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【9】父よ息子を越えてゆけ

 丸めて垂直に立てた1本の畳表たてみおもてがある。

「エイッ」

 鋭い気合い声と同時に、それが2つ、3つ、4つと刻まれていく。残り短くなった畳表を凝視したまま、血振りをし、刀をおもむろにさやに収める。

 白刃が鞘に滑り込んでいくにつれて、鞘を握る左手と柄を握る右手が互いに近づく。その両方の薬指には指輪が光っていた。

 よく見ると、左手より右手がやや大きく、ごつく、毛深く、男性的だ。

「お義姉ねえさん、飲み込み早いね」

 と声を掛けたのは、サトウ・クニツナの妹、サクラだ。道場の入口に立って赤ん坊を抱いている。

「ホント? ありがとう」

 と言って、スズキ・アヤメが右腕で汗をぬぐった。もっとも、今ではサトウ姓を名乗っている。道着を肩脱ぎしたところからは、さらしがのぞき、右肩と腕があらわになっている。

 改めて見ても、その右腕はやはり女性の腕とは思えないほどたくましい。

「お兄ちゃんの右腕、どう?」

 赤ん坊をあやしながら、サクラが言った。

「うん、調子いい。ありがとう」

 アヤメはサクラに何度もひじを曲げ伸ばしして見せた。


 亡き夫クニツナの死後、アヤメは、義理の妹、サクラにクニツナとの病院での話を聞かせたことがある。その話が義理の父であるムネチカに伝わり、ムネチカの計らいで息子の腕を生体義手にするよう勧めてくれたのだった。

 アヤメは、今、義理の父ムネチカと末娘のサクラと一緒に暮らしている。サクラが抱いているのは、アヤメの息子だった。

 道場には柔らかい光が差し込んでいる。ヌエ対策のために、光を通す丈夫な白い建屋で家の敷地が囲まれているためだ。


「お義姉さん、お父さんが家族会議したいんだって。片付いたら母屋に来てくれる?」

 赤ん坊を抱えた体を優しく上下に揺らしながら、サクラが言った。

「いよいよ本気みたいね……」

 と、言ってアヤメは手ぬぐいで汗をぬぐう。

「どうする、お義姉さん?」

 と、赤ん坊をあやすサクラ。

「う~ん、私はお金と仕事の問題が解決すれば、お義父とうさんの希望をかなえてあげたいけど……」

「ホンキ?」

「うん……」

「めどは立つの?」

「お義父さんが立てたみたいよ。サクラちゃんも巻き込まれちゃうわね」

「それが面倒なのよねえ……。とかいって、私、働くとこ、まだ決めてないんだけど……」


 アヤメは母屋に行き、居間の障子を開けた。

 部屋の中心には生体維持装置がある。その中には、クニツナが眠っている。

 その装置の上座側にムネチカ、装置の脇にサクラが座っていた。

 アヤメが赤ん坊をサクラから受け取り、サクラの反対側に座ったところで、ムネチカが切り出した。


「話というのは、かねてのとおりじゃ。ワシの夢に息子が出てきてからというもの、こやつの寝顔を見るたびに、

『オヤジ、オレの無念を晴らしてくれ』

『オヤジ、オレのしかばねを越えて、母のかたきをとってくれ』

と語りかけてくるような気がしてならんのじゃ……」

 サトウ・ムネチカの妻、つまりクニツナとサクラの母は、2003年に起きた日本初のヌエ大襲来で亡くなっている。


「……で、どうするつもりなの? 今度の計画は現実的なの? お父さん……」

 サクラが言った。

「ヌエ駆除の認可は申請した。仕事は、ヌエ退治、ミツヨの捕り物の手伝いと、二足のわらじを履くつもりじゃ。ミツヨの話では、民政党の協力で反社会的組織の捜査がかなり進んでいるらしい。そう遠くないうちに摘発も行うという話だ。賊がキセナガや戦車を使っていれば、それ相応の武装が必要になる。しかし、国の方針で奉行所の警察組織は強力な武装ができない。そこでワシらの出番となる。キセナガで賊を一網打尽にするわけじゃ」

 ミツヨとは、ムネチカの長男、亡きクニツナの兄である。奉行所の警察組織である〈公安方〉、俗称〈町方〉で与力という役職に就いている。奉行所は、われわれの世界でいう役所と消防、救急、警察を兼ねた行政組織である。

