【8】わが軍団を率いよ
それから約1年――。
スズキの左手の薬指には、素朴なデザインの指輪がはめられていた。
「ナニ、この指輪?」
ワタナベが、それを横から目ざとく見つけ、スズキの左手を握った。
「『何も祝ってやれなかったから』って兄がくれたの。サトウさんの分と一緒に……。西洋では、既婚者は指輪を薬指にはめるんだって……」
そう答えたスズキの視線の先には、外を眺めながら軍の同僚と話している兄の後ろ姿があった。
「今なんて言った? 〈サトウ〉さんんんんんん? 〈サトウ〉さんんんんんん? アヤメも〈サトウ〉さんでしょぉぉぉぉぉ?」
と、からかうワタナベ。
「うるさいわね! いいの! 仕事のときはスズキで通しているんだから!」
「くぉの、くぉのおぉぉぉぉぉ!」
ワタナベはスズキのわき腹をつついた。
この日、軍の次期制式生体甲殻機にホソダ製の〈ヨリマサ廿〉(ニジュウ)が内定したことに伴う発表会が行われようとしていた。
デモンストレーションは格納庫前の広場で行われる。見学場所の格納庫の上階には、軍の上層部やホソダグループの幹部が多数参席している。
軍の幕僚を務めるスズキの兄もこの場所に来ていた。その機会を利用して妹とその夫に指輪を渡したのだった。
「あのさ、研究室に大きなキセナガの模型があるんだが……。あれがあったら、分かりやすく説明できるんじゃないか?」
演台のそばでタカハシが他の班員と最終確認をしていた。
「ハイ! ハイ! アタシ取ってきます! 研究室ですね!」
タナカが手をあげる。
「カトウ課長に聞けば分かると思うから、よろしく頼むよ」
「はああああああい!」
タナカはすぐに出ていった。
広場には、軍の指定色に塗装されたホソダ製生体甲殻機、〈ヨリマサ廿〉が2機立っている。
運用試験課の弐班や参班が使用するヨリマサと同型だが、軍の意向を受けてかなりの仕様変更がなされている。
たとえば、ひと目で分かる特徴を挙げると、前腕部分が民間機より太くなっている。
民間では使用が認められていない多砲身回転式機銃、われわれの世界で言う〈ガトリングガン〉を内蔵しているためである。
その2機のそばには、サトウの黒い生体甲殻機が立っている。サトウが乗っているのは、1世代前の機種〈ヨリマサ拾八改〉だ。最新軍用機体との比較用に使用されることになっている。
(あ~あ……。タナカさんの引き立て役じゃなくて、今度は軍の引き立て役か……)
と、心の中でぼやくサトウ。レバーを握るその薬指にも指輪がしてあった。
サトウと2機の新型軍機の周りには、軍が現在制式採用しているミツバ製の生体甲殻機が2機。主な目的は警備のためだが、そのうち1機は軍の要望で比較用に使用することにもなっている。
一方、タナカは、地下通路を小走りで進み、研究所に向かっていた。
「!!!!!」
声が出ない。通路の角で何者かに首を抱えられ口をふさがれたからだ。混乱するタナカ。すぐにガムテープで口と体の自由を奪われた。
「コイツも〈例の場所〉に置いてくる。そこで見張っててくれ」
肩に担がれるタナカ。ヘルメットで顔こそ分からないが、その声と担がれたときに感じた体格の特徴から男だということは分かる。
(誰、この人たち……。何かヤバイ人たち?)
