陣伍は鷹揚に頷き返した。


 真桑(まくわ)が確認したかったものは、指揮系統の上下関係である。


 晶は衛士(上位精霊遣い)であり、真桑(まくわ)防人(中位精霊遣い)。この段階で上下関係を明確にしておかなければ、指揮系統が2分割しかねない。


 特に晶の場合は、その立場の特殊性から状況も複雑だ。

 人間の認識はそう簡単に変わらない。八家へと昇り詰めた新進気鋭であっても、真桑(まくわ)たちからすれば顎で扱き使っていた頃の少年でしかないからだ。


 上位となった少年を、それまでの練兵たちと同じ十把一絡げではなく同僚として扱う。

 二転三転しそうになる立場を、周囲の防人たちも含めて明確にする。この挨拶は、その為の一種の儀式であった。


 真桑(まくわ)の手招きに、晶たちも防人たちの輪へと加わる。


「山狩りは従来のものと同じだ。昨年は西と南側が中心だったから、今回は東側から山稜へと向かおうと思う。――異論は?」

「ありません。追い込み口は此処(ここ)ですか?」

「そうだ。俺たちは止めを受け持つ。衛士殿は、勢子か楯の班に回って貰いたい。

 ――不満か?」

「……いえ。ご配慮、感謝いたします」


 鋭く窺う真桑(まくわ)の眼差しを正面から受け止め、晶はそう頭を振った。


 山中を走り回り、穢獣(けもの)を狙いの地点へと誘き出す勢子と楯は、重要度の割に評価の及ばない役割でもある。


 本来ならば貧乏くじとも取られかねない要請だが、

 その役割は嘗て、練兵班を率いていた晶が率先して受け持っていた箇所だ。


 古巣に配置するのは、晶を持て余している真桑(まくわ)からのせめてもの善意なのだろう。


 山狩りの手筈を早々に終え、晶と咲は防人たちの天幕を後にした。




 準備に駆けまわる練兵たちの間を、晶たちは漫ろと歩いた。

 巻き筒のようなものを抱えた少年たちがその先から駆け、晶たちの羽織に気付いて進路を譲る。


 見た記憶のないその顔触れに、晶は感慨深く眼差しを眇めた。


「見たことが無い。年齢からして今年の新顔だ」

「数日前、朝練したって聞いていたけど」

「外だったんでしょう。新顔なら、道場に上がるよりも先に、先達の練兵について走り込むのが通例です」


 軽く会話がてら、晶は周囲を見(わた)す。

 松明を護るもの、設営に奔走するもの。基本的に準備の手順は、晶が知っているものと変わりはないようだった。


 喧騒から視線を外し、知った顔を探して奥へと向かう。

 やがて、緊張の面持ちで準備を進める練兵たちの中に、晶は探していた相手を見つけた。


「楯班、呪符の配給は終わったか」

「勢子班、点呼終わりました!」

「網も忘れんなよっ」

「――班長(ハンチョー)。晶だ!」


 矢継ぎ早に指示が飛び交い、戦場さながらの熱気に迎えられる。

 松明に照らされて汗だくの少年が、指示を投げる手を止めて振り返った。


「帰ってたのは聞いていたけどよ。随分と遅い登場とは、御大尽になったもんだ」

勘助(カン)、久しぶりだな」


 互いに破顔一笑して、肩を組み合う。


 晶と勘助の仲は周囲も承知の上だ。気を遣ってくれたのか、作業の続きは後続が引き継いでくれるらしい。

 2人連れ立ち、準備の喧騒から抜け出した。


「長屋の件は聞いた、災難だったな。 、 、にしても、長屋連中に何の用があるんだ? 大量に攫っても、頼めるものなんてないだろ」

「何人かは力仕事ができるから、人質にとって……。ってのも考えたが」

「どう考えても金子が掛かるだろ、それ。違法な行為をするためにって云っても、長屋丸ごとなんて大掛かりに過ぎる」


 労働力を確保するための誘拐は仲見世で定番の演目だが、冷静に考えれば、これほど割に合わない犯罪も早々ない。