 人を生きたまま捕縛することを重視する奉行所の警察組織は、強力な武装を禁じていた。この世界の日本は、弾丸は所持できないものの、国民皆兵により一般家庭にも小銃がある。一方で、警察の武装は小口径の拳銃と十手型の警棒くらいであった。江戸時代、町方同心が刃引きの刀を差していた名残である。しかし、町方の与力や同心が岡っ引きや下っ引きといった小者に治安維持の一部を委託していたのと同じように、逮捕する際に民間に人手を借りることは禁じられていなかった。


「そんなうまくいくかなあ。いつ捕り物があるかなんてわからないじゃない。遠い先かもしれないし……。現実的じゃないでしょ」

 と言って、サクラが膝を崩した。

「そんなことはない。維持費は補助してくれるとミツヨが言っていたぞ。奉行所の仕事が優先だが、それをしながらヌエも退治する。どうじゃ、素晴らしいじゃろぉ?」

「そんなことして奉行所はお金たりるの?」

「それは、ワシらの心配することではない。ミツヨの話では、奉行所がキセナガを持てるように、議員に陳情して、立法してもらって、いろんな手続き踏んで、警察用のキセナガをつくらせて……、などということをするより、ずっと早く、安く済むと言っていたぞ」

 ムネチカが一気に言った後、少しの沈黙があった。その沈黙はサクラが破った。

「キセナガは、お兄さんの見舞金と保険金を充てるんでしょ? あと、お母さんのもだっけ? それって、なんか抵抗ある……。お兄さんはそのために死んだわけでもないのに……」

「息子の遺志を継ぐのに見舞金を使って何が悪い!? アヤメさんも承知してくれておる。物価は毎年上がっているし、取っておいても価値がない。遺された金で毎日を無為に過ごすより、よっぽど有意義ではないか!」

「う~ん……。本当にいいの?お義姉ちゃん……」

 サクラがアヤメの顔を見た。

「私はいいと思う……。クニツナさんのためにも……」

 アヤメは、そう答えて、胸元で寝ている息子の顔を見た。

 その答えを聞いて、ムネチカが静かにうなずいた。

「キセナガ自体は、アヤメさんが教えてくれたように、家2~3軒建てる予算で、武器や装甲、全てがそろえられる……。消耗品に近いと申しておったの? アヤメさん」

「はい……」

 アヤメがうなずく。

「待って。キセナガが消耗品って、修理とかがきかないってこと?」

「うん」

 アヤメが答えた。

「じゃあ、傷ついたり、壊れたりしたら、買い換えなきゃダメってこと?」

「装甲服の板なら交換できるし、小さな傷なら治せるけど、手とか足とかを失ったら治せない。そのへんは人間や動物と同じかな。ケガの程度にもよるけど、新品を用意した方が安くて早いことが多いって話」

「あと、専用の施設が必要なんでしょ?」

「そうね。自動車みたいに自宅には置いておけないね」

 サクラの質問にアヤメが答えた。

「おッ父さ~ん。お金が必要なのは、キセナガだけじゃないじゃない。もし、壊れたら買い換えるの? 家を建てる以上のお金で……? あと、キセナガの維持施設を借りるお金、買うにしろ借りるにしろキセナガを運ぶトラックのお金……、会社をおこすお金も必要でしょ? それと、人手は足りるの? 人を雇ったら、もっとお金がかかるんじゃない? アヤメさんは赤ちゃんに手がかかるし、私はホントはやりたくないんだし……」

 一気にまくし立てたサクラ。それを、ムネチカは黙って聞いている。サクラは、ひと呼吸おいて話をさらに続けた。

「お兄ちゃんの金で本当に足りるの? 見舞金も保険金も昔よりずっと少ないんでしょ? お兄ちゃんの遺志を継ぎたいお父さんの気持ちは分かるけど、やっぱり現実的じゃないよ……」

