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【14】初陣、共に出動せよ

 黒と桜色の生体甲殻機2機が長い棒を持って格闘している。

 黒いのはアヤメ、桜色のはサクラが搭乗する機体、棒のように見えるのは刀身のないホネクイだ。

 2機は、タカハシが勤める工場、〈フカガワ生体工業〉の敷地で練習をしていた。

 アヤメ機がサクラ機の喉元を狙って棒を突く。サクラ機は、それを頭上に払って、同時にアヤメ機のふところに入り込もうと踏み込む。そうはさせまいとアヤメ機が素早く後ろに飛び去り、即座に相手の足元を狙って棒を突く。アヤメ機の棒は、次の瞬間、サクラ機の棒に叩かれて地面を削ったかと思うと、逆にサクラ機の棒がアヤメ機の喉元をとらえていた。全て一瞬のことだった。

「サクラちゃん、さすがね」

 アヤメ機は1歩さがって棒を納めて一礼する。

「操縦にだいぶ慣れて来たみたい」

 サクラ機も一礼を返した。

「じゃあ、そろそろ戻ろうか」

「うん」

 と、サクラが返事をすると、2機は格納庫に戻っていった。


 フカガワ生体工業の事務所に戻った2人は、パーティションで仕切られただけの〈打ち合わせ室〉にいた。正面にはタカハシと若い男性が座っている。

「ゆうべの選挙速報見た? 民政党が初の単独与党だってねえ」

 タカハシが椅子をきしませた。

「党首がいろいろ何か言っていたけど、帝と大君の制度とあいいれるのかしら?」

 と、アヤメ。

「どうだろうね。幕臣・廷臣の両党と、どこかで折り合いをつけるんじゃない? 何でも理想どおりには行かないと思うよ? 今の制度の支持者はたくさんいるんだし……」

「そうね。でも、新しい時代が来るって感じがする……」

「まあ、とにかく、一番の公約、ヌエ対策がうまく行ってくれれば助かるよ」

 と言って、タカハシが話を本題に入れる。

「じゃあ、明日の話をしようか。明日の教習には、俺とこのアベが行く」

「アベです。よろしくお願いします」

 アベに合わせて、アヤメとサクラが頭を下げる。歳の頃は20代半ばといった感じだ。

「危険な仕事だけど……、ご両親は心配していない?」

 と、アヤメ。

「両親は、いません」

「あ……、ごめんなさい」

 アヤメは、それ以上聞かなかった。この世界のこの時代、家族が全員そろっている家庭のほうが珍しい。

「自分から希望してきたんだよ」

 タカハシが引き取った。

「じゃあ、研究職?」

 とアヤメ。

「いえ、経理です」

「あっ……ごめんなさい。明日がんばりましょ!」

 アヤメはそれ以上聞くのをやめた。


 教習1日目――。

 ひと通りの基本教習が終わり、受講者が席を立ち始めたころ、サクラの兄が現れた。ミツヨだ。

「あっ、お兄さん!」

 足を止めたサクラ。

 アヤメも会釈をした。ミツヨは実家にたびたび顔を出している。知らない顔ではない。

 受講者は20名ほど。教室の人影はすぐにまばらになった。

「よぉ、元気でやってるか?」

「まあね」

 とサクラ。

「アヤメさん。聞いていると思うけど、3日間カンヅメになっちゃうけど、本当に大丈夫?」

 ミツヨがアヤメに声をかけた。

「大丈夫です」

「赤ちゃんは、親父のところ?」

「つれてきました。託児所です」

「えっ? 捕り物の打ち合わせ聞いちゃうと本当に帰れなくなっちゃうけど、大丈夫?」

 ミツヨはもう一度確認した。

「大丈夫です。お気遣いすみません」

「いやいや、なにか不自由なことがあったら、何でも言ってください。ウチにも同じくらいの子がいるから、預かってもよかったのに……。奉行所の官舎に住んでいるんだから」

 確かに奉行所もその官舎も地下都市にある。ヌエを心配せずに子どもを預かることはできる。

「ありがとうございます。今日1日様子見てみます」

 アヤメが頭を下げた。

「私、ヤスツナを見てくる! 先行ってるね」

 ヤスツナとはアヤメの子どもの名前だ。


 休憩時間を挟んで、次は武器の説明があった。

「戦車砲は軍から借りて使用します。こちらはその模型です。軍では20パウンドと呼んでいるそうです」

 教官が戦車砲の模型を両手で掲げた。

 外観は、人間が使用するボルトアクション式ライフル銃に近い。しかし、細部はかなり異なっている。また、砲身には二脚が付いている。

(取り回しは悪くなさそうね……)