 仮令(たとえ)、人を確保できても、逃亡阻止の監視など体制を維持する為の負担が莫大な額に上るからだ。


 畢竟、労働力を確保するには、適正な報酬で自発的にやる気を釣る方が安上がりになる。

 この辺りは、華蓮(かれん)への移住を目的にしている練兵たちにとって、当然の帰結だった。


「勘助は何か知っているか? 長屋に限らず、この辺りで変な事が起きているとか」

「や、静かなもん。って云いたい処だがよ、1つ、気にかかる事がある」

「何だ?」


 連れ立つ肩は、晶の方が目立つ高さに成長している。

 目線が一つ抜け始めた少年の背を、勘助は得意気に追った。


「長屋の件とは関係ないと思うが、昨年末から屯所の客が妙に多い」

「珍しいな」

「気になるだろ」


 晶の返事にしてやったりと笑い、勘助は自身のいがぐり頭を掻いた。


 第8守備隊の隊長である阿僧祇(あそうぎ)厳次(げんじ)は、華蓮(かれん)守備隊の番付でも上位の人気(にんき)ぶりである。

 しかしこれは、飽く迄も市井大衆の人気であり、華族のものとは全く別だ。


 晶の知る限り第8守備隊の来客も、月に数度の伺いが精々だったはず。


「……阿僧祇(あそうぎ)隊長も余り好ましく思っておられないようだが、どうにも断れない筋らしい。

 渋面で応対に追われているよ」

「相手の正体は知っているのか?」

「1人はどこぞかの、多分、衛士様だな。すげえ偉そうな奴だった」


 澄ました台詞とは裏腹に、勘助の表情は硬かった。

 平民の、それも練兵と衛士(上位精霊遣い)の間には、直視するにも烏滸がましい身分の差が横たわっている。


 軽い口調の裏で友人が(わた)った危ない綱渡りに、晶は声に出さず感謝した。

 謝礼代わりに軽く肩を叩き、腕を組む。


「暫く、隊長が忙しくしていると聞いていたけど、元はそれか」

「ああ。だが、悪い事ばかりじゃない。

 阿僧祇(あそうぎ)隊長と新倉(にいくら)副長の不在が増えた代わりに、屯所の羽振りが随分と良くなった」


 勘助は目立たないように、準備に追われるその片隅を指差した。

 見覚えのある網が巻かれて、(うずたか)く積まれている光景。


「確か、瘴気に耐える網だったか?」

「随分と値の張る代物らしいが、第8守備隊にだけは潤沢に回されている。

 余所の練兵連中にそれとなく確認したから、間違いない」


 網は嵩張るが、囲い込みと追い立てに非常に役に立つ。

 それでも半年前まで使用されなかったのは、(ケガ)レの瘴気と縄の相性が悪かったからだ。


 縄で罠を張ったとしても、瘴気に腐食されれば直ぐに脱け出されてしまう。


「金子の出処は何処だろうな」

「さあね。流石に、一介の練兵じゃあ知る由もないな」


 考え込む晶を余所に、勘助は練兵たちの方へと踵を返した。

 情報は終わりと云う事か。班長である事を示す帽子を目深に被り直し、歩き出す。


「下手に動くなよ、晶。長屋の1件、派手な割に誰の話題にもなっちゃいないんだ」

「判っている」

「なら、良いさ」


 それは勘助の口にできた、精一杯の忠告だった。


 長屋住みが華蓮(かれん)ものの興味に無いとはいえ、長屋丸ごとの失踪が口の端にすら上らないのは異常だ。間違いなく一介には及べない意向が絡みついている。


 これ以上は踏み込むなと、言外に告げる勘助へと、晶は首肯だけで感謝を返した。


 ♢


 なだらかに続く山道に、突如と瘴風が吹いた。

 赤黒く瘴気に煽られて、春の淡い新緑が音を立てて腐り落ちる。


「「――ぅうあぁぁぁっ」」


 ()ゥ。大気が圧し流れる木立の奥から、魂消る悲鳴と共に練兵が転び出た。

 (いのしし)が群れを成し、山の奥から雪崩れ落ちる。


―――()イイィィィッッ悪悪(ヲア)ァァァ!!!


