他人の不幸は蜜の味
如月が腰に付けたケースから取り出したのは、カードの束だった。
「何ですかそれ?」
如月は僕からのその質問に、自慢げに答える。
「よく聞いてくれた。これは俺の魂そのものだよ」
「そういうのいいんで、わかりやすく説明してもらえますか」
「…………遊○王カードだよ。知らない?」
確かに、如月の手に握られているのは遊○王カード以外の何物でもない。
「名前ぐらいなら知ってますけど……そんなもの何に使うんです?」
「まあ、見てて」
如月は、束からカードを四枚取り出し、それらを左手の人差し指と中指で挟み込む。
そしてなんと、無造作に上に放り投げた。
「え?」
四枚のカードは廊下の天井スレスレのところまで上がる。
それらは空中で上下左右に分かれ回転しながら、服部に太ももを撫でられている少女のところまで飛んでいき、
少女のスカートを両断した。
「――!」
少女は驚きに目を見開く。
そのまま空中で複雑な軌跡を描きながら、四枚のカードはブーメランの如く如月の手に戻った。
「……ふっ。レアカードに傷がついたわ」
「どうやったんだ今の!?」
「元決闘王として、これぐらいは出来ないと舐められるからね」
「いやいやいやいや」
明らかに切れ味とか物理法則とかその他諸々がおかしなことになってたよ。
「とにかくこれで、神の絶対領域は破壊された。服部さん、もう動けるでしょう?」
「絶対領域をなくす為だけにあの子のスカート破ったのかアンタ」
一見常識人っぽかったこの人も、おかしな言動が目立ち始めたぞ。
……このままこの人たちに同行して本当に大丈夫なのだろうか。
不安になってきた。
「…………」
「……服部さん?」
如月が訝しげな声を上げた。
服部は動かない。
「…………」
……いや、違う。
あれは、動けないのだ。
「……あ、やべ」
ここに至って如月は、ようやく何が起こっているのかを把握した。
「あの子、パンツ丸出しじゃないか。完全に失念してた」
セーラー服の少女は、スカートを失った今も、服部の体に密着している。
「……お……おふ……」
服部が声にならない声を発した。
小学生っぽい服装のゴツいオッサンが、パンツ丸出しの美少女に密着されている。
客観的に見るとすごい状況だ。今なら警察に通報しても誰も僕を咎められまい。
「あー、魔法使いには刺激が強すぎたか」
如月が面倒臭そうに呟く。
服部の顔の気持ち悪さは、もはや僕ですら直視できないレベルに達していた。
「服部さん、正気に戻って下さい。ランドセルの中の物を使えば、簡単に振りほどけるでしょう?」
……あのランドセルの中には、一体何が入っているのだろうか。
「…………ういい……」
「え? なんだって?」
如月がプリン頭の鈍感野郎の如く聞き返すと、服部は大声で叫んだ。
「我、もうこのままでいい! 零票確認なんてしなくていい! ずっとこのまま、この子のふとももをさわさわしてたいっ!」
それは、ある非モテ男の、魂の慟哭だった。
「うわぁ……」
当たり前だが、ドン引きである。
頭のネジがぶっ飛んで、幼児退行してしまったのか。
「…………」
その言葉を聞き、如月が動きを止めた。
「如月さん?」
「……どうやら、随分と舐めたマネをしてくれたみたいじゃないか、選挙管理委員会さんは」
……違う。
如月を止めたのは、服部の魂の慟哭(笑)ではない。
僕は、改めて少女のほうを見た。
「なっ!?」
そして、絶句した。
「あらぁ?」
少女だったものは、疑問の声をあげる。
僕は、そういえばこの少女が、先程から一言も言葉を発していなかったのを思い出していた。
その元少女の声は、もとの外見に対してやけに低く。
少女だったものは、ハゲ散らかしたオッサンに変貌を遂げていた。
「いやん。取れちゃったぁ」
元少女――いや、ハゲのオッサンは、まるで少女のような言葉使いでそんなことを言った。
「え、何あれ!? どうなってんの!?」
「さぁ? どうなってるんだろうね」
如月も不思議そうな顔をしている。
そりゃそうだろう。
