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【15】攻めるも守るも

 その夜、午前0時――。

 万年橋という6車線の巨大な跳ね橋の両脇に生体甲殻機が1機ずつ潜んでいる。2機とも、体の半分以上を運河の水の中に沈め、さらに巨大な灰色のシートをかぶっている。熱を遮断する〈隠れ布〉だ。軍から借り受けたものだが、しっくりと闇夜にとけている。本来はヌエに察知されないように使用するものだが、これから来ると予想される反社会的組織の偵察を想定しての措置だ。目視でも温感でも察知するのはかなり困難だろう。

 他に、通り沿いの建物の路地に立っている生体甲殻機が2機、別の通りではヌエと格闘しているものが2機、寺院の門に立っているものが2機、計8機がこの築地界隈かいわいに待機している。

 町方の偵察班は、築地大橋のたもとにあるうち捨てられた建物から、橋の向こうの様子をうかがっている。

 ミツヨが指揮者のモニターを見ながら無線を手にし、ヌエを駆除している2機に連絡を入れる。

『警ら中の2機、増援大丈夫ですか?』

『今、ホネクイを刺せました!』

 ミツヨは各生体甲殻機の映像を指揮車にいながら確認することが可能だ。

 警ら班とミツヨのやりとりの後、偵察班からの無線が入ってきた。

『賊が出てきました!』

 隊員に緊張が走る。

『了解! 各員準備!』

 ミツヨから指示が入る。

 対象が目標地点に来るまで1分前後。

 万年橋のたもとにいた2機の生体甲殻機がもぞもぞと動き出した。まだ隠れ布をかぶったままだ。

 ヌエを駆除した生体甲殻機2機が急いで大通りの路地に向かう。

『賊のキセナガ6機、全速力で疾走中!』

『跳ね橋を上げろ! 捕縛班は投網弾を用意!』

 偵察班の報告を受けてミツヨの指示が飛ぶ。

 跳ね橋の管制室にいる係員がスイッチを入れる。

 信号機が赤になり、万年橋がゆっくりと上がり始めた。同時に他の跳ね橋も上がっているにちがいない。

 両脇に控えていた2機の生体甲殻機は、隠れ布をかぶったまま、頭と砲身を道路に出した。道路から見ると胸から上が見える状態だ。

 道路側から見て左側にいるのはアヤメ機だ。布の陰から頭部の鍬形くわがた風の装飾がちらりとのぞいている。

 右側にいるのが派手な塗装の生体甲殻機を操るヤマザキだろう。

 自分のほうに向かってくる神の使い一行の姿を、ヘルメットのモニターにはっきりと捉えていた。

『今、本願寺を抜けました!』

『発砲! 門番班もあとを追え!』

〈ドドンッッッッッッ!〉

 相手の進行を妨げるように路面を狙って、アヤメ機とヤマザキ機がほぼ同時に発砲した。

『戦車が橋の上に2台出てきました!』

「ダメ押しでもう1回!」

 戦車の報告にはかまわずに、アヤメ機のモニターを指揮車から見ていたミツヨが別の指示を出した。

 戦車がいたとしても、持ち上がった跳ね橋が砲弾の遮へい物代わりなると考えたからだ。

〈ドドンッッッッッッ!〉

 2機がほぼ同時に発砲する。敵の隊列の動きが完全に止まった。

 先頭の生体甲殻機2機は、およそ通常の生体甲殻機では考えられない動きで通りの端の建物まで飛び退いた。

 一方、残りの敵機4機はその場で身を伏せている。

『拘束ぅぅぅ!』

〈パシュッ、パシュッ……〉

 建物に隠れていた生体甲殻機4機が一斉に投網弾を発射した。段取り通り、手近な目標を狙った結果、敵機3機が網にかかった。残念ながら、1機に網が2重にかかり、1機を漏らしてしまった。

