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【3】父のちぎれた手首

 部長のヤマモトを交えてのキセナガ開発部運用試験課運用係の打ち合わせは、終わりに差し掛かっていた。


「ええ、新体制についての話は、だいたいこれでいいかな?」

 ヤマモトが参加者の顔を確認する。

「ブチョー、蒸し返して済みませんが、あたし、ゼッッッタイ、イヤですから……」

 不満な気持ちを全く隠さずに、タナカがヤマモトに詰め寄った。

「嫌って……。色のことかね?」

「ハイ! みんなが変えても、あたしは変えたくありません!……です」

 そう言うタナカをスズキがにらみつけ、部長のヤマモトは助けを求めるようにタカハシのほうを向く。


 事の発端は、確定していない事項を打ち合わせ中にヤマモトがさらりと漏らしてしまったことが原因だ。

 新体制は3班構成の3交代制。政府からの要請に24時間対応するためだ。

 そのために、キセナガの新型機〈ヨリマサ廿〉(廿=20)を8機、サトウやタナカが搭乗している〈ヨリマサ拾八改〉(拾八=18)をさらに2機導入する。

 現状の2機を含めた計12機を管理しやすくするために、各班で機体色を統一してはどうかという話を、ヤマモトが口にしたのだった。

 当初、上層部からは、経費節減のために、在来のヨリマサ拾八改2機に新型のヨリマサ廿2機を追加した計4機を各班の操縦士が共有するという話も出ていた。

 しかし、運用試験課長のタカハシと研究開発課長のカトウが各員1機を強く主張した。

 タカハシとしては、サトウとタナカの〈自分の愛機をほかの人に触らせたくない〉という思いを尊重したかった。

 また、カトウはなるべく多くの機体と操縦士からデータを取りたいという思惑があった。


「まあ、販売促進の点から見りゃ、いろんな色があったほうが華やかでいいよなあ……。ま、われわれは体を張った〈宣伝部隊〉のようなものだからな」

 部長のヤマモトからの視線を受けたタカハシが答えた。

 スズキのこわい顔が、今度はタカハシに向けられた。

 ただ、その口調にタカハシの(やれやれ、タナカは……)という気持ちが込められていることは、参加者の誰にも伝わった。

「まだ決定事項じゃないんですよね、ブチョー! お願いします!!」

 きっぱりとものをいわないタカハシに業を煮やしたタナカがヤマモトに食い下がる。

 スズキの刺すような視線は再びタナカへ。

「まあ、特に色をそろえてみようっていう話は、班を分かりやすくするってだけの話だしなあ。分かった。社長に許可取るよ」

 部長は、そう答えて深く息をついた。

「やったあ、アリガトウゴザイマス! ブチョー!! あと、アタシの色、薄浅葱うすあさぎは私専用ってことで!」

「それは知らんよ……」

「じゃあ、他人の色はマネしちゃいけないってことで……」

「それも知らんよ……。みんなと仲良く話し合いなさい!」

 ヤマモトもタナカの扱い方が分かったようだ。

「ああ、それだとお金がかかるんだけどなあ……」

 ヤマモトがつぶやく。

「広告費扱いで何とかなりませんか……?」

 そのつぶやきをタカハシが受けた。

「まあ、なんとかするよ。なんといってもタナカ君は、わが部の主力だからな。ヘソ曲げられたら大変だ……」

 部長は苦笑いをして席を立とうとした。

「あのう……、色が自由ってことはワタシの黒も……」

「いい加減にしてください!」

 言い終える前に、スズキが鋭い口調でサトウをいさめた。

(なんで俺のときだけ、怒られるのよ……)

 と、サトウは無表情で固まっていた。

「フフフッ。ブチョー! アリガトウゴザイマス! これからもがんばります!」

 サトウを一瞥すると、タナカはヤマモトに元気よく礼を言った。


 会議後、廊下を歩いていたタカハシをヤマモトが呼び止めた。

「あのタナカ君て、少し変わってるコだね」

「ええ、〈天才肌〉ってやつじゃないですかなあ?」

「気難しそうなコだけど、キミはうまく意思疎通がはかれているようだから、くれぐれもよろしく頼むよ、〈次長殿〉。みんなをうまくまとめてくれ」

 ヤマモトがタカハシの二の腕を、がしりとつかんだ。

「はい」

「管理職は2交代制だから、顔を合わせる機会が減るな……。まあ、引き継ぎのときにしっかりと連絡を取り合おう」

「はいッ」

(よろしく頼むぞ……)

