1-83 三つ首の魔獣と二本の剣:前編
すっかり涼しい秋風が吹いている。高い空を見上げてリティッタが物思いに耽るように呟く。
「もうしばらくしたら冬ですね」
「こっちの冬はあんまり雪が降らないからなぁ」
別段雪がそんなに好きなわけでも無いけど、やはり冬と言えば雪を思い出す。ノースクローネは北の方にある割にはほとんど雪が降らないのだそうだ。
「ワタシは雪見たことが無いな」
「ウーシアさんの実家は砂漠の方ですもんね」
「ああ、むしろ雨自体があまり降らないからな」
愛用のハンマーを錆び取りオイルで手入れしながら故郷を懐かしむようにウーシアが言う。
「みんなが言うほど悪いところでも無いけど。夕陽の中並んで歩いていく紅駱駝の群れや春先に南からやってくる極楽鳥……街では見られない美しい動物たちをたくさん見られる」
「へえー、いいですね」
久しぶりに仕事が落ち着いて、のんびりと過ごせる午後のひと時はそこまでだった。コンコンと丁寧にノックされるドアの音に三人は目を見合わせる。
「入ってくれ」
「お邪魔する」
「ラドクリフさん。いらっしゃいませ」
やってきたのは『砂塵の弓』のリーダー、ラドクリフだった。慎重な判断力と的確な指揮で今ではこのノースクローネでも五指に入るパーティに鍛え上げた優秀な冒険者。
「久しぶりだな。騎士勲章の授賞式以来か」
「ああ、ジュンヤも元気そうだな」
リティッタに紅茶を頼み、ラドクリフをテーブルに招いた。
「ラドクリフが来るという事は、随分と厄介な魔物でも出たのか?」
「残念ながらそうだ。ケルベロスを知っているか」
「ケルベロスっつーとあの首が三つあって火を吐くとかいう犬か?」
静かに椅子に腰掛けたラドクリフはいつもの真面目な顔で頷いた。
(ケルベロスってのは確かギリシャ神話に出てくる化け物じゃなかったか……まあドラゴンやトロールがいる世界だ。こっちに似たような魔物がいても不思議じゃないか)
ふと沸いた疑問を深く考えるのはやめて話を聞く事にする。
「メガロケルベロスとかいう合成生物で、他のケルベロスの二倍近く大きい。魔法も通じにくく、力が強くて敏捷で接近攻撃も難しい。火炎は一気に三人を飲み込み程の範囲で吐いてくる。攻略法がわからん」
「聞いてるだけで目眩がしそうな奴だな」
半分呆れて椅子の背もたれに身を預ける。
「もうここいらで迷宮を潜るのは諦めて入り口を封鎖したらどうだ?」
「ところがそうもいかんのさ。学者の話だとこの迷宮の封印が解けかかっているのは、冒険者の探索だけでなく経年劣化のせいでもあるんだそうだ」
「じゃあこのままほっといても“強大な者”とかいうのが復活しちまうのか?」
ラドクリフは二度、首を小さく縦に振ると紅茶のカップに口をつけた。
「そうだ。だから迷宮の奥にあると言う封印の場所に向かい、再びソイツをしっかり封しなおさければこの地の安全は取り戻せないらしい。ソイツの影響かは知らないが最近はディルクローネも魔物だらけになっているし、地上の入り口からの魔物の逆流も頻繁に起こっている。冒険者が疲弊している今の状況が続けばノースクローネが滅ぶのも遠くないかもしれん」
「モタモタしている場合じゃ無いって事か」
俺達の話を聞いてブルッと震えたリティッタの頭を撫でてやる。冒険者にゴーレムを売ってのんびりスローライフとか考えていたのにいつの間にか抜き差しならない事態になっていたようだ。どうやら俺は平穏な人生とは縁遠いらしい。
「話を戻そう。とにかく先に進むにはそのメガロケルベロスを倒さなければならない。そして今のところ弱点らしい弱点も見当たらない」
「他のケルベロスは、どうやってやっつけてるんだ?」
「周囲に分散して攻撃をするのが有効と言われている。当然メガロケルベロスにもその戦法で挑んだんだがアイツは特に反射神経が良くて別々のタイミングで攻撃してもしっかり対応して避けられたり反撃を食らってしまう」
(別のタイミングでは、か)
ラドクリフの話をメモ帳に書きこんでいく。絡め手だけで倒そうというのは難しい話のようだ。
「予算は?」
「あんまり法外な値段は困るが、このあたりの魔物相手のゴーレムならそれなりに払わなければいけないと覚悟しているよ」
苦笑いをするラドクリフ。話の分かる客はありがたい。
「ちょっと時間をくれ。対策を練ってみる」