 築地本願寺から敵を追っていたサクラたち門番班も近づいてくる。

『もう1回! かかってないやつを狙え!』

〈パシュッ、パシュッ……〉

 ミツヨの指示に従って、投網弾を浴びせる。かけ漏らしていた1機にも網がかぶせられた。

 先頭の2機も狙ったものの、素早くかわされてしまった。

 しかし、相手は明らかに恐慌状態におちいっている。

『確保ぉぉぉ!』

 建物の陰に隠れていた僚機4機が通りに飛び出て、網の中の敵機に組み付いた。どの機体も電撃棒を手にしている。


 一方、奇襲を受けたものの、投網弾を逃れることができたアサギ機とキムラ機。身を低くした状態で周囲の状況をうかがうと、僚機4機が次々と網に覆われていた。

『姫! 閃光手投げ弾を……!』

 次の状況を察したキムラがアサギに無線を入れる。キムラ機にならって、すぐに閃光手榴弾を取り出すアサギ機。

〈ドドンッッッッッッ〉

 手榴弾を手にして構えてたキムラ機の頭が吹っ飛んだ。アヤメ機の戦車砲だ。

 一方、手にしていた5×5式散弾拳銃をいったん戻し、閃光手榴弾を取り出すまでにやや手間取っていたアサギ機は、運良くヤマザキの一撃をかわすことができた。たまたま頭を深く下げたためだ。

「どうしたらいいの!?」

 首から血煙を上げるキムラ機を見て、急に不安に襲われたアサギ。閃光手榴弾を取り出した後のことは、キムラから聞いていない。

『姫! 逃げてください! 建物の上に!』

 アサギは無線に従って、一番近くにある3階建てのビルの屋上にすっと飛び乗った。

〈ドドンッッッッッッ!〉

 その直後、アヤメとヤマザキの放った2発が建物の外壁を削った。

 この世界のこの時代、築地あたりには旧市街と呼ばれ、われわれの世界でいう昭和初期の街並みが続いている。しかし、定期的に散布される高濃度塩水により、石づくりの建物とはいえ、鉄骨部分などの至る所がさび付き、赤茶けている。

「キセナガってあんな動きできるの……!?」

 アサギの動きを目撃したアヤメは自分の目を疑った。

『その気になればできるよ。アヤメさんのキセナガもね……』

 生体甲殻機運搬トラックから同じ画像を見ていたタカハシから無線が入った。タカハシは支援班として築地本願寺の境内に控えている。


 頭部を失ったキムラ機が胸の装甲板を外す。首の出血はもう止まっていた。キムラ機の両鎖骨の辺りに2つの目と鼻が現れた。照準を合わせることはできないが、接近戦ならまだ戦える。

『どうしたらいいの!!』

 建物の屋上に上がったアサギ機から再び無線が入ってくる。

 生体甲殻機の視力を再び取り戻したキムラの目に入ってきたのは、敵機に組み付かれている味方4機の姿だった。キムラが予想したとおり、敵は味方を網に絡めてから捕獲するつもりだ。網に覆われた味方機は、ほとんど抵抗できない。

「光るぞ! 各機遮光状態に!」

 と言うと、網にかかった4機のいる中心を目がけて、キムラ機が閃光手榴弾を放つ。

「姫も閃光手投げ弾を!」

 と言って、鎖骨にある目を両手で覆った。

 目の部分を新機能の遮光モードにするアサギ機。キムラ機に続いて屋上から閃光手榴弾を投げ込んだ。

〈ドドンッッッッッッ〉

 アヤメ機とヤマザキ機がなおもアサギ機の足元を狙ってくる。建物の縁が大きく削れる。

「敵機の動きが止まったら、頭に散弾を見舞ってやりましょう」

 と、キムラが言った次の瞬間、強烈な光が辺りを包み込んだ。その光がやや弱まったかと思うと、さらにまぶしくなった。アサギがあとから投げ込んだ閃光手榴弾が炸裂さくれつしたのだった。

『うわッ! 何だこれは!』

 味方機と同じ映像を見ていたミツヨが思わず叫んだ。ミツヨが初めて見る生体甲殻機用の武器だった。


 網に捕らわれた生体甲殻機に組み付いていた町方の機体の動きがぴたりと止まった。

 あとから追ってきたサクラたち門番班の足も止まった。

 戦車砲の弾倉を交換していたアヤメ機とヤマザキ機は、幸いほとんど影響を受けていなかった。


 閃光が小さくなるのを見計らって、5×5式散弾拳銃を手にしたアサギ機とキムラ機が町方の生体甲殻機4機に襲いかかった。建物の屋上から飛び降るアサギ機。キムラ機は側面から敵機に肉薄する。