瞬間的かつ鮮やかな相手の手際に、タナカは、突然の出来事にもかかわらず、冷静になっている自分を感じた。
男が言った〈例の場所〉とは研究室のことだった。研究室には、ガムテープで口と体の自由を奪われた職員たちがひと所に集められている。
強化服とヘルメットを身に着け、武装した侵入者は数人、いやそれ以上。ほとんどの者は忙しく動いているため、正確な人数は分からない。
拘束した職員を見張っている者や、研究室をあさり、ファイルや大小の機材を持ち出している者がいる。
リーダー格とその部下らしき人物2人が、写真とタナカの顔をじろじろと見比べながら、何かを話している。
タナカはその2人にそっぽを向いて、せわしなく動く他の侵入者の様子をぼんやりと見ていた。
突然、顎を指でくいっと持ち上げられ、強引に顔の向きを変えられたタナカ。目の前には、フルフェースのヘルメットをかぶった男がいる。
「うん……。顔と写真がほぼ一致している。連行しろ……」
そのころ、スズキはタナカの帰りを待っていた。
「遅いわね……。タナカさん……」
参加者の方に向けていた視線を時計に移した。まもなく開始時刻だ。
「時間が来たら、はじめますけど……」
「そうだな」
スズキの言葉にタカハシはうなずいた。
〈ポコン……〉
演台と触れた音をマイクが拾った。時間を確認したスズキがマイクを握り、出席者の前で一礼をした。
「このたびは、軍事方の皆様から、ホソダ機採用のご内定をいただきまして、まことにありがとうございます。改めて御礼を申し上げます。それでは、新型機の発表を……」
言い終わらないうちに、スズキの正面に座っている出席者がざわつきだした。何人かはスズキの背後を指差している。スズキも、振り返って、その指差す方向を見た。
窓の向こうに見えていた工事用の建屋が崩れていた。その中から真紅の生体甲殻機が数機出てきたのだった。軍をはじめ、国内で最も普及しているミツバ製の生体甲殻機だ。
それを見てスズキやタカハシなど数人が窓に張り付いた。その生体甲殻機の足元には1台の重装甲車もいる。
「窓から離れましょう……」
というスズキの言葉とは逆に参加者のほとんどが窓のそばに来ていた。軍の関係者のひとりが、電話で部隊を要請している。
「くっくっくっく……。史上初……、人類初のキセナガ同士の対決が、ついに実現しましたよ……。アキラ様……」
重装甲車に乗っていた男がうれしそうにそう言って無線を戻した。落ち着いた様子で装甲車のモニターを眺めている。その様子から全てを統括する指揮官のようだ。
無線からクラシック音楽が流れてくる。
「これは『ワルキューレの騎行』だな」
「士気が上がりますね」
「うむ、気分も盛り上がるな。アキラ様からのうれしい心づかいだ」
指揮官は、部下らしき女性にうなずき、無線を手にした。
「姫を頼んだぞ。あくまでも丁重にな……。あとは段取りどおりだ」
重装甲車の中だ。『ワルキューレの騎行』は、エンジンの音にかき消されてほとんど聞こえない。しかし、指揮官らしき男は頭の中でも再生しているようだ。両手の指を小さく振っている。
生体甲殻機は6機。その6機が3機ずつに分かれ、歩哨中のミツバ製生体甲殻機2機に迫る。
突如現れた生体甲殻機に動揺する2機の軍機。歩哨していたその2機は、槍状のようなもので突かれ、あっけなく倒れた。電撃を使われたようだ。
その〈槍状のようなもの〉とは、ホネクイを改造した武器のようだ。先端は鋭利に尖っていない。ただし、電極が装填されている。電撃槍だ。
2機の軍機が続けざまに倒れた瞬間、格納庫の上階にいるスズキの周りがざわついた。
スズキは、演台に駆け寄り、放送装置のスイッチを屋外用に入れてマイクを握る。
「各機! 格納庫の中に避難!! 整備員、避難確認後シャッター閉鎖!! 繰り返す。各機格納庫内に避難せよ!」
〈ヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ、ヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ、ヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……〉
