勇者召喚に失敗したので
イアン・ボールドウィンは、自分が置かれている状況を理解出来ていなかった。
自分はくしゃみをしただけだ。確かに馬鹿みたいに大きなくしゃみであったし、厳粛な儀式の最中であったことは反省すべきであろう。
しかし、自分のくしゃみに驚いた神官が呪文を噛んでしまうなど、誰が想像出来ただろうか。
現在、世界は傍若無人に振る舞う魔王によって支配されている。夜になれば魔物が街を徘徊し、金品を奪い、女を攫ってゆく。
『魔王と対等に戦える存在は、勇者のみである』
そんな言い伝えの残るこの国で、勇者召喚の儀式が行われることは当然のことだろう。
人間が最も神に近づけると言われる満月の夜、王都の神殿では、儀式が進められていた。
神官が呪文を噛んだとほぼ同時に、魔法陣からは「発動失敗」を示す紫の閃光が放たれる。光はたちまち激しさを増し、誰も目を開けていることが出来なかった。
「…………んあ?」
そんなマヌケな声に、イアンは閉じていた目をそっと開けた。
魔法陣の中央には、一人の女が立っていた。長く艶やかな黒髪と、対照的な雪のような白い肌を持つ女である。
女は黒を基調とした妙な服装をしており、その短い裾からはスラリと伸びた足が惜しげもなく晒されていた。
イアンは思わず数秒ほど女の足を凝視し、ハッと我に返って女の顔を確認した。
美しい女だった。
通常の位置に二つ、普通ならば何も無いはずの額に一つ、猫の髭のような位置に両頬とも二つずつ、合計七つの目があること以外は普通の、美しい女だった。
「ば、化け物!」
そう叫んだのは誰だったか。
神官は腰を抜かし、野次馬は我先にと逃げ、見習い魔導師であるイアンは呆然と立ち尽くした。
そんな中、勇敢にも女に立ち向かった者がいた。まだ年若い騎士の青年だ。
「化け物め……!」
青年騎士は鬼気迫る表情で剣を振り上げた。目の前に刃が迫っても、女は逃げも構えもしない。
騎士が違和感に気づいたのは、振り下ろした剣が何の手応えも感じなかった時だ。自分の手に持っていたはずの刀身も、目の前にいたはずの女の姿も無くなっていた。
「なんじゃ、随分柔い刀じゃの」
騎士の後ろに立っていた女は、持っていた刀身を床へ投げ捨てた。
騎士団長の制止の声は、混然とした部屋では響かなかった。騎士達は一人一人、あるいは数人一斉に女に斬りかかる。
気づけば、女の側にはおびただしい数の刀身が山を作っていた。
「どうした、もう終いか?」
にやりと不敵に笑う女に向かっていく者は、もう誰一人いなかった。
その時、護衛の背に守られ、遠くから事を見守っていた人物が初めて声を発した。
「そなたは、何だ?」
その人物こそ、この国の国王である。
「私かい? 私は七瀬。盗みを得意とする妖怪“七つ目女”じゃ!」
堂々とした態度で、女こと七瀬は言い切った。
暫しの沈黙を破ったのは、再び口を開いた国王だった。
「そなたは、魔王を倒せるか?」
「魔王? 魔王とやらが何かは知らんが、私が勝てぬ者など、ない!」
七瀬は胸を張って宣言する。
「ならば、ナナセよ。そなたは勇者として、魔王を倒すのだ!」
そうして「勇者」として旅立った七瀬は、後ろを歩くお供の少年を振り返った。
「のう、いあん」
「は、はははははい!」
「なんじゃ、緊張しとるのか? 安心せい、餓鬼をとって食う趣味はない」
「はぁ……」
どうしてこうなった。それだけがイアンの頭を支配していた。
「勇者ぱーてぃーとやらは、五、六人で組むものじゃないのか?」
「は、はい! 通常は、そうなのですが……」
お前みたいな化け物について行きたい物好きは、この国にはいない。そんな言葉を言える訳もなく、イアンは言葉を濁した。
