【5】スタンドプレー
「ねえ、ねえ、今度のデート、いつにするの?」
整備班の女性、ワタナベが肘でスズキを小突いた。
たちまち顔を赤らめるスズキ。
「なッ、な、な、なにを? だッ、だ、誰とお?」
あわてすぎて舌が回っていない。
「誰って、ワタシとでしょ? ほら、遊びに行こうって言ったじゃない」
「あッ、ああ、そうね。そうよね……」
引きつった笑顔になるスズキ。脳から出された〈笑顔〉の信号に筋肉が追いついていないという感じだ。
「あら~。もしかしてぇ~。カンチガイ?」
にやりと笑うワタナベ。おどけたそぶりでスズキを指差す。
「ナナナナナ、何が?」
「大丈夫! 応援するから!」
ワタナベがスズキの腰をぽんとたたいた。
「ダ、だから、ナ、なにを……」
「ワタシには隠さなくたっていいでしょ。アヤメぇ~。タナカさん、小学生みたいにみんなに言いふらしてるわよ。『みんなには内緒よ!』なんて言って、知らないのは本人だけってヤツ」
スズキの顔がさらに赤くなった。まるで桃が熟れる過程を見ているような変化だ。
3交代制勤務を翌週に控えた金曜日。運用試験課の職員全てが格納庫に集合することになっていた。
格納庫に三々五々と他の課員が集まってくる。
スズキはひと足早く来ていたのだった。
「おお、壱班のキセナガは、ずいぶんと色鮮やかですなあ。個性的というかなんというか……。私、こういうのよく見ていましたよ。子どものころの話ですがね……」
参班の班長、ヨシダがスズキの隣に来て言った。その口調と台詞は、どう受け取っても嫌味にしか聞こえない。
「それが何か?」
スズキは強い口調で答えた。
「まあ、お互いにガンバリマショウってことですよ。ハッハッハッハッ……」
ヨシダが肩を軽く叩こうとするのを、スズキはすっとよけた。
「なにあれ、すっごいヤな感じ……」
隣にいたワタナベが言った。
「若いオンナにはなめられたくないってことなんじゃない?」
スズキは、大きな鼻息をひとつついた。
やがて格納庫に全員集まった。次長のタカハシの前に整列している。
「各班長からすでに聞き及びのことかと思いますが、これから来月から始まる常駐先の見学にいきます」
タカハシが説明を始めた。
「ヌエの襲撃に備え、各キセナガはトラックの荷台に肩ひざをついた状態で搭乗すること……。壱班、弐班、参班の順に格納庫から出て、全ての班がそろったところで出発します!」
政府が2003年に発表した国民地下都市移住計画は、度重なるヌエの大量発生とその襲撃により、工期が大幅に遅れていた。
当初は、計画発表から約5年で都市部住民の約半分を移住させる予定だった。
しかし、17年たった今でも、行政機能や公共施設の移転以外はほとんど進んでいない。全ての国民が移住できるまで100年かかると予想する専門家もいるほどだ。
現在、地下都市に住める人たちは、一部のエリートに限られ、〈地下都市組〉と呼ばれている。
とはいえ、政府はあきらめているわけではなかった。むしろ急いでいる。しかし、人がひとところに集まれば、おのずとヌエも集まり、戦闘の最前線になる。
地下都市化工事は、各地方都市の各区域において同時進行で行われているために、軍だけでは手が回らない。
民間企業にも支援を依頼し、持ち回りで常駐しながら、警備や土木工事の支援を行ってもらおうというわけだ。この方法は、すでに一部の場所に導入され、効果を奏している。
ホソダグループにもいよいよその依頼が来たわけだ。そして、そのための増員だった。
……道路をゆっくりと走る車の列。指揮車、トラック、トラックという隊列が3つ。生体甲殻機は、1台のトラックに2機ずつ肩ひざを立てた姿勢で載っている。
まもなく、四角い箱状の白い建屋が見え始めた。工事はその建屋の中で行われている。ヌエの襲撃からできるだけ安全を確保するための措置だ。
また、その四角い建屋を建設している場所もある。新しい建設現場の準備だ。
その周りには、ホネクイで武装した生体甲殻機がいたるところで歩哨している。また、土木作業を行っている生体甲殻機も見える。
地下都市化工事は、開削工法とシールド工法の両方を平行して行っている。特に警戒しなければならないのは、開削工法を行っている場所だ。