腹まで響いてきそうな重低音。軍の操縦士が乗っている新型機〈ヨリマサ廿〉の発砲音だ。
2機のうち1機が正面の敵機2機の膝を狙って塩水弾を撃っている。全弾を撃ちつくす勢いだ。
確かに塩水弾は、破壊力も貫通力も通常弾頭より、はるかに低い。しかし、その操縦士は、生体甲殻機の関節を集中的に狙えば、足を止めることはできると考えたようだ。
実際、その考えは当たった。膝周りを被弾した2機とも体勢を崩したのだ。
一方、もう1機のヨリマサ廿は、電撃槍を取り上げようと1機ともみ合っているうちに、側面から別の1機にあえなく倒されてしまっていた。
サトウは、スズキの指示に従おうと格納庫に避難しようと考えていた。
しかし、すでにそのタイミングを失っていた。サトウ機と格納庫を結ぶ直線上に、敵機が1機立ちふさがっていたからだ。
「ナカムラさん! コバヤシさん! 出動して!! 拘束弾と投網弾を使用。ヌエを捕獲する要領で! それと、敵の武器には気をつけて、相手を絶対に近づけないように!!」
その様子を見ていたスズキが指示を出した。
サトウ機の退路を断とうとしている敵機が、その間合いを詰めてきた。
(相手がヒト型なら何とかなる……。剣ではないが、間合いを見切れば何とかなる……)
このサトウの自信には根拠がないわけではなかった。サトウの実家は道場を営んでいて、就職するまでみっちりと剣術と体術を仕込まれていたからだ。
時に空中をふわふわと飛行し、時に地面を駆け回るヌエは、サトウにとってとらえづらい、苦手な相手だった。
また、よく言えば〈実直〉、悪く言えば〈融通が利かない〉性格が災いし、班長からの指示を忠実に守ろうと考えるばかりで、自分の思うように立ち回ることができないでいたからだ。
(囲まれる前に各個撃破していけば……)
〈ダダダダダダダダダダダダダダダ……〉
格納庫に立ちふさがる敵機の膝を狙って塩水弾を全て撃ちつくす勢いで射撃を行うサトウ機。さっきの軍機の対応を見習った行動だ。
相手がさがったのを確認すると、新型軍機に膝を撃たれて両手両膝を地面に着けている敵機の背後に駆け寄る。
関節技を使い、その敵機を一瞬で組み伏せると、電撃槍を奪い、その首筋に突き立てた。
突き立てた電撃槍を、今度はすぐに自分の背後に向けて横様に振る。
サトウ機の背後や側面を狙って他の敵機が間合いを詰めてくることを、サトウには容易に想像できたからだ。
サトウは何かに当たる手ごたえを感じた。
電撃槍を振りながら体勢を反転させると、背後の1機が体勢を崩している。まさか攻撃を受けるとは思っていなかったようだ。
サトウ機は、そのまま相手の腹部に電撃槍を突きたてた。相手が崩れるように視界から消えていく。
電撃槍を大きく横に振り回して脇に構えて、サトウ機は、油断なく周囲を確認した。
電撃槍を構えている敵機が正面に2機。その足元には先ほどまで塩水弾を射撃していた軍機が倒れている。
側面には膝を撃たれてふらふらになった状態で立っているのが1機。
その反対側の格納庫方向には、サトウの牽制射撃を受けたのが1機。
残りは計4機。サトウにとって幸いなことに、敵機はどれも機銃を備えていないようだ。
(ホネクイを改造した武器だな……。電撃が3回しかきかないかも……)
構えた電撃槍の穂先を見てそう考えたサトウは、周囲に注意しながら、足元に転がっている電撃槍と交換した。
一方、重装甲車の中。指揮官らしき男が、その様子を見ながら爪を噛み始めた。
無線から入ってくる『ワルキューレの騎行』が消え、代わりに『おお、運命の女神よ』に変わる。
「う~む……、雲行きが変わったな……。アキラ様も『運命の女神』にいらだっていらっしゃる……」
男は無線を乱暴に取った。
「早く仕留めてしまえ! 操縦士を確認する前に敵の応援が来てしまうぞ! 急げ!!」
その男の指示はサトウの追い風となった。部下に対するプレッシャーとなったからだ。焦り始める4機の敵機。
自由に動ける3機が同時に間合いを詰めて一斉に攻めかかれば、サトウの形勢は非常に不利になるはずだ。
しかし、冷静さを失いつつある敵に、果たしてそのような息のあった連携が取れるだろうか……。
