救済の名の下に
「何だこれ……」
丘の上から見渡した平原には、確かに存在していたかつての村は無く、代わりに焼け落ちてまだ薄い煙を立ち昇らせている村の跡が残っているだけだった。
近付く毎にその様子は鮮明になり、出入りの門から民家の倉庫まで、村のほぼすべての建物が無残にも焼き落ちている。
カルルは呆然としながら村の中央の広場まで荷馬車を進め、そこでようやくこの惨状が誰によって引き起こされたのかを知ることとなった。
「兵士……?」
鉛色のの甲冑に身を包んだ兵士が十数人、どうやらこれは彼らの仕業と見て間違いないようだ。
「……貴女方は? 先に名乗って貰えますかな」
馬に乗った真鍮色の甲冑を着けた男が言った。ひとりだけ色が違うのは彼が指揮官で、槍を持った残りが部下ということだろう。歩兵の顔は甲冑で見えず、表情がわかるのはその年配の男だけだ。
二人は荷馬車から降り、質問にはアカシアが答えた。
「名はアカシアという。王都アリシルより、特命を受けている。ここを通ったのはその道中だ。貴官らは何者か」
特命とわざわざ口にしたのは彼らも同じアリシルの兵士だと判断したからだろう、とカルルは思った。アカシアの甲冑は少し仕様が違うようだが、見た目の特徴が彼らのと良く似ているのだ。
それを聞いた指揮官らしき男は年相応の柔和な顔で驚いた反応を示した。
「貴女がアカシア殿? ――なるほど、確かに話に聞く通りだが……随分とお若い」
「よく言われる」
そっけなくそれだけ返すと、おっと、と思い出したかのように男が続けた。
「いやはや失礼。私はルイーグ、ルイーグ・コルト。我々もまあ……特命といいますかな。……して、そちらのお嬢さんは」
思わずびくっと肩が跳ねた。それを怯えさせたと勘違いしたのか、ルイーグと名乗った男はわざわざ馬を降りてこちらに歩み寄ってきた。
「おっと……。馬上から挨拶など失礼をお許しください。しかし決して、貴女を怖がらせようというのではありません。どうか、お顔を上げて下さいませんか」
この年でその立場ならもっと高慢な性格を想像するものだが、ルイーグという男の物腰の低さは逆に相手を委縮させてしまうほどだ。別の意味で指揮官向きの人間性と言える。
しかしカルルは慌てて隣のアカシアを小突いて助けを求めた。
「ああ――ルイーグ殿、すまない。彼女は顔を人に見られるが怖いのだ。呪いを受けていてね」
あと数歩のところでルイーグが立ち止まったのがわかった。
「そうですか……それはお気の毒に」
ルイーグは振り返ると焼け焦げた家々を見渡して語り始めた。
「軍属……このような身ではありますが、人の心はまだ残しているつもりです。私はこれまでに赴いてきた地で、未来に傷を負った子供たちを多く見てきました。不幸な子供をひとりでも多く救済しい……それが私の望みなのです。……この村がこんなことになってしまったのは確かに我々のせいに違いありません。我々が役目を果たそうとすれば、必ずそれを邪魔する輩が居ますから。争いは耐えないのす。それでもここのような、余所でさらわれた子供を奴隷として使うような村はすべて潰さなければいけません。若い世代が我々の世代の苦労まで背負うことはないのですから。その世の中が実現するまで、どうか貴女にも強く生きていてほしい」
「ルイーグ隊……聞いたことがある。『救済の兵士』、と名高い?」
「お恥ずかしい。そう言って貰えるだけで――」
「嘘をつくんじゃねぇよっ!!」
瓦礫の陰から飛び出した男がそう叫んだ。すぐさま歩兵に取り押さえられ、地面に組み伏せられて凶器らしき農耕具を取り上げられてもなお、顔だけルイーグに向けて吠え続けた。
「なにが『救済の兵士』だっ! なにもかも奴隷の子供まで――」
その叫びはルイーグの靴の爪先が男の鼻を蹴り潰す音で途絶えた。
「黙らせろ」
男の口に猿轡が噛まされる。
「ルイーグ殿。これはどういうことか」
アカシアの声にカルルすらぞっとする冷たさが宿る。
それに答えるルイーグの柔和な笑みも先ほどとは違って見えた。
「なーに、逆恨みでわけのわからぬことを叫ぶのはよくあることです」
その視線が見えない取引でも持ちかけているようだったのがカルルにも感じられた。
「……ひとつ、お聞きしたい」
「? なんでもどうぞ」
「ここで『救済』された子供は?」
「それは……あそこの荷馬車の中に。我々の荷馬車です」
「人数は」
「……ひとりです。かわいそうに、他は皆、彼らの手によって。奪われるくらいなら殺してしまえと、凄惨な光景でした」
ルイーグに指を差され、兵士に縄で縛られた先程の男が暴れた。が、すぐに押さえられ、猿轡のせいで言葉も聞き取れなかった。
