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 大騒動になったのは、休み明けの月曜日からだった。昼過ぎに研究室に顔を出すと、全員の視線が僕に集中した。

「……何。変な格好してる、俺?」

 その問いには、誰も答えてくれなかった。最初に耳に届いたのが、指導教授の怒鳴り声だったからだ。

「――葉山! どうして止めなかった、お前は!!」

 僕は、たっぷり数秒悩んだ後で、首まで真っ赤に染めた教授に本日二つ目の問いを投げた。

「……何をですか?」

 それは新たな怒声を招いたが、判らないものは判らないのだから、理不尽だと思うのだ。だけど、その思いは事情を聞くうち、薄れていった。

 教授や同期の仲間たちに引き摺られて、パソコンの前に。示された画面は、ソフトウェアのダウンロードサイト。リストに並ぶうちの一つ、『The Ring of Solomon Ver.β』――ソロモンの指輪、β版。

「あの、これが?」

 口ではそう言ったものの、ほとんど全ての事情を察していた。先輩は、ともすれば何千万――いや、何億円もの対価が得られたかもしれない発明を、事もあろうにフリーソフトとして公開したのだった。アップロードは、土曜日の夜。どうやら、僕と別れて帰ったあと、直ぐにアップロードしたらしい。そして、そのあと一日半でダウンロード数は三万を超えていた。おそらく、今日中には五万を超えているだろう。しかし、どうして僕が怒鳴られるのか。その答えは、直ぐに与えられた。

「ここだ、ここ!!」

 教授の指先に、目をやった。作者の欄。『Ryoko-Kawase』――それはいい。その下に、『協力:Yota-Hayama』。いや、ちょっと待ってくれ。どうして、そういうことになっている。ご丁寧に、作者のホームページとして設定されているのは、研究室のホームページだった。

「……いや、確かに実験の手伝いはしましたけど……まさか、こうするとは」

 それ以外に、言葉がなかった。よくよく思い返せば、確かに、趣味とは言っていたけれど。

「あ、でも……β版ってことは、そのうち有料にするんじゃ」

 そういう問題じゃあないと、また怒鳴られた。でも、僕に責任は全くない気がするのは気のせいか。この事件の主犯が鼻歌を響かせて登場したのは、そんなときだった。

 キャミソールにデニムのショートパンツ。それに、白衣を羽織ったいつもどおりの姿。いつもと違うのは、土曜日と同じように、髪をアップにしていることくらいか。

「葉山くん、一昨日はありがとうねー」

 空気の読めなさは、いつもどおりだった。先輩を除く全員の視線が、僕に集中した。悪いことは何一つ、していないはずだのに。


 結局、論文はほとんど進まなかった。教授からたっぷり二時間に渡って絞られたうえ、そのあと教授や研究室の皆に原理を説明するために、先輩の独演会が始まったからだ。それにしても、どうして僕まで一緒にお説教を受けることになったのか。今ひとつ、いや今みっつほど納得いかなかったけれど、お詫びということで先輩が夕食を奢ってくれたので、良しとしよう。どんなときでも、美人との食事は楽しいものだ。たとえ、連れて来られた店が、悪名高きイギリス料理の店だとしてもだ。

「……なんですか、それ」

 先輩の皿は、グロテスクだった。ぶつ切りにされた蛇のようなものを、得体の知れないゼリー状のものが覆っている。ちょっとしたスプラッタ映像だった。

「ウナギだよ。食べてみる?」

 フォークに刺さった塊が、目の前に突き出される。これが普通の料理だったら迷うことはなかったのだが、モノがモノだ。先輩に手ずから料理を食べさせてもらうという誘惑よりも、料理への抵抗感が上回った。僕にとって、いや九割九分までの日本人にとって、ウナギといえば蒲焼きか白焼きかのどちらかだろう。僕は、丁重に辞退することにした。

「そう? 美味しいのに。そうそう、ウナギといえば少し前、卵の採取に成功したってニュースがあったよね。ウナギの卵っていうのは昔から謎でさ、あのアリストテレスでさえ、ウナギは泥の中から自然に生じるって――」

 と、始まった。僕は油っこいフィッシュ・アンド・チップスを摘んで、無理やりギネスで流し込んだ。息を吐く。グラスのなかで沈み込むように見える、滑らかなチョコレート色の泡。ギネスのカスケード。どういう仕組みなのだろう。先輩に訊ねれば判るのだろうけど、たぶんそれは、無粋というものだろう。

「――で、次は魚で試したいんだけどね。土曜日、空いてる?」

「え?」

 どうやら、ウナギから魚類にと話がとんで、例のソフトのことに移っていたらしい。全く聞いていなかった。

「あ、ええと。今週の土曜はちょっと、実家に顔を出す約束が」

 これは本当だった。叔母の一家が東京観光がてらに訪ねてくるので、ということだった。

「じゃあ、日曜日は?」

 確か、叔母一家は千葉のテーマパークに行くと言っていたはずだ。正直、この暑いのに、ご苦労なことだと思う。

「空いてます」

「じゃ、決まりだね! このあたりだと……そうだね、江ノ島の水族館にいこうか」

「大学からだと、八景島のほうが近くないですか?」

「うん、江ノ電に乗りたいんだ」

 ということらしいので、新江ノ島水族館の最寄り駅は小田急線の駅だということは、黙っておくことにした。

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