しかも、サトウのほうは、サトウのほうで厳しい状況に陥らないような立ち回りに努めている。
膝を撃ち抜かれ棒立ちになった1機との間合いを、じりじりと詰めていくサトウ機。
サトウ機を近づけまいとする敵機は、闇雲に電撃槍を振り回す。
相手の間合いに入る寸前で、サトウは電撃槍を全く別の方向に突き出した。
槍と槍が当たる。
その槍は僚機をかばうために横から入ってきた別の敵機のものだった。
電撃槍を弾くと、サトウは、その流れで相手のみぞおち当たりに自分の電撃槍を突き入れた。
サトウの読みどおりだった。
つまり一連の動きはサトウの誘いだったということになる。
〈ダダダダダダダダダダ……〉
静かに崩れ始めた相手の肩越しに牽制射撃を行うサトウ。
崩れた相手の背後でもう1機が槍を構えていたからだ。
サトウ機は牽制射撃をしたまま、相手の背後に回り込むように走った。
サトウは本気で回り込むつもりはない。
静かに近づいてきた格納庫側の敵機との距離を取りたかったからだ。
「さすが剣術道場の息子だな。お前の亭主は……」
スズキと一緒に外の様子を見ていた兄が言った。スズキは返事をせず、黙って状況を見ている。
牽制射撃を受けている敵機が左手で頭部をかばいながら突っ込んでくる。
サトウはそれもあらかじめ承知していた。
敵機の電撃槍を鋭く払うサトウ機。
右手でしか握られていない相手の槍は大きく弾かれた。
その直後、サトウ機の電撃槍が相手の腹に突き立てられた。
その様子は重装甲車の中の男も見ていた。数台のモニターが設置されているが、味方機が倒れるたびに消え、装甲車に搭載されたカメラ映像に切り替わっていった。
「機関砲の装填はできているな……」
「はい……」
「いつでも撃てるように狙っていろ……」
男の爪を噛む動きが止まらない。貧乏ゆすりも始めていた。
サトウ機は、崩れ落ちる相手から〈予備〉の電撃槍を奪い取ると、残りの2機が同時に視界に入る場所まで素早く移動した。
サトウ機は、今、両手に槍を持っている。
視界の左側には、膝を撃ち抜かれた敵機が這いずっている。無理に動こうとして倒れてしまったのだろう。
右側には、格納庫を背にして立つ敵機が見える。電撃槍を構えたまま動かない。サトウには、おどおどと構えているようにも見える。
〈ブオォォォオン……。ブオォォォオン……〉
右手に持った電撃槍を振りながら、格納庫側の敵機との距離を詰めるサトウ機。
槍が風を切る低い音が操縦室にも聞こえてくる。
敵機は、腰が引けた状態で後ずさりをする。
サトウはその相手の心理を逃さなかった。
一瞬で踏み込み、間合いを詰めたかと思うと、右手に持っていた槍を逆手に持ち替え、相手に投げつけた。
相手は頭を抱えるようにして身をすくめる。
投げた槍が相手の側面に当たる。
次の瞬間、サトウ機は、左手に持っていた槍を両手で構え、相手の足を払った。
相手の姿勢が崩れる。
体勢が崩れた瞬間、サトウ機がその脇腹に槍を突き立てた。
相手は、体をよじらせるようにして崩れていった。
倒れたのを確認すると、サトウ機は、やや離れたところで這いずっている敵機の方を向いた。残るはこの1機だけだ。
一歩一歩しっかりと落ち着いた足取りで向かっていくサトウ機。這いずるのを止め、体を横にして最後の抵抗に臨もうとする敵機。
〈ガンッ! ガンッ! ガンッ!〉
薄暗い車内でよく見えないが、重装甲車に乗っている指揮官らしき男が、座席の前を靴の裏で乱暴に蹴っているようだ。
爪を噛みながら不満の色をいっぱいに浮かべた表情が、モニターの明かりに浮かび上がる。
無線から流れていたクラッシック音楽はいつの間にかやんでいた。
『ズッ……。軍団長! あっ、レガトゥス! A班、姫を確保。繰り返す。姫を、確保』
不満そうに背もたれに体を預けていた男が、その無線を聞いて身を乗り出し、無線機を乱暴につかんだ。
その表情が一気に明るくなっていく。
「そうか、よくやった! 姫はキセナガではなく、そっちにいたか! 素晴らしい! 任務完了だ! 帰るぞ!」
「各員帰投準備に入ってください。繰り返します。帰投準備に入ってください」
男の無線に続いて、その部下が無線で正式に指示を出した。