 サクラの話を腕組みして聞いていたムネチカは、話が終わると、おもむろに口を開いた。

「だから、トラックや倉庫諸々は、奉行所が補助してくれるじゃろ……。足りなかったら、この家と道場を元手にお金を借りる……」

 ムネチカの声には、やや元気がなくなっている。

「何も、そこまでしなくても……。地上の家なんて今どき価値低いし、だいいち、この家が人手に渡るのは、私いや」

 ムネチカの考えを、サクラが身を乗り出して否定した。

「あのう……」

 ほんの少しの沈黙の後、アヤメが口を開いた。

「これは、うまくいけばのお話ですけど……、安くて丈夫なキセナガが手にはいるかもしれません……。いろんな条件が出てきますけど……」

「ん……? それは、どういうことだね? 詳しく聞かせてくれないか? その条件とやらも含めて……」

 ムネチカが身を乗り出した。弱くなってきた風をうまく帆にとらえたいといった感じだった。

「それは……」

 アヤメは、サクラの顔を見て一瞬ためらったが、思い切ったように話し始めた。

「それは……、クニツナさんをキセナガにする方法です」

 と、ひと言言って、アヤメはサクラの様子をうかがう。

「あっ、ごめんなさい。サクラちゃん。この話は、やっぱりやめましょう……」

 と、言いさして、アヤメはサクラにすぐにわびた。サクラの表情が少し曇ったのを見逃さなかったからだ。

 一方、ムネチカは、アヤメが話を途中でやめたことに不満そうだ。

「大丈夫……、少しびっくりしただけ……」

 と、サクラは、表情を変えずに答えた。

「ン゛ッン゛……。アヤメくん。続けてくれないか?」

 ムネチカは、サクラが言い終わらないうちに咳払いして話の続きをうながした。

「いや……。でも、サクラちゃんが……」

「サクラ、聞きたくなければ席を外してもいいんだぞ?」

「大丈夫……。聞いてる」

 サクラは姿勢を正した。それを見て、アヤメはおずおずと話を再開した。

「……一応、すでに完成されている技術らしいので、製作費と人件費くらいでできると思います。それと、自己修復能力というのがあって、キセナガが大ケガしても治るという話です。クニツナさん本人から聞いた話ですけど……」


 ……話は、10年以上前のホソダグループの生物機械研究事業部にさかのぼる。ホソダ生体技研の前身となった事業部だ。


 当時、生体甲殻機の基本設計を巡って事業部の意見が分かれていた。


 ひとつは、〈天然生体〉、人体を基にして生体甲殻機をつくる意見。支持していたのは、現キセナガ開発部部長のヤマモト、次長のタカハシ、整備士長のマツモトなどであった。その数年後にクニツナも加わる。

 人体を基につくる主な長所は圧倒的な性能。人工細胞を基にした生体甲殻機と比べて、驚異的な自己修復能力と運動性能を発揮するため、格段に少ない機数でヌエに対抗できると主張した。


 もうひとつは、〈人工生体〉、全て人工で生体甲殻機をつくる意見。当時、事業部の3分の2以上を占めていた。現在では、ほとんどのメーカーが生体甲殻機に採用している方法だ。

 彼らは、製造方法が比較的容易で量産しやすいことを長所として挙げた。同時に人体を基にしたときの生体甲殻機の問題点として、倫理的な問題の発生が容易に想定できること、製品寿命が延びるので買い替えに結びつかず、企業の利益につながらないことなどを挙げた。


 ヤマモトらは反論した。天然生体なら、製品寿命が延び、維持費を含めた1体1体の長期的なコストが割安になること。企業の利益は、メンテナンスで採算は十分に出せること。死体を使うことに抵抗がある人は出てくるかもしれないが、非常時であるから行政府に陳情し、暫定的な法律を制定してもらえれば、非常に性能の高い生体甲殻機でヌエを駆除できることを強く主張した。


 しかし、やがて、ヤマモトらのチームは、〈万全の設備の整った場所で研究できる〉という名目でホソダグループの協力企業への出向を命じられた。


 どちらにも付かず大人しくしていた現研究開発課長のカトウたちは、そのまま生物機械研究事業部に残ることができたのだった。


 人体の組織を基にした〈天然生体〉、全て人工の〈人工生体〉、どちらも並行して研究は続けられ、結局、ヤマモト率いる天然生体の生体甲殻機が先に実用化にこぎつけた。ミツバグループが生体甲殻機の実用化成功を発表する半年前のことだ。


 しかし、生物機械を再生医療事業に生かす方針を固めていた本社上層部は、生体甲殻機事業には消極的で決裁をすぐに下さなかった。本社でも一時的に議論が紛糾ふんきゅうしたものの、結局採決は先送りになっていた。


 やがて、ミツバグループが生体甲殻機を発表。慌てた本社上層部は、他メーカーと横並びで無難な人工生体を基にした生体甲殻機の実用化に力を入れ、ミツバグループに遅れること1年弱で発表した。ただし、ヤマモトらの研究成果の一部も採り入れ、〈独自技術の生体甲殻機〉として売り込みをかけたのだった。その技術は他のメーカーでもすぐに採用され、現在の生体甲殻機は軽度の出血ならすぐに止まるようになっている。

 ホネクイなどの塩水を使用した武器と、生体甲殻機の構想は、ホソダグループが発表したにもかかわらず、開発でミツバグループに大きく後れを取ったのはこのような理由があった。


