1-32 スライムと嫉妬:前編
朝、微睡から目を覚ます。夢の内容は覚えていないがとてもやわらかい何かに包まれていたような……。
「!?」
目を開けると、そこには褐色の谷間があった。深く柔らかい、少し呼吸で規則的に揺れる谷間。それが何かを把握すると共に顔の横からどうしようもなく冷たい殺気を感じる。
「これはどういう事なんですかねぇご主人さま?」
眼球だけを声の方へ動かすと、そこには予想以上に羅刹の顔をしたリティッタがいた。
「いや、俺もこれは何がなんなん……」
俺が記憶しているのはそこまでだった。ガッ!と固く重い鉄製品のような何かが側頭部に打ち付けられ、俺の意識はしばし肉体を離れてしまった。
カン!……カン!
ウーシアのハンマーが小気味よいリズムと共に焼けた鉄の形を整えていく。ただ打つのではなく、一度打っては間を置き鉄の温度の変化も見ているようだった。力任せの俺のにわか鍛冶とは違うしっかりと訓練と教育を受けた技術だ。その証拠に彼女の筋肉を包む褐色の肌にはたくさんの汗が玉を作っているが呼吸は乱れていない。
「鍛冶ギルドで修業をしたのかい?」
「いや」
横から見ている俺の質問にウーシアはハンマーを振るいながら答える。
「ワタシの村、ペホロにいた爺さんに習った。大人は農業と出稼ぎで忙しかったから、ワタシが鍛冶をやる必要があった。今は弟が鎌や鍬を作っている」
「なるほどな……上手いわけだ」
「修行すれば誰にでも出来る程度の腕前だ、自慢するほどでもない。ダンナさまのゴーレムを作る技術の方が、ワタシは凄いと思うぞ」
首からかけたタオルで汗を拭いながら、ウーシアは俺の方を見て微笑んだ。汗ばんだ胸元や脇が相変わらずセクシーで魅力的だ。俺は必死にユーシアの顔に視線を合わせた。
「俺の知識や技術だって勉強しただけのものさ。でも、そうだな……それに地道に成長に支払った時間は、他の人からしたら称賛に値するのかもな」
「ダンナさまは、良い事を言うな」
それほどでも……と言いながら俺はウーシアの耳元へ口を寄せた。
「あと、それからなウーシア。今朝は何で俺のベッドに入ってきたんだ?」
「寒かったからだ。ノースクローネの朝はペホロより寒い。二人で一緒にいれば暖かく寝れる」
俺は頭に出来た大きなたんこぶをさすりながら呻いた。
「俺はいいけど男女が一緒に寝るのは、リティッタが気にするんだ。控えてくれると助かる」
「リティッタはダンナさまの奥さんなのか?」
意外そうな顔で俺に聞くウーシア。だがそうではない。俺は左右に首を振った。
「なら、いいじゃないか」
「アイツが機嫌を悪くすると俺もウーシアもうまいメシが食べられなくなる。それは困るだろう」
「確かに」
ウーシアは頷いた。
「できるだけ控える。本当に寒い時以外は」
そういうとウーシアはまたハンマーを振るい始めた。そこに後ろから機嫌の悪いままのリティッタの声が聞こえてくる。
「ご主人さま、お客様ですよ」
「わかった、今行く」
鍛冶場を離れて工房の入口に向かう。あからさまにふくれっ面をしたリティッタの頭を撫でながら。
「もう機嫌直せ。可愛い顔が台無しだぞ」
「怒ってなんかいませんよ!」
ぷんぷんと台所の方へ向かって行ってしまった。これだから子供は扱いにくい。振り向いて来客の方に急ぐと、相手はすでにテーブルについていた。
「いらっしゃい、待たせてすまない」
「いや、いいのさ」
座りながら来訪者の顔を見た。若くはない、むしろベテランの貫録すら感じさせるガタイのいい男だった。腕はよく見るまでも無く筋肉の塊といった感じだしその腕には無数の傷跡がある。剣の柄にはそれほど華美ではないが職人の手による装飾が施されていた。その辺の冒険者が携えるような代物には見えない。
「失礼だが……結構なベテランとお見受けしたけど、ウチのゴーレムがご入り用で?」
「名乗るのが遅れたな、自分はダリオ。『巨人の槌』というパーティに入っている」
「あの大手の」
俺は素で驚いた。この間ジェフに聞いた名前のパーティだ。確かノースクローネでもダントツでメンバーが多いとかいう。
「まぁパーティは有名だが俺の率いてる連中はせいぜい中堅トップってくらいだがな」
