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金木犀 友達編 

作者: 花風

挿絵(By みてみん)


「あ、可愛い」



ショーウィンドウの革製のサボ。

でもこないだスカート買っちゃったしなぁ……

名残惜しい気持ちで視線を外して、空を見上げてみる。


今日はいい天気だけど、風が強い。

すごい速さで流れていく雲を見ながらぼんやりしていると、不意に甘い香りがした。

あ、なんだっけこの香り……



「おまたせ」



声に振り返ると、穏やかな笑顔のコータが手を振りながら近づいてきた。

細身の黒のパンツにボーダーのインナー。カーキグリーンのシャツを羽織って、

今日も猫目の綺麗な顔は、若い女の子たちにチラ見されてる。


まるで、半月前のことなんかなかったみたいに。自然な顔しちゃって。

私は久しぶりに顔を見て、もうどうしていいかわからないのに。なんかズルい。


今日はコータのお気に入りの航空公園に来た。

『トップガン』と『かもめのジョナサン』が好きでパイロットを目指していた彼は、

飛行機を見るのが好きだから。


高校生の彼が背中を怪我しなければ、さぞやモテるパイロットが誕生していただろうにと少し残念に思う。

でも、そうすると私はコータと会うことはなかったわけで……

なんだかこうして一緒に歩いてることが不思議。


私も飛行機を見るのは好きだ。

空に飛び出していく魚のような飛行機たちを見上げる度に、

その重厚感と自由さに感嘆のため息が出る。


肩が触れて、見た?とこちらを振り返る彼の上着が、風にはためいて私の身体に柔らかくぶつかる。

彼との距離が、いつもより少しだけ近い。

でも、そんな『少しだけ』に過剰反応してしまう馬鹿な私。


ドクンと響いた鼓動は、良いものなのか、悪いものなのか。

変なの。友達である彼を裏切るような、後ろめたい気持ちになる。

いつもの私達と変わってしまうことが、怖い。


はぁ。息が、うまく肺に入っていかない。

……ちょっと休憩したいかも。

心を中和したい。

ほっとしたい時に珈琲を飲むように。

寂しい時音楽を聴くように。

少し離れた距離から、私達の関係を見直したい。



「ん?やけに静かだと思ったら、疲れた?

飲み物買ってこようか。今日、寒いしな」



私のため息を聞いて、気が利く彼は素晴らしい提案をしてくれた。

チャンスとばかりに、スマホに取り付けていたイヤホンを耳に当てる。

音楽でも聴けば、いつもの調子が取り戻せそうな気がして。


コータが戻ってくるまでの間、流れる陽気な曲。

”おいおい、何をオーバーに考えてるんだ?人生そんな考えすぎんなって、楽しめよ!”

メッセージが明るいリズムにのって、流れて。

そうそう、この調子。

彼は大事な友達。

大丈夫。壊れないよ、このくらいじゃ。



「何聴いてたの?」



戻ってきた彼の姿に慌ててイヤホンを外していると、

温かいミルクティーの缶を渡してくれながら、コータが言う。



「ボブ・ディラン」


「へえ、どんなの?」



カバンに片付けかけた私の手から、コータがイヤホンをひょいと摘んで、片方を自分の耳に入れる。

目の前を横切る骨ばった指にドキッとしながら、スマホを操作して曲を流す。


片耳のイヤホンを当たり前のように渡されて、何気無い風を装いながら、私も片耳につけた。

跳ねる鼓動を抑えて曲に集中する。

なのに、神経が耳に、距離感に集まって……ちょっと困る。



「……ふぅん、いいね」


「だろう?」



あえてふふんとドヤ顔を演じる。



「お前が作曲したんかい」



片手でおでこを優しく押される。

こうやって、彼は何の気なしに私に触れる。だめだ、うまく、考えられない。

はは、と誤魔化すように笑って、私はイヤホンを外す。耳が軽くなり、親密な空気と離れてほっとした。



「おすすめ、今度教えて」


「うん、いーよぉ」



俯いてスマホごとカバンに入れる。

その時。コータが、不意に私の頬を撫でた。身体がビクッと小さく揺れる。



「那智、キスしたい」


「え」


「だめ?」



返事をしないと、そうされるのを知っていた。

ズルいのは、彼なのか自分なのか。

目の前の出来事が直視できなくて、目を閉じた。

触れる前髪。唇に優しく重なる、温かい他人の温もり。

ほのかに彼が飲んでいた珈琲の味がする。



……どうしよう。

温もりがゆっくり離れていっても、私はまぶたを上げられなかった。



このまま、何も言わずに付き合っていることになってしまうの?

