やっぱり、――なんていなかったね
「どうしたの? そっちが来ないなら、こちらから行くわよ?」
彼女は余裕たっぷりの態度で、こちらを眺めている。
僕は、彼女のその様子に違和感を覚えていた。
「やっぱり、声が女っぽいですよね?」
如月が言うには、選管が抜擢する鬼役は、前回までは全てオッサンだったらしいが……。
僕の言葉に、如月は首肯する。
「ああ。雌型かもしれない」
「他にいくらでも言い方あったでしょうに」
巨人かよ。
「ところで工藤くん。一つ、提案があるんだが」
「何です?」
如月は、真剣な表情で、言った。
「……一回、あの子に捕まってみない?」
「アンタまで何を言い出してるんですか!?」
そういうのは服部だけで十分だった。
……いや、待てよ。
如月は、たまに何を言っているのかわからなくなる時もあるが、服部と違って、合理的に物事を考えられる人間のように見える。
何か策があるのかもしれない。
「もしかしたら、中には本物の美少女が混じっているかもしれないだろう?」
「いるわけねーだろ! 現実を見ろ二枚目ぇ!」
ダメだ。
錯乱してるだけだった。
「あの子、かなり可愛くない? やべーよちょー付き合いてーわ」
さっきまでの不敵な態度はどこ行ったんだよ。
「どうせブスかババァですよ。声が高い男っていう線も捨て切れませんが、何にせよ見た目通りってことはあり得ないでしょう」
今更、選管をプラスの意味で信頼など出来るはずがない。
「――よく言った。流石、たかしくんだ」
「たかしじゃねーよ誰だよたかしって」
僕の名前が、工藤たかしになってしまった。
本当に誰だよ。
「というか、もしかして試されてました?」
「すまない。でも、彼女の絶対領域に耐性をつけておくためには、君の猜疑心を刺激するのが一番手っ取り早かったんだよ」
如月は肩を竦める。
「まぁ、服部さんに起こった惨劇を忘れたわけじゃありませんからね」
僕の言葉を聞いた如月は、満足そうに頷いた。
「彼女の絶対領域は強力だ。おそらく、限りなく4:1:2.5に近い。発動の兆しが見えたら、すぐに目をつぶるんだ。いいね?」
「はい」
とりあえず、あの謎の口上が出る直前に目をつぶればいい、ということだろう。
どういう原理であの力が働いているのかは分からないが、そんなことを言い出したら、如月の遊○王カードの捌き方も色々おかしいのだ。
……考えても、答えの出ない問題だろう。
僕は思考を放棄した。
「すまない。待たせたね」
如月の謝罪の言葉に、少女は笑顔で答える。
「構わないわ。どうせ結果は変わらないし」
「強気だね。他の鬼たちは出払ってるのかな?」
「逆。もう残ってるのはあなたたち二人だけなの。私以外の三人は、捕らえた他の参加者たちと今お楽しみ中だから来ないわ」
捕らえられた予選参加者たちと鬼の間で、何が行われているのかは想像したくなかった。
誰得である。
「なるほど。増援を警戒しなくていいのは助かるな」
如月がカードを取り出した。
臨戦態勢だ。
「それじゃあ、始めましょうか」
少女は妖艶に微笑んだ。
「――おいで、坊や。可愛がってあげる」
先に動いたのは如月だった。
「すぐに裸に剥いてあげるよ――っ!」
如月は、左手から大量のカードを頭上に向かって投げた。
「――!」
少女が目を見開いたのも無理はない。
その数は、なんと二十。
空中で回転し複雑怪奇な奇跡を描きながら、それらは不遜なる少女に迫る。
目標は、やはりスカートだろう。
最優先すべきは、こちらの動きを妨害する絶対領域の破壊だからだ。
いける、と思った。
先ほど如月にやられたハゲは、カード四枚すらまともに避けられなかったのだ。
あの少女が、二十枚ものカードを捌き切れるとは思えない。
「……ふっ」
だが、少女は笑っていた。
「なっ!?」
彼女がその手に持っているものを見た僕は、驚きを隠せなかった。
「はあああああああああああああああっ!!」
少女が吼える。
そして、その腕を振るった。
彼女の手に握られているのは、手錠だった。
いくつもの手錠を連結させて、鞭の如く振り回しているのだ。
それは蛇のようにうねりながら、如月が放ったカードをことごとくはたき落とす。
「……ふう」
少女が一息ついた。
「……あれはなかなか、厄介だね」
自身が放った全てのカードをはたき落とされた如月は、思案顔だ。
「すげぇ……」
僕は驚嘆していた。
あの技量は並ではない。
彼女も消耗していないわけではないようだが、如月がもう一度同じようにカードを投げても、結果は変わらないだろう。
それに、カードも無限に湧き出てくるわけではない。
さっき少女によってはたき落とされたカードは床に散らばったままだし、如月が残り何枚カードを持っているのかもわからない。
しかし、だ。
状況はこちらに有利に思える。
腕時計を見ると、もう六時五十一分だ。
予選終了まで、残り四分。
それぐらいならなんとかなるんじゃないか、という思いがあった。
あるいは、それは如月にも同じように芽生えていたものなのかもしれない。
そう。
僕たちは油断していた。
だから、反応が遅れたのだ。