「キセナガとホネクイの構想を発案したのは次長で、『できれば、みなもとの頼政よりまさみたいに〈大鎧おおよろい〉を着させたい』って言っていたんだ。みんな運用試験課に飛ばされちゃったけど、部長や次長がつくった技術は、ホソダの生体医療に生かされている……。みんなは左遷させんされたって言っていたけど、僕も同じ会社に入ったから、みんなに出会えたし、手伝うことができた。僕の独りよがりな解釈だけど、部長や次長は、会社のことより、世界のこととか、人類のこととかを考えていたんだと思う。まあ、会社にしたら、それがまずかったんだろうけど……。あの技術は、必ず人の役に立つ技術だと思っているよ」

 と、クニツナは、生前、アヤメに話している。


 アヤメの話が終わった。ムネチカとサクラの表情は対照的だった。


「クニツナがあの大鎧おおよろいになって、ワシと一緒に戦うのか」

 ムネチカは興奮気味だった。

「お兄さんが怪物にされる感じがする。ちょっと複雑……」

 サクラは表情を凍らせてうつむいた。遠慮気味に言っているが、それ以上の拒否反応が見て取れる。

「サクラちゃんに抵抗があるのは、よく分かる。これまでずっと、お義父さんの熱心な話を聞いてこなかったら、こんなこと話そうなんて、思いもしなかったから……」

 アヤメは、サクラの気持ちをすぐに察した。

 しかし、サクラは、うつむいた顔を上げることはなかった。


「うむ……。それならヤツも本望だろうて……。ぜひ、その話進めてくれないかね、アヤメ殿」

 目を見開いて話すムネチカに対して、アヤメは首を横に振ることはできなかった。しかし、正面に座っているサクラから服を引っ張られているような気がした。


 そして、翌日の早朝、ホソダ生体技研を訪れたアヤメは、応接室で部長ヤマモトの前に座っていた。

「タカハシくんは、キミを追うように辞めてしまったよ。私と違って、技術者に戻りたいそうだ。そこで、ウチの協力会社を紹介したよ。とはいっても、タカハシくん自身が2年も3年も前から希望していたんだがね……。今まで私が慰留いりゅうしていたんだよ」

 と言って、ヤマモトは、名刺をテーブルの上に置き、アヤメの方に差し出した。名刺には、〈フカガワ生体工業〉と書いてある。

「社員は10人もいない小さな会社だが、キセナガの設備はいろいろと整っている。建物も大きいしね。タカハシくんと直接話をしてみるといいだろう。差し支えなければ、私の方から連絡しておくよ」

 ヤマモトの話を聞いたアヤメは、その足でタカハシのいる会社に向かった。


 パーティションで仕切られた事務所の一角に、アヤメとタカハシ、その会社の社長が座っている。

 ワイシャツ、ネクタイに、作業服を着た社長が老眼鏡を外しながら言った。

「ええと、じゃあ、1親等、できれば2親等のご家族の同意書を持ってきてもらえるかな。後でもめたら大変だからさ……」

「ええ、ご迷惑はおかけしません。よろしくお願いいたします」

 アヤメは頭を下げた。

「タカハシくん、完成まではどのくらい?」

 社長が言った。

「3カ月くらい見ていただければ大丈夫です」

「……だそうだ。ちょくちょく遊びに来たらいいですよ。どんな風になるか興味があるでしょうから……」

「ありがとうございます」

「そうだ。アレがあったろ、アレ。アレを見せてあげたら? タカハシくん。完成した後にびっくりされても困るからさ。どんな風になるか、見せてあげなよ」

「キセナガの写真ですか?」

「そうそれ」

 タカハシが席を立ち、すぐに写真を持ってきて、社長に手渡した。

「これはウチの長男。間抜けな顔してるけど、生前はキリッとしてたんだよ。しかも人類初のキセナガさ。すごいだろ?」

 社長は何枚かの写真を差し出した。比較的若い男性が映っている。緑青ろくしょうが浮いた銅像のような肌の色、口は半開き、目だけがぬらぬらと潤っていて不気味だ。

「これが一号機……」

 アヤメがつぶやいた。次の写真には生体甲殻機用の装甲服とヘルメットを装備した姿が映っている。

「こっちは、どっかの娘さん。今はこの2機だけなんだけどさ」

 社長がまた数枚の写真を差し出した。何枚か重なっている。

 アヤメは一番上の写真を手に取った。女性の体型をした生体甲殻機の全体写真だ。ヘルメットと装甲服を装備している。

 写真を1枚目、2枚目と送って、3枚目を見たとき、アヤメは愕然とした。やはり緑青ろくしょうが浮いた銅像のような肌の色、口は半開き、目だけがぬらぬらと潤っている女性の顔があった。