「それでも、そんな大手の冒険者が来てくれるなんて光栄だ」
「俺も評判を聞いてきただけで、あわよくばって感じもあるな」
そう言ってハッハッハと笑うダリオ。歯に衣着せぬという性格の様だが悪い人間ではなさそうだ。
「地下22階の件は?」
「草原迷宮と荒野迷宮が繋がりそうって話なら聞いている。随分みんな手間取っているようだが」
それだ、とダリオは人差し指を立てた。
「結局直接つながっていたらしい通路はみんな崩落してしまっているんだ。もし繋げるなら大規模な掘削工事をしなければいけないがあんな所までスコップやツルハシ担いでついてきてくれるような人間はいない。天井も不安定でちゃんとしたトンネルが作れるかわからないしな」
「じゃあ、結局二つの迷宮は行き来出来ないのか」
俺は少し肩透かしを食らったような言い方をした。しかしダリオは余裕の笑顔で続ける。
「いや、実は偶然俺の連れているメンバーが予備通路のような細い道を見つけたんだ。俺のカンでは間違いなくあの通路は使える。上手く荒野迷宮側まで繋がれば俺たちはギルドでもパーティ内でも大きく評価されるわけだ」
そこまで元気に言っていたダリオだが、急に苦虫を噛み潰したような顔になった。
「だがな、その狭い通路に厄介な魔物が棲みついているんだ」
「なんだ、毒蛇かなんかか?」
「いや、スライムさ」
スライムと言えば日本のゲームでは割とザコのイメージだ。しかしこちらの世界では剣も魔法も効きにくくなかなかに厄介な魔物と事あるごとに聞いている。種類も豊富でそれぞれのスライムに合った対処をしないと逆に増えたり巨大化したりするのでスライム対策の専門書が出ているくらいだ。
「なんつったかな、グリンテザスライム?大きくはないけど伸縮性に富み武器の類は一切効かない。炎や熱は効果があるものの再生力も高く攻撃がやめばすぐに復活してしまう。あんな狭い所で火炎魔法を延々と使ってたら俺たちの方が暑さでぶっ倒れちまうし、どうにもな」
ポリポリと後頭部を掻くダリオ。ベテランの冒険者が俺みたいな迷宮に行かない職人にこんな話をするのも気恥ずかしいのだろう。
「スライムか……」
「金ならそれなりに用意できる。なんとかならねぇか」
俺は額に手を当てて考え込んだ。前々からスライムに試してみたかったアイディアはある。金もあるならこの際試してみる価値はあるかもしれない。失敗した時は全額返済というコースもあるかもしれないが。
「やるだけやってみよう。……6日ほど時間をくれ。金はその時でいい」
「わかった、期待しているよ」
少しだけダリオはほっとした表情になった。この件に相当期待しているのだろう。俺も頑張らねばならない。街に帰って行くダリオを見送ってから俺はウーシアに声を掛けた。
「仕事だ。ウーシアには頑張ってもらわないといけなくなった」
「了解だ。何をすればいい?」
俺は工房の端にあった鉄板を取り出した。ざっくりと図面を描いて一緒に渡す。
「この大きさの鉄板をたくさん作ってくれ……そうだな、40枚くらい。出来るだけ薄く、硬い方が良い」
「変わった形だな……わかった。すぐにとりかかる」
頼んだ、と言って俺は次にリティッタを呼ぶ。
「三日後くらいからまた修羅場になると思う。ガッツがつく飯を頼む」
いつもならわかりました!と明るく答えるリティが、何かを言いたそうな不満げな顔をしていた。
「何だよ」
「ウーシアさんってこれから毎日ここで寝泊まりして仕事するんですか?」
急に何を、と思ったがゆっくりと深呼吸し落ち着きを保ちながら俺は答えた。
「仕事が暇な時は鍛冶ギルドで仕事をして向こうでその日払いの給料をもらうことになってる。けど寝泊まりはうちだな。部屋は一つ空いてたし」
「私の……」
そこまで言ってリティッタはぱくぱくと金魚みたいに口を開け閉めすると、やがて力無くうなだれて買い物かごを取った。
「わかりました……」
「おい、リティ」
俺の声も聞かずばーっ!と外に走って行くリティッタ。追いかけようと思ったが、なんで怒ってるのか分からないのに宥めるのも難しいと思い足を止める。
(まぁ、そのうち機嫌直すだろう)
俺は引き返して肝心のゴーレムの本体の図面に取り掛かった。