 そんな気持ちを込めて、ヤマモトは、つかんでいたタカハシの二の腕を離し、ぽんぽんと2回たたくと、去っていった。


***


 増員に伴う事業所移転から3日後。


 新しい事務所は十数名が業務を行える広さになった。机や椅子、その他の備品は3つの班で共有する。

 また、建物内には、予備の部屋、控え室、大小の会議室、男女別の宿直室、シャワールーム、食堂もある。

 事務所も格納庫も広い場所に移った。同じ敷地にあった休眠中の工場を改修。もちろん、ヌエの攻撃にもある程度耐えられるような構造になっている。


 課内の細かい備品の整理を終わらせたサトウが事務所に戻ってきた。

「課長……、あっすみません。次長、他の方たちは……?」

 タカハシはテレビを見ている。

「スズキはキセナガ搬入の立ち会い。イトウは装備搬入の立ち会い。タナカはその搬入の警備兼手伝い……だ」

 と、テレビのほうを向いたまま答えたタカハシ。


 テレビの音声が聞こえてくる。

〈装甲バスに乗り遅れた方は、いったん建物に入り、次のバスを待つか、装甲タクシーをご利用ください。絶対に徒歩では移動しないでください……〉


 サトウは、ポットで急須に湯を注ぎ、自分の席に座った。


 2人しかいない事務所は、テレビの声がよく聞こえる。

〈どうです! スゴいでしょ! その秘密は塩水発散機能!! なぁんとぉ、超微粒の塩水が体の広範囲を包み込み……〉


「スズキさん、忙しそうですね……」

 サトウがぼそりと言った。


 ただ、その声の大きさはテレビの音量に負けていないはずだった。

〈さぁらにぃ! いざというときには脅威の瞬発力! 加速装置付きぃ! 走行中の姿勢制御も……〉

 しかし、テレビの音声しか聞こえてこない。


「あのぉ……。スズキさん、大丈夫ですかね……。課……、あっ、次長……」

「何が?」

 タカハシが応じる。

「スズキさん、近ごろ、あまり寝てないように見えませんか? なにか、こう……、少しやつれているように……」

「ああ、そうだなぁ。あの人、何でもひとりでしょい込むからなぁ……」

「次長、何か手伝えることはないでしょうか……」

「おまえ~。それ、俺じゃなくて、スズキさんに直接言えばいいだろ……」

 タカハシの顔はテレビのほうに向いたままだ。

「あっ……。ああ、そうですね……」

 サトウは、湯飲みに両手を添えて、ぼんやりとタカハシの後ろ姿とテレビを見ていたが、やがて、

「あっ……、俺も搬入の警備……行ってきます」

 と言って、サトウが席を立った。

「行ってらっしゃあい……」

 タカハシは、背を向けたまま、手を振るように分厚い書類を頭上に掲げた。


 一方、格納庫には、険しい表情のスズキがいた。

 敷地には、トラックが何台も並んでいる。

 そのトラックの周りでは、淡いクリーム色に赤の細線という、ホソダグループのイメージ色で塗装された生体甲殻機が警備している。

 トラックの荷台にはシートが敷かれていて、生体研究所に新たに搬入される生体甲殻機がその上に寝かされている。

 作業員が玉掛けという作業を行い、クレーン使って、生体甲殻機が載ったシートごと格納庫に運び込む。

 第弐班、第参班の機体が運び込まれる先は格納庫の床下だ。業務交代時に前の当番班と次の当番班の生体甲殻機が昇降機で入れ替わる仕組みになっている。


 両班の機体とも、赤茶ががかった灰色に緑をわずかに入れた都市迷彩に塗装されていた。赤茶色の都市の風景に溶け込んで見えるよう配慮したようだ。

 第弐班が使用する機体の右の二の腕には帯状の赤い太線、第参班のほうには帯状の青い太線が入っている。

 この太線の上に、第弐班は各操縦士の名字の最初の2文字を示したカタカナ、第参班は自由な図柄が入っている。搭乗者識別用のマークだ。


(うわっ……。壱班だけが浮いちゃった……。かっこ悪いなあ……。ウチの機体色は、せめて〈ホソダの練色ねりいろ〉で押し切っとけばよかった)