「キキョウ……、キキョウじゃない……?」

 声を震わせて名前を2度繰り返した。そこには、第3次日本ヌエ大襲来の際に死んだはずの双子の妹にそっくりの顔が映っていたからだった。

 二卵性双生児だったため、他人にはあまり見分けが付かない。父親似でどちらかといえば〈きりっ〉とした顔立ちのアヤメに対し、キキョウは母親似で〈ほわっ〉とした顔立ちをしていて雰囲気が違う。

「さすが元軍人さん。よく知ってらっしゃる」

「えっ?」

 アヤメは社長の言葉を聞き返した。

「はっ?」

 社長の方もアヤメが聞き返した意味が分からないようだ。

「私が何を知っているんですか?」

 アヤメは、思わずいらだたしい口調で聞き返してしまった。しかし、

(これは、問いたださなければならない)

 という気持ちを抑えることはできなかった。双子の妹にそっくりの顔を見て思わず口走った〈キキョウ〉という名前に、相手があからさまに反応したからだ。

「社長、キ・キョ・ウという名前と、このキセナガにどんな関連があるんですか?」

 アヤメの質問に

(どうして食ってかかってくるんだ? 何かまずいことを言ったか?)

 と、社長は困惑した表情でタカハシに助け船を求める。

「急にどうしたの? スズキさん、いやサトウさん……」

 タカハシが割って入った。

「名前はどっちでもいいです。このキセナガはキキョウっていう名前なんですか?」

 アヤメの言葉に、タカハシは少し沈黙して静かに答えた。

「キキョウってのは軍の計画の名前だわ。もう、廃案になったけど……。計画名は公表されなかったけど、新型キセナガを開発しているって話は、当時報道でも取り上げていたぞ? 覚えてない?」

「私、そのとき軍にいたけど……、全然知らなかった……」

「……で、ウチの会社がその製造を任されてつくったんだ。当時オレはここに出向していたから、この製作に関わっている。今はここで彼女を管理しているけど、今度管理期限が切れるんだわ。丁重に荼毘だびに付されるそうだよ」

「分かった。ありがとう、社長さん、タカハシさん。それだけわかれば十分……。あと、お願いがあるんだけどいい?」

「ん?」

「ここの写真、1枚ずつ焼いてもらえる? あと、すみません、社長、電話を貸していただけますか?」

 アヤメは財布を取り出した。


 会社の地下入口にある公衆電話からアヤメの話し声が聞こえる。

「……うん、サクラちゃんごめん、もう少し遅くなりそう……。そう、ありがとう」

 そう言って、いったん電話を切ると、小銭を入れてすぐにダイヤルを回す。

「もしもし、ルリ義姉ねえさん? ご無沙汰してます……。兄さん、今日いつ戻ってくる?」


 アヤメは、そのまま兄の家に向かった。

 その晩、帰宅したアヤメの兄は、玄関に見慣れない女性もののブーツと、強化服があるのに気付いた。奧から、自分の妻の大きな声と、もうひとりの女性の笑い声が聞こえてくる。

「おお、アヤメ、顔見せるの久しぶりだな。どうした?」

 アヤメの兄が言った。

「後で話があるんだけど……。すぐ済むから」

「じゃあ、今話を聞いてしまおう」

「分かった……」

 2人のやりとりを聞いて兄の妻がテーブルの上を片付けはじめた。

 何も置かれていないテーブルの上にアヤメは3枚の写真を並べた。

「キキョウ計画……。知ってるよね、兄さん……」

 妹の話を聞いて、兄は表情を凍らせた。

「兄さんがしたことに、ぐだぐだ言うつもりも、非難するつもりもない……。もうすぐ処分するそうね……。私が引き取るってことでいい?」

 兄は黙って首を縦に振った。

「ひとつだけ聞かせて? どうしてキキョウがキセナガになったの?」

「……あの日、ヌエが大発生した日、オヤジとオフクロが亡くなったのは知ってのとおりだ……」

 兄の説明はおおよそ次のとおりだ。

 軍の救援が来たとき、キキョウはまだ息があったらしい。ヌエは瀕死ひんしの動物を食わないためだ。

 救助された当初は、まだ意識があったらしい。しかし、兄が仕事を終わらせて駆けつけたときには、様態が急変し、医療補助士が蘇生措置を行っている最中だった。まもなく妹は息を引き取り、生体維持装置に入れられ、遺体は兄が預かった。