服部に抱きついていたのは、さっきまで茶髪の美少女だったはずなのに、気が付いたらハゲのオッサンになっていたのだから。
「……スカートに術式が……いや、スカートだけじゃなくて、ついでに他にも何か切れた、ということか?」
如月が何やら考察しているようだが、何を言っているのかはよく分からない。
「……くそっ、選管め……ふざけた真似を……っ……!」
「如月さん、自分から捕まりに行った人が何か言ってますよ」
「ねぇねぇ、どんな気持ち? 今、どんな気持ち?」
如月が小躍りしながらゲス顔で放ったNDKが、服部に炸裂する。
他人の不幸は蜜の味なのである。
「ねぇ? 服部さん?」
ハゲが、服部の耳元で囁く。
「あなた、カトウのタカに転生したいんでしょう?」
「……き……貴様……なぜ……我の望みを……」
「カトウのタカって何だよ」
僕の質問にも服部の質問にも答えずに、ハゲは言葉を続ける。
「だからぁ、諦めの悪いあなたのためにぃ」
ハゲは服部に負けず劣らず気持ちの悪い笑みを浮かべて、言った。
「私がぁ、綺麗さっぱり諦めさせてあげるねぇ」
……何をおっしゃっているのだろうか、こいつは。
「ねぇ、知ってるぅ? 一生魔法使いのままだった坊やが、カトウのタカに転生できない、唯一の例外を」
「……例外、だと?」
「キスした経験があることよぉ」
服部の表情が凍る。
「キスはリア充と非モテの境界を司っていると言っても過言じゃないの。そのフィルターに引っかかってしまえば、童貞でも転生できないのよぉ?」
「――――――ッ!?」
ハゲが何をしようとしているか察した服部は、必死で抵抗する。
「ああん、動いちゃダメよぉ?」
が、あの筋肉達磨の渾身の力をもってしても、あのハゲのホールドからは抜け出せないようだ。
このままでは、ハゲとハゲの口づけという割と笑えないレベルの悲劇が起こってしまう。
……僕一人の力では、惨劇を止められない。
そうだ、如月がいるじゃないか!
「何とかならないんですか、如月さん!?」
「え? なんだって?」
「それは今やらなくていいんだよぉぉ!!」
如月は何故か話を聞いていなかった。
「……や、やめろ……我は……我は…………」
「いただきまぁあす!」
「ふぐっ――――――――――――!!」
「あ」
手遅れだった。
「…………っふ……」
「………………」
何か、色々と入っちゃっていた。
「……ぷはぁ」
「………………あ…………あ……」
二人の口の間に銀色の橋が架かり、消えた。
「我の……我の純潔が……ぁ……っ」
服部は放心している。
最後の希望が絶たれた、彼の今の気持ちを代弁できる者など、いるはずもなかった。
「……よく分からんが、服部さんをいぢめるのも、それぐらいにしておいてくれないか」
如月が発した言葉は、あまりにも遅すぎた。
それに、いぢめるどころか、色々と大切なものが奪われて、完全に心が折れてた気がするんだけど。
そんな僕の内心など知る由もなく、如月は再び手元にカードを構えた。
「……そのスカート」
如月は、ハゲの足元に落ちているスカートの残骸を見ながら言った。
「あ、わかるぅ?」
服部を締め上げていたハゲが、如月の言葉に笑顔で反応する。
「それを着ければ、誰でも簡単に美少女になれるのか?」
「えーえ。このスカートを着けて迫れば、男なんてイチコロよぉ」
すいませんすごく怖いです。
「まあ、声はそのままだから、喋ったりはしないほうがいいんだけどねぇ」
それはそれで、ミステリアスな雰囲気が出て落としやすいのよねぇ、と何やら恐ろしいことを口走っているハゲが一人。
「だが、お前の切り札はもう無くなった」
その言葉を聞いて、ハゲの顔から笑顔が消えた。
「……ふーん。で、どうするの? 私は今すぐにでもこいつを手錠で拘束出来るんだけど?」
「ううっ……」
ハゲに関節を固められた服部が、苦しげに呻く。
「……確かに、鬼ごっこで実力行使に出るのは御法度だ」
如月はそこで一度言葉を切り。
「――だが」
告げる。