 格納庫の外で歩哨するホソダカラー(淡いクリーム色に赤の細線)の機体に、スズキはもう一度目をやった。そして、小さなため息をつく。


 格納庫の床下搬入口が閉まると、次は地上と接している1階の格納庫に、茜色の機体と紺色の機体が入ってきた。

 スズキが指揮する第壱班の女性隊員コバヤシと男性隊員ナカムラの機体だ。

 格納庫では、搬入した生体甲殻機に薄浅葱の機体と黒い機体がホースをつなげている。生体甲殻機の維持に必要な液を注入するためだ。


〈開発のカトウの話じゃ、ヌエにとって色がどのように見えているのか、つまり、反応する色と反応しにくい色ってのは、詳しいことがわかっていないらしい。そもそも人間のように視覚中心で判断しているのかも分かっていないようだ。どの機体色に反応するか、いいデータが取れそうだって、カトウが言っているんだから、いいじゃない……。壱班はこれでいいんだよ〉

 と、タカハシが言ってくれたことを、スズキは思い出した。

〈あっ、そうだ……。『どうせなら、原色で赤・青・黄を入れてほしかった』って言ってたな、カトウが……〉

(ふざけてるんだか、本気なんだか……)

 タカハシの言葉を思い出して何だか腹立たしくなったスズキ。


 そんなとき、若い女性の整備員が声をかけてきた。

「どうしたのぉ? アヤメぇ、そんなに怖い顔してぇ……」

「えっ? うんん。なんでもない」

「分かる分かる。あと1週間はどこも忙しいよ。私も、もうヘトヘト……。ねえ、落ち着いたら、どこか遊び行かない? 地下街でまだ行ったことない所があるのよ」

「そうね、いいかもね」

 スズキが笑顔になった。


***


 ……その夜、事務所に残って仕事をしていたのは、スズキとサトウだけになっていた。


「サトウさんも、忙しいのね」

 スズキは、この世界のコンピューター端末で書類のようなものを書いている。

「いや……、今、備品の収納場所をまとめおわったところで……」

 とは、言ったものの、実際のところ、書類の記入はすでに1時間前にほぼ終わっていた。

「あ、あのう……。班長、何か手伝うこと……、ないですか?」

「本当? ありがとう。じゃあ、書類の書き損じがないか、確認をお願いしていい? 今送ります」

 サトウは送られてきたデータを見て驚いた。

「すごい……。これ、全部スズキさんひとりで……?」

「まさか……、半分だけ。残りは、次長とカトウさん」

 スズキは照れくさそうに答えた。だが、半分だけでも相当な量だとサトウは思った。

「研修用の配布資料ですか?」

「うん、そんなものかな……」

 スズキは小さくうなずいて続けた。

「……これは、研修の宿題。各自で全部書き写してもらって、しっかり頭に入れてもらうつもり……。保存版にしていつでも読み返せるようにできるでしょ。しばらく、緊急時以外、大きな仕事はないと思うから……、そのときの宿題」

(さすが、スズキさん。自分にも、他人にも厳しいや……)

「今、新しく入る班長さんが軍で研修を受けてるじゃない? ヌエの駆除やキセナガのことばかりで、ウチの会社のこと、ほとんど知らないだろうし……」

「そうだね。ウチの会社についての研修をしなくちゃだ……」

「今回の増員って、民間が前線に出るためのものじゃない?」

「ヌエの頻出地帯での支援活動ってやつだよね」

「今度、地下都市工事の警備や手伝いをするから、細かいことも研修しないと……」


 実際、各メーカーの生体甲殻機が土木工事に導入され、工事の進捗に貢献している。


 そして短い沈黙……。サトウは、何でもいいからスズキと話したかった。次の話題を考える。確認中の書類の中身は全く頭に入ってこない。

 スズキが席を立つ。

(あっ……)

 サトウは少し寂しい気持ちになった。

 突然、ほほにつめたいものを感じ、肩をすくめたサトウ。後ろを振り向く。

「あっ……ごめん……。びっくりした? あの……1本どう?」

 スズキが、缶ビールを差し出した。

「あっ、ありがとう……」

 サトウは笑顔で受け取った。うれしかった。

(今、勤務中なのに……)

 という気持ちも、一瞬もたげたが、野暮なことは言いたくなかった。ただ、うれしかった。

「どおせ、残業代出ないんだから……、今月の規定超えちゃったからね。代休ったってこの忙しさじゃない? いつ取れるようになるのやら……。自主残業って扱いになるのかな……」