保護用の四角い建屋は仮の建築物なので、ヌエの襲撃を完全に防げるわけではない。また、数多くの資材が搬入されてくるため、その入り口は特にもろい。
また、シールド工法で進めている部分も安全とは言い切れない。過去のヌエ大襲来では、前々回も前回も、トンネル内にヌエが進入し、作業員がほぼ全滅した場所もある。
トンネルは、直径約18メートルあり、生体甲殻機が支障なく作業できる高さが確保されている。
最終的にはトンネルの上下に天井と暗渠が設けられ、ライフラインが設置されることになっている。
(なにか変……。空気がざわついている……)
巨大な工事現場の異変に最初に気づいたのは、生体甲殻機に搭乗していたタナカだった。その〈気づき〉は直感的なものだった。
まもなくタカハシから無線が入ってきた。
『全車両停止~、全車両停止~。2時の方向にヌエ十数体襲来。2時の方向にヌエ十数体襲来。キセナガ全機降車して支援準備に入れ。どうぞぉ~』
トラックから降りた第壱班のサトウとタナカが先行。タカハシが乗る指揮車がそれに続く。さらに生体甲殻機に左右を挟まれるようにしてトラックと別の班の車列が続く。
タカハシが配信した地点に向かって、車列は慎重に進む。
やがて、作業員を避難誘導する生体甲殻機が見えてきた。軍の生体甲殻機が数機、走って目の前を横切っていく。
『さらに別の集団を確認! これから実戦経験の長いスズキ班長に指揮を預ける! スズキ班長、よろしく!』
「次長、了解! われわれは別のヌエの集団を排除しに向かう! キセナガ、散開して10時の方向に向かえ! トラックは塩水弾および散水準備!」
『さらに別の集団が飛来! 12時の方向!』
「各機、10時の方向に集中!」
スズキは、タカハシの状況報告から、戦力が分散するのはよくないと判断し、まずは10時の方向にいる個体の駆除に専念することにした。
四角い建物の陰から2匹のヌエが不意に飛び出してきた。
〈ピキイイイイイ!!!!!!〉
1匹……。
〈ピキイイイイイ!!!!!!〉
そして2匹……。
タナカの鮮やかな槍さばきならぬ、〈ホネクイさばき〉で、2匹のヌエが一瞬のうちにしとめられた。
その直前、教本どおりに牽制射撃をしたサトウ。塩水弾は、むなしく空を割き、ヌエと格闘していたタナカ機の目の前をかすめた。
「サトウさん、危ないわね! 関節に当たったら、どうすんの!?」
タナカが、ホネクイの塩水カートリッジを交換しながら叫んだ。
フカタからきつい言い方をされたサトウ。申し訳ない気持ちよりも早く、新しい課員を前に〈かっこ悪!〉という気持ちがこみ上げてきた。
「みなさん! 機銃の使用は控えて! まだ逃げ遅れている作業員がいるかもしれません!」
タナカとサトウのやり取りを聞いてスズキが指示を出す。
『上空から8体接近中! 急降下もあるので警戒せよ!』
と、タカハシが言った瞬間、参班の最後尾の生体甲殻機1機に対し、2匹のヌエが襲いかかってきた。
「最後尾のトラックは散水! 参班のキセナガは落ち着いてヌエを排除して! 壱班、弐班のキセナガは警戒態勢のまま別の固体の攻撃に備えて!」
スズキの指示が飛ぶ。
〈ヒョー、ヒョー〉
ヌエの声があらゆる方向から聞こえてくる。
前方の建屋の陰から、今度は2機の生体甲殻機がバランスを崩しながらよろよろと出てきた。それを追ってきた数匹のヌエがその背中に襲いかかる。
「前方の別会社の支援に行きます!」
タナカが叫ぶ。2機の生体甲殻機がほぼ同時に倒れ込むのを見ながら、タナカ機はホネクイ弾を装填した銃を構えて駆け寄る。
『班長! 許可願います!』
という無線を入れたのは、タナカ機ではなく、隣にいたサトウ機だった。
『許可する!』
スズキとサトウのやり取りが終わらないうちに、タナカは、もう臨戦態勢に入っていた。
(そのくらいの……!)
ヌエに向かうタナカ。
(ことで……!)
1匹のヌエの胴体を狙ってホネクイ弾を発射。
すぐさま発射装置から手を離してホネクイを構える。
肩に提げた発射装置がバタバタと上下左右に揺れる。
(いちいち……!)
ホネクイ弾がヌエに刺さっているのを確認しながら、別の1匹のヌエの首筋を狙ってホネクイを繰り出す。
(ババアの許可を…!)