「頼む、こっちも役に立つ情報を探してみる」
握手をして立ち上がり、ラドクリフはドアの向こうに姿を消した。
「どうするんだ、ダンナさま」
「どうするってもなあ……ジグァーンの時みたいに『ディスリィ』のファイアフライで目を回させればいいって訳じゃなさそうだし」
あれは充分な広さのある部屋でしかも主戦力が他にあったから取れた手段だ。それに今度の敵は眼が六つある。今回はまた違う方法を考えなければなるまい。
「散歩しながらいろいろ考えてくる。リティッタもウーシアも今のうちに好きな事をしてリフレッシュしておいてくれ、きっと忙しくなる」
「じゃあ釣りに行ってくるか」
「私もお買い物に行ってきます」
それぞれ別々に工房を出た後、俺は街の専門店をいくつか回ることにした。何かお得なブツと巡り合えるかもしれない。
(まずは……武器だな)
ブレイドランスを買ったあの武器屋に足を運ぶ。刀剣コーナーにはズラリと様々な形状の剣がところ狭しと並んでいた。全部見ていくのは大変だな、と思っている所に見覚えのある店員が揉み手しながらやってきた。
「いらっしゃいませ!本日はどのようなものをお探しですか?」
「ああ、ちょっとな……ていうか凄い量だな。こんなに売り捌けるのか?」
俺の言葉に店員も困ったという表情をあらわにする。
「いやー、あのディルクローネができた時はもう毎日仕入れてもポンポン売れてくれたんですが、最近はすっかりで……新人冒険者は減ってますし、ベテランは迷宮の中で見つけた伝説の剣なんか使っててこういった店売りは買ってくれんのですわ。正直参っとります」
「武器屋も大変なんだな」
俺の工房はまだ客が途切れないだけありがたいのかもしれない。
「そんな訳で、サービスいたしますよ。お客さん」
こんな冒険者に見えない俺にまでサービスしなくてはいけない程かと思うと無下にもしにくい。ブレイドランスの件で二回も世話になっているし。
「実は合成生物に強い武器がないかと思って……ぶっちゃけると、ケルベロスなんだが」
「ケルベロスですか」
店員も一瞬接客の笑顔を止め考え込んだ。
「実はキメラやグリフォンなどに強い剣があるのですが……ご覧になりますか?」
「あるのか?見せてくれ」
ダメ元で見に来た甲斐があるというものだ。刀剣コーナーの奥の方へ行く店員の後についていくと、二本のデカいグレートソードが目についた。
「これか?」
「はい」
抜き身のグレートソード……柄から剣先までは俺の身長と同じくらい、そして肉厚で幅の広い刀身。持って見ようという気持ちすら起こらない代物だ。暗い紅と緑青色の刀身の二本。
(『ロゼンラッヘ』クラスのゴーレムなら、使いこなせるか?)
「どっちが強いんだ?」
「実は……この二本は対になっておりまして」
「はい?」
言っている意味がすぐに飲み込めずに、俺は間抜けな顔で聞き返した。
「遠方の国で採れる希少な鉱石を使っているのだそうで、まずこの緑青の剣で傷をつけます。それからすぐに間髪置かず暗い紅の剣を突き入れる事で合成生物の強靭な皮膚や筋肉を破壊できるのだとか」
「それってつまり、一人でこの二本を振り回せってことか?」
俺の半分呆れた声に店員も答えにくい反応をした。
「東方の高名なドワーフ鍛冶が鍛えたそうですが、当人が言うにはこのくらいドワーフ剣士なら扱えるとかなんとか」
「こんなクソ長い剣をか?」
何にせよ、売れ残っている理由は理解できた。値段を見ると、銀貨110枚の所に射線が引かれ85枚まで下がっていた。
「もう少しまけられないか?」
「……仕入れが75なんですよ」
相手もコレを処分したい気持ちと赤字を出したくない気持ちの間で揺れているようだ。俺はリティッタみたいに鬼値引きができる程心を強く持っていないのでなんとか折衷ラインを探してみる。
「80でどうだ?」
「キツイですねぇ……83では?」
「……他に売る心当たりも無いんだろう?」
少し意地悪だなと思いながらもそう言うと、店員は諦めて肩を落とした。
「わかりました、81枚で手を打ちましょう」
「話が早くて助かるよ」
相手の気が変わらないうちにサインをする。お金は後でリティッタに払わせよう。
「じゃあまた。いつもの便利なモノ売ってもらって助かるよ」
「またいつでもどうぞー」
上出来な作り笑いの店員を後にして俺は工房に帰ることにした。