「キキョウが亡くなった話は伝えたと思うが、亡きがらをお前に見せず、相談もなしにキセナガにしたのは申し訳ない」

 兄は深々と頭を下げた。

「弁解はしない。ただ、オレは、あのとき焦っていた……」

 話は再び数年前にさかのぼる。当時、アヤメの兄をはじめ、軍幹部の一部は、ミツバ製生体甲殻機の性能に物足りなさを感じていた。そんな折に、ホソダグループの営業が量産前の新機体〈ヨリマサ拾伍〉の売り込みをかけてきたのだった。第3次ヌエ大襲来の1週間ほど後のことである。

 そのとき営業が〈天然生体〉でつくる生体甲殻機も併せて提案した。その話に兄や一部の幹部が興味を示したのだった。

 しかし、死体を利用する製造方法に対して軍内から反対意見が出てくることは容易に想定できた。そこで、軍ではなく、一個人の依頼で性能検証用の試作機を依頼することにした。

 その依頼主に名乗りを上げたのがアヤメの兄で、その有志たちが付けた名前がキキョウ計画だった。

 しかし、対ヌエの戦闘方法が次第に確立され、在来の生体甲殻機でも実績が出てきたことや、日頃から軍の活動や対応を強く非難する民政党などの勢力を警戒した結果、この計画は棚上げになったのだった。


 夜遅く帰宅したアヤメは、赤ん坊を抱え出迎えたサクラの足にすがるように泣き崩れた。

「サクラちゃん、ごめんね……。ごめんね……。ごめんね……」

 同じ言葉を繰り返すアヤメに、サクラは困惑するだけだった。

 しばらくして落ち着いたアヤメは、クニツナが横たわる部屋で事情を説明した。

「サクラちゃんの気持ち、よくわかった……。本当にごめんなさい……。お義父さんに提案したこと、今は後悔している」

 アヤメは、再び目を潤ませて、クニツナの安らかな寝顔が見えるケースをなでた。

「後悔はずるいわ、お義姉さん。お父さんとお兄さんのことを思って言ってくれたんでしょ?」

 サクラは、アヤメの謝罪に対し、むしろいらだちを見せていた。クニツナを見ながら、サクラは続けた。

「ウチのお父さんや、お義姉さんのお兄さんは、息子や妹のことを大事に思ってないって言うの? そんなことないと思う……。私はどうして割り切れなかったのか考えた。お兄さんとは、年も近いし、ずっと一緒に過ごしてきたから、自分を重ねちゃうんだと思ったの。なにか、生きたまま自分が別の物に変えられてしまうというか……。うまくいえないんだけど……。お義姉さんもそういう気持ちになったんだと思う……。私は、昨日と今日いろいろと考えて、お兄さんも本望かもって思えるようになった……」


 数日後、タカハシの勤めるフカガワ生体工業の社員がクニツナの遺体を引き取りにきた。ムネチカ、赤ん坊を抱くサクラ、アヤメがそれを見送った。

 それから後、ムネチカの〈フカガワ通い〉が始まった。ある時はアヤメを連れ、またある時はサクラを連れ、クニツナが生体甲殻機に生まれ変わる様子を頻繁に見に行った。

「タカハシさん、クニツナにはこういうよろいを着けて頂きたいのだが……」

 ムネチカが差し出したのは、平安時代末期から鎌倉時代に見られた大鎧の写真だった。

「サトウさん……。私もこういうのを着せられたらなあと、常々思っていますが、ものすごくお金がかかりますし、キセナガの動きが悪くなりますよ……?」

 と答えたタカハシ。しかし、その表情はどこかうれしそうだ。

「お父さん、どうする?」

 サクラが言った。

かぶとにお金がかかるというなら、烏帽子えぼし半頭はつむりという出で立ちでもいいのだが……」

 ムネチカが食い下がる。

「サトウさんのご希望は尊重しますが、むしろ鎧のほうにお金がかかるんですよ……。特注になるので、出来上がるまで時間もかかりますよ? 今用意できる素材でできるかどうか分かりませんから……。一応、見積もりましょうか?」

「うむ、お願いしたい」

「どのくらい時間がかかるかも聞いておいたら? お父さん」

「そうだな」

「あとぉ、私のほうなんですけど……、キキョウさんのヤツにこれを着させたいんですけど……、どうですか?」

 サクラが差し出したのはファンタジー漫画だった。表紙には、当世具足をデフォルメした女性戦士が描かれている。

「……これなら、ゴム金と装甲板ですぐに発注できると思いますよ。設計図ができたら文信で送ります」

 タカハシの言う〈文信〉とは、〈文書電信機〉の略称で、われわれの世界で言うファクスのことである。

「お父さんも、こういうのにしたら?」

「ふむ、当世具足風でも悪くないの。だが結論は、大鎧の見積もりをいただいてからじゃ」


 それから3カ月後、ムネチカとサクラ、赤ん坊を抱えたアヤメの3人がフカガワ生体工業の格納庫にいた。

 キセナガになったキキョウの所有権はアヤメに移っていた。


 納入を控えた軍の次期制式生体甲殻機ヨリマサ廿にじゅうが、座らせた人形のようなていでずらりと並んでいる。その中に黒い機体と桜色の機体が隣り合って置かれていた。クニツナとキキョウだ。


