せめてもの騎士道
戦神アカシア。
どうせ戦意高揚を図った英雄の与太話、そう思っていた。
実際にはそこそこ腕が立つ程度で、すぐにボロが出て力尽きると踏んでいたのは自分だけではないはず。それこそ、端から見ればただの小娘に鎧が付いた程度なのだから。
しかしこれはどういうことか。
手練れが槍で囲んでいたにも関わらず、未だに突くどころか穂先を掠めることすら出来ずにいる。
「――しゃあらっ!」
一人が死角から仕掛けたはずの一撃も、体が躱してから首がそちらを振りむくのだ。もはや後ろに目が付いているとしか考えられない。こんな奴は軍格闘術の師範にだっているようなものではない。
(騎士道精神に乗っ取りたいとこだけどな……。まず勝たなきゃいけないもんなぁ。ルイーグ隊長なんて見てるだけだしよ……)
時には不合理なほど徹底した騎士道を貫き、大陸に名を轟かせる騎士に憧れていた。しかしとうとう自分はなり損ねたらしい。
「マルザ、エルム。噴流嵐攻撃だ」
「了解。じゃ、あっしが二の手でいいですか? バラル副隊長」「了解。このエルムが三の手を務めさせて頂きます」
噴流嵐攻撃とは名前こそ派手だが、要するに打ち合わせがされた連携技である。その時の位置関係で担う役割が決まるのが特徴であり、生き残っているのが小隊の中でも錬度の高いこの二人で助かった。
それにアカシアは小娘まで守っていてくれたおかげでかなり消耗している。これなら肩の上下で呼吸を読むことも容易い。
女騎士が長い息を吐き、また吸い始める――その刹那を狙う。
バラルはアカシアを、マルザはローブの娘を狙って穂先を突き出した。
正面から仕掛けた一の手、バラルの槍はやはり見切られ、剣で軌道を逸らされた。そこにマルザが二の手を加えて守りを崩す算段だが、今回はローブの娘でアカシアの手を煩わせる。
「カルルっ、どけ!」
予想通りアカシアは小娘を庇った。槍を剣で躱しながら素晴らしい身のこなしで回し蹴りの要領で小娘を蹴り飛ばし、マルザの一閃から守ったのだ。やり方は強引だが感嘆の息が漏れそうになる。
しかしこれは決闘ではない。ただの殺し合いだ。
連撃を防いで態勢を崩したアカシアに必殺の一撃を叩き込むエルムが三手目に控えている。
(さあエルム――お前の錬度なら容易いだろう?)
しかし、その瞬間は訪れなかった。
「っ……」
バラルが目をむけた時、エルムは明らかに混乱していた。
槍を突き出す瞬間のために全神経をアカシアへ集中させていたのだ。そんな彼の目の前に蹴飛ばされた小娘が転がってきて彼の集中をかき乱し、判断を数瞬遅らせた。
ここまで狙ってやったのだとすれば末恐ろしい娘だ。
「――っ、せあぁ!」
気持ちは分かる。が、もう――間に合わないだろう。
体勢を立て直したアカシアはその一閃の突きを紙一重で躱し、代わりに長剣を振り抜いた。
頭と胴の甲冑の隙間、首を確かに刃が通過したのを見た。
(エルム……っ!)
ここで雄叫びの一つでも上げながらこの槍をアカシアに突き出せるのなら、バラルは死神に魂をくれてやってもいいと思った。
(畜生っ……)
それすら叶わないのはこの一度突きだした穂先を引き戻さなくてはならず、その隙が命取りになるからだ。それはマルザも同じで、もう間に合わないことくらい本人もわかっているはずだ。
――ほら、英雄様がもう剣を振り上げてる。エルムの次はマルザだ。なら俺はあと一発くらいはかませるか。……エルム、マルザ。散っていった部下よ――。
地獄に落ちても皆でまた馬鹿をやろう。
二人目の兵士も膝を折った。残るは自分のみ。目に映る騎士の背景には動かなくなった部下たちが横たわっている。
皆、いい奴らだった。
そしてすまない。最後の最期、自分はお前たちの仇よりも別のものを優先しようとしている。
やはりこれだけは許せなかった。
死を前にし、英雄を目指していたころの自分に後ろめたい気持ちを残したままになるのが怖くなった。
相手が誰であれ――腑に落ちないことには全力で抗わなければ人間は腐ってしまう。
賄賂を断った若き騎士が、それを思い出させてくれた。
「おおおおおっ!」
「くっ!」
避けられない攻撃なら刺し違えるまで、と決死の表情を浮かべ剣を構える騎士に胸中で礼を言い、体を反転させる。
残りの人生すべての気力を篭めた、アリシル旗下第一特務ルイーグ隊副隊長、バラルの一投。
最期の槍に相応しい相手をめがけ、槍は投げられた。
「――――」
その槍の穂先が先ほどアカシアによって切り落とされていなかったなら。重心の位置が狂っていなかったなら……確実にそれは心の臓を穿っていたに違いない。
投げられた槍は、折れなかったことが奇跡に思えるほど深く深く標的の背後の壁に突き刺さっていた。
「てめぇが死ねば……よかったんだよ……っ、クソ外道が……! あの世にてめぇの居場所が
あると思うな……よ…………」
投げた直後にアカシアの長剣を受けたバラルは倒れ、その顔は最期までルイーグを睨みつけたままだった。
腰を抜かして無様にしりもちを着くルイーグの背後では、激しく壁に突き刺さった槍がまだ残響に震えていたのだった。