 町方の機体は、まぶしそうに手を顔にかざし、よろめいたままだ。

〈ドンッ、ドンッ……〉

 頭部を撃たれた町方の機体が次々と倒れていく。

『みんな大丈夫か! ケガはないか?』

 味方機のモニターが次々と消えていく様子に気をもんだミツヨが無線を入れた。

『大丈夫です!』

『やられました! すみません……』

『クソッ、動けません!』

『ケガはありません』

 操縦士は全員無事なようだ。


 ようやく味方に追いついたと思ったとたん、閃光手榴弾の不意打ちを食らったサクラ機。強烈な光で焼き付いたモニターがようやく復帰したとき、正面に見えたのは、キムラが操る首のない生体甲殻機だった。

 キムラ機の銃口が見えた次の瞬間、体をひねりながら素早く相手の間合いに入ったサクラ機。そのまま相手の右腕を両手でつかみ、相手の体勢を崩しながら、その右腕を背後から締め上げた。

 このような芸当がサクラ機にできたのも、照準の効かない状態で確実にサクラ機を仕留めようと、キムラ機が近づいたためだ。サクラ機の反応は、キムラには想定できない動きだった。

「作戦失敗! 全員自爆! 姫はお逃げください。レガトゥス! 申し訳ありません」

 機体の右腕を締め上げられたキムラが無線を入れる。

『りょうかい……』

 ササキからは力のない返事が返ってきた。その声は心なしか震えている。

「やめて!」

 アサギが言った。門番班の1機、つまりサクラ機の僚機の頭部を破壊した直後だった。

「みんな! 自爆は待って!! これは姫の命令です! みんなで帰ろ!」

 と叫んで、アサギ機がサクラ機に向かっていく。サクラ機は、キムラ機を盾にしながら、その腕の関節を外しにかかる。キムラ機の銃を使えなくするためだ。生身の人間と違い、痛みを感じて銃を放すことはないと考えたのだった。


 指揮官のミツヨが指示を送る。

『狙撃班! 賊の動きをとにかく止めろ。奴らを逃がすな!』

「網にかかった敵の頭を削れる? 私は素早いほうを狙うから」

 ミツヨの無線を受けたアヤメが、ヤマザキに言った。

『やってみるよ』

 ヤマザキが応じた。4機のうち2機は電撃棒を受けて沈黙しているが、残り2機はまだもがいている。しかも、今にも網から抜け出しそうだ。


 一方、迫り来るアサギ機に対して、キムラ機を盾にしながら防御態勢を取るサクラ機。アサギ機はサクラ機の手前で大きく跳躍した。

(!!!!!!)

 サクラは驚愕きょうがくした。生体甲殻機としておよそあり得ない動きだったからだ。サクラ機は、アサギ機が着地しそうな方向にキムラ機を突き放すと、背中に提げていた戦車砲を構え、その引き金を絞った。

〈ドンッッッッッッ!〉

 建物の外壁がはじけ、穴が開いた。もっとも、サクラは確実に狙ったわけではない。敵の素早い動きから来る恐怖心が、そうさせたのだった。敵機と異なり、町方の機体が現在持っている生体甲殻機用の武器は戦車砲しかない。しかも、右腕は塩水弾、左腕は塩水噴射器と、対ヌエ用の武器になっている。

 アサギ機はキムラ機を受け止めると、抱えたまま身を伏せる。

〈ドンッッッッッッ!〉

 砲弾が頭上をかすめる。アヤメの撃った砲弾だ。

『姫!』

 アサギ機の無線にササキの声が入ってきた。

〈ドンッッッッッッ!〉

 網で捕らわれた生体甲殻機の頭部が破裂した。神の使い側の機体が、ようやく網から頭を出せたところをヤマザキが狙い撃ちしたのだった。

「逃げられるひとから逃げて! 私がおとりになる!」

『姫! お逃げください!』

 ササキが叫んだ。

「イヤ!」

『姫ぇぇぇ!』

 キムラも叫んだ。

 アサギ機は2人に耳を貸さず、キムラ機を横たわらせると、全速力でアヤメ機とヤマザキ機のほうに迫る。キムラ機を放っておいたのは、なるべく標的にされないようにするためだ。