「お前、俺のカード捌きを見ただろう? ――お前の残り少ない髪の毛、全部刈り取ってやろうか?」
如月、あんた、えげつないこと言うね。
「……なるほど」
ハゲは、服部を床に転がし、ローファーで踏みつける。
「イケメン君、やる気みたいだから、私もちょーっと本気出しちゃおうかなぁ――」
そう言いながら、セーラー服の下から新しいスカートを素早く取り出し、装着するハゲに対して、反応が遅れた。
「しまった! 目を閉じろ、工藤くん!」
再び、目の前にセーラー服を身につけた茶髪の美少女が現れ、一言。
「――絶対領域」
「ぐ……っ……」
だからお前らのその謎の共通認識は何なの、と突っ込もうとした瞬間、身体中がとてつもない倦怠感に包まれた。
「…………あ……」
そのまま廊下に座り込んでしまう。
……熱い。
身体が、熱い。
「……な……にが…………」
起きたんだ、と続けようとした僕の言葉は、遮られた。
僕の目の前に、突如として現れたもの。
それは、美しい脚だった。
折れてしまいそうなほど華奢な脚。きめ細やかな白い肌。それを、チェックのスカートと黒のニーソックスがやさしく包んでいた。
そう、そこだ。
スカートとニーソックスの間に存在する、神域。
「……ぜったい……りょういき……」
ああ。
ぼくは、ひとつの真理に至ったのだ。
「そこに……いらっしゃったのですか……」
涙が溢れそうになった。
そうか。
そうだったんだ。
「……ぼくは、この日のために……生まれてきたんですね」
なんと。
なんと、素晴らしき日であろうか。
感謝を。
この世の全てのものに、感謝を。
「……すぐに……そちらに……」
ぼくは、神に向かって手を伸ば――
「工藤くん!!」
「げぼぁっ!!」
重い衝撃を受け、僕は壁に激突した。
そして、一気に現実が戻ってくる。
「……あ……あれ? ここは……?」
「無事かい、工藤くん!?」
如月が珍しく取り乱していた。
「ギリギリ間に合ったみたいだね。もう少しで、絶対領域に取り込まれるところだった」
「あ――」
そうだ。
僕は、あのハゲの絶対領域を直接見て……。
……?
「結局何だったんだ、あれは?」
「とにかく逃げよう。何とかハゲの心はへし折ったけど、言ってる内に他の奴が来るから」
「は、はい」
見ると、さっきのハゲが気絶していた。
僅かにあった髪の毛は綺麗さっぱり無くなっており、スカートも、見るも無残な姿になっていた。
「……散髪に行ったと思って、元気出してね」
無茶である。
「よし、行こう」
如月の声に反応した僕だったが、そこであることに気付いた。
「あの……服部さんは、連れて行かないんですか?」
服部が、見当たらなかった。
「……見てみて」
如月は目で示した。
廊下の隅にボロ雑巾のように横たわっている男を。
「! 服部さん!」
服部さんは、気絶していた。
そして、その手には手錠がかけられていた。
「……………………そんな」
「……一度、手錠をかけられた以上、予選は失格だ。気絶してるし、置いて行くしかない。残念だけどね」
如月は悔しそうな表情を浮かべていた。
彼にしても、無念だったのだろう。
「……俺たちは勝つよ。服部さんの死を無駄にはしない」
「……はい!」
僕たちは、改めて勝利を誓い合った。
絶対に、勝つ。
勝って、零票確認をするんだ。
「盛り上がってるところ、悪いのだけれど」
背後から、声がした。
ねっとりと、絡みつくような。
けれど、男にしては不自然なほどに高い声が。
「あなたたち、ここで終わりよ」
僕と如月は振り向いた。
僕たちのほんの数m先に、セーラー服に身を包んだ、黒髪ロングの美少女の姿があった。
僕と如月は後ずさりする。
少女の表情は、花が咲いたような笑顔だ。
だが。
その少女が発している雰囲気は。
「私に捕らえられて逝けるのよ。光栄に思いなさい?」
圧倒的に有利に立つ捕食者の、まさにそれだった。
「……ふっ」
少女の言葉を受けて、如月は笑った。
「面白い」
カードを構える如月の目に、獰猛な光が宿る。
現在、午前六時四十五分。
まだ、戦いは終わらない。