 模型を見たアヤメは思った。

 銃の長さは、床から女性教官の胸あたりくらいだ。教官は、見たところ、身長170センチに満たない。生体甲殻機の身長を人間に例えると、戦車砲は、長銃身の狙撃用ライフルくらいになるだろう。

 アヤメは実際の戦車砲の長さを6メートル半前後と見積もった。

「箱式弾倉を下に差し込みます。装弾数は5発です」

 教官が弾倉を付け外ししてみせる。

「こちらの取っ手を引いて戻すと、弾が装填されます」

 次はボルトのレバーを引いて戻してみせる。

「引き金を引くと砲弾が発射されます」

 模型を横に向けて引き金を引いてみせる。

「もう一度、取っ手を引いて戻すと、薬莢やっきょうが排出され、次の弾が装填されます」

 ボルトのレバーを引くと同時に、機関部の後ろから砲弾の模型がぽろりとこぼれてきた。このあたりが人間用のボルトアクション式ライフルと違う。

「安全装置はこちらです。射撃するとき以外は、常にかけておいた状態にします。この後模型を皆さんにお貸しするので、今のうちに必ずクセにしておいてください……。こちらが照準器です。ここに入った映像が皆さんの防護帽の画面に映し出されます。ここが壊れると狙えなくなるので大事に扱ってください」

 などと、ひととおり説明して、箱から別の模型を取り出した。

「こちらは機関砲の模型です。軍では40ミリと呼んでいて、キセナガや軽装甲車両に対して使うことを想定しています」

 教官が模型を両手で掲げた。

 機関砲は、人間が使用する自動小銃に近い外観だ。しかし、弾倉のようなものが機関部の上に付いている。砲身には二脚がある。

「機関砲は、箱式弾倉を上から差し込みます。装弾数は20発です」

 教官が弾倉を付け外ししてみせる。

「こちらの取っ手を引いて戻すと、弾が装填されます」

 レバーを引いて戻してみせる。

「戦車砲と違って、一度弾を装填すると、引き金を引くたびに次弾が自動的に装填されます。つまり、弾が自動的に出ます」

 ここまで教官が説明したところで、年配の女性が手を挙げた。

「昔、民兵訓練で自動小銃を使ったことがあるんですが、連射はできるのですか?」

「連射機能はなく、単発になります……」

「これは対空砲じゃねえか? 昔、軍でこれでヌエを撃っていたよ。塩水弾を使ってさ。これがまた当たらないんだ。フワフワ飛びやがって……知らないか?」

 と、年配の男性の参加者が言った。年配の女性は苦笑いして首を横に振る。

「よくご存じですね。対空砲をキセナガ用に改造したものです。初期型でして、連射機能は外されてしまっているんですが……」

 立ち会っていた年配の教官が説明した。


 警察組織が軍から武器を借りたのには理由がある。この世界のこの時代、警察組織の重武装は法律で禁じられていた。町方同心が刃引きの刀を差していたように、容疑者を生きたまま確保するという、江戸時代の町奉行所の伝統が色濃く残っているためだ。

 また、軍以外に重武装可能な組織を増やしたくないという政府の思惑もある。

 警察組織には捜査権と逮捕権がある一方、軍組織は軍籍にある人物以外に対してそのような権利を行使できない。

「……万一のことがありますので、戦車砲も機関砲も、いつも上に向けておいてください。また、地面に放り投げたりしないでください。暴発する恐れがあります。それでは、搭乗者の方に模型をお配りします。使い方をよく覚えてキセナガに反映してください。明日、実際に射撃訓練を行います。講習終了後はこの袋に入れて、宿舎にお持ち帰りください。くれぐれも安全装置をかけるのをクセにしてくださいね。搭乗者以外の方もどうぞ体験してみてください」


 戦車砲と機関砲についての説明が終わると、体術や十手術の講習だ。奉行所の与力や同心が使う制圧術を体で覚えてもらって、生体甲殻機に反映してもらおうという意図だ。たかだか3日間の教習では付け焼き刃でしかなかったが、それは警察組織も承知していた。