〈ヴゥゥゥゥゥゥ、ヴゥゥゥゥゥゥ……〉

 腕の機銃で牽制射撃をしながら、橋のたもとにいる2機に迫るアサギ機。

〈ドンッッッッッッ!〉

 アヤメ機が戦車砲を撃つ。

 わずか4~5歩のことだが、建物の壁の上を利用して駆けてくるアサギ機。

〈ドドンッッッッッッ!〉

 外壁を走るアサギ機を挟むように、ヤマザキ機とサクラ機がほぼ同時に発砲する。しかし、アサギ機にはかすりもしない。移動スピードに照準が追いつかないのだ。

(あり得ない……)

 と、アヤメが思っている間にぐんぐん迫り来るアサギ機。その時間わずか数秒あまり。

 他に武器がなく、勝てないと判断したヤマザキ機は、運河に潜った。

 ヤマザキ機が逃げたのを見て、アヤメ機に標的を変えたアサギ機。

〈ヴゥゥゥゥゥゥ、ヴゥゥゥゥゥゥ……〉

 牽制射撃をしながらアヤメ機に迫る。

(!!!!!!)

 狼狽ろうばいしたアヤメ機も慌てて運河に飛び込んだ。

〈ドンッ、ドンッ、カチッ、カチッ……〉

 橋のたもとから、アヤメ機が潜った辺りに向けて、残り2発の散弾を撃ち込んだアサギ機。運河の水面にいくつもの水柱が立ち、水面が濁った。アヤメ機が被弾したようだ。

 アサギ機は、それ以上追って運河には入らなかった。ヌエ幹細胞をもとにしている生体甲殻機が汽水域に入ったら、体の自由がきかなく恐れがあると判断したからだ。何しろ背後にはもう1機の敵、サクラ機が残っている。

 アサギ機が振り向くと、サクラ機が猛スピードで迫っていた。弾の切れた散弾拳銃を慌てて右腰に収め、左腰に提げていたもう1丁を取り出すアサギ機。

 迫り来るサクラ機の背後には、網の中で生き残っていた最後の1機がひざまずき、背筋を伸ばしたまま、人間で言う頸動脈あたりから血を吹き出していた。

 サクラ機は、戦車砲ではなくホネクイを握っている。

 サクラは、なかなか当たらない戦車砲に業を煮やし、何も持たないよりはいいと、得意の近接武器のひとつ、ホネクイに持ち替えていたのだった。確かに、ホネクイの鋭い刃先で関節部分や装甲板の間を狙えば、相手の動きを止められるだろう。しかし、一般のパイロットにしてみれば、かなり困難な技だ。ただ、サクラには自信があったし、ほとんど動けない機体が相手ではあったが、実際に今しがた1機倒している。

