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公衆電話の歌を聴いて

作者:ナツ


 晴天の日曜日に、小学三年生の愛子ちゃんが家を出た。ちょっぴりシャイだが、元気な女の子だ。しかし笑うことが少ないため、彼女をあまり知らないクラスメート達からは暗い子だと思われていた。そのくせ愛子ちゃんは一人で運動場を駆け回ったり、中庭で蜘蛛やトカゲを捕まえてたりと男の子のような活動家でもあった。このことはクラスメートにとって――特に女の子なのだが――あまり好ましい印象ではなかった。そのため友達もいなかった。それは愛子ちゃんが無口で近寄りがたい雰囲気を放っているせいでもあったのだが、本人はそれが幾分か不満だった。だって好きなことをしているだけなのに、とうんざりしていた。変な話だなあ。

 一人で森の中を探索することもその一つだった。その日もリュックサックを背負い、水筒の紐を肩から下げていた。お母さんの言いつけ通りサンドイッチにはお昼まで手を出さない気でいた。しかしその約束は守られた試したがなかった。愛子ちゃんにとって、こんな透き通った空の下で木々に囲まれて歩いているのに、サンドイッチを食べられないことは少しだけガッカリすることだったのだ。だからこの日も十二時でなかろうと、森に入ったらすぐに食べ始めてしまった。もし、夕方にお腹が減ったらお小遣いで買ったチョコレートを食べればいいや、と思っていた。それに水筒にはオレンジジュースが入ってるしね。これがあればお腹が満腹とはならなくても、食欲でごろごろと鳴ることもなかった。

 やがて日が沈みだし、カラスの鳴き声が聞こえた。愛子ちゃんは腕時計を見て、登りに向けていた靴先を逆に変えた。もう帰らなければならなかったのだ。愛子ちゃんはまた頂上に辿り着けなくて、悔しい気持ちになった。これまで何度もこの山に登っていたが、一度も頂上に立ったことはなかったのだ。それは愛子ちゃんが整備された道を歩くのではなく、いつも獣道を好んで選んでいたせいだった。なぜなら、愛子ちゃんは風で舞い落ちる枯れ葉や、木の枝を踏んでぱきぱきと折れる音が好きだったからだ。たまに出会うイノシシや野鳥をこっそり追いかけることもやめられなかった。(このせいで、愛子ちゃんは子連れのイノシシに威嚇されて転んだこともあった)

 頂上から見える景色ってどんなのだろうな、と愛子ちゃんはいつも興味津々だった。そこからどこまで遠くを見ることができるのだろうか。私のお家はあるかしら? しかしお母さんに怒られることを考えると、それ以上想像することをやめてしまった。そして今度はちゃんとした道で行こう、と五十二回目の決意をした。

 気づくと、空がすっかり赤くなっていた。愛子ちゃんは小走りで山を降りた。いつもよりのんびり歩いてしまっていたらしく、お母さんとの約束の時間に遅れそうだったのだ。ふかふかの腐葉土に足を取られがらも、息を切らしながら先を急いだ。そのせいで何度も転んでしまった。最後に転んだのは、町に出る一歩手前だった。四角い角のような何かに足を引っ掻けてしまったらしい。愛子ちゃんは立ち上がって、土や枯れ葉だらけになった膝元を手で払うと、倒れていた場所をむっと睨んだ。よく見ると、黒い土の一部分だけがもっこりと膨らんでいて、そこだけ枯れ葉は一枚もなかった。

 「待ってください」

 抑揚のない声が土から聞こえた。もっこりしている部分がわずかに震えていた。

 「土なの? 」と愛子ちゃんはびっくりして言った。

 しかし返事はなかった。代わりに土がタケノコように盛り上がり、愛子ちゃんの背丈を遥かに抜いた。次に横にも大きくなった。そのせいで土の表面がぽろぽろと落ちて、そこから透明な窓が見えた。その中にはぐねぐねのコードがあり、先端には緑色の受話器が垂れていた。

 「はじめまして」と受話器をから声が出た。「私は公衆電話です」

 「……公衆電話」と愛子ちゃんはおうむ返しをした。あまりにもびっくりして開いた口が塞がらなかった。

 「そうです」と公衆電話は言った。「私は公衆電話です」

 「喋るの? 」

 「まあ、公衆電話ですから」

 公衆電話はそう言うと、ドアを大きく開けた。そして強くばたんと閉めた。その振動で土がほとんど剥がれ落ちた。

 「ふう、やっと綺麗になったかな。なんたって手がないから。そういや、あなたの名前は? 」

 「愛子」

 愛子ちゃんは呆然としながら答えた。すぐにバカやったなと後悔した。知らない人に着いていったり、名前を教えちゃダメよ、とお母さんに教えられてたのに。だけど、公衆電話だったら問題ないかしら? 愛子ちゃんはそこに希望を見いだした。