イアンは、普通ならば死罪となっても文句の言えないほどの罪を犯した。国の威信をかけた儀式を、間接的とはいえ失敗させたのだ。今こうして牢屋に入ることなく生きている恩恵に、神に祈って感謝したいほどだ。
しかし、だからと言って何故自分が七瀬のお供なのか。イアンは不満を覚えずにはいられなかった。
イアン・ボールドウィン十六歳、勇者ナナセのパーティーに「魔導師」として参加していた。ちなみに、お供はイアン一人である。
「お前のせいでこいつが召喚されちゃったんだから、お前責任取って面倒見ろよ」
端的に言えばそんな感じのことを王に命じられたイアンは七瀬と二人、深い森の中を歩いている。
しかし、イアンは自分がここにいる必要性があるのか、ほとほと疑問に感じていた。
「魔物とやらは、随分と貧弱じゃのぅ」
息ひとつ乱さず、折り重なるように倒れた魔物達の前に立つ七瀬を見て、イアンは「あんたが規格外だからだ」という台詞をそっと飲み込んだ。
勇者である七瀬を襲う魔物は多い。しかし、彼女は毎回一人で全ての敵を倒している。イアンは隅っこの方で、存在感を消しているだけなのだ。
「俺、マジでいる意味あんのかな……」
「何を言う。いあんがいてくれて私はたいそう助かっとるぞ?」
「ひぇ⁉︎ ナ、ナナセ様……」
イアンが小さく漏らした独り言は、人並み外れた聴力をもつ七瀬には丸聞こえだったようだ。
「いあんがいなければ、魔王城とやらへの行き方もわからん。いあんがいなければ、私は毎度飯が食えん。いあんがいなければ、魔物の弱点はわからん。私はいあんがいてくれて感謝しとるんじゃぞ?」
にやりとした笑い方が似合う七瀬は、その時初め無邪気な笑みを見せた。そっとイアンに手を伸ばし、頭をぐしゃぐしゃと乱雑に撫でる。
「まだ三日目じゃ、先はまだまだ長い。これからも美味い飯をよろしくな?」
そう言って彼女は先に歩き出した。
……目が七つあること以外は、七瀬も普通の女性である。イアンはそのことに初めて気づいた。
イアンは、初めて七瀬のことを直視した気がした。
二人が旅を始めて二月後。もう何度目かもわからない敵襲の時、七瀬は初めて怪我を負った。今までスルーされてきたが故に油断しきっていたイアンを襲う魔物の剣を、素手で受け止めた為である。掌はぱっくり裂け、だらだらと出血が止まらない。
「何やってるんですか! 素手で受け止めるなんて、馬鹿ですか⁉︎」
「む、馬鹿とは失礼じゃな」
「馬鹿以外に何があるんです⁉︎」
回復魔法を七瀬に施しながら、イアンは旅に出て初めて怒りを露わにしていた。後先考えずに自分を庇った七瀬に、何より「魔物は襲ってこない」と油断していた自分に。
イアンは思わず、眉間に皺を寄せた。
「のう、いあんや。でこぴん、するぞ?」
「はい?…………あでっ!」
惚けるイアンの額に、激しい激痛が走った。思わず魔術を止め、両手で額を抑えた。
「な、にをするんですか!」
「いやぁ、なんぞいあんが難しい顔で考えこんどったからの、つい出来心で」
「通り魔か!」
イアンは自分の額に回復の光を当てた。七瀬の治療は終わっている。このなかなか引かない痛みを治したって、誰も怒らないだろう。
「……ナナセ様、一つお伺いしてもいいですか?」
「ん? なんじゃ?」
ようやく痛みの収まった額を一度撫で、イアンは自分より背の高い七瀬を見つめた。
「どうして、俺を庇ったんですか?」
七瀬は不思議そうな顔でイアンを見返した。その顔がいつもよりほんの少しだけ幼く見えて、イアンは戸惑いを覚える。
「何故って……いあんは私の仲間じゃろう? 仲間を守って何が悪い?」
なんてことはない、といった態度で答える七瀬に、イアンは言葉に詰まった。
こんな警戒心剥き出しの、飯炊きぐらいしか役に立たない餓鬼を、仲間だって? そんな自嘲のような言葉を飲み込んで、代わりにため息を一つこぼした。
「あなたは、やっぱり馬鹿ですね」
