7話 何れ神代と、人が臨む時に4
車窓を隔てた向こうを刹那に流れ去る、高天原とは違う田園の風景。
青道よりも何よりも、その光景が輪堂咲に大陸を渡った実感を伝える。
東巴大陸鉄道へ乗り込んだ晶たちは、南方へと一路、車上の人となっていた。
誰にも悟られないよう溜息を一つ。車窓の向こうから、少女は視線を離す。
列車内は意外なほど静かで、白い卓上を彩る昼餐の皿が規則正しく揺れた。
「さて、出立前にごたつきはしましたが、頂きましょうか。
東巴大陸鉄道の食事は手が掛かっていましてね。……実は乗車する度の愉しみでして」
冗談を交えながら円卓を挟んで座る栗毛の青年が、手にした銀の小刀で皿の肉を丁寧に切り分ける。
エドウィン・モンタギューと名乗る論国人の招待を受け、晶と咲、そして諒太と埜乃香の四人は列車の中央にある食堂車での昼餐の最中にあった。
戴天玲瑛と李鋒俊の姿はこの場に無い。
論国は青道を奪った明確な敵手である。無用な波風を立てないためにも、この会食に遠慮してもらった格好だ。
無論の事、後で情報を共有する事は、エドウィンも承知している。
嫌味の無い所作で、肉の欠片を一口。無言の促しに、男性の対面へと座る晶たちも、並べられた食器を手にした。
晶たちにとって初めての正式な会食に、緊張と食器の細やかな雑音がただ添えられる。
「食事は口に合いますか? ――久我殿」
「滅多に食った事は無いが、牛の肉も悪く無ェな」
エドウィンから不意に話題を投げられ、諒太が肉叉を手に応えた。
肉を大振りに噛む。煮詰めた果実の風味と共に、やや癖のある滋味が舌へ広がる。
「……え」
「牛、なのですか? これは」
エドウィンの返事に、咲と埜乃香は驚いて肉を切る指を止めた。
「おや。お嬢さま方は苦手でしたか」
「豚肉なら食べた事もありますが、高天原で獣の肉は貴重品なので」
「これは失礼。自分もクラストペイストリで包んだポークパイが好物でして。
――高天原で、牛肉は食べないのですか?」
「単純に需要が無いんだよ。豚と違って手間暇掛かる上に、矢鱈と高価い」
高天原では古来、牛肉は縁起に悪いとされている。文化として、食用を目的に牛を飼う認識そのものが無いのだ。
その独特の風味も相俟ってか、高天原で牛肉は忌避が常識であった。
西巴大陸の文化が進出して以降、洋食文化は高天原に広く浸透を見せた。
しかしそれでも、食材自体が変化した訳ではない。
最近になって漸く、豚の肉が華族や富商に広がり始めた程度が精々。
飼牛も基本的に水耕などの労働力を期待したものであり、晶たちの認識に於いて牛とは、飼い犬と同じ家族の延長であった。
「……以前、鴨津へと寄った際、領事との会食で振舞われた記憶がありますが」
「鴨津租界は西巴大陸出身が殆どだから、流石にその辺りでは需要も見込めてな。それでも、論国人相手に細々とやっているだけだ」
困惑したエドウィンが視線を巡らせた先で、諒太は平然と食事を進める。
「俺も食ったのは、鴨津租界の領事と会食をした時以来。――あとは、 、そうだな。華蓮では奇鳳院家が主導して、漸く牧畜が始まったらしい」
「ははぁ、実に興味深い」
「何処も深く無ェよ。父上が論国語を教育の必修にしたいと奏上し続けて、漸く華族たちへの履修が始まった程度だ。
そちらと満足に交易が出来るようになるまで、あと10年は掛かると見ている」
「充分な成果ではありませんか。国勢を変えようなど、久我法理様は先見新たかなようで」
食事の速度が緩む様子はなく、一定を保って和やかに会話は重ねられてゆく。
「――そう云えば、もうお一方は? 晶くんは名前だけ、紹介を受けましたが」
「夜劔晶です。恥ずかしながら卑賤の出にて、これ以上の名乗りは控えさせて頂きたく」
視線を向けられ、晶も困った表情で一歩退いた姿勢を堅持。
助け舟とばかりに直ぐさま、諒太から短い紹介が放られる。
「気にすんな。咲の外遊に付き合わされた末、真国くんだりまで来た酔狂な新興だ。
つい先日、偶然に武功を立ててな。華族としての基修もこれからだってのに、全部棒に振りやがった」
「……一寸、久我くん。そんな言い方は無いんじゃない?