 「ほう、愛子ちゃん」と公衆電話は感慨深げに言った。「私の好きな名前ランキングで二十四位に入りますよ、それ。ちなみに一位はジャクソンです。二位はチュン。三位がペンペン」

 「変なの」

 「あなた、なんだって森にいるんです? 」

 「好きだから」

 「へえ」と公衆電話は言った。「変なの 」

 「変じゃないもん」

 「変なの、変なの! 」

 公衆電話はコードを揺らしながら、ゲラゲラ笑った。ドアが何度も開いたり閉まったりした。

 「じゃあ、公衆電話さんはなんで森にいるの? 」

 ぴたりと公衆電話は停止した。愛子ちゃんの知ってる公衆電話らしい、公衆電話になった。でかくて、つまらなくて、普段必要とされないもの。

 「……それには深い理由が」と公衆電話が声を潜めた。「本当は話したくないけれど、この際だから打ち明けましょう。ああ、本当に話したくないな。でも、あなたが知りたそうだし」

 「ううん、嫌なら話さなくていいんだよ?」

 「――あれは今から何十年も前のことです」

 話すんだ、と愛子ちゃんは思った。長くないと嬉しいなあ。

 公衆電話は話を続けた。

 「我々、公衆電話はある危機に瀕していました。それは携帯電話さんが普及したことが原因にあります。携帯電話さん達のおかげで、人々は電話がどこでも、好きなときに、すぐに出来るようになりました。その結果、公衆電話はいらないものとなったのです。もちろん大きな地震等、携帯電話さんが使えない緊急事態には役にも立ちますがね。しかし、それでも数は減るばかりです。我が同胞も何台も消えていきました。ジャクソンもその一台です。彼は平和的で愉快な奴だったんだけど、場所を取るだけだからという理由で廃棄になりました。あれほど人間が好きで、ジョークが面白い公衆電話もいないのに。全ては携帯電話と人間のせいです」

 ごほんごほん、と公衆電話は咳をした。ぐねぐねのコードをさらに捻らせた。

 「怒った私は同胞に言いました。もっと目立つ公衆電話になろう、と。我々が喋れることを人間に打ち明けよう。そうすることで、新しい公衆電話の時代を作ろうと思ったんです。だけど、誰も頷いてはくれませんでした。革新派のペンペンでさえ! それは公衆電話の掟を破る行為だったからです。我々にとって恥ずべき行為なのです。ペンペンは言いました。あなた、公衆電話として恥ずかしくないの? 残念だけれど、私は純粋な公衆電話としての役割を全うするわ。他の者もペンペンと同じでした。結局、私だけが一人ぼっちになったのです。それから私は居場所を失い、廃棄される前に逃げ出しました。そしてこの森にたどり着いたのです」

 「可哀想なお話! 」と愛子ちゃんは言った。「それって、あんまりじゃない? 」

 愛子ちゃんは喋らない公衆電話より、喋れる公衆電話の方が好きだった。

 「ええ、だから私は諦めませんでした。この森で同士を募ったのです」と公衆電話は得意気に言った。「それがチュンです。頭脳明晰な公衆電話で、学位も取っています。私と同じように今の公衆電話界に絶望して俗世の生活を捨てたらしいです。おかげで計画がすいすい進み、今年度中には革命が起こせそうですよ」

 「革命って? 」

 「合唱です。我々、二台によるコンサートを人間を集めて開くのです。市民ホールを使えたら良いのだけれど、それは少々難しそうですが、公共の場で開催します。曲は旅達の日に。あなたも来ますか? 」

 「うん」と愛子ちゃんは言った。

 公衆電話は受話器を窓にぶつけて、こんと音を鳴らした。すごく嬉しいな、と言った。それからコンサートではどんな催しがあるか丁寧に説明をした。愛子ちゃんはそれを楽しく聞いていた。いつの間にか、太陽は消えて空は青紫色になっていった。その頃になると、愛子ちゃんもさすがに怖くなった。しかし、熱弁する公衆電話の話を打ち切るのは、なんだか悪い気がしてできなかった。早く終わらないかな、と思いながら視線をキョロキョロと慌ただしく動かしていた。月や星が見えて、周りはどんどん暗くなる。昼にはくっきり見えていた木々の葉が、もうシルエットでしかわからなかった。その一つが真っ赤に輝いていた。愛子ちゃんはその木をじっと眺めていた。なんで赤いのかな、と不思議だった。その赤はだんだん広がって、他の木の葉も赤色に染めた。ぱちぱちという音が聞こえ、そこで火事だと愛子ちゃんは気づいた。

