破章:暴食と小さな幸福-1
『はあぁっ!! はあぁっ!!』
クートゥは走りました。
『はあぁっ!! はあぁっ!! はあぁっ!!』
神殿を飛び出し、森の木々を掻き分け、雑草を踏み倒しながら、一心不乱に走りました。
『い゛や゛だっ!! い゛や゛だっ!! い゛や゛だっ!! い゛や゛だっ!! い゛や゛だっ!! い゛や゛だっ!! い゛や゛だっ!! い゛や゛だぁぁぁぁッッッ!!』
まるで現実から逃げるように、自身の醜く変貌した姿から飛び出さんとするように、湧き上がる食欲を振り払うように、ただひたすらに絶叫しながら走り続けました。
ところが彼女は一向に止まろうとはしません。
彼女の変貌した肉体は疲れを知らず、無尽蔵とも思える体力が、彼女に止まる事を許さなかったのです。
一昼夜が過ぎ、数日が過ぎ、数週間が過ぎ……。
それでもクートゥは走り続け、決して止まる事はありませんでした。
ですが体力は無尽蔵でも、精神力は違います。
いくら受け入れ難い現実が自身の身に降り掛かっているのだとしても、数週間も走り続ければ僅かずつではあれ冷静になってくるし、絶望する事にすら心が疲弊してしまいます。
結果、クートゥは嘆き叫ぶ事に気持ちが疲れ、漸くその歩みを止めたのです。
『……ごごば?』
ふと気が付けば未だ森の中。無意識ではあるものの、どうやら彼女は人目に晒されるのを恐れ森の中を走り続けていたようです。
余り変わり映えのしない景色にほんの少しだけ安心感を覚えたクートゥはその場で膝を突き、改めて自身の両手を眺めます。
毛深く妖しく陽光を反射する自身の両手。
その手は確かに彼女が思考した通りに動いて見せ、否応なく自身の肉体なのだと痛感させられます。
『……わ゛だじば、どゔずれ゛ば……』
最早竜退治どころではありません。
竜を倒す倒せない以前に、こんな自分が故郷へ戻ったら一体どうなるか? 想像に難くありません。
ですが彼女が国を出立してから既に一月以上。魔族と天族の戦争は既に火蓋を切られ、祖国は英雄となった自分の帰りを待っている事でしょう。
『どゔずれ゛ば……ん゛?』
そんな時、彼女の鋭敏になった聴覚に、僅かに音が届きます。
常人では決して聞こえようもない微かな音ではありましたが、化け物となったクートゥの耳はそれすら捉え、彼女の顔を上げさせます。
『ごれ゛ば……。げん゛が、ぶづがる゛お゛ど?』
彼女の耳に響いた音。それはこの世界に生まれ落ちてから幾度となく聞き、心地良さすら感じる程になっていた剣同士が激しくぶつかり合う望郷の音でした。
そんな音を聞き、クートゥは居ても立っても居られなくなり立ち上がると、音のする方へと再び走り始めました。
微かにだけ届いた剣の音。その音は変わってしまった彼女の脚力により凄まじい速さで大きくなっていき、音が近付くにつれ他の情報も彼女に届いていきました。
最初にくすぐったのは臭い。金属と、土と、汗と、そして鉄錆の様な濃厚な血の臭いが彼女に伝わり、理性と本能に別々の感情を湧き上がらせます。
次に更なる音。聞き分ける事が不可能なほどに複雑に絡み合った怒号と絶叫と鼓舞が台風のように渦巻き、クートゥの焦燥感を逆撫でしました。
『ま゛ざが……ま゛ざがッッ!?』
草木を掻き分け、茂みを払い、音と臭いがする現場へと辿り着いたクートゥ。木々の陰から四つの目を覗かせ見たもの。それは……。
『あ゛ぁぁ……。ゔぞだ……な゛ん゛でっ!?』
故郷に吹き荒ぶ、戦乱の嵐でした。