 スズキは、サトウの気持ちにふと湧き出たものを察したように話す。

「あの……。手伝えることがあるなら、いつも遠慮なく言ってよ」

 サトウは、スズキとの距離を少しでも詰めたかった。

「アリガト」

 うれしそうに礼を言うスズキ。彼女は続けた。

「ねえ、知ってる?」

「えっ……?」

「次長の一番下の引き出し、ウイスキーが入っているの。残業しているときに〈気合〉を入れるんだって。次長は残業代出ないじゃない? 大変よね……」


 スズキは昨夜のことを思い出した。次長のタカハシが、スズキを一人残して帰宅する際のことだ。

〈スズキさん、お酒は何が好き?〉

〈エッ? あっ、いえっ、そういうの……〉

〈いやいや違うよ。差し入れ。明日も遅いんだろ?〉

〈どちらかと言えば、日本酒ですが……。業務に差し支えるので……〉

〈じゃあ、ビールにしよう。遅くまで仕事すると、気が高ぶっちゃって、なかなか寝られないと思うから……。まあ、明日飲んでよ〉


 そして今朝……。

〈ブツは冷蔵庫だ。ふつか、みっかは、戦えるな。弾薬は上手に配分したまえよ……〉

 タカハシが、廊下ですれ違いざまに低い声でぼそっと言ったのだった。

 冷蔵庫を見ると、ビールの〈3合〉缶(540ミリリットル、われわれの世界のサンゴー缶ではない)が6本入っている……。

 それが昼休みのことだった。


「実はね、このビール、部長も次長も公認。ここのところ、残業・徹夜続きだから、差し入れしてくれたの。他の人にはナイショね」

 スズキはすでに1本空けていた。

 酒に強いのか、顔に出ない体質なのか、スズキの顔色はほとんど変わっていない。

 一方、サトウは酔いが少し回っていた。だが、ビールはまだ半分残っている。酒にあまり強くないのもあるが、いつもならこれほど回りは早くないはずだ。


 昼間の疲れがきいているらしい。それとも、ひとつの空間にスズキと2人だけという状況からくる〈うれしい〉緊張か……。


「一気に30人か……」

 スズキがつぶやく。

「……こんなに早く大きくなるとは思わなかったね」

 話をとぎらせたくなかったサトウが拾った。

「ねえ、この課の初日のこと、覚えてる?」

 と、スズキ。

「あっ……、うん」

「サトウさん、ちっちゃな子みたいに、私のこと、じっと見てたわよね」

 と言って、すぐに思わぬことを口走ってしまったと思ったスズキは、顔を赤らめた。酔いが回っていることも自覚した。

「こんなところに女性が来るとは思わなかったでしょ? どちらかといえば、男の職場だもんね……」

 照れを隠すように、スズキはあわてて言葉を継ぎ足した。


 実際、この世界のこの時代、人口の減少もあって、男女比が著しくかたよる職種は少ない。

 また、もともと共働きの多かった江戸の庶民文化が色濃く残っているということもある。

 ただ、力仕事と思われがちな業種は女性が少ないのも事実だが、生体甲殻機の操縦士は女性のほうがやや多い。体のサイズの小さいほうが何かと都合がいいためだ。


 この課の5人が初めて顔合わせしたときのことは、サトウも覚えている。確かにそうだ。少し場違いな美しい女性に思わず見とれてしまった。

 無機質な事務所の風景と作業服。

 しかも、初日から、女性が作業服をぴしっと身に着けて仕事場に入ってくるとは思わなかった。もう1名の女性社員のタナカは、あのとき私服だった。

 また、作業服という出で立ちで、スズキの顔が余計強調されて見えたということもある。

 さらに、実際に顔を合わせる前に、軍上がりの女性と聞いてサトウが勝手に描いていた〈ごつい〉スズキ像とのギャップも、スズキの顔をじっと見てしまった要因だ。

 しばらく互いの目が合ったことを覚えている。今のサトウなら、〈見つめ合っていた〉と形容したいところだろう。胸の高鳴った瞬間だ。

 実際には一瞬だったのかもしれないが、目をそらすタイミングを失ってしまったほど、サトウには長い時間に感じた。


「いや……、そうでしたっけ?」

 ただ、それを認めるのは、あまりにも恥ずかしいし、照れくさい。サトウは、とっさに否定した。

 そして、少しの沈黙……。

 スズキの反応は、すぐに返ってこなかった。サトウは、さっきの答え方を少し後悔した。

「年下の上司だし……、最初は戸惑ったんじゃない?」

 スズキが話を切り出してくれた。サトウは少しほっとした。

「いやあ、そんなことはなかったよ……。頼もしかったよ。今もだけど……。ヌエ相手の仕事じゃ、危険な仕事になると思っていたから……。」

「本当? うれしいけど、割り引いて聞いておくね」

(スズキさんとこんなに楽しく会話をしたの、前はいつだったろう……)