 とはいえ、警察の逮捕協力を名乗り出るだけあって、誰でも飲み込みは早かった。


 日が沈んだころ、とはいっても地下都市では照明を調整するだけだが、その日最後の講習として作戦の伝達が行われた。

「今度の捕り物を指揮するサトウ・ミツヨです。よろしくお願いします」

 ミツヨは、黒板の前に立って頭を下げた。

「皆さんお聞き及びのことかと思いますが、この説明を聞いてしまうと、捕り物が終わるまでの3日間帰れなくなりますが、よろしいでしょうか。どなたか事情のある方、いらっしゃいませんか?」

 ミツヨは奉行所の公安方、俗称〈町方〉の与力だ。この世界のこの時代、捜査や逮捕など、警察業務の一部を民間に委託することも合法的に行われている。

 少し間をおいて様子を見るミツヨ。帰る人は誰もいなさそうなことを確認して話を続ける。

「……誰もいらっしゃらないようですね。それでは、打ち合わせを始めます。この打ち合わせは同じ内容を3日繰り返します。息の合った連携が大変重要ですので、細かいところまで頭に入れてください」

 そう言うと、ミツヨはチョークを手にして、簡単な見取り図を描き始めた。

「賊の潜伏先がこちらです。賊の名前は〈人類革新党〉と言います」

 描き終えて、説明を始めるミツヨ。

「埋立地が2カ所隣り合っています。夜討ち朝駆けで、捕り方がこの2カ所に同時に踏み込みます。大きな抵抗はおそらくないかと思われますが、捕り方が漏らした賊がキセナガに乗り込む恐れがありますので、その際に皆さんのチカラをお借りしたいと思っています」

 黒板の正面に立つのを避けながら、図を指差した。

「まず、そちらのサトウさんおふたりを除いた皆さんは、3機ずつの班になって2カ所の埋め立て地の出入口をふさいでいただきます。賊のキセナガが動いたときに取り押さえてください。その指示は無線で私が出します。取り押さえる際には、ヌエに使う投網弾を使用します。動けなくなったところを電撃棒で突いてキセナガを失神させてください。この3機は原則として戦車砲を使用しません。しかし、実射訓練はしっかり受けてください。万一戦闘車両が動いたときには、戦車砲の使用を指示します」

 と、説明しながら、黒板の図に立ち位置を示していく。

「サトウさん2名は、両方の埋め立て地を見渡せる、この陸橋に待機してください。狙撃手はアヤメさん、観測手はサクラさんにお願いしたいと思います……。はい、質問どうぞ」

 手を挙げたサクラをミツヨは促した。

「カンソク……とかというのは、どういう役目ですか?」

「狙撃手のアヤメさんは、常に照準画面を見ているので、視野が狭くなってしまいます。そこで、観測手のサクラさんには、全体の状況を見て、アヤメさんに報告してください。また、もしヌエが出てきたら、駆除をお願いします。軍隊や町方の観測手とは役割がかなり異なりますが、今回の役目はそのようなことです。また、後で詳しく説明します」

「ありがとうございます」

「……説明を続けます。アヤメさんは、このあたりの状況を捕捉できると思うので、賊のキセナガが動いたら、戦車砲で頭部を破壊してください。戦車が出てきた場合にもお願いします。戦車の場合は、遠慮しないでとにかく破壊してください。危険ですので……」

(うわあ、難しいことお願いされちゃってる、私……)

 アヤメは思った。

「心配しないでください。万一狙撃に失敗しても、6機控えていますので、無理はしないでください」

 アヤメの表情を察したのか、ミツヨが説明を加えた。

「最後にヌエが出てきた場合ですが、皆さんもご承知のとおり、海の近くなので短時間の行動くらいなら出てこないとは思いますが、万一出てきたら速やかに報告して、海に入ってください。キセナガなら足が立つと思います。ヌエ用の装備はこちらで全て支給します。また、索敵装置付きの警ら車も数台使用します」


 教習2日目――。

 演習弾を使用した戦車砲の実射訓練が行われた。

 訓練は、ひと気の全くない江戸城内の道路を封鎖して使う。

 通称殿様通り。かつて大名小路だいみょうこうじと呼ばれていた通りを拡張し、ヌエが出現する前までは官庁街になっていた道路だ。われわれの世界の国会議事堂に相当する東の院の評定所も、地下都市に移転する前まではここにあった。