『A班は、すぐにも撤収可能です!』
「各員、帰投します。繰り返します。帰投します」
モニターには倒れた味方機が映っている。男は、無線を静かに戻すと、指をくるくると回しながら、味方機を差して言った。
「これ……、全部処分しとけ! まず、うっとおしいコイツから頼む」
モニターに映るサトウ機の背中を指で弾いた。
〈ドンッ、ドンッ、ドンッ……〉
重装甲車の銃座に備えられた25粍機関砲が火を噴いた。
敵機まであと数歩という距離で、背中を撃たれ、前のめりによろけるサトウ機。
〈ドンッ、ドンッ、ドンッ……〉
装甲車の射撃が続く。
サトウ機は、足をもつれさせるように倒れ、それ以上動かなくなった。
その破壊力から見て通常弾頭が使われたことは、誰の目にも明らかだった。
「クニツナあああああ!」
スズキは、サトウの下の名前を呼び、制止する兄の手を振り払って、格納庫に駆け下りていった。
折りしも、ようやく発進準備が整ったナカムラ機とコバヤシ機がそれに続くような形になった。
〈ボンッ、ボボボボボンッ〉
スズキが外に出たと直後、連続した爆発音とともに倒れていた敵機の腹部が次々と破裂した。生体甲殻機の装甲や肉片が辺り一面に飛び散る。
スズキは、高速で飛び散った生体甲殻機の真っ赤な体液を大量に浴び、バランスを崩して転んだ。まるで血の海だ。
血に濡れた芝に何度も足を取られるスズキ。それでも這いずるようにサトウ機に駆け寄る。
その背後では、ナカムラ機とコバヤシ機が拘束弾を込めた銃を構え、警戒態勢を取っていた。
走り去る重装甲車。その車内の無線からは、いつの間にか、モーツァルトの『レクイエム・怒りの日』が流れていた。
(運命の女神はわれわれに微笑んだが、何しろ手際が悪かったな……。成功とは言いがたい結果だ。アキラ様がお怒りかもしれん……)
指揮官と思われる男は、小さくため息をついて背もたれに体を預けた。
背中の被弾した箇所から真っ赤な体液を流しているサトウ機。横向きになってうずくまるように倒れている。操縦士が搭乗する背中の下の辺りには2発命中していた。
戦慄が走るスズキ。われを失ったようにサトウ機の腹部にもぐりこむ。操縦室がある場所だ。
操縦室の隔壁を開く。生体甲殻機の体液で辺りは真っ赤だ。その奥に無言のサトウがいた。どれが生体甲殻機の体液でどれがサトウの血か見分けがつかない。
「誰か! 生体維持装置持ってきて! 早く! 生体維持装置!!」
外に向かって叫ぶスズキ。その言葉は、サトウがすでに生きていないことを意味していた。
サトウの腹部は、被弾し、崩壊していた。
その声を聞いて、スズキを追うように格納庫から出てきた人の何人かが再び格納庫に戻っていった。
生体維持装置とは、遺体を〈きれいな状態〉で保存できる装置だ。
また、人工内臓を使うことなく将来生体移植ができるようにしておきたい、事件の捜査や事故の調査に一時的に保存しておきたいなど、使用される理由や目的はさまざまだ。
もちろん保存にはそれなりの維持費がかかる。
スズキはサトウのヘルメットを丁寧に外した。スズキの目にまず映ったのは、サトウの大きく見開いた目と半開きした口だった。あっけに取られたような表情に見える。
目と口を閉じてやる。そして、やさしく抱きしめ、その唇にキスをする。かなうなら、目を覚ましてほしいと願いを込めて……。
次に、操縦室のハーネスをサトウから外す。サトウの背中から脇腹にかけて、もこもこと内臓がこぼれ落ちてくる。
涙で視界がぼやける。スズキがいつか経験した感覚。どうしようもないほどの絶望、悲しみ、虚無感、怒り、いろいろな感情が心の中を行きかう。
サトウの遺体を静かに抱えて操縦室から出すスズキ。その作業服は血まみれだった。
サトウ機の外にはすでに人だかりができていた。人だかりの前に生体維持装置が置かれていた。
人だかりの奥には2台のトラックとナカムラ機、コバヤシ機が控えている。ヌエが飛来してきた場合に対応するためだ。
*
一方、身柄を拘束され、装甲車に乗せられていたタナカは、絨毯で体を何重にも巻かれていた。しかし、不思議と恐怖感はなかった。
(これが、あの男の言っていた〈お迎え〉ってこと?)
