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【19】別れの曲

 明治維新を経験しなかったこの世界の日本では、独自の近代化をはかってきた歴史がある。

 みかどは〈法を守るおさ〉として最高裁判長の任命権、大君たいくん、つまりかつての将軍は〈法をつくるおさ〉として東西立法府の議長の任命権といった権限を〈名目として〉持っている。

 開国直後は、他にも強い権限を持っていたが、デモクラシー運動などを通して、大幅に弱められた。現代では、ほぼ儀礼的な役割しか残されていない。

 しかし、多くの有識者の間では、帝は〈法律が合憲か否かについて、裁判長から相談を受ける権利、裁判長に助言や忠告をする権利〉を、大君は〈立法の審議について、議長から相談を受ける権利、議長に助言や忠告を権利〉を有しているという認識で一致している。また、帝は廷臣党が与党のときに〈首相から相談を受ける権利、首相に助言や忠告をする権利〉も、大君は幕臣党が与党のときに〈首相から相談を受ける権利、首相に助言や忠告をする権利〉も有するともしている。これらは、相談・助言・忠告の三権とも呼ばれている。


 その日、アサギとカネサダ、神の使いが手配した男女2名は、ひとつのテーブルを囲んで話し合っていた。

神獣しんじゅうの話は、かなり興味を持って聞いていただけました。人類を救う技術ですから……。目的以外の用途に利用されたくないので、一時的に大きな権限を与えてもらいたいという、アキラ様がおっしゃっていたことも伝えましたら、こちらも検討するとおっしゃっていました」

 女の話にカネサダはうなずいた。女が話を続ける。

「幕臣党も廷臣党も民政党の躍進に歯止めをかけたいと思っていますから、できれば仕切直ししたいと考えているようです。両党ともアサギ様を推挙して、ヌエ駆除がうまく行ったら、支持率を上げられると思っているようですね。ある一定の権限をアサギ様に与えて、権限が返上されたときに、改めて選挙するといった特例法を立法したいともおっしゃっていました。現在民政党が与党ですから、今すぐの議決は難しいでしょうが、アサギ様が女王となられたら、すぐに動くとのことです。これは支援条件のひとつになっています。つまり、女王をやめられたときに、権限をもう一度国民に返すというわけです」

「なるほど、今回の選挙結果をうやむやにしたいと言うわけだ……」

 カネサダが応える。女は続けた。

「はい、それと報道を使っておふたりの知名度を上げたあと、アサギ様に1年間権限を与える法律をつくって、その後毎年選挙で存続を国民に問うそうです」

「えっ? 1年じゃ足りないよ。できれば3年、少なくとも2年はほしい……」

「わかりました……。3年で交渉して、2年あたりを落としどころにしてみます……。2年なら、まず大丈夫だと思います。あと、アサギ様への権限付与については、一部の民政党の議員も引き込むそうです。人類のためという大義名分があるので、かたくなに拒否することはできないでしょう。しかも、西の院では幕臣党が依然として第1党ですし、ほぼ間違いなく行けると思います」

「わかった。よろしく頼むよ」

 カネサダの返事の後、女の話を男が引き取った。

「姫様の称号も決まっています。〈獅子王〉です」

 話を聞いてカネサダがアサギのほうを見た。カネサダの視線に気付いてアサギも見返したが、表情の変化は特になかった。

 男が話を続ける。

「名前は(ぬえ)伝説にちなんでいるとのことです。すごいことですよ、400年ぶりの宣下になりますから……。まず、京都御所地下で帝から宣下を賜り、その後、江戸城地下で獅子王そのものを大君からお預かりするという段取りになっています」

「〈獅子王そのもの〉ってどういうこと?」

 アサギが聞いた。

「刀です。900年以上前に源頼政(みなもとのよりまさ)が鵺を退治した後、帝から賜ったと伝えられています」

「そんな古いものが残っているの?」

「そう伝えられている刀が博物館にあります。それを使うのでしょう」

「ふうん」

 アサギの気のない反応をよそに、男は話を続ける。

「姫様の執務場所については、江戸城地下を間借りさせてもらう予定です。まあ、幕臣党議員や官僚たちの目の届くところにいてもらいたいんだと思いますよ」

「わかった。別にどこでもいいし、こだわっていない……」

「そうですか……」

 男はそう答えて、アサギの顔を見た。

「姫様、余り乗り気でないのはわかります……。もとはと言えば、われわれが巻き込んだのですから……。ですが、お爺様もわれわれも少なからず期待していることを心にお留め置きください……。神獣をつくりヌエをこの世からなくし、廷臣党が民政党との連立を条件に可決した、われわれには受け入れがたい法律を排除する……。全ては望みません。われわれが望む世界の〈足がかり〉をつくっていただきたいのです」