 勢子班のものだろうか。先頭の(いのしし)の牙で、獣追いの鐘が揺れて千切れた。


「たすっ」「――避けろ!!」


 悲鳴と交差して、晶が大きく踏み込む。

 転がる少年たちを跳び越し、空中から太刀を叩き墜とした。

 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、初伝、――鳩衝(きゅうしょう)


 轟音。炎の奥から衝撃が舞い踊り、(いのしし)の奔流を正面から弾き飛ばす。

 (いのしし)の巨躯が悲鳴を残して宙を舞う中、晶は残心から太刀の刃を返した。


 刃に鋭く焔が奔り、少年の足で紅が吹き荒れる。

 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)連技(つらねわざ)――。


「――乱繰り、糸車」


 踏み込む残炎が軌跡を刻み、少年の背が(いのしし)の群れへと消えた。

 直後。炎の斬撃が幾重にも、(いのしし)の群れを踊り奔る。


 ―――()

 乱繰り糸車は、穢獣の群れに対する突破力を持つ。数秒の遅滞の後、崩れ落ちる猪を背に晶は太刀を納刀した。


「班ちょ、 、――衛士さま!」

「勢子が崩れるのが早過ぎるぞ。何が出た?」


 怒鳴り返す晶の視線の先、這う這うの体で逃げ出してきた練兵は首を振る。

 状況を掴み切れなかったらしい。その現実に、晶は大きく山道の向こうを睨んだ。


 妙覚山の山狩りは、その発端から既に混戦の様相を極めていた。


 勢子班の獣追いの鐘の音が、一瞬で乱れる。

 正規兵と練兵が揃っていたにも関わらず、その戦線が崩れたのは直後の事だ。


 何か、穢獣以外のものが出た。晶の想像は、そう的外れなものではないだろう。


「晶!」「――警戒を頼む」


 異常に気付いたのだろう。楯班で備えていたはずの咲が、眼下から駆けよる姿。

 短く背を頼み、晶は陰陽計を懐から取り出した。


 土埃に塗れた指の間で、揺れる下針が赤く瘴気の濃度を示す。――60。


「こんな瘴気だらけ、陰陽計は役に立たないわよ」

「濃度が判ればそれで良い。(ヌシ)が出てきたら、手に負えないからな」

「妙覚山で、穢獣(けもの)以外が出てきた記録は?」

「自然発生は、俺が知る限りは無い。……主なら」


 晶が見下ろす先で、針先がじわりと揺れた。――65。


「群れを率いて混じっているのは、それなりに。だけど大抵は、阿僧祇(あそうぎ)隊長が斃していた」


 今回は、阿僧祇(あそうぎ)隊長も居ない。主を相手に眼下の防人たちだけで斃し切れるか、晶も疑問であった。

 陰陽計の針が78を示す。穢獣(けもの)の主にしては、相当に高い数値だ。


「――来るぞっ」「!!」


 短く放たれた少年の警告に、少女は丹田へと精霊力を練り上げた。

 直後。木の葉の舞う闇の向こうから、瘴気の腐臭と共に鹿(しか)が数匹、姿を見せる。


 通常の個体よりも、数倍にも及ぶ巨躯を誇るそれ。主だ。


 太刀を脇構えに、咲は噴き上がる焔ごと踵で踏み締めた。

 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、中伝、――隼駆け。


 紅蓮の残炎を軌跡に刻み、咲が一太刀目と疾走る。

 枝角を低く構える鹿(しか)の至近で、咲は(ねじ)じるように刀を抜刀した。


 精霊技(せいれいぎ)ではない。迸る斬炎のまま、振り貫かれる枝角と斬り結ぶ。


 ―――(キョ)(キョ)!!!