タナカは、数日前のある出来事を思い出していた。
それは、帰宅時の装甲バスの中でのことだ。
その日のタナカは、つり革につかまって立っていた。
「姫……」
という若い男性の声を聞いたような気がしたが、タナカはさして気にもとめなかった。
「姫……」
声は隣から聞こえてくる。しかし、タナカは自分のことだとは夢にも思わない。
「姫……」
タナカは、〈姫〉と呼ばれているのはどんな人物かとふと思い、何気なく声の出所の方を向いた。
目鼻立ちの整った端正な顔の持ち主がタナカを見ていた。年齢は20代半ばといったところか。ヘルメットを小脇に抱えている。
タナカはすぐに顔を背けた。タナカはヘルメットをしている。相手から顔が見えることはないと思っていた。
しかし、その男は話を続けた。
「ああ、姫さま……。やっと気づいてくださった。近いうちに、きっとお迎えに上がりますので、お待ちくださいませ」
以前、変な名刺を出してきた男のこともあるので、タナカは薄気味悪いと思ったが、そのまま無視し続けた。人違いということもある。
万一、しつこく何か言ってきたら、また警備兵に助けを求めればいいとも思った。
しかし、隣の男は、それ以上口を開くことはなかった。次のバス停が近づくと、タナカに深々と一礼して降りていったのだった。
……などと、ぼんやりと思い起こしているうちに、タナカを乗せた重装甲車が停まった。絨毯にぐるぐる巻きにされているため、場所は一切分からない。
装甲車の外から『凱旋行進曲』が流れてきた。タナカにも聞き覚えのある曲だ。
タナカは、ふと体が軽くなるのを感じた。何者かに抱き上げられたのだった。とはいっても、体を動かすことはできないし、抵抗する気もない。ただ、静かにしていた。
その状態でも装甲車の扉が開くのは分かった。絨毯の中が明るくなり、音楽がはっきりと聞こえてきたからだ。
心地よい揺れを感じるタナカ。自分が丁寧に運ばれているのが分かる。
大きな歓声が絨毯を伝って聞こえてくる。中にはタナカの下の名前を呼ぶ声もする。
「アサギさまァァァァァ」
甲高い女性の声。
「アサギさまあああああ」
野太い男性の声。
「姫ぇぇぇぇぇ」
という声も聞こえる。
気味の悪さをはるかに超えて、タナカの頭は混乱し始めていた。
(ここにいる人たちは、私の名前を知っている。〈姫〉とは私のことだ。そして、私は歓声で迎えられている……)
それ以上は考えないようにした。
確実に分かる事実だけを冷静に受け止め、推測で考えないようにする。タナカは不要な恐怖心が湧き上がらないように努めた。ある種の防衛本能かもしれない。
抱きかかえられながら、歓声の中を通り抜けていくタナカ。やがて静かに床に置かれた。
巻かれていた絨毯が丁寧に外される。2~3人がかりで行っているようだ。
タナカの目に光が戻った。まぶしさを感じた次の瞬間、映像が入ってきた。
目の前に装甲バスで見た顔がある。改めて見ても端正な顔立ちだ。その周りに従者らしき男女も数人見える。
男が手を差し伸べた。少し間を置いて、それに応じるタナカ。タナカが立ち上がると、さらに大きな歓声が上がった。音楽がかき消されるほどの大きさだ。
タナカは壇上にいた。壇上から一番離れた建物の奥の一角に音楽隊が見える。音楽は生演奏だった。
そのひとつ手前には、タナカが乗せられてきた重装甲車。その重装甲車の扉から赤い絨毯が真っすぐ壇上まで伸びていて、それを挟んで兵士が道を作っている。
(西洋の甲冑だ……)
タナカはそのぐらいにしか思わなかったが、兵士たちが身に着けているのは、古代ローマ帝国最盛期の甲冑、ロリカ=セグメンタータを模したものだ。
兵士は全員、縦長のペナントを携えている。
兵士の外側には白地の布をまとった男女がいる。布は、無地をはじめ、赤や青、緑などの縁取りがされているものがある。人数はざっと2~300人。歓声を上げているのは彼らだった。
(西洋の古代っぽい服装……)
タナカがそう思ったのは、古代ローマ帝国のトーガを模した服装。当時のローマ帝国と違うところは、男女関係なく身に着けていることだ。
壇上の男が手を小さく挙げると、歓声も音楽も収まった。建物内がしんと静まり返る。壇上の男は紫紺の縁取りの入ったトーガを着ている。
状況を把握できていないタナカをよそに、男は演説を始めた。
「新たな歴史が、いま、産声をあげた! 今日から新たな歴史が始まる! 皆でわが意思を継ぐ者を迎えよう! 今一度言おう! この者こそ、われわれの歴史を創る者だ!」
壇上の下から歓声があがる。壇上の男は、手を小さく挙げて、静粛を促した。再び静まり返る場内。
