表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
これがあるからやめられない  作者: ニシザキ
6/8

06

   国吉轍・3


「菊ちゃんはすごいよなあ」

 というのが、その頃の俺と慧一の合言葉だった。

 一向に飽きがこないフルーツサンドを頬張りながら、慧一はしみじみ呟いた。三年の初めには慧一もかなり背が伸びていた。おまけに華があるため、弓道部の大会で女子に随分人気なのだそうだ。本人が嬉しそうに報告してきた。

 俺もまた背が高くなった。バスケ部を抜いて背の順は一番後ろ。靴の大きさは三十センチ。ローファーを求め靴屋を探し回った親は、これを卒業まで壊すなと俺に念を押した。

 二人とも菊ちゃんのフルーツサンドで育った、というと語弊があるが、毎日のように食べているから間違いでもないだろう。

 三年になったくらいから、菊池さんは菊ちゃん呼びに定着した。俺が試作品のフルーツサンドを持っていくと「学生からもらうのはダメなのよ」と残念そうに断る。師匠の判定はなかったが、俺の中ではまだ菊ちゃんのフルーツサンドに届かない。

 菊ちゃんはすごい。学食の厨房で、学生から全く知られないところで、購買のメニューをつくっている。それなのに、あんなにおいしくて、あんなに幸せになるものを売っている。

「……すごいよな」

 俺は同意して、菊ちゃんのフルーツサンドを頬張る慧一の横顔を見た。垂れた(まなじり)とか、柔らかく笑う口元とか、菊ちゃんがつくっていると思うと、急に切なくなる。菊ちゃんのすごさはわかっているから、余計にやるせなかった。

 放課後、調理部でため息を吐きながら生クリームをかき混ぜていると、「地上の星、かけたいね」と中島みゆきとナレーションのものまね合戦になっていた。

「おつかれぃ」

 弓道場から制服に着替えた慧一が出てくる。部活が合う時はよく一緒に帰っていた。弓道部が強いという噂は聞かなかったが、それでも夏の大会に向けて練習が続いていたのだろう。

「今日はなにつくったの?」

「二段ケーキ」

 携帯で撮った写真を見て慧一が、

「ケーキ入刀するやつじゃん!」

 と、高揚した声を出す。

「それで、余った材料でつくってみた」

 鞄からラップで巻いたフルーツサンドを取り出す。

 パンは事前に吟味したメーカーのもの、生クリームは甘さと硬さを調節した。

「おっ! 食べていい!?」

「感想たのむ」

 部活終わりで腹が減っているのか、慧一は飛び上がらんばかりに喜んだ。

 これまでにも試作品を食べてもらったことはあるが、反応はいまいちだった。菊ちゃんのフルーツサンドの模倣としてだったから、ゴールは菊ちゃんの味を完全に再現すること。それに対して、慧一の評価に妥協はなかった。菊ちゃんのフルーツサンドへの愛ゆえだ。だから、俺もはんぱな答えを求めなかった。

「今回は、菊ちゃんのに近づけようとしてない。俺のおいしさみたいなのに、なってたらいいと思う」

 超えるとか超えないとかじゃないかもしれないけど、真似だけで追いつくことはできないだろう。俺は慧一を、菊ちゃんのフルーツサンドを食べている時よりもっと幸せにしたかった。不純な動機だけど、それが一つのゴールだと思った。

 駅までの途中にある公園のベンチで、フルーツサンドを開ける。

 大きな口ががぶりとパンを噛みしめた。

 リスみたいに頬張って、慧一は目を閉じて咀嚼する。

 俺は隣で身を固くして、審判の時を待っていた。

「んっ」

 慧一が目を開く。唇についたクリームを舌で舐めとる。飲みこんで、中身がなくなって緩んだ頬がまた別の力で丸くなる。

「うまい」

 夕闇の中で、慧一の目は輝いて見えた。身を乗りだして告げてくる体が愛おしくて、膝の上の手がわずかに跳ねる。

 その、顔。

 その顔が見たくて、フルーツサンドをつくってみたのかもしれない。

 食べてすらいないのに、胸を幸福感が満たす。

「うまいよ、国吉。いや、今までがうまくなかったわけじゃないんだけど、今回のはとにかくうまい!」

 落ちそうなほど緩んだ頬を赤くして告げる慧一が、この探求の答えだった。

 うまくいかないと自宅のキッチンでぐるぐる回っていたことも、菊ちゃんのフルーツサンドに嫉妬したことも、全てとろけて消えていく。

「城」

 俺が慧一に身を寄せて呼ぶと、慧一は信頼しきった顔で笑いかける。

 その無防備さに、俺は次の言葉を言い出せなくて、結局蹲ってしまった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