 われわれの世界のJR有楽町駅日比谷口辺りから東京駅丸の内口方向へと延びる都道の一部と重なるが、その道幅はもう少し広い。

 約1キロにわたって道がまっすぐ延びている。戦車砲の射撃練習場を急場しのぎで用意したわりには上出来だったと町方では考えている。

 ただの射撃訓練とはいえ、その様子は物々しい。伏せ撃ち体勢で戦車砲を構える生体甲殻機が2機並び、それを囲むようにホネクイを持った生体甲殻機がヌエを警戒する。ホネクイを携えた生体甲殻機は的側にも立っている。

 射撃訓練は交代で行われていた。

「すごいな。誰だね。あれは……」

 立ち会っていたミツヨの上司が指揮車のモニターを見て言った。伏せ撃ちしている黒い機体とその先の的が別々のモニターに映っている。

「サトウ・アヤメさんという方です。元軍籍だそうで……」

 ミツヨが答えた。

「どおりで……。だが、人間が撃つのと、キセナガに乗って撃つのでは、勝手が違うはずだ。いやいや、大したものだ」


 その日は、生体甲殻機の格闘訓練も行われた。

 場所は、地下都市工事の竣工後も残されていた建屋の一部。現在は屋外でヌエに襲われたときの避難所として利用され、人間や自動車をはじめ、ヌエの駆除に失敗した生体甲殻機も収容できるようになっている。これも江戸城内にある施設だ。

 対峙する2機の生体甲殻機。1機は桜色、もう1機は黒地に炎を模した派手な色使いで塗装されている。

 派手な機体が桜色の機体の頭部めがけて軽く拳を繰り出す。当人にしてみれば、単なる牽制だったかもしれない。

 しかし、次の瞬間には、桜色の機体がすっと半身になって立ち位置を変え、右手で相手の繰り出した右腕を払い、相手の喉輪に左手を添えたかと思うと、相手の背後に回り込み、ひざまずかせ、背後からその右腕を締め上げていた。全ては一瞬のことだった。

〈はい結構です! 相手のキセナガを壊さないでくださあい!〉

 拡声器から声が聞こえる。

 桜色の機体は、相手から手を放し、ぺこりと頭を下げた。

「すごいな。誰だね。あれは……」

 ミツヨの上司が聞いた。

「私の妹です」

 ミツヨが答える。

「ああ、なるほど……」

 上司は全てを察したような口ぶりだった。

「やはり、もう何名か人員がいれば心強いのですが。予備員を含めて……」

 ミツヨが話題を変えた。

「弱音を吐くな。全て予算の問題だ。仕方がない」

 2機が下がり、別の2機と交代している……。その様子を見ながら、上司は答えた。


 教習3日目は早めに終わり、翌早朝の一斉検挙に備えた。


 そして、日付が変わって翌日の暁闇の中、高速道路の高架に生体甲殻機2機の姿が見える。

 1機は片側2車線を使って斜めに寝そべり、もう1機はその隣であぐらをかいている。寝そべっているのはアヤメの機体、あぐらをかいているのはサクラの機体だ。

 アヤメ機は、高速道路の壁を銃座代わりにして戦車砲を構えている。サクラ機はどことなく退屈そうだ。

 そのそばにはトラック2台が控え、車線の封鎖を示すライトを点灯させている。とはいえ、この場所に待機してから他の車両が通ったのは、わずか3台だ。


『道路と水路の封鎖が完了しました』

 誰かの報告無線が入ってくる。

『ヌエは?』

『今のところ問題ありません』

『了解。突入を開始せよ』

 無線を通してミツヨから号令がかかると、アヤメとサクラの視界の奥に赤と白の光の点が一斉に瞬いた。赤色回転灯と灯光器だ。

「クニツナ……。私との初仕事、お願いね……」

 アヤメはそうつぶやいて操縦レバーを握りなおした。

『3班突入』

『1班最上階を押さえます』

『5班武器庫確保』

『賊が発砲! 2班応戦します!』

『硬直手投げ弾を放り込め!』

『了解!』

 無線からは次々と経過報告が入ってくる。〈硬直手投げ弾〉とは、われわれの世界で言うスタングレネード(閃光発音筒)のことだ。

『サクラ機、現状、異常ありませぇん……』

 つまらなそうな口調の報告無線がサクラ機から入ってくる。

『あっ! もとい! もとい! キセナガ2機確認! お義姉さん右!』

『キセナガだ! 気をつけろ!』

 別の班からも無線が入ってきた。

 アヤメの視線の右、はるか奥に小さな人影が2つ見える。画面を拡大するアヤメ。生体甲殻機だ。

「発砲許可を願います」

 アヤメはミツヨに無線を入れながら、1機の頭部に照準を合わせる。

『許可する』

〈ドンッッッッッッ!〉

 ミツヨから許可が出たと同時に引き金を絞ったアヤメ機。戦車砲と機体が鋭く揺れるとほぼ同時に、標的の生体甲殻機の頭部がきれいに吹き飛んだ。標的は、頭部を失ってもなお歩き続けている。