 クニツナは、黒い当世具足風の装甲服を身に着けていた。

 ヘルメットは当世具足のデザインで小さなしころもきちんと付いている。前立ては、ムネチカの希望で大鎧の鍬形くわがた風になった。ただし、本体のデザインに合わせて細く控えめの鍬形だ。

 面部分は、部品の配置や配線などの設計上の都合から現代的なデザインになっている。

 アヤメの生体義手に切り取られた右腕部分は、人工生体を使用して補っている。修復力は一般の生体甲殻機並だが、付け替えが効く。


 その隣の桜色の機体はキキョウだ。キキョウも当世具足風の装甲服を身に着けている。ただし、クニツナのものよりも曲線を生かした女性的なデザインが特徴だ。

 また、サクラの希望で、女性らしさをさらに際立たせるために、髪の毛を模したポニーテール状の飾りがヘルメットから出ていることも大きな特徴だ。飾りには軟性金属〈ゴム金〉が使用されている。


 鎧風の外装にもかかわらず、2機ともアンモパウチ対応のベルトを装備していることが一種異様に映る。


 数日後、ムネチカとサクラはトラックの行列に並んでいた。トラックは、フカガワ生体工業から借りたものだ。荷台には生体甲殻機に生まれ変わったクニツナが乗っている。

『役人どもは、無所属の個人業者には冷たいのお』

 生体甲殻機に乗って待機していたムネチカからサクラに無線が入ってきた。

「あまり期待されていない、ってことじゃない?」

 ハンドルを握るサクラが答えた。

 2人の乗るトラックは、ようやく受付手続きを済ませ、担当官に指定された場所へと向かった。

 途中、道路を挟むようにして、軍の生体甲殻機が何機も歩哨している。


「話で聞くより、ヌエが多いな……」

 ムネチカがつぶやいた。

 この日はたまたまヌエが多かった。


 指定された場所に近づくと、何機もの生体甲殻機が輪になっている場所が2カ所見えてきた。その上には、大型のヌエが数匹浮遊している。

 やがて、投網弾に絡め取られた1匹に数機の生体甲殻機が群がった。

『サクラ! ワシらも加勢に参るぞ!』

「本当に大丈夫? アヤメさんがいなくて」

『大丈夫だ! 何度言わせる! やり方は十分聞いてきたうえに、立ち回り方も道場で習って体に十分覚え込ませてあるて!』

 そう言うと、ムネチカはレバーをしっかりと握った。


「サクラ、車両を止めろ! さあ、起きろクニツナ。初陣じゃあ!」

 クニツナが体を起こす。


 立ち上がると、大型ヌエの1匹に向かって一目散いちもくさんに駆け寄る。

「ムネチカ、助太刀いたす!」

 何機もの生体甲殻機がヌエに向かって遠巻きに散水や牽制射撃を行っている中、その輪に飛び込むようにムネチカ機が切り込んでいった。

「危ない! そこのキセナガ! 下がりなさい!」

 1機が拡声器で叫ぶ。

 それに耳を貸さず、自機をヌエに肉薄させるムネチカ。上向きに牽制射撃をしていた1機のそばを通り、点線を描くように塩水弾を浴びる。

 ムネチカ機に気づいた1匹のヌエが上昇する。それに倣うようにほかのヌエもムネチカ機から距離を取り始めた。

「逃がすかあああああ」

 1匹のヌエの尾をつかんで強引に引き寄せると、ムネチカ機はホネクイを片手で背中に突き立てた。

〈ピキイイイイイ!!!!!!〉

「恐れをなしたか! ヌエどもめ!」

 他の生体甲殻機は、ヌエが突然逃げ出したことにとまどった。しかし、それをよそに、ホネクイを投げやりのようにして、別のヌエに投げつけたムネチカ機。ホネクイがヌエの臀部でんぶに刺さった。