 サトウは以前の楽しい記憶をたどっていった。もう一度かみしめたかったからだ。

(ああ、そうだ……。そんなに前のことじゃないや……)


 それは、整備係や研究課の社員を交え、キセナガ開発部内の飲み会を当時の格納庫で行っていたときのことだった。

 飲み過ぎて具合の悪そうなタナカを介抱していたサトウ。

 突然、スズキがつかつかとやってきて、サトウを突き飛ばすようにして、タナカから引き離したことがあった。


(『男性が女性を介抱するな』って言っていたような……。よくわかんない言い分だよなあ……。なんかヤキモチ焼かれてるみたいでうれしかったけど……)

 サトウは、スズキをぼんやりと眺める。スズキは仕事に集中し始めたようだ。

(その前は、装甲バスの中でスズキさんが酔っ払いに絡まれたときか……。あのときは、スズキさんの護身術が炸裂さくれつする前に、俺が間に入ったんだっけ……。返り討ちに遭わなくてよかった)


 かつては軍に所属し、最前線でヌエと戦っていたスズキは、格闘術にも長けている。考えてみれば、サトウが心配することではなかったのかもしれない。

 しかし、バスの中で楽しく談笑していたときの笑顔が一転、ひどく困惑した表情になったのを見て、サトウはとっさに対応していた。

 相手にケガはさせていない。組み伏せて強化服の電源を外し、相手の動きを封じただけだ。

 ヌエが近くに現れたときに対応するために同乗している軍人に身柄を引き渡した。

 うつむき加減で照れくささ半分、うれしさ半分といった表情で礼を言うスズキの姿は、今でもありありと脳裏に焼きついている。

 サトウも謙遜を言ってそのままうつむいてしまった。


(あのあと、スズキさんがバスを降りるまで無言だったな……)

 サトウは、スズキといつまでも話したいと思った。本当に強く思った。


「サトウさんって、どうしてここの課を希望したの?」

 スズキは、そう言った。

 深い意味はなさそうだが、サトウはスズキからここまで踏み込んだ質問を受けたことがない。

「いや……。希望じゃなくて……。気づいたら、課…、あっ、次長とここにいたんです……。それと部長も……」

「気づいたら……ってどういうこと?」

「それがこの前課長が言ってた『オトナの事情』ってやつ……。詳しいことは教えてくれなかったけど、課長も部長も悔しそうだった……。あっ……課長じゃなかった。さっきの〈課長〉は〈次長〉ってことで……。自分が知ってる範囲なら話せるけど長くなるよ?」

「あっ、じゃあ、今度聞かせて? 民間企業のオトナの事情っていうの聞いてみたい……。サトウさん、ここに来る前も次長と一緒だったってことよね」

「もう、5、6年くらい……」

「付き合い長いのね」

「うん……。まあ……。スズキさんは、どうしてウチを希望したの?」

 会話を終わらせたくなかったサトウは、とっさに同じ質問を返した。

「えっ……?」

 スズキは、一瞬の沈黙の後、答えた。

「……両親と双子の妹のかたきを取りたかったの……。6年前にヌエの大襲来があったでしょ……。そのときに、〈神の使い〉の攻撃で家を壊されたところをヌエに襲われたの……」