それはどうなんだろう。私にとって、彼にとって。



沈黙。

ゆっくりと目を開くと、不安そうな瞳のコータがじっと見つめていた。


今日の距離感は、きっと意図的だったんだろう。

私が見ないふりをしただけで。

近づく距離。優しく触れる身体。

気づいていたのに、まだどこかで戻れるんじゃないかって……期待してた。


髪を撫でられて。高鳴る気持ちと、

もう、あの頃のような気安い友達じゃない、男のヒトなコータがそこにはいて。



「コータくん……狩猟本能。そんなにあったんデスね」


「お前、俺をなんだと思ってるんだ」



声に出たのは、なんだかごまかしのような言葉で。のっかるコータの声にも苦笑が混じる。


甘い空気を感じさせないで。

女の子扱いしないで。

私にはもっと雑な扱いでちょうどいいから。


まっすぐ見られちゃうと、気持ちの置き場がなくなって、怖くて、迷子になっちゃう。


心のなかに誰かを入れるのがこんなに怖いことだなんて。

教科書にも書いてないし、誰も教えてくれなかった。誰も。

友達と恋人。ぐるぐる回る思考回路。



「……難しく考えなくていいから」



ポツリと彼が口にする。



「那智は、考えるのが下手過ぎて、

考えれば考えるほど、ジャングルに迷い込む性格してるから」


「コータ、私……」


「どうしていいか、わかんないんだろ」


「……うん」


「それ、俺も同じだから」


「え」


「お前、ほんと俺をなんだと思ってんの」


「うう、なんだとも何にも思ってなかったよ。

だから今、困ってるんじゃない」



そう言葉が出て、はじめて自分で納得できた。

そうだ、なんだとも思ってなかったから、

こんなに今、こんなに、今……



「……那智?」



わからない感情に支配されて、熱い塊がこぼれていく。

ぎゅっとつむったまぶたを伝って。

間違いなく大切な人なのに、わからない。

同じ答えが返せない。


どこからか、また甘い優しい香りがした。

そうだ、金木犀だ。

どこかわからない場所から不意にやってきて、私を揺さぶる甘い香り。



「コータ、どうして、私なんか好きになっちゃったの?」



コータが、片手で軽く私の頭を抱き寄せた。

彼の上着は乾いた固い生地で、私の涙がそこに染み込んでいくのを、どこか遠い目線で見ていた。



「なんか、俺もよくわかんないけど、ある時、考えたんだ。

明日世界が終わるなら誰と過ごすかなって。そしたら、那智と一緒にいるかなって」



彼の綺麗な指が、優しく私の頭を撫でる。



「俺も、他人に好きです、とか言われても、全然ピンと来てなくて。

好きって言われるのは嬉しいんだけど。結局。誰にも気持ちは許せてない、みたいな。

服脱ぐのは簡単だけど、心は誰にも脱げないっつーか」


「例えがエロい」



すかさず突っ込むと、うるせ、と頭を小突かれた。

私はコータの腕の中を抜け出して、袖で自分の目元を拭う。

気まずさをごまかすように、膝に置いたままだったミルクティの缶を目にあてた。あったかい。



「だから、那智にも心脱げとか、俺はそんなのは言わないし、求めない。

でも、お前といると、俺、なんか安らぐんだ。そのポジションに他の男が入るのも面白くないし。

触るのは、本能として触りたくなるけど。嫌なら、出来る限り我慢する。

那智は、こんな俺といるの嫌?」



静かな声で一言ずつ淡々と語る。いつものコータの話し方。

この人の言葉は、いつも直線的で、不器用で、優しい。



「……ありがと、コータ。そんな風に思ってくれてたなんて、私、全然わかんなかった。

コータも私と一緒で、恋愛オンチのはずなのに、いつから?って。

なんか、おかしいけど、裏切られたような気持ちと……もちろん嬉しい気持ちもあって。

でも、これ以上距離が近くなって、コータが私に恋人を求めたら、私は同じ気持ちを返せるのかなって」


「うん」



ベンチに下ろした私の手の横に、ひと回り大きなコータの手がそっと置かれた。

わかってるよ、と伝えるように、ぽんぽん、と軽く叩かれる。



「考えすぎって、言わないの?」


「俺もそうだから」


「私、考えるの、ほんとに苦手。まいっか、楽しい方で、で生きていきたいのよ」


「那智らしいな」


「うん」


「それでいいよ」


「いいの?」


「うん。対策考えとくから」



対策?

怪訝な顔をすると、ふふっと笑ったコータの瞳が明るく光っていて……

正直な気持ちを伝えた後で、彼が困ってないことにほっとした。

ほっとしたら、小さくお腹が鳴った。



「……お腹へった。大王ラーメン寄って帰ろうか?」


「おう」



立ち上がり、隣り合って歩く。

手は繋がないけど、お互いに歩調を合わせて。

ぬるくなったミルクティを飲みながら考える。



もしも、明日世界が終わるとしたら……

私は誰といたいんだろう。


考えたこと、なかった。

沈みかけた太陽と、薄紫に色づき始めた空。


長く伸びた飛行機雲が、ゆっくりと形を失っていく。

眺めていると、私たちもあの雲みたいに変わっていく存在なのに、今こうして一緒にいる。

そんな刹那的な時を想って、また泣きそうになった。


歩道に小さなオレンジ色の花が、誰かが溢したコンペイトウのように散らばっている。

あ、金木犀、ここにあったんだ。

漂う甘い香りをかいでいると、世界が終わる日に、

私と一緒にいたいと言ってくれたことの喜びが、

今更のように、足先からじわじわと身体に上ってきて。

小さな答えが見つかりそうな気がした。


この胸の奥の甘くて優しい気持ちを、どう伝えたらいいんだろう?


不器用な私は、彼の袖を少し引っ張って、

コータ、ビールも飲もうねって、ただ微笑んだ。



読んでくださってありがとうございました!!

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― 新着の感想 ―
[良い点] この絵、凄く好きです。 2人の距離感とか空気感が出ていて、優しい。 そして私は金木犀が大好きなので、この花の話がコータ たちの話で嬉しいな。 この二人には、小さな幸せを積み重ねていって欲…
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