ルイーグがそちらを見ている隙にアカシアがカルルにそっと囁いた。
「カルル。君がここを離れる時に居た子供の人数はわかるか?」
「……十三人です」
「そうか」
アカシアは再びルイーグのほうに目を向けて、
「ならば、その亡骸を確認したい。よろしいか? ルイーグ殿」
「………………。……ええ、よろしいでしょう。では私に付いてきてください。――お前達はここで待っていろ」
「はっ」
槍を携えた兵士たちは威勢のいい返事とともに姿勢を正した。
ルイーグの後に続いて歩く途中、アカシアが耳打ちしてきた。
(私から離れるなよ)
「え?」
思わず聞き返したがアカシアはそれを無視してルイーグの後を追った。不穏に感じながらもカルルは少しアカシアに詰めて歩いた。
「子供たちはここで村の者に…………助けられなかったのが残念でした」
火の手を受けていないある建物の前に来るとルイーグが立ち止まった。
三人が中へ入るとそこにはただ物のように並べられた、変わり果てた姿の奴隷の子供たちの姿があった。
「ひどい……」
胃からこみ上げてくるのを堪え、カルルは惨状を目に焼き付けた。血の気の引いた幼い顔はすべて知っている。頭が真っ白になって倒れてしまいそうだった。
――それに……。
ここが穀物の倉庫に使われていたことをカルルは知っていたが、なぜ殺される寸前の子供が倉庫に居たのかという理由は思い浮かばなかった。いくら労働力が大事だからといっても食糧と同じ場所に閉じ込めたりはしない。
そういえば、ここに入れられていた穀物の袋も見当たらない。
「どうやら、奴隷用の倉庫としてここが使われていたのでしょう。我々が踏み込んだ時にはすでに……」
ぞくり、とカルルの肌が粟立った。
アカシアを見るが、彼女は倉庫に足を踏みいれてからずっと横たわった亡骸を慎重に調べていてカルルには目もくれない。
そんな彼女が唐突に声を発した。
「ルイーグ殿よ」
「……なんでしょう」
「たった十人足らずの戦力で、良くこの村を制圧出来たものだ。こんな村では特に抵抗も強かったろうに。おみそれした」
とは言いつつも声色は冷たいどころか棒読みに聞こえる。
感嘆の言葉が意外だったのか、ルイーグはこんなことを口にした。
「いえいえ。ろくに戦闘の経験も武器も持たない者など、どれほど束になっても怖くはありませんよ。農耕具や、刃物ですら山鉈程度でした」
「そうか……」
「もうよろしいですかな? 済んだことは仕方が無いとはいえ、ここにいるのはやはり心苦しい」
アカシアに背を向け、ルイーグが倉庫の扉に手を掛けた時だった。
「ふざけるな……それが気高きアリシルの老兵か」
その声の怒張にカルルは竦んでしまった。
「ほう……なにか失礼でもありましたかな」
「ここにいる子供は全員、そなたらの槍で殺されている。山鉈や農具でこの特有の傷痕はあり得ない」
「…………」
ルイーグは何も答えず扉を開け、二人が外に出るのを待った。
それ以外に選択が無く倉庫を出ると、距離を置いて兵士に囲まれていた。
「私とて、かの英雄殿と事を荒げたくはないのです。……わかっていただけますかな?」
微笑むルイーグは懐から拳ほどの良く膨らんだ皮袋を取り出し、近づいてきた。
「あの子供たちは、この村の者によって不運にも殺されてしまった。そうですね?」
「ああ、はっきりしたよ」
「それはそれは。良かった」
「切り捨てなければならないアリシルの恥部を見つけることができたのだ。こんなに喜ばしいことはない」
その言葉に場の空気が凍りつく。
ルイーグが「おい」と言うと、微動だにしなかった兵士達が一斉に槍を構えた。
「貴女方に……救済の余地はないようだ」
「そうか。もとより追われる身なのでな。――カル、私のそばを離れるな」
それからカルルには何が起こっているのかわからない時間がしばらく続いた。
突き出される槍の先端が見えたかと思えば、すでにその切っ先は切り落とされて地面に刺さっていて、足を払われたと思えば頭上を槍の穂先が真横に薙いでいたり。避けるどころか、本当にアカシアのそばに付いているだけで精一杯だった。
そして気がつけば、立って槍を構えているのもあと三人にまで減っていた。
兵士は均等に距離を取って三方向からこちらを囲み、一撃を繰り出す隙を狙っている。
対するアカシアは、肩で呼吸をしながら常に周囲を牽制している。その顔色には余裕が感じられず、もはや気迫だけで立っているように見えた。
アカシア自身だけならともかく、自分に向けての攻撃も数え切れないほど防いでいたのだ。そんな戦い方をして疲れないわけがない。
傍らでカルルは自らの無力さに歯を喰いしばることしかできなかった。