 アサギにいい知れない怒りがこみ上げてきた。味方をひとりも助けられない自分に対する怒り、奇襲をしかけてきた相手に対する怒り。

「くぉのおぉぉぉぉぉ!!」

 右手に持ち替えた散弾拳銃を向けるアサギ機。しかし、すでにサクラ機の間合いだった。

 サクラ機のホネクイが、引き金を絞るアサギ機の右腕を払う。

〈ドンッ〉

 虚空に響く砲声。

 払った瞬間、ホネクイの切っ先がアサギ機の喉元に襲いかかる。とっさに左手でホネクイを受けるアサギ機。

〈プシュゥゥゥゥゥゥ……〉

 アサギ機の左手を貫いたホネクイの切っ先から塩水が吹き出す。

 ホネクイの設計上、幸いなことに、ホネクイは左手を貫通して止まっている。そのまま喉を貫かれることはなかった。

 払われた銃口をとっさにサクラ機に向けるアサギ機。

 一方、ホネクイから手を放して、その右腕に組み付くサクラ機。

 次の瞬間、アサギ機は仰向けに倒れていた。サクラ機が体術を使ったのだった。

 何をされたのかアサギにはわからないまま、サクラ機が腰から取り出したホネクイ弾をアサギ機の首筋に突き立てていた。

 飛び散った返り血がサクラ機の顔にかかる。

 ホネクイ弾とは、対ヌエ用の小型塩水注入弾で、その形状は、例えればクロスボウの矢、あるいは尾羽の付いたクナイのようになっている。サクラはそれを手持ちの武器として利用したのだった。

 頸動脈を切断しようと、下顎と首の間に突き立てたホネクイ弾をねじり動かすサクラ機。生体甲殻機の体液が霧状の血となってサクラ機の顔面を真っ赤に染める。月明かりの中ではそれが漆のようにつやつやと黒く光っていた。

 脚をばたばたとさせたかと思うと、やがて体を痙攣けいれんさせるアサギ機。

『姫!』

『ひめぇぇぇぇぇぇ!』

 キムラとササキの叫び声を無線越しに聞いていたアサギの目には涙がほろほろとこぼれ落ちていた。

 サクラ機は、その力を緩めない。体を震わせていたアサギ機は、やがて全身を弛緩させた。

 そのときのサクラは分からなかったが、生体甲殻機の動きが止まったのは、神経回路の切断でも、失血でもなかった。ホネクイ弾の塩水が作用したのだった。


『……キムラです。隙を見て姫を回収します』

『……よろしく頼む』

 キムラがササキに無線を入れた。キムラ機は頭部を失い、右手の自由がきかないものの、歩いたり走ったりすることは問題なくできる。

 視界にアサギ機の様子が入るようにと、倒れたまま静かに体の姿勢を変えていたキムラ機は、状況を見てアサギを説得し、ともに離脱しようと考えていたのだった。しかし、アサギ機はもう動かない。

『レガトゥス! 姫が倒れた今、私たちも始末をつけます』

 動けなくなった生体甲殻機に乗る女性隊員の声が聞こえてきた。

「……」

 ササキは返事をしなかった。

 新佃島の仮設本部で各機のモニターを見ていたササキは、いらだたしそうにその場をうろうろとすると、地図が乗っていた仮設テーブルを蹴り倒し、さらにテーブルの裏を蹴りつけた。仮設テーブルは悲鳴のような音を立てて床を滑った。

「急いで撤退準備だ……」

「撤退準備! 急げ!」

 ササキの小さな声を拾った部下が、大きな声で周りに指示した。


 一方、動かなくなったアサギ機を見て、おもむろに立ち上がったサクラ機。

「賊のキセナガ、全機沈黙しました」

 ミツヨに無線を入れ、目の辺りに付いていた返り血を手でぬぐうと、ホネクイをアサギ機の左手から引き抜いた。

『ご苦労さん。動けるキセナガは、賊の搭乗員を確保せよ』

『了解!』

 運河の水面から首を出していたアヤメ機とヤマザキ機からも返事がきた。

〈ボンッ、ボンッ、ボボンッ……〉

 次の瞬間、サクラの耳に鈍い破裂音が入ってきた。

 音の出所を探るように振り向いて、モニターを拡大すると、動きを止めたはずの敵機4機の周りに装甲や肉片が一面に飛び散っているのが見えた。同じく動けなくなった味方機の体にも、その肉片や血糊が付着している。

『どうした?』

 サクラ機のモニターを見ていたミツヨから無線が入る。

「今確かめます」

 と、答えて慎重に近づくサクラ機。ホネクイの柄で1機を押してみたが、動かない。仰向けにすると、腹部に大きな穴が開いていた。自爆をはかったようだ。

「賊は自決したようです。おなかに穴が開いています」

『……そうか、後で詳しく確認しよう。今から全車、そちらに向かう』

『了解』


(いまだ!)