 男の言葉に、アサギは(ハイ、ハイ)とでも言いたそうに何度もうなずいた。

 男は続ける。

「姫様、権力を獲得したら、〈油断しない。無理しない。過信しない〉という〈3ない〉を心に留めておいてください。これはササキ様がよくおっしゃっていた言葉です。姫様……、姫様がホソダで働いていたときに、女性社員が姫様のキセナガに細工した事件があったと思います」

「アタシが死にかけたやつね……」

「あの女性社員は、もともと姫様に接触させるために、神の使いが送り込んだ者です。友好的に接近しろと指示していましたが、神の使いの幹部が姫様に執着することに嫉妬し、あのようなことを起こしたのです。あの一件があったときも、〈3ない〉を実施できていなかったとササキ様は悔やんでおりました」

「要は人を信用するなってことね?」

「それは極端ですが……。つまり、人と関わり合いになる限り、何でも思い通りに事は運ばないということです。上の立場に立たれたらなおさらです。ですから、われわれの計画も控えめにしていますし、最低限の目標さえ達成できればと思っています」

「うん、わかった……」

「ありがとうございます」

 男は頭を下げて、話を続けた。

「あと、ご報告がもうひとつ。われわれと神の使いとの関係は、遅かれ早かれどこかに漏れるでしょう。ですから、廷臣党と幕臣党とにつながりの深い報道機関がアサギ様を応援してくれるという確約ももらえました……」

「交渉事は全てお任せしているから口出しはしたくないけど、全部話しちゃったわけ?」

 カネサダが言った

「まさか! 全ては話していません。人質とはいえ、一時的にでも神の使いに接触しているから、いろんな噂が出てくるだろう、そのときにお願いしたいということを伝えただけですよ」

「なるほど……」

「姫様が女王になった時点で、われわれのほうからも神の使いと民政党との関係を報道に流します」

「よろしく頼むよ。それとアッチの話は進んでるかな?」

「強化型キセナガの開発者ですか?」

「そう。タカハシ君と言ったっけ? 僕の計画をぜひ手伝ってもらいたいから、よろしく頼むよ。早くからヌエとキセナガの融合に目をつけるなんてただ者じゃないからね」

「そのことなんですが、ヌエの細胞に目をつけたのは、家族を失ってからのようですね。いっぺんに失ったようではないですが、次々とヌエに襲われたそうで……。今まで調べたところによりますと、息子さんの遺体だけがきれいな状態で、それを保存しているようです。お酒が入ると息子を生き返らせることが夢だなんて話を周りによくしていたという話も聞いています。それをきっかけにホソダのキセナガが飛躍的に発展し、実際にはミツバ製よりも早く実用化にこぎ着けたようですね」

「ふ~む。本人から直接詳しく聞きたくなる話だね」

 カネサダが言った。

「まあ、今、詳しく話したところでおそらく信用してもらえないでしょうから、本格的な接触は姫様が女王になってからになりますが、それでよろしいでしょうか?」

「うん、それでお願いするよ」


 半年後――。

 アサギは江戸城地下にある執務室にいた。部屋の奥に備えられた立派な席に座ってはいるが、端から見ても退屈そうなのがわかる。彼女を席に引き留めているのは、祖父に役立ちたい想いと、今までよくしてくれた元神の使いの構成員に対する恩返しに似た気持ちだ。

 アサギの席の両脇にはボディーガードが控えている。しかし、そういう慣れていないアサギは、何となく落ち着かない。

 また、報道では〈人類の救世主〉とか、〈女王〉などと担ぎ上げられているが、何でも自由になるわけではない。

 しかも、アサギが執務に忙殺されているわけでもない。アサギの身の回りのことのほとんどは例の男女が、行政のことについては、例の男女を通して官僚が通常通り進めてくれている。民政党のイノウエ内閣は完全に有名無実化しようとしていた。

 立法に関しては、幕臣党と廷臣党がアドバイザーをつけてくれた。ヌエに関する特例法はすんなり通ったが、その他の恒久法は世名評定(議会)での審議と東西両院の議決を必要とした。