それだと私が暇な身上に聴こえるわよ」
「実際に暇だろ。
――奇鳳院様の勅旨を盾に、天教との同盟に手を挙げやがったのは何処の跳ねっ返りだ」
息の合った、何気ない会話。僅かでもそこに情報を求めて、エドウィンは思考を巡らせた。
保険会社の社員を名乗る青年の沈黙は短く、代わりに笑顔を取り繕う。
「否早。高天原は、大洋の外に目を向けないと思われていましたが。
成る程、どうして。若い方々は、意外に開明的なようだ」
租界を有する鴨津は別に、高天原が依然として閉鎖的である事は変わりない。
高天原の外に向かおうとするものも少なく、反対に入国できるものも絶無に近いと有名であった。
文化の違いから悶着が起きた事例からか、西巴大陸出身は鴨津外での移動は厳しく制限される。
当然にして、市内は勿論、政治形態に対する常識すらも少なかった。
諒太たちの会話の端から見え隠れする高天原の知識は、論国の施策にとって重要な価値を秘めているのだ。
――そしてその価値は、眼前に座る諒太も能く理解しているのだろう。
諒太はエドウィンへと、暗に情報の準備を提示したのだ。
『そろそろ、本題に入りたいんだがな』
『同感です。仕事はさっさと済ませるに限る』
唐突に論国語へと切り替えられ、それでも戸惑いなくエドウィンも付き合った。
目配せだけで晶の方を問うと、微かに肩を竦める所作。
異国の言葉に表情を崩さない辺り、論国語に堪能ではないのだろうと、エドウィンは肯いを返した。
情報を知る者は少ない方が良い。
――これから行われるのは、情報の交易なのだから。
『先刻、駅で晶に絡んでいた奴等。……知らない相手じゃないみたいだったが』
『キャベンディッシュ大佐の事ですか? ヴィクター・キャベンディッシュ。若くして卿の称号を戴いた、論国海軍の新鋭です』
久我諒太は、エドウィン・モンタギューの求める情報を持っていると、取引の天秤へ載せて見せた。
隠す心算は毛頭ない。エドウィンは己の番と理解した上で、見せ金代わりのヴィクターの所属と階級を手札に晒した。
『残念ながら、技術革新は日進月歩ですが、論国も一枚岩と云い難く。……実の処、私どもとキャベンディッシュ大佐は敵対に近い関係です』
『そっちの人出が、慢性的に足りねェとは知っている。
争いは2人から始まるもんとは云え、身内が少ないのに仲間割れってのは悲しい話だ』
『だからこそ我々は、東巴大陸に於ける被害を最小限に抑えるべく行動しています。
キャベンディッシュ大佐は、論国貴族が再興を願って提唱した、復権派の急先鋒です。
向こうはどうやら、東巴を対象に幾つかの計画を遂行しているようで』
「あんた等は?」
「我々としては、東巴大陸の皆様と仲良くできれば良いと願うばかりです」
にこやかに誤魔化しながら、エドウィンは口を閉ざした。
見せ金に興味のない諒太の様子を悟られたのか、当たり障り無く話題を変える。
『内情は高天原と大して変わらんな。
久我家当主は常々、同行家が海戦の雄たるを不満に思っていてな。今度立ち上げられる海軍の指揮権を、俺に獲って欲しいらしい』
『御家と御子息の将来を見据えた、素晴らしい御父上ではありませんか。
――海軍昇任に必要なものがあれば、当社に御連絡を。ロインズは是非とも、久我さまの海洋進出を支援させていただきます』
♢
茶番に近い会食も終わり、晶たちは自身に用意された個室へと戻った。
部屋に引き籠っていた玲瑛と鋒俊が、狭い扉を潜る晶たちへと勢い込む。
「――どうでしたか?」
「多分だが、俺と埜乃香に関しては怪しまれていないと見て良い。
鴨津租界の日常から、俺の素性を何重にも探ってくれやがった」
鼻を鳴らして、諒太は席へ腰を下ろした。
木の板が軋むままに任せ、車窓の外へと視線を投げる。
「晶の頼み通り、租界の領事から伝手を辿って釣ってやったが、見返りは期待できないぞ。
正直、戦況を覆すほどの情報も望めん」
「欲しかった情報は得られた。それだけでも、充分良しとしよう」
「――一寸、待て」
晶の応えを遮り、諒太は埜乃香へと視線を巡らせた。
無言の促しに、少女が軽く肯いを返す。
「大丈夫ですよ。エドウィン何某の気配は、私の方で掌握しています。
……彼なら、先刻の食堂車に留まっているようですね」
「なら、取り敢えずは安心だな。
それで晶。手間暇かけてまで、欲しかった情報ってなんだ」
「俺たちの最終的な敵。エドウィンが何処に所属しているかは取り敢えず置いて、何処まで相手にすれば論国が敵になるか。それが判った」
今回の戦いは晶にとって、敵の見えない戦争でもある。
現在、明確に敵対したのは、幽嶄魔教と太源真女のみ。敵国と見ていた論国は、明確な敵対事実すら作っていない状況だ。
穢レは勿論、滑瓢の時ですら経験のない、敵対しない敵。
然も論国は表向き、高天原と友好を結んですらいるのだ。
現実問題。晶たちとしても、高天原と論国の断交は避けたい結末でもある。
諒太にエドウィンとの会話を頼んだ理由は、晶の本質を知られる事なく今回の会食の席を設ける為であった。
晶の実力は当然、神無の御坐と云う真実を以てすれば、真国と潘国の現状を覆して尚、勝利する事も難しくない。
「敵は論国でしょう?」
「より正確に云えば、論国でも精霊と云う支持される理由を喪った貴族層だ。
面倒だけど遺恨を残して終われば、この先が泥沼になるからな」
極論、論国との戦争に勝つと云うだけで済むならば、晶が九蓋瀑布を降ろせば終わるのだ。
それこそ、誰しもの頭上に遍く天の蓋は、墜とすだけで生き残る希望ごと相手を圧し潰せるだろう。
晶と云う制御にだけ委ねられているのは、最強の神器たる由縁。
御坐専用であるその神器は、今も晶の頭上で暈を広げていた。
最悪の問題として、その一撃は晶にのみ委ねられている現実だ。
精霊遣い以上に強力ではあるが、神無の御坐は当代一人のみ。
晶が寿命を迎えれば、抑止力も喪われてしまうのだ。
だが此処に、エドウィンの告げた復権派の情報が加われば、盤面は一気に書き換わる。
「……単純な話。これは論国でも復権派って云う、貴族と軍部の暴走なんだろうな。
エドウィンの話が事実なら、貴族は国民とこれまでに得た領地を削ってまで、何かを探しているんだ。」
「高天原を手に入れたいだけじゃないのか?