「サクラちゃん、倒れたか、確認お願い!」

 アヤメは倒れる姿を確認することなく、もう1機の頭部を狙いながら、戦車砲のボルトハンドルを操作する。

 機関部の後ろから薬莢やっきょうがこぼれ落ちる。

〈ドンッッッッッッ!〉

 アサギ機が引き金を絞るとほぼ同時に、標的の頭部が丸ごと吹き飛んだ。こちらも、2~3歩そのまま歩いていたかと思うと、ぐらりと崩れてそのまま見えなくなった。

『キセナガ2機、倒しました!』

『了解』

 観測手の妹と指揮官の兄のやり取りが、アヤメの無線に入ってきた。

 アヤメとサクラはその後も画面に集中していたが、生体甲殻機も、戦車も、装甲車も、それ以上出てくることはなかった。

『2班! 賊を全員確保! 賊は3名負傷、こちらのケガ人はなし!』

 やがて、各班が反社会的組織の構成員の身柄を確保する無線が入ってきた。

『皆さん、お疲れ様でした。無事、全員捕縛できました。こちらのケガ人は出ませんでした。ご協力ありがとうございました。さあ、帰りましょう』

 ミツヨの無線が入ってきた。アヤメやサクラなどの部外者がいなければ、ミツヨの部下たちはその丁寧な口調を聞くことはないだろう。


 その帰り道、ミツヨからの無線が全員に入ってきた。

「皆さん、お疲れのところ恐縮です。たった今のことなのですが……、別の賊についての情報が入りまして……、皆さんにぜひもう1日お願いできないかと……。詳しいお話は奉行所に戻ってからお話しますので、なにとぞご検討ください。ご協力お願いいたします。本部に戻りましたら、教習室にお集まりください」


 本部に到着後、ミツヨはいち早く教習室で待っていた。立ったまま、人が三々五々集まってくるたびに頭を下げていた。

 人がひととおりそろったところで、ミツヨが口を開いた。

「皆さん、急なお願いで本当に申し訳ありません。捕り物の後に、急に入ってきた話で、どうにも今日しかないのです。今日の夕方から明日の早朝までという長丁場なのですが、どうか協力をお願いしたい」

 ミツヨは改めて深々と頭を下げた。その言い方から必死さが伝わってくる。部屋の中が小さくざわついた。ミツヨは腕時計をのぞいた。

「今、朝の8時半ですから、午後1時にまたこの場にお集まりください。私はこれから担当者で作戦会議をするので、都合の悪い方は午後1時までに廊下の突き当たりにある事務室の担当者に申し出てください。それまでは、ゆっくりとお休みください」

 ミツヨはもう一度頭を下げた。

「外には出られるのか?」

 年配の男性が言った。

「申し訳ありませんが、ご協力いただけるのでしたら、外出は今少しご辛抱いただけたらと……。もちろん、宿舎にはお戻りいただけます」

「お義姉ちゃん、ヤスツナは……?」

 サクラが心配そうにアヤメに声をかけた。

「赤ちゃんは大丈夫よ。ミツヨさんの奥様に預かってもらってるから……」


 午後1時過ぎ――。

 教習室に人が集まっている。

「このたびは、誰ひとり欠けることなく、皆様にお集まりいただき、本当にありがとうございます」

 ミツヨは深々と頭を下げた。

 誰かの始めた拍手がすぐに部屋中に広まった。

「ありがとうございます……。ありがとうございます……」

 ミツヨは何度も頭を下げながら、何とも言えない不思議な一体感を覚えた。ちょうど後ろの扉から、こっそりと入ってきた者が2名。寝過ごしてしまったのだろうか。


 拍手がやむと、ミツヨはおもむろに地図を黒板に貼った。

 江戸の地図だ。左上に江戸城の数寄屋橋門、右下に新佃島(石川島・佃島拡張工事区)が描かれ、その2カ所を広い道路が直線に結んでいる。

 前にも説明したが、数寄屋橋通りは、われわれの世界の晴海通りとほぼ同じ位置にある。上下6車線の大通りだ。通り沿いは旧市街の一部で、われわれの世界でいう昭和初期の雰囲気が漂う街並みが特徴だ。