「アサギよ! ここにいるのはキミに忠誠を誓った者たちだ! キミの軍団だ! 姫よ! わがレギオンを率いよ! そして、われらを新たな歴史に導くのだ!!」
男は、タナカの肩を引き寄せ、眼下の人々に手を差し伸べて叫んだ。熱狂的な歓声が、いつの間にかタナカの名前を呼ぶ声に変わった。
〈アッサギッ! アッサギッ! アッサギッ! アッサギッ! アッサギッ!……〉
聴衆は皆、握りこぶしを頭上に掲げて振っている。
タナカには、男の演説が舞台俳優のようにひどく大げさに思えた。普通の状況なら、気味の悪さを覚えていたことだろう。しかし、今は不思議と心地よく聞こえる。
タナカは、男に肩を引き寄せられたまま、一緒に壇上の下手から去るよう促された。黙って男の指示に従うタナカ。左側前面から〈アサギコール〉を浴びている。
壇上を去る際に、男の顔をじっと見ていたタナカは、遠い昔に会ったような、懐かしさのような何かを覚えた。しかし、それが何なのかは、はっきりと分からない。
舞台から降りた先に別の男が控えていた。歳は40代前後に見える。重装甲車に乗ってホソダ襲撃の指揮を執っていた男だ。
男は真紅の縁取りの入ったトーガを着ていた。タナカが紹介されている間に着替えたようだ。
壇上にいた男とタナカが近づくと、控えていた男は拳を頭上の高さに掲げた。その所作は、この組織での敬礼のようだ。
「ササキ君……。少々手荒なことをしたようだな。悪いクセだ……」
壇上にいた男が、軽く拳を掲げて返礼しながら、穏やかな口調で言った。
「ハッ……」
控えていた男は、今度は頭を下げた。
壇上にいた男がタナカの手を引いて歩き出した。控えていたその男もついてくる。
「それが君のやり方だということは承知している。君の忠節もありがたい。ただ、今回は、アサギ姫を迎えるのに血なまぐさいやり方はどうかと思ってね……」
「ハッ……」
ササキという男が短く歯切れのよい返事をした。
若い男は、どうやらこの組織の最高幹部ないしは頭目のようだ。
タナカが立ち止まった。しかし、握られた手を離そうとしても離れない。優しく、だが、しっかりと握られている。
「ちょっと聞きたいんですけど……。 事情を教えてください。わけが分かりません。アタシがここにいる理由とか、ここはどこだとか、アナタたちは何者だとか……」
この男の穏やかな物言いを聞いて、タナカは何か聞きだせることができると思ったのだった。今のタナカには、分からないことが多すぎる。
「僕の孫娘とはいえ、驚かせてすまなかった……。謹んで非礼を詫びよう」
男は手を握ったまま頭を下げた。
タナカは、男の言った〈マゴムスメ〉という言葉を聞き流した。というより、頭に入ってこなかったといったほうがいいだろう。
どう見ても年齢が20代半ばにしか見えない若い男の口から、そんな言葉が出てくるとは思わなかったからだ。
「これから詳しいことを説明したい。さあ、こちらだよ……」
男に言われるまま、タナカは手を引かれて廊下を進んでいった。
*
一方、襲撃を受けたホソダ生体研究所の格納庫前では、サトウの遺体の入った生体維持装置が運び出されていた。
また、生体甲殻機に閉じ込められた操縦士も救助された。皆、無事だった。
軍隊と警察が駆けつけていた。軍隊はヌエの警備を、警察は現場検証や事情聴取を行っている。
電撃槍で攻撃された生体甲殻機は、どれも電気系統が損傷を受けていた。しかし、幸い、中にいた操縦士たちに怪我はなかった。
操縦室を保護する隔壁は、さまざまな状況を想定して絶縁処理も施されていたためだ。
敵機の操縦士は、皆、絶命していた。警察の調べで生体甲殻機に爆弾が仕掛けられていたことが判明した。
警察の推測では、本来、自決用に備えられていた自爆装置が、外部から操作されて、爆破されたと見ている。
また、研究室の最寄りのトイレから、参班の男性社員の絞殺死体が見つかった。
警察の後の調べで、その男性社員は〈神罰支援隊〉の一員ということが判明した。〈神罰支援隊〉とは、反社会組織〈神の使い〉の私兵である。
参班に反社会組織の同調者が2人いたことで、参班班長ヨシダはすっかりおとなしくなってしまった。
軍の次期制式生体甲殻機は、ホソダ機の内定が覆ることはなかった。むしろ、評価が高まった。
今後想定される生体甲殻機同士の格闘でも、旧来のミツバ機に対し、操縦士の技量次第で圧倒的優位に立てることを証明したからであった。
ただし、評価されたのは、操縦士の技量で大きく左右される格闘性能ではなく、むしろ操縦性や運動性、機動性であった。