「なんじゃと? これでも私はあいきゅー高いんじゃぞ!」
「……そういう意味じゃないです」
二人は先へと進んでいった。
山越え谷越え、ドラゴンを片手で倒したり、エルフを三秒で伸したり、色々なことを経験して、二人はついに魔王城へと辿り着いた。
ここから先は、今までのようにはいかない。イアンは冷たい汗が背中を流れるのを感じながら、迷いのない足取りで進んでいく七瀬を追った。
しかし、それは杞憂だったようだ。
「いや、ほんとマジでごめんなさい。ちょっと悪ふざけが過ぎましたね、はい。ほんと誠心誠意謝りますから許してくださいぃぃい!」
七瀬の前で、床に頭をのめり込ませる勢いで土下座をする魔王を見て、イアンは今まで魔物に怯え暮らしていた自分が心底馬鹿らしくなった。
魔王城に着いて僅か一時間。七瀬の圧倒的な力を前に、魔王はあっさり降伏した。
「本当に反省しとるんじゃな?」
「はい! それはもちろん、海の底よりも深く反省しておりますとも!」
「そうか。なら、この誓約書に署名しとくれ」
七瀬は国王から預かった誓約書を差し出した。
内容は「もう人間襲わないでよー? あと、魔物の力は認めてるから今後は仲良くくらしましょ!」といった感じである。あくまでニュアンスだが。
魔王は目に見えぬほどの速さでサインを済ませ、いそいそと自室へ引っ込んでいった。
「おっしゃー、帰るぞいあん!」
「はい!」
こんなにもあっさりと魔王を倒してしまう存在を召喚したのだ。あの儀式は決して失敗とは言えないだろう。
何処か清々しい気持ちを持ちながら、二人は森を進んでいった。
「ナナセ様、その宝石は?」
「魔王の城から盗んできた。私は盗む妖怪だからの」
手の中で宝石を持て遊ぶ七瀬に、もう呆れた気持ちも湧いてこなかった。七瀬は、道中でも度々魔物から盗みを働いていた。魔王を倒した勇者ともあろうものが、盗みとは……
イアンは痛む頭を抱えたくなった。
「ところで、いあんは褒美に何をもらうんじゃ?」
行きよりものんびりとした歩調の七瀬が問いかけてきた。そう言われて、イアンは出発前に国王が「魔王を倒せた暁には褒美を授けよう」と言っていたことを思い出した。
「そうですね……俺は」
そう言って七瀬をちらりと見た。
唐突に、七瀬がイアンの腕を強く引いた。勢いのあまり彼女の胸に飛び込むことになってしまったイアンは赤面するも、すぐに状況を理解して青ざめた。
先ほどまでイアンがいた場所には、弓矢が深々と刺さっていた。
「ご苦労だったな、化け物様」
イアンを背に庇った七瀬の前には、騎士達がずらりと並んでいた。
「ど、どういうことですか⁉︎」
イアンが思わず叫ぶと、騎士団長がイアンにちらりと視線を向けた。
「魔王は倒された。後は目の前の化け物さえ殺せば、世界は安寧となるだろう」
「そんな……!」
その時、イアンはようやく気づいた。国王は七瀬を利用していたのだと。そして、イアン共々七瀬を始末するつもりなのだと。
「なんじゃ、随分と血の気が多いの」
七瀬はいつも通りにやりと笑うと、イアンの耳へと口を寄せた。
「いあん、おぬしは逃げろ」
「え⁉︎ そ、そんなこと、出来ません!」
「いいから逃げろ。私は一人の方が戦いやすい。おぬしはいつも通り、空気と同化出来る場所へ逃げてろ。安心しな、ちゃんと迎えにいくからの」
そう言って背中を押す七瀬に、イアンは戸惑いながらも森の奥へと駆け出した。
イアンを追ってくる者はなかった。初めから目的は七瀬なのだ。おまけであるイアンが逃げようが、騎士団には関係ないらしい。
「くそ……!」
イアンは立ち止まって、小さく悪態をつく。結局、自分は逃げることしか出来ないのだ。
まあ、あの七瀬のことだ。いつも通りあっさりと勝ってひょっこりとやってくるのだろう。
ーーーー本当に?