「――絶対領域」
少女がその言葉を口にした瞬間、僕の視界が暗転する。
「しまった!」
如月の声が、やけに遠い。
「……あ?」
だが、すぐに元に戻った。
いつの間にか、床に倒れこんでいたようだ。
「……不発か?」
僕は辺りを見回す。
「目を閉じろ、工藤くん!!」
そう叫ぶ如月の姿を見て、自分がいかに愚かな失敗をしたのかを悟った。
「――絶対領域ッ!!」
少女の叫び声と共に、今度こそ、僕は深い眠りに落ちていく。
「――――――――――――――――――――」
そこは、楽園だった。
たくさんの、脚。
見渡す限り、脚。
美しい脚。
絶対領域。
絶対領域。絶対領域。
絶対領域。絶対領域。絶対領域。
絶対領域。絶対領域。絶対領域。絶対領域。
絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域絶対領域――――――――
「気持ち悪いわぁぁぁああああああああっ!!」
僕は目を覚ました。
……恐ろしい夢を見たような気がする。
「……うっ。思い出そうとしたら、目眩が……」
「無事か!? 工藤くん!」
如月も無事のようだ。
「すいません。ご心配おかけしました」
状況はそれほど変わっていない。
「馬鹿な!? 私の絶対領域が破られた!?」
少女が、驚きの声をあげる。
「念のために、工藤くんに耐性をつけておいて正解だったよ。まさか絶対領域まで使ってくるとは思わなかったけど」
そういえば、さりげなく技? の呼び方が変わっていた。
ハゲの時とは違う技だったのかもしれない。
「さて、そろそろ時間も押してきたね」
如月は左手を、カードが収納されたケースに突っ込む。
「決着をつけようじゃないか。――おばさん」
「……ええ。そうね」
少女は頷いた。
「あなたには、少しお仕置きが必要よ――ね!」
少女は怒りに満ちた表情のまま、両手に鎖状の手錠を持ち、如月に迫る。
如月は涼しげな顔でそれを迎えた。
「はぁっ!!」
少女の手錠による攻撃を、如月は左手に持ったカードで防ぐ。
「くそっ! 何でそれで防げるの!?」
少女の悪態も尤もであろう。
普通折れるよ。
「……このまま、時間が来るまでそれで逃げ続ける気?」
少女が、静かに問う。
残り時間は、二分を切っていた。
「もちろん。元々鬼ごっこって逃げるものだしね」
如月は平然とそう返した。
「……そう」
少女は少し残念そうな表情を見せる。
「でも、これだけは言わせてもらうわ」
少女は首を横に振り、告げた。
「――それは、美しくないわ。如月さん」
その言葉を聞いた瞬間、如月の表情が確かに変わった。
それが、どのような感情を表したものなのかはわからない。
「……いいだろう」
如月は天高く右腕を上げて、宣言する。
「君に、とっておきを見せてあげるよ」
そう言って、如月は防御に使い左手に持っているカードの先端部分を、右手の指で摘まんだ。
そして、そのカードに明確な変化が訪れる。
カードが伸びた。
「どうなってんのそれぇ!?」
納得できる回答など得られるはずがないのに、思わず突っ込んでしまった。
少女も、驚きで目を見開いている。
彼女がそうしている間にも、どんどんカードは伸びていく。
その様子は、よく手品で見る、握りしめた右手の隙間から、左手で色付きの布を半無限に取り出す、アレによく似ていた。
「お待たせ」
如月がそう口にした時には、カードは2mほどの長さになっていた。
「すごい、です」
としか言えない。
「聖剣“ビガイ”だ。伸ばしすぎたせいで本体がクソ長い釘みたいな形になっちゃってるけど」
相変わらず、如月が何を言っているのかはよく分からない。
分からないが、僕は察した。
「それが、あなたの最強の武器?」
「……そうだよ。今、俺が使える最高の武器だ」
この、勝負の行方を。
「…………なるほど」
少女は瞳を閉じた。
「……来なさい。どちらが勝っても、これで最後よ」
それは、彼女なりに覚悟を決めたということなのだろう。
「ああ。わかっている」
その言葉を聞いた少女は、目を開けた。
「…………」
如月は、無言でその剣を振った。
それだけで、十分だった。
「――――っ」
少女が操っていた手錠は一刀両断され。
「――――――――――――――――――あ」
黒いチェック柄のスカートも、その役目を終えたかのように、はらり、と床に落ちる。
そのまま、少女は床にへたり込んでしまった。
そして、少女の素顔が明らかになった。
黒髪の、地味な少女だった。
先ほどまでのような、超美形、とまではいかないものの、磨けば輝きそうではある。
かなりノリノリだったし、コスプレとかが好きなのかもしれない。
「……私の……負け、ね……」
少女は柔らかく微笑むと、そのまま気を失った。
「……ああ」
如月は天を仰ぎながら、瞳を閉じ、呟く。
「やっぱり、美少女なんていなかったね」
如月のその言葉と共に、小学校の鐘が鳴った。
それは、この短いようで長かった戦いの終わりを告げるものであり。
あと、やっぱ如月って面食いなんだ、と僕が認識した瞬間でもあったのだった。