タナカの動きを読んでいたかのように、飛びのくヌエ。
(取っ手られっかっっっ……)
しかし、タナカの最初の動きはフェイントだった。
繰り出したのはホネクイの〈柄〉のほうだ。
動きを読んでいたのは、ヌエではなくタナカであった。
(っっってえええのおおお!!)
右足を踏み込むタナカ。
踏み込みながら、ホネクイの刃先をヌエの首に逆手で突きたてた。
〈ピキイイイイイ!!!!!!〉
一瞬のうちにヌエ2匹が絶命した。
タナカの背後には、ホネクイ銃を構えるサトウ機がいた。構えながら、ただ成りゆきを見ているしかない。タナカの動きは、サトウに加勢する隙さえ与えなかった。
「さらに数体接近!」
タカハシの状況報告が無線に入ってくる。
状況は次第に苛烈な様相を呈してきた。参班の最後尾だけでなく、弐班も上空から飛来したぬえの襲撃を受けている。
「ウワッ!」
ヌエに飛び掛かられた1機が背中をトラックに打ち付けた。そばにいた2機がそのヌエめがけてほぼ同時に左右からホネクイを突く。
次の瞬間には、2機のうち1機の背中が別のヌエに襲われている。
霧吹きをするように大型トラックが塩水を噴射する。断続的に散水するのは、残量がすぐになくなってしまうからだ。
さらに別のヌエが鋭い尾の先を繰り出す。1機が顔をかばって思わず手のひらで受ける。その手が尾に貫かれる。
次の瞬間、別の1機がそのヌエにホネクイを突きたてる……。
「予想以上に凄まじいな……」
班員のひとりがつぶやいた。実戦経験のない者たちは、みな同じ気持ちだろう。
『さらに数体が向かってくるぞ!』
タカハシから無線が入る。
『タナカ機合流します!』
タナカがみなのところに駆け戻った。
今度はサトウからスズキに入電。
『ヌエ数体に囲まれて孤立しているキセナガを前方に発見。軍のものと思われます。支援に向かいます。許可ください』
「了解。ただし無理をしないで」
『了解!』
サトウ機が左手を突き出す。
塩水噴射器を使いながら、群がってくるヌエを払い、孤立した軍の生体甲殻機に駆け寄る。
ヌエの囲みが緩んだ一瞬を逃さず、その輪に入り、軍の機体と背中合わせの体勢になる。
他の場所でも死闘が繰り広げられているようだ。サトウ機と軍機の近くでは、2~3匹倒すと別のヌエに襲われるという戦いを繰り返している。
その方向から、さらに何匹かのヌエがサトウ機のほうに向かってくる。
〈ヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……〉
軍の生体甲殻機は、その特徴的な太い前腕に内蔵された回転式多砲身機銃の塩水弾で牽制すると、隙を狙ってホネクイで1匹のヌエを突く。
すでに足元にはヌエの死体が1つ転がっていた。その生体甲殻機がホネクイのカートリッジ〈塩水筒〉を交換する。
しかし、攻撃が途切れるその一瞬が最も危ない。
その機を逃さず何匹かのヌエがその軍機に飛び掛かってきた。
しかし、背中合わせになっているサトウの視界には入らない。
サトウ機も、塩水噴霧器で牽制しながら、1匹、また1匹としとめる。正面のヌエが倒れ、周囲を確認したとき、軍の機体に数匹のヌエにのしかかっていることに初めて気づいた。
『ズッ……。コバヤシ、ナカムラ両機、弐班支援!……ズズッ……参号車散水!……ズッ……使い切るつもりで!!……ズッ』
絶え間なく入ってくるスズキの無線はサトウに聞こえてこない。
軍の機体の頭に噛み付こうとするヌエ。とっさに左手でかばう軍機。頭を襲われたらおしまいだ。生体甲殻機が動かなくなってしまう。
その左手が2匹のヌエに腕ごと引きちぎられる。赤い霧のように血が吹き出す。他の2匹のヌエが左足に噛み付き引きずり始める。
右手に握ったホネクイを地面に突き立て、引きずられまいと必死に抵抗する……。
横からホネクイをヌエの首に突き立てるサトウ機。突き立てた瞬間、その腕に別のヌエが食いかかる。即座に左手で塩水を吹きかける。
ヌエが退いた瞬間、体の自由を取り戻した軍の機体が、仰向けのまま体をひねり、腰から取り出したホネクイ弾を別のヌエの首筋に突き立てた。
それを見て、サトウも先ほどの攻撃でホネクイの塩水が切れていたことに気づいた。しかし、カートリッジを交換するときに、せっかく好転してきた形勢が一気に不利になる恐れもある。