 「公衆電話さん、話をやめて」と愛子ちゃんは言った。「ねえ、もう逃げなきゃ」

 「なんで? 」

 「山が燃えてるの」

 「まさか」

 公衆電話はそう言って、少しの間黙った。揺れていた受話器が停止して、静かにしていた。たしかに、と公衆電話は細い声で言った。これは火の音かもしれない。

 「……愛子ちゃん、十円玉を入れてくれませんか? 」と公衆電話は言って、ドアを開けた。「さあ、入って」

 「うん」

 愛子ちゃんはそう言って、がま口の財布から十円玉を一枚取り出した。それを公衆電話の小銭入れに何枚か入れた。まだ十円はありますか、公衆電話は訊いた。愛子ちゃんはそれにうなずいた。まだ一枚だけあったのだ。公衆電話はそれを聞くと、少しだけチュンと話させてください、と愛子ちゃんに言った。いずれ十円は返しますから。お願いします。わかった、と愛子ちゃんは答えた。そして公衆電話はドアを閉めて、静かに待った。本当はプルルと音が鳴っていたのだが。

 「チュンかい!? 」と公衆電話は唐突に叫んだ。「ああ、チュン。君のほうは大丈夫かい? うん、うん……ああ、そうなのか。なあ、チュン、そう言うことは禁止だよ。我々には革命があるんだから。いや、わかってる。――そうするべきなんだね? 」

 やがて話が終わったのか、公衆電話は沈んだ声で言った。

 「……愛子ちゃん、あなたは逃げてください」

 「公衆電話さんはどうするの? 」

 「私はチュンと一緒にここで残ることにします。もう動くことも出来ないんです。ほら、足がないから」

 「でも、ここまで来たじゃない。 ねえ、そんなに寂しいこと言わないで? 」

 「ごめんなさい」と公衆電話は申し訳なさそうに言った。「やっぱり私は残ります。チュンによると火は山を全体的に燃やしているらしいし、それにあなたをちゃんと助けなければなりません」

 「本当に逃げられないの? 」

 「ええ、もうチュンも歩けなくて半分ほど燃えているらしいです。ここもすぐに危険になるでしょう。ほら、火の手がもうそこまで」

 愛子ちゃんは後ろを振り返った。気づかないうちに、火が公衆電話を中心に囲っていた。愛子ちゃんは恐ろしくなって受話器をぎゅっと握った。

 「それをそのまま耳に当ててください」と公衆電話は言った。「ほら、早く」

 愛子ちゃんは右耳にゆっくりと当てた。ひんやりして、ぺったりとくっついた。

 「愛子ちゃん、あなたに理解者はいますか?」と公衆電話は続けて言った。「私とチュンのような」

 「わかんない、多分いないよ」と愛子ちゃんは言った。

 だって、私には友達がいないんだもん。愛子ちゃんはそう暗く考えた。話す子は少しいるんだけど、あんまり仲良くもないし。

 「誰だって良いんです」と公衆電話は優しい声で言った。「一人でも問題ありません。その人のことを思い浮かべてください。それが大切なんです」

 愛子ちゃんは目を瞑った。とにかく誰かを思い浮かべてみようと思った。価値観を押し付ける先生でもなく、愛子ちゃんを許容してくれない友達でもなく、一方的にしか愛が伝わらないトカゲでもない誰かを。

 あなた、どこにいたの?

 うっすらと瞼を開くと、目映い光が差し込んだ。持っていた受話器はなくなっており、火も回りになかった。そこには台所があり、テーブルがあり、目の前には愛子ちゃんのお母さんがいた。大きくて、髪が長い女の人だった。

 「お母さん? 」と愛子ちゃんは言った。

 そうよ、とお母さんは答えた。あなた、いつの間に帰ってきたの? もうこんなに暗いのに。愛子ちゃんはすぐに腕時計をたしかめ、既に夜の7時であることにびっくりした。ごめんね、と謝った。そしてすぐにリビングのカーテンを開いて、さっきいた山を眺めた。ぼうぼうと燃えていた。お母さんが側に立って、目をぎょっと驚かせた。愛子、本当に無事に帰ってくれてよかった。お母さんはそう呟き、カーテンを両手で素早く閉めた。しかし、愛子ちゃんはわずかにできたカーテンの隙間から覗いていた。そして耳を澄ました。二つの歌声が耳の奥で小さく聞こえた。

 

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