 この世界のこの時代、特に日本では、屋外で長時間活動する以外、ヌエによる死傷率はヌエが最初に出現したときと比べて大幅に減少した。

 地下ないし半地下の施設や住居が増え、地上の建築物の補強が進むとともに、有効なヌエ対策が数多く講じられるようになったためだ。

 また、国内で確認されるヌエは、著しい大型化が進んでいるとはいえ、確認できる個体数が減っていた。

 ただし、飛行可能なヌエは他国に移動しただけで、今もなお、ヌエの個体数と、その犠牲者は、世界的に見れば増加している。


 一方で、われわれの世界で言うテロリスト、〈反社会組織〉が活動を始めたことが日本の新たな懸念材料になっていた。たとえば、スズキの言った〈神の使い〉だ。

〈ヌエの出現は、人間に対する神罰であり、人類はこれを謙虚な気持ちで受けなければならない。抗うならば、われわれがヌエを支援する――〉

 これは、神の使いが最初に出した犯行声明のおおよその内容だ。

 神の使いは、ヌエの出現以来ほとんど使われることのなかった通常兵器を国内や海外から不法に入手、それらを温存しておき、前回のヌエの大襲来に乗じて攻撃を行った。

 あらゆる都市部で同時多発的に行われ、神の使いの中には、国内の軍の武器庫を襲撃し、兵器を強奪する集団もあった。

 最も被害を拡大させたのは、高高度からの絨毯じゅうたん爆撃だった。


 ヌエに加えて人為的な攻撃を受けたことは、軍にとって想定外のことだった。

 そのため、軍の内部は、一時混乱し、状況の確認とその対応までに時間がかかってしまったのだった。

 迎撃態勢が取れるようになったころには、ほとんどの攻撃は終わってしまっていた状況だった。


 通常兵器のほとんどはヌエに通用しない。逆に個体数を増やしてしまう。現在判明している有効な撃退手段は高濃度の塩水だけだ。

 本来ヌエの攻撃から守るはずの施設や建物、住居の数多くは破壊されてしまった。そんな状況をヌエが放っておくはずはなかった。

 建物から逃げ出した人たちも、建物の奥にこもっていた人たちも、ことごとくヌエの餌食になってしまった。

 そのため、第3次日本ヌエ大襲来の際には、政府が事前にさまざまな対策を施していたにもかかわらず、想定していた死傷者数をはるかに上回ってしまったのだった。


「私は、地下の初等仕官学校の寮にいたから大丈夫だったけど……」

 18歳の時のスズキの記憶がよみがえる……。


   ***


 襲来が去った後、スズキが地下都市から地上に出たとき、そこはもう彼女の見慣れた風景ではなかった。

 いたるところに立ち上る煙、道路や建物に付着する血痕、ちぎれた強化服と人の肉片、そして干からびて転がる大小さまざまなヌエの死体……。


 ヌエの大襲来は以前にも2度経験していた。ただ、今回はひとつ違うところがある。前々回と前回は幸運にも家族と一緒にいられたことだ。


 ふと胸騒ぎがしたスズキは、復旧したばかりの装甲バスに飛び乗った。家が近づくにつれ、胸のざわめきが強くなる。

 いやな予感を押し殺して最寄りのバス停で降りたスズキ。バス停の位置から、すでに家の一部が見える。


 彼女の家には地下室といった仰々しい設備はないが、低コストながら万全のヌエ対策は施されていた。また、元軍人の父親はヌエに対する知識も深い。

 外に出るときさえ気をつければ、ヌエに襲われることはなかったはずだった。


 今となっては飾りでしかない塀が大きく崩れていた。〈飾りでしかない〉というのは、飛行するヌエに対して塀はあまり意味をなさないからだ。


 駆け寄るスズキの目にまず入ったのは、大きくえぐれた庭の地面だった。おそらく爆撃によるものだろう。

 外壁は半壊、大きくゆがんだシャッターはところどころに大きな穴があいている。爆風の影響と、吹き飛ばされた鉄片によるものだろう。強化ガラスも割れている。

 自宅の有様を見て、急にスズキの目に涙があふれてきた。現実を見たくないという気持ちがスズキの足の運びを鈍らせた。


 しかし、気持ちははやる。次第に速くなる足の運び。家に入るときには、小走りになっていた。

 壊れた壁から家の中を覗き込む。物が散乱した部屋、壁の大きな爪痕、干からびたヌエの死体。そして、ヌエの死体から家の奥へと、赤黒い血痕が伸びている。

〈お父さアアアアアん! お母さアアアアアん! キキョオオオオオ!〉

 叫びながら血痕をたどる。あふれる涙で視界がぼやける。


 だが、残酷なことに床に着いた血痕だけはしっかりと見えた。いや、しっかりと見なければならない。その先にあるものを突き止めるために……。