 一部の議員や報道はアサギのことを〈特別な権限が与えられたヌエ対策大臣にすぎない〉と揶揄(やゆ)したが、もともと興味のないアサギが気にするはずもなかった。


 アサギに内線が入ってきた。

『イノウエ様がいらっしゃいました』

「わかった。通して……」

 アサギは答えると、大きな椅子の背もたれに体重をかけ、目をつむった。

 やがて、民政党党首、イノウエがノックもせずに部屋に入ってきた。アサギはそのまま目をつむっている。

「アサギ! これは、どういうことだ! ヌエにかこつけて、われわれが過去に通した法律を全て廃案にする気か!?」

 イノウエは、応接用のテーブルの上に書類をたたきつけた。ばらばらになった紙がテーブルの上を滑り、その何枚かがはらりと落ちる。

「恒久法に関しては、東西両院の議決が必要なのは知っているでしょう。評定で否決すればいいじゃない」

「フッザケルナァ! お前が首相であるオレに代わって東の院を解散させるのだって知っているんだ!」

 そう言って、イノウエは応接テーブルの脚を蹴った。

「解散後は国民の判断に委ねるんだから、私のせいじゃないわ……。あなたの党が次に勝てるかどうかは知らないけど……」

「これは、祖国のために必要なんだ!」

「あなたの祖国は、この日本? それとも曾祖父の国? どっち?」

 アサギはようやく目を開いた。少しの沈黙の後、イノウエが続けた。

「お前! さっきから、アナタ、アナタと、父をアナタ呼ばわりするのか!?」

「私はあなたのことを父だと思ったことはありませんが……。あと、イノウエさん、お前という言葉は穏やかではないですね……」

 アサギが続ける。

「あなたはもう終わりです……」

 イノウエが両手が小刻みに震えている。そこにアサギがたたみかけた。

「家族や仲間がいるから、あなたは当たり前のように裏切る。だけど、そのうちその裏切る相手もいなくなりますよ」

「ウワァァァァァァ!」

 奇声を上げて応接テーブルの上を乗り越え、アサギの席に向かっていくイノウエ。応接テーブルを下りる瞬間にボディーガードに無言で取り押さえられた。

 アサギは、机を叩いて、

「つつしめ、無礼者! 獅子王の前なるぞ!」

 と、怒鳴った。

 イノウエは、無言のボディーガード2人に引きずられるように、すごすごと部屋を去った。

 やがて、イノウエを部屋の外に連れ出したボディーガードは、何事もなかったようにアサギの両脇に戻ってきた。

「いやあ、スッキリした! あ~言ってやったぞ! 特にイヤなヤツにはいいね……。うん、いいよ!」

 先ほどの自分の行動について照れを隠すように、アサギはボディーガードに聞こえよがしに言った。ボディーガードの反応を見るアサギ。そのひとりの表情がゆるんでいた。

 江戸城地下を出るイノウエ。

「アァァァァァァ! クソッ! 次の手を考えなくては……」

 と、出口に控えていた部下に言った。

 しかし、アサギが東の院を解散してまもなく、イノウエが暗殺された。犯人は、神の使いの元構成員を名乗った。すでに報道が取り上げていた民政党と神の使いとの関係について信憑性が増し、大衆の多くが確信するところとなった。


 この1年、周りのアドバイスを受けながらアサギ自身が提案し、可決した法律を見ていこう。

1.ヌエ駆除用の人造生物〈神獣(しんじゅう)〉の実用化と量産化の予算。

1.労働力不足解消のための人造人間開発の予算。使用者に抵抗がないように外見を若干人間と変え、脳部分を最低限度の容量にし、入力した命令以外の行動はしないように制御した人型生体機械。

1.ヌエ駆除後の地上復興事業に土木機器として生体甲殻機を使用する際の補助金。激減が予想される生体甲殻機の需要を少しでも下支えするための処置。

1.生体甲殻機用闘技場の建設と剣闘士の養成。これも、ヌエ駆除後に激減が予想される生体甲殻機の需要を少しでも下支えするための処置。

1.直接的および間接的手段によるヌエ駆除妨害の禁止。これは、別の法律で逮捕できる反社会的組織を対象としたものではなく、〈ヌエも自然の生物〉と信じる一部の過激な自然保護または動物保護団体を牽制する法律。

1.完成後の神獣について、その製造ノウハウを他国に供与する行為の禁止。他国で神獣の製造方法を生物兵器に転用する行為を防止するのと、神獣の輸出を日本の産業にすることを目的とした法律。


 一方、アサギの祖父、カネサダは、望みどおり、共同開発者としてタカハシを引き入れることができた。〈フカガワ生体工業〉に恩を感じていたタカハシは、すぐに話には乗らなかったが、国からの要請という形をとって呼び寄せたのだった。