 頸を撓らせ瘴気と共に、月下の底で鹿(しか)が哄叫。呼気を吐く咲を狙い、脇からもう一匹が前爪を振り下ろした。

 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、初伝――。


鳩衝(きゅうしょう)


 少女を中心に爆ぜる炎に、大気を圧し除け衝撃が()けてゆく。

 炎は生物が本能的に忌避する事象の1つ。それは、穢獣(けもの)であっても変わらない。


 悲鳴を残して混乱する鹿(しか)の懐深くへと、晶が大きく間合いを詰めた。

 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、初伝、――燕牙(えんが)


 最も初歩となる焔の飛斬が、晶の太刀筋に従って放たれる。狙うは、咲に近い鹿(しか)

 瞬後。虚空を(わた)る紅の軌跡に、鹿(しか)の枝角が夜気の中で踊った。


 ―――(キョ)!!??


 灼け断つ痛苦に悲鳴を残し、鹿(しか)たちが大きくのけぞる。

 その隙を逃すことなく晶は、手にした太刀へと精霊力を更に注ぎ込んだ。

 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)連技(つらねわざ)、――緋襲(ひがさね)


 焔の奔流が壁と築かれ、回避する間もなく鹿(しか)がその中に呑まれる。

 末期の呼吸(いき)すら残さずに鹿(しか)が劫火に崩れるその脇を、(いのしし)の群れが雪崩れるように山の斜面を駆け抜けていった。


 多くは通常のそれだが、その先頭に一際抜きんでた体躯の(いのしし)が混じっている。

 主だ。それも、三匹目の。


(いのしし)が」「無視しろ!」

「――けど!」


 追おうとする咲を、晶が苦渋の表情で制止する。

 反駁を上げかける咲を背に庇い、晶は油断なく太刀を中段に構えた。


(ヌシ)程度なら、防人たちでも任せられる。けど、

 ――此奴はムリだ。俺と咲で、ここ(・・)で喰い止める」


 葉が朽ち、木肌が腐り剥ける。ずる剝けてぶよつくその幹を、正者ならざる腕が掴んだ。

 戦慄くように爪が地を刻み、闇の奥からゆっくりとそれが姿を現した。


 それは、一見する限りなら、巨大な蛞蝓(ナメクジ)に見えた。

 身の丈は1丈6尺(5メートル)ほどか。白と黒の(ぬめ)りついた毒々しい体色が、本能的に忌避を囁く。


 ――ただ、蛞蝓と決定的に違うのは、脇から六つ肢が隆々と生えている部分だろう。


 感情を映さない柄目が、ぬるりと眼下に晶たちを映す。


「何、此奴。怪異?」

「陰陽計の濃度からして化生のはずだ、けど」


 油断なく間合いを測りながら、呻く咲へと晶は応えた。

 咲のその想像は、当然のものだろう。


 (ケガ)レは段階を経るごとに、見た目が生物からかけ離れていく。

 だが化生の段階であれば、生物としてのある種の合理性は残っているものだ。


 蛞蝓の化生が存在しない訳ではない。だが、四肢を生やすなどの合理性を無視した存在は、晶をして初めて見るものであった。


「何をやらかしてくるか判らないぞ!!」

「――性格(タチ)の悪いっ」


 少年と少女の声が交差する。


 ―――■■、■■■、■■、■■■■■■。

 それを皮切りに、蛞蝓の(ケガ)レは無言の哄笑を上げた。

 先週は申し訳ございませんでした。

 何とか復調しました。


 季節の変わり目です。皆さんも、体調に気を付けてください。


 安田のら


読んでいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
晶は蛞蝓の化生は見たことが無いのも経験自体浅いしな。隊長ならとか当主なら知ってるかどうかのレアものですかね?
本当に急激な変化が来るので思った以上に身体に負荷が掛かりますものね…回復なさったようでまずは何よりでございました 長屋の件を一般人の耳に入らなく出来るぐらいの連中…晶について正体の知識があってやった…
季節の変わり目ですし、体調にはお気を付けを。 ナメクジに足か〜。 早く動ける様になるかもだから、有りっちゃ有りか? けど正当な進化では無さそうだなぁ。
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