父との対話
六話連続更新の三話目です。
六年前に拾った素性の知れない黒猫に恋をしたのはいつからなのか。
青い薔薇を差し出し、私を物語のヒロインのように思わせた初遭遇の日か。
十二の時に母が亡くなった悲しさに暮れた私を、コンペイトウの雨で元気づけた時か。
第二王子の婚約者という重圧に潰れそうな時に、ジテンシャとか言う不安定極まりない乗り物に乗せられ夕日を見に行った時か。
思い出せないけれど、気付けば私の中にはマウの黒い瞳に映ることを悦ぶ、おぞましい自分がいた。
恋と言いながら、胸の内に浮かぶ思いに美しさや清らかさなど欠片もなく、「玉璧の薔薇」などと持て囃される外面との大きすぎる解離に気を抜けば自嘲が漏れそうになる。
私もマウも、同じ女。そして第二王子という権力の象徴を婚約者に持った私が、あれへの恋心に対して出来ることなど何もない。
そもそも、もっともらしい理由をつけたとて逃がさないために隷属の首輪をはめるような輩はマウもお断りだろう。
……まあ、優しくしたとしても腐った種では実るものなど何もないだろうが。
「……ソマリ、ちゃんと聞いている?」
「はい、お父様。マウのお陰で我がスノーシューの領地は今年も収穫量が上がっていると言う話でしたわよね」
「何だ、ちゃんと聞いているんだね」
父からの呼びかけに、物思いにふけっていた私は微かに耳に届いていた言葉を繋ぎ合わせ取り繕う。男女問わず魅了する美貌を持ち「氷輪の薔薇」と呼ばれる父は、昔からほとんど変わらない顔を笑みの形に変えた。
父はマウの用意してくれたリョクチャを飲み、目を細める。マウを拾ってから父は紅茶ではなくリョクチャばかりを飲むようになった。彼女の出したコメなる穀物も気に入っているらしく、家での主食はほとんどそれになっている。
「マウの顕現する【農業本】のお陰だね。まだまだ実現出来ない技術はあるけれど、今の文化水準で試せるものはほとんど成功している。
【医学書】も素晴らしい効果だった。領民の死亡率は格段に下がっている」
父は満足そうな笑みを浮かべ、椅子に深く腰掛け直した。
マウの魔術は思った以上に汎用性が高いようで、ある程度抽象的なカンジを使っても魔力さえ込めれば顕現させられるらしい。顕現させる為には彼女がイメージ出来るものなのかどうかが重要なのだとか。
「ですが、マウの顕現した本の内容をすぐに実践出来たのはお父様のお陰ですわ。
お父様が領民に教育の機会を与えていたからこそ、マウのもたらしたものが受け入れられたのですよ」
「はは、僕なんて全然さ。与えられなければ手をこまねいているしか出来ないのだから。
……マウが来てもう六年になるのか」
謙遜していた父は、ふと遠い目をして呟いた。長いようで短く思える六年間に、私もつい、意識を過去へとやってしまう。
「ねぇ、僕とシャルの可愛い娘。お願いがあるんだけれど」
「だめです」
父が願いを言う前に、私はそれを断った。何を言うかは分かっていた。
母が亡くなって身辺が落ち着いてから、幾度となく頼まれているからだ。
それすなわち、父とマウとの結婚。
そこに甘い感情があるわけではない。埒外の魔力で奇跡をごり押しで起こすマウを父は手放したくないのだ。
来年になれば私は王都の学園へ行かねばならない。身元のしっかりしていないマウを連れて行くことは出来ない。
だからこそ、これは本来マウの為でもあるのだろう。彼女の後ろ盾をより堅実なものとするために、本当はこちらから父にお願いしなければならないことのはずだ。
だが理性ではそれを分かっていても、感情が納得するわけがなかった。
長い長い恋慕なのだ。たとえ尊敬する父と言えど、マウの隣にいさせようとは思わない。
「あれは、私のものです」
決意や感情を全て含んだ宣言は、思ったよりも高く伸びやかな声色だった。
「……どうしてもかな?」
「ええ、どうしてもです」
父は私の目を見つめ、決断が揺るがないことを悟ったのだろう、一つ小さいため息を吐いた。
「……老婆心ながら、年長者として一つアドバイスをするけれどね」
「はい?」
何故か父はこめかみをぐりぐりと揉みながら、眉間に皺を寄せていた。
「好きならもう少し優しくしてあげなさい。リアルのツンデレは損しかしないよ」
「なっ!?」
隠していた恋心をあっさり見破られた私の動揺を父は気にせず「考えることがある」と私を退室させた。
「え? えぇぇ……?」
私の混乱を余所に、無情にも扉は閉められた。私は、一体どれだけの人間にマウへの気持ちがバレているのか気が気ではなく、扉の前で立ち尽くしていた所をコラットに声をかけられて盛大に肩をびくつかせた。
とりあえず応援は当然ないが、反対もされなかったので父のアドバイス通りマウへ努めて優しく振る舞ってみたが、病気を疑われたので三日で元に戻してしまった。
お読み頂きありがとうございました。