 この世界のこの時代の大都市江戸は、われわれの世界の東京ほど巨大ではない。それは、あくまでも副都という位置づけだからである。そのため、われわれの世界の東京とは異なり、至る所に運河が残され、〈江戸時代〉の名残を色濃く残していた。


 地図は北を上にした状態だ。

「では、さっそく説明に入りたいと思います。まずは、簡単な流れから行きます……」

 ミツヨが新佃島辺りを指さした。

「情報では、賊の潜伏先はここということなのですが、今この時点でここに潜伏しているかはわかりません。そのため、ここに突入するわけではありません」

 ミツヨは指示棒で道をなぞり始めた。

「情報によると、賊は築地大橋を渡り、数寄屋橋大通りを通り、数寄屋橋御門の地下都市入口に侵入し、評定所を襲撃するつもりのようです。そこでわれわれは、この築地で賊を待ち伏せて一網打尽にします」

 数寄屋橋門を指した指示棒を築地に戻した。

「築地は四方を運河、築地川に囲まれ、橋は全て跳ね橋です」

 指示棒は、築地大橋まで戻り、築地を囲む運河をぐるりとなぞった。

「賊が築地大橋を渡り、本願寺を抜けた辺りで、全ての跳ね橋を上げてしまいます。これはすでに手配しました」

 指示棒が築地を囲む橋をぽんぽんぽんと指していく。

「そして、皆さんのキセナガのうち4機は、ヌエ警戒中のキセナガを装って、この辺りを巡回してもらいます。2機は本願寺の門番を装ってもらいます……。サトウ・アヤメさんとヤマザキさんは別のお仕事をお願いします。ええ……皆さんそれぞれの持ち場と役目については、また後で説明します。各車両は本願寺の駐車場と境内に隠しておいて、軍から借りた隠れ布で覆っておきます。おそらく賊は襲撃前に何らかの形で偵察を行うでしょうから、その目をあざむくためです。この布は、キセナガにも使っていただきます。そして……」


 ミツヨは、今の地図に別の地図を貼った。

「そして、この捕り物が成功しても失敗しても、すぐ次の捕り物にかかります。今度は賊の本丸です」

 地図には、新深川〈百万坪〉が描かれている。われわれの世界の潮見・辰巳周辺である。

 地名は百万坪だが、実際に敷地の広さが百万坪あるわけではない。江戸時代のゴミ最終処分場(埋め立て地)であった〈六万坪〉や〈十万坪〉にちなんで名付けられた場所だ。

 百万坪は、北側の古い区画と南側の新しい区画とに分かれ、古い区画は整地され工業用地になっていた。

 神の使いは、海外のダミー会社を通して、その敷地を購入し、設備を整えたのだった。手配してくれたのは民政党である。この事実は、神の使いと民政党にいるひと握りの幹部しか知らない。

 一方、新しい区画は、ゴミの最終処分場兼埋め立て地として現在でも使用されている。しかし、ダンプが来て清掃工場にゴミを捨てていくだけだ。清掃工場は、ほぼ自動化され、作業員はごくわずかだ。

 この地域一帯は海のそばであり、また軍の警備は、主に工事区域や商業地、住宅地ということもあって常駐していない。神の使いの本部は、外壁で囲まれ、ひっそりとたたずんでいるため、外部から気にとめられることはなかった。

「これは、百万坪付近の地図です。賊は、この北の工業地を本拠地にしているという情報が入っています」

 ミツヨは北側の区画を指示棒で指した。

「道は、南北2つしかありません。そこで、われわれは、キセナガの輸送トラックでこの道を封鎖します。また、海上も船舶で封鎖します。この土地は、一方は海に面し、残り三方は運河に囲まれていて、しかも、奴らは船舶と飛行艇を所有しているらしいので、逃がさないように、北は高速道路の陸橋から、南西は清掃工場の屋上から、格納庫と停泊している船舶を破壊します。担当は、サトウ・アヤメさんと、ヤマザキさんでお願いします。こちらも後で詳しく説明します」

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