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 僕は、新江ノ島水族館のイルカショーを眺めていた。ただし、今日は土曜日だったし、隣にいるのは先輩ではなく従妹の玲奈だった。どうしてこういうことになったかといえば、叔母夫妻が鎌倉を観光するあいだのお守りを押し付けられたのだ。それはまあ、いい。確かに、十歳の子供に鎌倉の寺社巡りは面白くもないだろう。玲奈は僕に懐いているから、僕が任されるのは仕方ない。しかし、どうして水族館(ココ)なのか。確かに、実家の直ぐ近くではあるけれど。溜息を吐く。

「おじちゃん、どしたの」

「……だから、お兄ちゃん」

 訂正するのは、何度目か。おじさんと呼ばれるのは、せめて、二十五歳を過ぎてからにしてほしい。心底、そう思う。

「イルカさんって賢いんだねえ」

「ん、あー……確か、体重に占める脳の割合が人間の次に大きいらしい」

 ショーを眺めて感嘆する従妹に、そう応じる。勿論、先輩からの受け売りだ。が、小学生に理解できるはずもない。

「……ぶっちゃけ、どゆこと?」

「人間の次に頭がいいかもしれない、ってこと」

 先輩がこの場にいたら、一時間コースの講義が始まることが確実な答えだった。が、玲奈は感心してくれたようだった。

「おお! すごい!」

 それとも、その歓声はイルカの演技についてだっただろうか。よくよく考えてみると、そうかもしれない。何しろ、玲奈の視線は僕でなく、ステージに向いていたから。

 ショーのプログラムが終わったあとも、玲奈の興奮は覚めなかった。イルカを間近で眺めたいとせがむので、最前列にまで連れていく。プールの外壁は、客席側は透明になっていて、既に同じような親子連れが――いや、僕達は親子ではないけども――集まっている。イルカの側も心得たもので、子供の目線くらいの高さでゆっくり泳いだり水面から顔を出して鳴いてみたりして、子供たちを喜ばせていた。写真を撮ろうとする客がいると、ゆっくりと静止するように泳ぐ。僕が携帯電話のカメラで玲奈を撮ってやったときも、同じフレームに写るように間近を遊弋してくれた。存外、人間の次に頭がいいというのは、的外れではなかったのかもしれなかった。

 そうすると、先輩の実験は、面白いことになるかもしれない。先週の動物園で記録したログを見せて貰ったけれども、何というか、カタコトの日本語しか喋れない外国人との、単語を羅列する会話のようだった。サルの類は幾らかマシだったけれど、きっと、サルよりもイルカのほうが頭が良いはずだ。どんな結果になるのか、今から、楽しみだ。


 そうして、翌日。僕は、だるい身体と痛む頭に鞭打って、待ち合わせの駅へ向かった。子供の体力が無尽蔵というのは本当で、水族館から帰ってからも延々と遊びに付き合わされた挙句、深夜まで大人たちの宴会に無理やりに付き合わされて、許容量を遥かに超えるアルコール分を摂取させられていた。それは、アセトアルデヒドとかいう二日酔い物質となって、いまも体内に残っている。市街地を縫うように走る江ノ電に揺られるうち、つい、眠ってしまいそうになる。

「なんだか、お疲れみたいだね?」

 先輩の言葉で、うとうととしかけた意識が引き戻される。その先輩は、乗りたかったという江ノ電に乗ったせいか、なんとも楽しそうだった。白いワンピースに麦藁帽子という、いわゆる典型的美少女ファッションだったけれど、先輩ほど背丈があると美少女という表現はなんだか違う気がする。第一、少女という歳でもない。それに、ポニーテールなのは何故だろう。明らかに、帽子を被る邪魔になると思うのだけど。

「湘南の海岸なら、こういう格好が様式美だと思ったんだけど」

 そんな様式美はありません。脱力しながら、僕はそう告げた。

「そうなの? どうでもいいけど、歳は余計。減点イチだよ、葉山くん」

 全く以って、そのとおりだった。素直に、頭を下げる。けれど、先週と違って荷物を持たされることはなかった。いや、というよりも。

「……そういえば、先輩。ノートパソコンは、どうしたんですか?」

 そう訊ねると、先輩は嬉しそうに笑みを浮かべた。どうやら、それが本日のツボだったらしい。

「よくぞ聞いてくれました――今日はアプリ版の実験も兼ねてるの」

 小さなポシェットから先輩が取り出したのは、数年前から流行しているタブレット端末の最新型だ。メーカの用意したストアで、ユーザが開発したアプリケーションを売買できるという機能を持っている。最終的に、そこで売るつもりということだろうか。

「売るっていうより……使いやすいように、かな。ユーザのコメントで、外で使うには不便、ってあったから」

「ああ、なるほど」

 確かに、そうだ。ノートパソコンのユーザならまだしも、デスクトップを持ち運ぶわけにもいかない。そういう意味では、携帯というのはベターなツールだ。本来が電話なのだから、わざわざマイクを買う必要もない。

「まあ、でも、こないだ教授(せんせい)からこってり絞られたから……ま、百円くらいで?」

 きっと、また、教授に怒られることになるだろう。もっとも、先輩がウェブで公開したβ版は、一週間で十万ダウンロードを超えていたから、百円で売っても一千万円ということになる。実際は、有料になったことで幾らかダウンロード数は減るとは思うけれど、それにしても大した額になるのは間違いなかった。そのことを、指摘する。

「……そんなになる? まあでも、お金なんかはちょっとでいいのよ。みんなが自分のペットとかと話して、楽しんでくれれば」

 そういう先輩が、一番、楽しそうなのだ。混じりっ気のない純粋な笑顔は、二日酔いの視界には、とても眩しかった。数秒、我に返って。じっと見つめていたのが先輩に気付かれていないかと、慌てて視線を逸らす。と、いつの間にか電車は海岸線に出ていたようで、七里ガ浜の広大な海岸の向こうに、江ノ島が見えたところだった。

 煌めく海に浮かんだ、陽炎に僅かにぼやける島の影。砂州と橋とで本土と繋がった、緑で覆われた島。江ノ電の車窓から見えるもっとも綺麗な景色が、これだった。先輩が、子供のように歓声を上げた。

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