 しかし、神獣の実物を完成させたころ、カネサダは体調を崩しがちになり、時折寝込むようになった。

「今の僕の技術じゃ、見た目だけ若くすることはできても、中身まで若くすることはできなかったってことだよ。そもそも、若返りそのものが目的じゃないし、僕の夢の神獣がここまでできれば、思い残すことはないよ」

 カネサダは冷静に受け止めていた。


 2024年春――。

 しかし、高濃度の塩水が高高度から定期的に散布される大都市では、サクラの木1本見られない。しかし、人々の心は、晴れやかだった。

 この日、神獣の開放式が行われ、全国の大都市で一斉に数十匹の個体が解放された。

 神獣の大きさは大型のヌエと同じくらいで、外見は西洋のドラゴンに近い。全体が青みがかっていて翼がついている。捕食対象はヌエだけで寿命は最長5年。生殖器がないため、自ら繁殖するはできない。

 しかし、どの都市の式典にも、獅子王アサギと生みの親のカネサダの姿はなかった。

 アサギは、個室の病床に伏せるカネサダの手を握っていた。病院の医師から、カネサダの余命は長くないと連絡を受けたからだ。アサギの向こう側にはタカハシが座っている。

「おじいさん……」

「ああ……。アサギ……。そこの……音再機おんさいきで……ショパンの……『別れの曲』を……」

「おじいさん……やめて! 諦めたようなこと言わないで!」

 語気を強めて言ったアサギ。しかし、その声は、かすれ、ふるえていた。目にためていた涙が、言葉とともに、つうっとこぼれた。

「別れの……曲……」

 頭を起こそうとするカネサダを見て、慌てて立ち上がったアサギとタカハシ。

「オレがするよ……おじいさんについていてあげなさい」

「ありがと……、ジチョウ」

 タカハシに礼を言うと、アサギはすぐに座った。

「アサギ……今まで……つきあってくれて……ありがとう。いや……つきあわせて……悪かった……」

「そんな……。アタシ、行くあてなんてどこにもないよ!」

「頼るところがなかったら、僕がタカハシ君に教えた場所に行くといい……。タカハシ君……タカハシ君……」

「ジチョウ……」

 弱り切ったカネサダの声を補うようにアサギがタカハシを促した。

「うん……」

 音楽プレーヤーのスイッチを入れたタカハシが座った。

 ショパンの『別れの曲』が部屋に満ちる。

「タカハシ君……。すまん……あとは頼んで……いいかな」

「もちろんです。最後まで始末をつけます。大丈夫ですよ。ハカセが敷いてくれた線路を進むだけですから……」

「タカハシ君の…夢を……手伝って……あげられなくて……すまない。僕の……仕事に……区切りがついたら……あの場所に……行きなさい……。規模は……小さいが……いろいろな設備が……整っている。みんな……手伝ってくれるはずだ。話は……僕からしておいた……」

「ありがとうございます……」

「こちらこそ……先に……逃げてしまうようで……心苦しい……」

 それだけ言って、本人も少し苦しそうに息を荒くした。音楽だけが聞こえてくる。

「アサギ……眠くなった……少し……眠るよ」

「おじいさん、少しだけよ……。 必ず起きてね……」

 アサギは、カネサダの右手をさらにぎゅっと握る。

 カネサダは、左手をぷるぷるとふるわせながらアサギの手にそえ、アサギの気持ちに応えようとした。

()かないで……! ひとりにしないで……!」

 アサギの目から涙がぼろぼろとこぼれた。

 カネサダの意識が、病室から病棟、病棟から地下通り、地下通りから出口へ駆け抜ける。地下都市の扉を抜け、上空で振り返ると、そこに江戸城が見える。

 地下都市の出入口が開くと、向こうに大型のおりが見えた。

 拍手と歓声ともに檻が開き、大きな咆哮ほうこうをあげながら、1匹、また1匹と青い神獣が飛び立っていく。

 神獣は、空を何度か旋回すると、やがて青空の中に吸い込まれていった。カネサダの意識が、神獣の1匹を追う。

 地下都市の工事区で生体甲殻機を挑発する中型のヌエがいる。

 神獣は、上空からそのヌエに狙いを定め、急降下すると、

〈ピキイイイイイ!!!!!!〉

 足のかぎ爪で捕まえ、一気に上空へと上っていった。

 カネサダの意識は、充足感で満たされながら遠のいていった。

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