 キムラは、サクラ機がアサギ機のそばから離れたのを見逃さなかった。素早く身を起こすと、一気にアサギ機のそばに駆け寄る。体が自由に動かないとはいえ、その時間わずか10秒弱。しかし、その10秒は、キムラにとってとてつもなく長く感じた。

 自爆した生体甲殻機を確認しているサクラ機は気付かない。正面には誰もいない。アサギ機とヤマザキ機は運河を泳いで橋のたもとに戻っている途中だ。

 機能を停止したアサギ機は腐食しはじめていた。キムラ機は、その腹部に左手を突っ込み、アサギの入った操縦室を抜き出すと、すでにほぼ垂直に立った跳ね橋のトラス部分を踏み台にし、ぱっぱとジャンプをして運河の向こう側に姿を消した。

 ようやく運河からはいずり出たアヤメ機とヤマザキ機は、敵機が軽業師のように橋を越える様子をただ見ているしかなかった。それほど一瞬のことだった。


 やがて、ミツヨ率いる支援班の車両が現場に到着した。生体甲殻機のむくろがいくつも転がっている左車線を避けて右車線に停車した。

「照明をつけて、あれを照らしてくれ」

 ミツヨは生体甲殻機の遺体が折り重なっている場所を指差して、指揮車の運転手に指示をした。続いて気を利かせた他のトラックも照明をつける。

 次の瞬間ミツヨは眉をひそめた。狭い窓から、生体甲殻機の血で真っ黒に塗れた路面が見えた。首のない機体や腹部に陰ができた機体が照明で闇に浮かび上がっている。

 その場所で僚機の腹をまさぐり、味方の操縦室を取り出すサクラ機の姿も見える。

「サクラ、味方を助け出したら、賊の生存者がいないかも確認してくれ」

 ミツヨが無線を入れた。

『了解』

 サクラから返事が返ってくる。

「収穫はなしか……」

 ため息をつくミツヨ。

「襲撃を阻止しただけでも手柄ですよ」

 気を遣った口調で答える運転手。

「全員自決とは、徹底しているな……」

 ミツヨがつぶやいた。

 一方、タカハシは、トラックをアサギ機のそばにつけていた。トラックの照明をアサギ機に向けると、車内にあった水筒を手にして、大胆にも車から降りてアサギ機の〈遺体〉を確認していた。

 アサギ機は、装甲服を残してほとんど融解していた。かすかに〈シュー〉という音が聞こえる。ヘルメットのバイザーを開けるタカハシ。薬品のような臭いが鼻孔を突いてくる。

『タカハシさん。脚やられちゃった……』

 気まずそうな口調でアヤメから無線が入ってきた。

「ん? ああ……、骨折してなきゃそのうち治るよ」

 気のない返事をしたタカハシは、水筒の中身を開けて水気をよく切ると、消えかけているアサギ機の肉片を詰めていった。

 ミツヨの無線が聞こえる。

『……とにかく、ケガ人が出なくてよかった。後の処理は別の隊に任せますので、いったん本部に帰って態勢を整えましょう。破壊されたキセナガの補償については、本部で係の者が説明します。ご安心ください』

 穏やかな口調に戻っていた。


 同じころ、ササキは、脚の付け根辺りを何度も叩きながら、部下のそばで行ったり来たり落ちつきなく歩いていた。

 部下たちは、ササキに気遣いながらも、一切声をかけずに、撤収作業に奔走ほんそうしている。

 建物の外では、唯一残ったキムラのキセナガと、ほとんど役立てることができなかった戦車2台が揚陸艇に積み込まれている。

「完全にしてやられた!」

 床を踏みつけるように歩くさまは、まさに〈地団駄踏む〉という形容がふさわしいかもしれない。

「民政党がこれほど早くしかけてくるとは……」

 そばで仲間と撤収作業を行っている事務方の部下の肩を、ササキが突然、がしっとつかんだ。

(ヒッ……)

 その女性は飛び上がらんばかりに肩をすくめた。

「この後すぐ本所にある民政党系の放送局を占拠する。本部に戻ったら、大至急原稿を用意してほしい。紙の資料も用意しておけ。洗いざらいぶちまけてやる。原稿ができたら私が確認する。準備ができたらすぐに出発だ。いいな……」

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