もう、お前も気付いているはずだぞ。――論国は、高天原を掌握するのが目的だろ」
憤懣を滲ませて、諒太は晶の推測に応えた。
幾ら相手が失敗すると確信していても、戦争を仕掛けられる側とすれば溜まったものではない。
諒太の視線に、晶は指を3本立てて見せた。
「多分な。けど、幾ら論国が俺たちを見下そうと、精霊遣いの力量差まで軽んじてはいない。
青道を支配下に置いた上で一旦退く。高天原とは、表面上で友好的に付き合おうとしながら、隙を見て支配下に置こうとしている。
潘国はかなり攻め込めているけど、最後の部分で攻めあぐねている」
1つずつ丁寧に、晶は全員の前で指を折ってみせた。
真国と潘国と高天原。晶の推測が半分でも正しければ、復権派の目的は領地や交易ではない。
「復権派の目的は不明だけれど、対応の違いは何かを期待しての優先だ。
エドウィンが云っていた、復権派の進めている計画ってのがそれだと思う」
「そりゃあ、そうだろうが。
内容が判らない事には、推測も無ェぞ」
「そうでもない。――咲。魔教で行われていた実験の詳細を覚えているか?」
唐突に話題を振られ、咲は双眸を瞬かせた。
昨日の今日の出来事だ。忘れるはずもなく、肯いを返す。
「影梅公女を生み出した実験でしょ? けど、あれは失敗に終わったはずよ」
「太源真女に感づかれていたからな。だけどこれが、復権派の実験の少なくとも一端だ」
「――待ってください、天子。影梅公女が生まれる以前に、復権派は青道を離れています。失敗だと判じた実験など、 、」
晶と咲の会話に、玲瑛は勢い込んだ。
実験の成否は関係ない。復権派であるキャベンディッシュが、魔教と手を組んで行動した事実は間違いないのだから。
魔教の目的は喪われた土地神を神器で代替させる事と、それに伴う加護の恢復。
青道を離れて源林武教に向かったのも、魔教での失敗を期しての行動だとするならば、土地神の代替が復権派の狙いである事は予想に難くなかった。
「否。ですがどの途、その実験は失敗に終わっているはずです。
影梅公女が太源真女の仕込みである以上、論国がどのように実験をしようと源林武教の神器では同じ結果にしかなりませんから」
「そう。源林武教で敗走したから、キャベンディッシュは青道駅に居たんだ。
随分と居丈高な奴だったが、あれは恐らく焦っていたんだろう。」
古来より軍は、実力成果主義の側面が強い。
守備隊もそうだが、家業継承が常識であるこの時代に於いて、武功と飯を食った数が優先される貴重な職であった。
貴族の立場が多少考慮されるとしても、失敗も続けばどう評価が変わるかは自明である。
「……俺たちも、急いだ方が良いかもな」
「どうしてですか?」
「――ああ。そうした方が良いだろう」
晶の推論に考え込んでいた諒太は、やおら視線を上げた。
晶たちの会話について行けず、怪訝とする玲瑛の向こうで、晶も諒太の結論に首肯する。
「キャベンディッシュの実験に必要なものの内、絶対に代替できないものが少なくとも一つある」
「真逆、キャベンディッシュが青道に戻ってきた理由は」
「ああ。魔教の神器を回収しに来たんだろう。
難癖をつけてまで俺たちを封殺しようとしたのも、魔教の関係者だと気付いたからだ」
「ですが、魔教が保有していた神器は、先日の折りに太源真女が回収しています。……でしたら、次に復権派が狙うのは」
単純に考えれば、青道から伸びる東巴大陸鉄道の軌上で神器を調達するのが最も合理的である。
東嶺省の南方は、芳雨省。魔教での無駄足に気付いた復権派の次の狙いが信顕天教だと、戴天玲瑛も漸く結論に辿り着いた。
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