七瀬がイアンを逃したのは初めてだった。今までなら、どれだけ大勢の魔物に囲まれようとも、魔物がイアンへと興味を移す前に七瀬が倒してきた。唯一の例外は、七瀬が怪我をしたあの時だけだ。
それが、今回は何故イアンを逃したか。
思いついた仮説に、イアンは血の気が引くのを感じた。
七瀬がどうなろうと、イアンには関係ないことだ。七瀬さえいなければ、自分はまた王都での修行に戻れる。
頭ではそう考えながらも、イアンの足は先ほど駆けてきた道を引き返していた。
「随分と性能のいい飛び道具じゃの」
七瀬は米神から流れる血を拭い、不敵な笑みを崩すことなく言った。
騎士達は皆ライフルを手に、七瀬を囲んでいた。
騎士団は通常、剣で戦うものだ。しかし、この国では科学の発達に伴い「鉄砲隊」を設置していた。
「構え」
団長の指示に、全員が七瀬に銃口を向ける。
もはやここまでか、と察した七瀬は、そっと目を閉じた。
「打て!」
耳を塞ぎたいほどの発砲音が響きわたった。
七瀬は想像していたよりもずっと少ない痛みを不思議に思い、そっと目を開けた。
そこには、七瀬の前で手を広げて銃弾を受けるイアンがいた。
「ーーいあん⁉︎」
崩れ落ちるイアンを支えるため、七瀬は痛む身体を無理やり動かして駆け寄った。
「いあん! 何をしておるのじゃ! 馬鹿か⁉︎」
「はは……それ、前に、お、れが……言いました、ね…………これ、で、おあいこ、です」
そう言ってにこりと笑うと、イアンは静かに目を閉じた。
「いあん⁉︎ おい、しっかりしろ! いあんーー!
ーーーー伊安!」
伊安はぱちりと目を開け、周りを見渡した。自分は茅葺き屋根の下、縁側で寝転んでいる。
「どうした伊安、昼寝か?」
「……七瀬か。そうだな、いつの間にか寝こけていたようだ」
伊安は身体をゆっくり起こし、目の前の人物の頬を撫でる。
「な、なんじゃ?」
「いや……少しあちらでのことを夢に見た」
「……そうか」
もう随分と前のことだというのに、つい昨日のことのように鮮明に覚えている。
伊安は、何年も前に身長を追い越した、目の前の人物をそっと抱きしめる。
「お、おおう⁉︎ ど、どうした伊安。今日は随分甘えたじゃの」
「ああ、そうだな。だからもうしばらく、大人しく抱きしめられててくれ」
伊安はさらに強く、七瀬の体を抱え込んだ。
「あー! 父上と母上がらぶらぶしてるー!」
「ほんとだぁ! らぶらぶー!」
すぐ近くから聞こえた声に、七瀬はピキリと体を硬直させた。しかし、伊安は七瀬を解放せず、顔だけを二人の幼子へと向けた。
「その通り。父上と母上は今ラブラブしてる最中だから、ちょっと二人っきりにしてくれるか?」
「は⁉︎ え、ちょ、伊安!」
そう言えば、左の頬に猫の髭のような目を二つもつ子供と、同じように右の頬に二つの目をもつ子供は、にやりと不敵に笑った。
「わかった! 遠くで遊んでくるね!」
「ごゆっくりー!」
「え、ちょっと待ってくれ!」
七瀬の制止の声は、きゃっきゃとはしゃぎながら駆けていく子供たちには届かなかった。
「さてと、これで思う存分ラブラブできますね、奥さん?」
そう言って熱を孕んだ目で見つめてくる伊安に、七瀬のは頬が熱を持つのがわかった。
「……馬鹿」
「ああ、俺は馬鹿さ。人間相手に本気出せなくて自分が窮地に立つような、そんな馬鹿のことが本気で好きな俺は、正真正銘の馬鹿だ」
伊安は七瀬の首に唇を寄せる。それにびくりと反応した七瀬は、右手で硬い拳を作った。
「ちょ、調子に乗るな!」
「うごぁ⁉︎ ちょ、ちょっと待て、鳩尾にクリーンヒット……」
伊安は殴られた衝撃で七瀬を解放し、鳩尾をさすった。
「痛ってぇ……七瀬、自分が馬鹿力だって自覚、あるか?」
「む、さっきから馬鹿馬鹿連呼しすぎじゃ馬鹿」
「馬鹿って言う方が馬鹿なんだぞ」
「ああ、馬鹿じゃ。私を庇うために、自分が蜂の巣になるような馬鹿が大好きな私は、本物の馬鹿じゃ!」
そう言ってそっぽを向いた七瀬の耳が赤いことに、伊安は笑みをこぼした。
「あねうえー、あれがばかっぷるってやつですか?」
「そうね。弟よ、お前はあんな周りも見えずにいちゃいちゃするような大人になっちゃ駄目だよ」
「はーい!」
そう言って、二人の子供は物陰から生暖かい視線を向けた。
お読み下さりありがとうございました。