〈ピキイイイイイ!!!!!!〉

 ほかのヌエが見る間に散っていく。うち1匹は弧を描いてムネチカ機の周囲を浮遊していたが、やがてほかの生体甲殻機の投網弾に絡め取られ、とどめを刺された。

 一方、ムネチカ機は、仕留めたヌエに駆け寄り、刺さったホネクイを抜き取ると、もう一度突き立ててとどめを刺した。あっけにとられるほかの機体を気にとめもせず、ホネクイのカートリッジを交換する。

 ほかの機体は、1機また1機と、別の集団の支援に向かっていった。


〈ヒョー、ヒョー〉

 ヌエの鳴き声が聞こえてくる。

 ムネチカが見上げると、2匹のヌエが上空で旋回している。

(ホネクイ弾とやらを使ってみようかの……)

 ホネクイを畳んでたすきがけにかけたムネチカ機は、ホネクイ銃を取り出し、弾を装填すると、上空のヌエ1匹に狙いを付けた。

〈ドスッ〉

 発射したホネクイ弾はむなしく青空に飲み込まれた。

(やっぱり無理か……)

 ムネチカ機は、周囲を見渡し、地上付近のヌエを囲んで戦闘している集団に向かっていった。


 ムネチカ機の足は格段に速い。ムネチカはほかの生体甲殻機と比較して初めて実感した。地上に近いところで浮遊しているヌエにぐいぐい近づいていく。

 この辺りの区域には、軍や民間企業だけでなく、ムネチカのようないわゆる〈フリーランス〉が駆る生体甲殻機もいる。

 いわば〈烏合の衆〉のような集団が、暗黙のうちに、にわかの隊形を組んで慎重にヌエに対処していた。

 しかし、そこに割って入ってきたのがムネチカ機だ。

 牽制射撃をしながら、投網弾や拘束弾を発射する中に飛び込んで、ヌエの1匹にホネクイを突き立てる。

〈おい、そこのキセナガ! 邪魔をするな!〉

 1機が拡声器で怒鳴る。

 しかし、それに耳を貸さず、投網弾に絡まったもう1匹のヌエにもホネクイを刺した。

「どうだ! サクラ! すごいぞクニツナは!」

 無線を通してサクラに誇らしげに言うムネチカ。

『お父さん、息が荒いけど大丈夫?』


 ムネチカは、ほぼ1日おきに4~5時間、地下都市開発の工事現場に通った。

 しかし、初日にたまたまヌエが数多くいただけであって、行くたびに遭遇するとは限らない。ヌエが現れなければ、その時間ずっと歩哨しているか、トラックの荷台で待機していなければならない。

 何もしないでいることはつらいものだ。知らずに疲労もたまる。


 2週間もすると、ムネチカは体調を崩してしまった。

「お父さん、大丈夫? 起きられる?」

 サクラが寝床の父に声をかける。

「寝れば治る。大丈夫じゃ……」

「本当? お父さん……。昔から、痛いとか、かゆいとか、苦しいとか、そういうの全然言わないから……」

「寝れば治る……」

 結局、2日間、食事と手洗い以外は床に伏せていた。


 体調が良くなると、再び工事現場の警備に出かけたが、3日もすると、同じように床から出られなくなってしまった。

 そこで、サクラはアヤメと相談し、医者を連れてくることにした。サクラには、父に警備を控えさせたいという意図もあった。

「疲労ですな。そのお年で何度もキセナガに乗るのは、大変体に負担をかけているはずですぞ。疲労の蓄積は、病気やケガの元ですからな」

 案の定、医者もムネチカに無理は控えるよう忠告してくれた。

「お義父さん、お気持ちはわかりますが、無理はやめてください。クニツナさんには私が乗ろうと思います……」

 アヤメが床に伏せるムネチカに静かに言った。

 人手は、タカハシが勤めるフカガワ生体工業から借りることにした。

 生体甲殻機の行動記録を提供するという条件で当初から管理費を比較的安く抑えてもらっていたが、タカハシから直接現場に同行してデータを取りたいという希望もあり、フカガワ生体工業との人件費の折り合いさえ付けば、タカハシほか1名を貸し出す用意があると以前から聞いていたのだった。

 そのようなことを家族で検討していた折、クニツナの兄、ミツヨが実家を訪れた。以前から家族に伝えていたように反社会的組織の逮捕協力を求めに来たのだった。

「誰がなんと言おうと、ワシは行く! 皆の者、止めてくれるな!」

 ムネチカが布団から体を起こした。

「それは、いけません。父上……。先ほども申し上げたとおり、アヤメさんとサクラにお願いします」

 ミツヨがなだめた。

 ムネチカは、不満そうな面持ちで再び床に体を倒した。半ば〈ふて寝〉である。

「それでは、アヤメさん、サクラ、今度町方で教習会があるので、また連絡します……」

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