玉璧の薔薇は恋を秘める
六話連続更新二話目。
六年前に拾った黒猫の名前は「マウ」にした。お父様から教えて頂いた異国の言葉で、猫の意味らしい。
色々候補はあったが、本人がこれがいいと言ったのだ。私は悪くない。
マウは六年経った今でも良く分からない女だった。未だに自分のことは何も思い出せない癖に、妙な知識ばかりを口にする。
初めて会った時の「ゴダブリューイチエイチ」もどうして「誰が、いつ、どこで、どうして、どちらで、どんな風に」の略になるのか意味が分からないし、「ジュゴン」「マナティー」は説明だけ聞くと人魚の一種にしか思えないのに魔物ではなく動物だと言い張る。
王国の歴史や地理は教えた端から忘れていく癖に、教えてもいない数学は私に教えられるくらい習熟している。
「スカートやだ。ズボンが好き」と男のような格好ばかりするのに、ドレスのデザインにやたら詳しい。
「食べるの専門」と言いながら料理長も知らない料理法を説明する。
コラットに耳を引っ張られて全く上達しない剣の練習をする傍ら、新しいスポーツ「サッカー」を設備ごと魔術で作り出し私の弟と泥だらけになって遊んでいたりする。
単純なのに捉えどころがない。猫と言うより蛸のようにぐにゃぐにゃとした人間だった。
「お嬢様ー、お茶入りましたよー」
あの時のような昼下がり。部屋で読書をしていた私へマウが声をかける。
六年前とほとんど姿が変わっていないが……変わっていないからこそ、マウが「いい年」なのが分かるのだが……あの駄猫は未だ礼儀作法が身に付かないらしい。
だが注意した所で「だってペットですし」と真顔で返すのは分かりきっているので私はため息を噛み殺し、扉越しにマウへ声を返した。
「入りなさい」
「失礼しまーす」
現れたマウは相変わらずの黒一色。
女にしては高い背は確かにスカートは似合わない。黒いシャツとズボンに身を包んだマウは、私と目が合うと一つに括った黒髪を揺らして微笑んだ。
「今日は緑茶にしたんですよー。お茶受けに羊羹が食べたかったんで」
「本当に駄猫なんだから。あのね、どうして主人の私でなくお前が食べたい物を持ってくるの」
この国では飲まれない、緑色のお茶がカップに注がれている。すっきりとした香りのリョクチャとやらは眠気の出るこの時間には相性が良いけれど。
「あ、じゃあ違うのにします? 紅茶持ってきますけど」
「誰も食べないとは言っていないでしょう。それくらい察しなさい」
「わぁい、ツンデレだー」
また妙な言葉をマウは発する。ツンデレはどんな意味だったかしら。とりあえずロクな言葉じゃなかった気がするけど。
「で、今日は何にします? 栗ですか、芋ですか?」
そう尋ね、出された皿には何も乗っていない。
ヨウカンなのは変わらないらしいが、種類は選ばせてくれるらしい。中途半端な気遣いが、流石駄猫だ。
「……クリヨウカンで」
「了解しました、お嬢様」
私が答えると、マウの右手に膨大な魔力が宿る。
さらさらと空中に描かれる魔紋は、青薔薇を出した時のようにこの国では見たことがない形状だ。
【栗羊羹】
この魔紋は、カンジと呼ばれるらしい。描き上がると魔力は収束し物質へと変わっていく。
マウの用意した皿に、濃い赤紫色をしたインゴットのような菓子が乗る。鮮やかな黄色に煮上がった栗が剥き出しになっているそれをマウはナイフで一切れ一切れ分けていく。
「はい、どうぞ」
大振りの栗一つ分の幅のヨウカンが三等分にされ、私の皿に乗せられる。
少ないと文句は言わない。暴力的な甘さのヨウカンは余り食べると胸焼けするのだから。
私は少しずつヨウカンを口に入れる。甘いだけではない、日向のようなアズキの香りが鼻を抜けた。
「コラットさんもどうぞー。和菓子好きでしたよね?」
「い、いや。私は今勤務中だから必要な……分かった、後で頂こう」
部屋で護衛をしてくれていたコラットにも、マウはヨウカンを勧めた。最初は渋っていたコラットも、「食べないの?」と目で訴える猫に負けて皿を受け取るようになった。
コラットは出会った当時はいつ斬ろうかと目を光らせていたのに、現在はすっかり懐いてくるマウに絆されてしまっている。年も近そうに見えるし、お互い気安いのだろう。
「今度は餡蜜を出そうかなー? お嬢様も和菓子は好きみたいだし……あ、コラットさんも何か食べたいのがあったら」
「マウ」と、私は口をつけたカップを置きながら声をかけた。
図々しくも私の前に座っていた駄猫は、コラットへ向けていたにんまり笑顔を私へ向けた。
「はい?」
「薄い」
胸のむかつきを抑え、私は短く話す。
マウは笑顔を慌てたものに変え、右手に魔力を込めた。
「ああー、すみません! 羊羹甘いですもんね。今、新しいの出しますね!」
マウのカンジは同じ模様でもある程度の調整が出来る。新しく出されたリョクチャは今飲んだ物より濃い緑色をしていた。
「ありがとう」
胸のむかつきを消す為に、熱いそれを飲み込む。
マウの出すものは私の好みから外れたことがない。現に今、私が出させたリョクチャは苦すぎる。
一杯目のリョクチャの方が私の好みだ。だが、今更一杯目を飲むわけにもいかないので冷えるのを横目に、濃すぎる二杯目を飲んでいく。
むかつきは消えてくれない。
当然だろう、これは胸焼けではなくただの嫉妬なのだから。
マウが私を見ずにコラットを見ていたからって、それを止めさせる為に苦い茶を我慢して飲む私はなんて愚かなんだろう。
日溜まりの猫のように気の抜けた顔で見つめられ、頭の奥が熱くなる。
耐えられず目をそらした私の視界に映るのは、日差しを浴びてサファイアのように輝く、あの日から枯れずに咲いている一輪の青い薔薇。
キンカロー王国序列第一位、金剛爵スノーシュー家の長子、ソマリ・スノーシュー。十四歳。
貴族の間で「玉璧の薔薇」と憧れと畏怖を込めて呼ばれる私が、戯れに拾った飼い猫に恋をしていることは、私の中だけの秘密だ。
お読み頂きありがとうございました。