彼女との出会い
結構な文量になったので放出します。
ストックは六個。
時間の許す限り投稿します。
六年ほど前だ、我が金剛爵邸の庭に黒猫が落ちてきたのは。
「お前、名前は?」
「……何だろう?」
庭には薔薇を見ていた私と護衛のコラットしかいなかった。木から落ちてきた黒猫の首に、コラットはすぐ剣をあてがった。
私の問いかけに、髪も瞳も黒い女は心底不思議そうに首を傾げた。
コラットもまさか剣をあてがった方向に首を傾けるとは思わず、剣を下ろしてしまう。
「貴様、ふざけているのか!」
「ちょ、待って。本当に分からないんだ! 何でどうしてここにいて、ここがどこで、自分が何者なのかも!
5W1Hが一切不明なんだ!」
「ごだぶ……ソマリ様、耳慣れませんが呪言かもしれません。斬りましょう」
「斬ろうとしないで! ジュゴンでもマナティーでもないよ! 私、多分人間!」
剣を構え直すコラットに、女は青ざめて手をぱたぱた動かして弁明する。
「コラット」
私は斬ろうとするコラットを止めた。「ソマリ様」と咎めるような声をコラットは出すが無視だ。
女の言い訳は荒唐無稽だったが、私には嘘に思えなかった。この国で王家の次に権力のあるスノーシュー家の人間を狙う刺客であれば、木から落ちるヘマはしないはずだ。
もしこの女が刺客ならばとんだぼんくらだと、八歳の私の頭でも理解出来た。
「お嬢ちゃん、止めてくれてありがとうね」
「なれなれしくソマリ様を呼ぶな! この方はキンカロー国のキムリック・スノーシュー金剛爵のご令嬢、ソマリ・スノーシュー様だぞ!」
「コラット」
「ですが!」
声を荒げるコラットを止める。黒い女は一度立ち上がると、片膝をついて私と目線を合わせた。
「えーと、ソマリお嬢様? 好きな花ってあります?」
「はい?」
唐突な言葉に今度は私が首を傾げる。キンカロー国では見たことがない、髪も瞳も真っ黒な女はどうやって隠していたのだろう。右手に輝くほどの魔力を溜めていた。
「ソマリ様!」
悲鳴のようなコラットの声。見たことのない強さの魔力に、私の喉はひきつり声をなくす。
黒い女は猫のように目を細め、にんまり笑った顔を不思議そうなものに変える。「ソマリお嬢様?」と女の声に急かされ、私は声を取り戻した。
「青い、薔薇」
この世には存在しない花。黒猫のような女は私の答えににんまり笑い直し、魔力で輝く指を動かした。
「承知致しました。お嬢様」
女の指が躍る。踊る。
円形を描くを基本原則とするはずの魔紋のようでいながら、女が魔力で描く模様は酷く角張っていた。
【青薔薇】
女が指を下ろす。完成した魔紋は収束し、急速に魔力を失っていく。
「はい、完成。花言葉は「夢叶う」だよ」
女の手の中に、一輪の薔薇が咲く。サファイアのように透き通った青の花弁を持つ薔薇は、彼女の手から私の手へ移る。
うちの庭の薔薇よりも控えめな甘い香り。おとぎ話でしか見たことがない青い薔薇に、私は目を瞬かせる。
「青い薔薇の花言葉は『不可能』のはずよ」
八歳には似合わない酷く疲れた声が出た。女はまた不思議そうに首を傾げる。
「不可能は可能になったじゃないか。ソマリお嬢様の夢は叶ったでしょう?」
「そう……そう、ね」
私は青い薔薇を手にしたまま、片膝をついたままの女から顔を背け、理解が一切追いついていないコラットへ指示を出した。
「コラット」
「……は……は、はいっ! ソマリ様!」
「隷属の首輪を用意なさい」
「は? え、は……はいっ!」
頭は混乱したままなのだろう。コラットは護衛対象であるはずの私を置いて屋敷の中へ駆けて行った。
私はそろりそろりと逃げようとしている黒い女の首根っこを掴んだ。髪も瞳も黒いのに、服まで真っ黒なんてセンスのない女だと思う。
「は、はなして! 隷属って、私、奴隷はいやだよ!」
「じゃあ、どうするの。お前は記憶も名前もないんでしょう?
お前のようにね、会って間もない人間に不可能を可能にする魔術なんて見せる愚か者はこの庭から出た途端、すぐに食い物にされてしまうのよ。
それに、安心なさい。隷属と言ってもスノーシュー家の人間に危害を加えられなくなるだけだから。
お前はおかしな言葉を使う得体の知れない輩なのだから、首輪くらい着けないとお父様とお母様に見せられないでしょう?」
這いつくばった格好でじたばたと暴れていた女は、私の言葉にぴたりと動くのを止めた。
「……どういうこと?」
私を見上げる女の黒い瞳が、昼下がりの日差しを反射してきらきら煌めく。
私はそれに、八年で培ったお母様直伝の完璧な笑みを向けてやった。
「察しの悪い野良猫ね。この私が飼ってあげると言っているのよ。光栄に思いなさい」
足音が聞こえる。「ソマリ様! 首輪ありました!」とコラットが出した声に、黒猫は顔を青ざめさせた。
「い、いやだぁぁあああ! 美少女ご主人様とペットプレイなんて、絶対いやだぁぁあああ!」
「うるさいわよ、駄猫。静かになさい」
またこの黒猫は訳の分からないことを叫ぶ。コラットに羽交い締めにさせて、私手ずから首輪を着けてやると大人しくなった。
無骨な真鍮の首輪では趣がないので得意の幻影魔術で赤い首輪に見えるようにする。これで、絶対ないだろうが刺客だったとしても私達を害せない。
さあ、早速名前を決めないと。何がいいだろう。やはり黒にちなんだ名前がいいだろうか。
私は楽しい捕り物を邪魔されないよう庭にかけていた幻影魔術を解除しながら、これから面白くなりそうな未来に機嫌を良くしたのだった。
お読み頂きありがとうございました。