 血痕はある部屋に続いていた。扉が激しく壊れていて、そこにもヌエの死体が横たわっていた。

 その死体を慎重にまたいで部屋に足を踏み入れる。入り口のそばの床には、黒ずんだ大きな血の染みがあり、携帯用のホネクイ弾が空になった状態で転がっている。

 そして、血痕はそこで途切れていた。


 部屋のいたるところに細かい血しぶきが付いているだけで、家族の姿も遺体もない。床には空になったホネクイ弾が転がっている。

〈お父さアアアアアん!〉

 他の部屋の扉を一つひとつ開けていく……。しかし、誰もいない。屋内の隔壁を閉める廊下のスイッチには、指の形の血痕が付いていた。押してみたが動かない。

〈お母さアアアアアん!〉

 部屋のいたるところを探してみたが、人の気配はなかった。

〈キキョオオオオオ!〉

 家族の名を呼ぶスズキ。しかし、気持ちのどこかでは半ばあきらめていた。だが、完全にあきらめることはできなかった。


 何か手がかりはないかと、最初入ってきた場所に戻ったとき、愕然がくぜんとした。

 崩れかけた壁の近くに横たわるヌエの死体。そのそばに人の手首を見つけたからだ。ヌエの陰になっていたため、入ってきたときには気づかなかった。

 ちぎれた強化服を着けたままのその手首は、ホネクイを握ったまま、血で黒ずんだ状態で床に転がっている。

 父の手に間違いない……。スズキは、崩れるようにその場にへたり込んだ。

 へたり込んだまま、泣き続けた。泣きながら、ちぎれた手の指をホネクイから一つひとつ外していった。やがて泣き止んでホネクイから外した手を庭に埋めた。

 スズキには永遠に時間が止まったような気がした。巡回中の兵隊に保護されるまで、そこにしゃがみこんでいた。


   ***


「……というわけ。まだ、どこかで生きていると思いたいけどね……」

 現実の世界に戻ってきたスズキの声は潤んでいた。目には涙があふれていた。


 もちろん、思い出したことの全てをサトウに話したわけではない。長くならないようにかいつまんで話したつもりだ。


「ごめんね……。つまらない話をしちゃって……」

 と言って、スズキは涙をぬぐった。

「いや……。そんなことないよ……。そんなつらいことがあったんだ……」

 サトウがはっきりと答えた。

「……でねっ。軍にいればヌエと戦えるかもしれないけど、組織が大きいじゃない? ヌエと全くかかわりのない部署に配属されることだってある……。ここだったら、軍の支援業務だけど、ヌエと接する確率が高いんじゃないかって思ったの……」

 努めて明るい口調に戻して話を続けるスズキを、サトウは健気けなげに思った。


 再び沈黙……。スズキが3本目の缶ビールを開ける音が聞こえる。

「あっ……。俺も……」

 と言って、サトウは残りのビールをのどに流し込み、2本目を受け取った。

 サトウは、もっと話したかったが、次の会話の糸口がなかなか見つからない。焦ってきた。ぐびぐびとビールをのどに流し込む……。疲れた体にアルコールが染みわたる……。

「俺、今、ここで働く理由が見つかりました」

 酔いのせいもあったのだろう。サトウ本人も驚くくらいさらりと言葉が出た。

「なあに?」

 サトウにはスズキの返事が何だか甘い声に聞こえた。

「スズキさんと一緒にご両親のかたきを取ることです! 鈴木さんの本懐を遂げる助太刀をさせてください!」

 サトウの顔が真っ赤になった。酔いのせいで、もともと赤かった顔がさらに紅潮したために黒ずんでさえ見える。全ての血液が顔に集中するのを感じた。

「え……?」

 スズキのその反応を見て、サトウは自分の言ったことが伝わっていないと感じた。

(何を言っているんだ俺は。恥ずかしい……)

 サトウは自分の言葉を後悔した。しかし、それはほんの一瞬のことだった。

(いや、なんでもないです……)

 と、サトウが自分の言葉をすぐに取り下げようとしたときだった。


「あっ……」

 と、顔を真っ赤にするサトウの様子を見ていたスズキが不意に声を発した。

 そして、酒に強いはずのスズキの顔が見る間に真っ赤になってそのままうつむいた……。

 その様子を見て、同じようにうつむくサトウ。

「あっ……。いやあ……。その……。すみません……」

 一瞬の沈黙がサトウにはとても長く感じた。しかし……。

「ううん……。ありがとう……。あのう……。本当に……、ありがとう……。こちらこそ……、よろしく……お願いします……」

 スズキのかすれた声が、サトウの耳に入ってきた。

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