差し当たり倒さなければならないヌエはあと3匹。
サトウ機はホネクイの刃先側の柄を持って横ざまに大きく1度振り回した。
ヌエとの距離ができると、端を両手持ちして上半身を回しながら、さらに大きく振り回す。
そのときに、サトウ機はホネクイのカートリッジ〈塩水筒〉外していた。刃先部分を足元で体を起こした軍の機体のそばに転がす。
「片手で交換できますか!?」
サトウが拡声器のスイッチを入れた。
「……やってみよう!」
ひと呼吸置いて、軍の機体も拡声器で返事をした。
1匹のヌエがサトウに襲い掛かる。サトウは、ホネクイの柄をその頭めがけて振り下ろす。ヌエがひらりと舞う。ホネクイの柄がむなしく空を切る。
威嚇していた別のヌエが襲い掛かってくる。空振りした柄をそのまま横様に払うサトウ。今度はそのヌエの頭を捕らえた。
〈ピキッッッ!!!!!!〉
だが、倒したわけではない。ヌエはすぐに体勢を立て直した。
『ズッ……弐班、ヌエ沈黙!……ズズッ』
『ズッ……タナカ、ナカムラ機はサトウ機を支援!……ズッ……了解……ズッ……弐班は参班を支援』
スズキと各班員のやり取りはサトウの耳に入ってこない。サトウは焦っていた。
(早く……早く……早くしてくれ……)
頭の中で呪文のように唱えるサトウ。
左腕のヒジから先を失った軍の機体は、ぎこちない手つきでまだ塩水筒を交換している。
空中を浮遊していた3匹がサトウに向かって同時に襲い掛かってきた。
柄を振り回すサトウ。しかし、空中を浮遊する3匹にはかすりもしない。
「そうそう当たるもんじゃないよな……。塩水弾が撃てれば動きを止められるのに……」
サトウはスズキの指示を忠実、いや必要以上に従っていた。
「終わったぞ! 足元!!」
軍機の声が聞こえると同時に、新しい塩水筒が仕込まれた刃先がサトウの足元に静かに転がってきた。
〈ヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……ヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……ヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……〉
腹まで響いてきそうな重低音が生体甲殻機の隔壁を突き抜けてサトウに聞こえてきた。
軍の機体は、仰向けに倒れたまま、半身だけを起こした状態で塩水弾を高角に連射したのだった。
軍の生体甲殻機の前腕は、民間のものよりも太い。回転式多砲身機関銃大型の機銃が搭載されているからだ。
3匹のヌエの頭部が、血しぶきを上げながら崩れていく。
(さすが軍の機銃。すごい威力だ……)
そう思いながら、サトウは1匹のヌエにホネクイを突き立てた。
〈ヒョー、ヒョー〉
ヌエの鳴き声が聞こえる。おそらくこの手負いの軍機を集中的に狙ってくるつもりなのだろう。
ヌエを鮮やかに倒しながら近づいてくる機体がサトウと軍機の視界に入ってきた。
タナカ機だ。
『まったく世話が焼けるわねえ。戻るよ!』
タナカから無線が入ってくる。
タナカ機とサトウ機が軍の機体に肩を貸す。
軍の機体の左腕はヒジから先を失い、左足は骨折してぐらぐらだった。ただ、出血は止まっていた。
「噴霧!」
タナカ機の左手から高濃度塩水の霧が放出される。
「30秒しかないからね。急ぐよ!」
30秒はこの状況から抜け出すのに十分な時間だ。
新たに飛来したヌエ2匹が攻撃をためらっている。
(使っていなかったのか……!?)
サトウはタナカの実力を実感した。
このヨリマサ拾八改が備えた噴霧機能の連続使用可能時間は30秒。
つまり、タナカは今まで噴霧器を一切使っていないことを意味する。
一方、サトウ機の噴霧器の残量は尽きている。塩水弾機銃とともに牽制に使用するため、これほどの激戦ならば、尽きてしまうのが普通だ。
今両機の肩に体を預けている軍の機体も噴霧機能が尽きてなければ、状況も違っていただろう。
……事態はようやく沈静化に向かっているようだ。2機の軍機が近づいてくる。
「サトウさん! ほら、この人をあの人に預けて!」
負傷した軍機を駆け寄ってきた仲間に預けると、2人は仲間のもとに駆け戻った。