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おとぎ話

 草原の外には、「水の草原」が広がっていると内地の者達は言った。

 しかし船乗り達に尋ねると、彼らは内地に「緑の海」が広がっていると答えた。


 大昔の、とある冒険家が残した有名な台詞である。彼の偉業を讃える演劇では必ず冒頭にこの言葉が挨拶代わりに語られる。

「海は見たことないけど……似てるんだろうなぁ」

 どこまでも緑色の大地の中、そこに川の流れのように敷かれた草の生えない道を荷馬車で行く。

 この道を外れると方向を見失ってしまうため、決して離れてはならない。

 何も目印のない草原を無闇に歩こうものなら、それは目隠しをして彷徨うのと同義である。すぐに自分が真っ直ぐ歩けているかどうかが疑わしくなり、振り向きでもしようものなら今度は「前」がわからなくなる。

 話では海もそんな感じらしい。

 大きく違うのは草原には「道」があり、それさえ視界に入れておけば遭難することはないという部分だろう。

「ほんと、誰がこんな道を作ったんですかね?」

 ねえ? と御者台から後ろを振り返るとアカシアの大きな欠伸があった。御者台で馬の手綱を握るカルルからすれば、自称「見張り」の荷台でごろごろするだけのアカシアは暢気(のんき)なものだった。

「ふむ。退屈も過ぎると人は哲学的命題に挑むと言うが……」

「気分転換に、どうです?」

 手綱をアカシアに示して言ってみる。もちろん交代してくれるとは期待していないが。

「いや。私はここで怪しい輩を警戒する任があるからな。操舵はカルに専念してほしい」

「警戒、ですか……」

 草原の道には分岐こそあるものの、基本は一本道である。

 「怪しい輩」が来るとすれば、前か後ろかだけなのだ。時々振り返るだけしていれば、そう気に留めることでもない。

 人の真後ろで堂々と爆睡は気が引けるが、不可抗力でのうたた寝なら平気らしい。

 見張りに意味がないと気がついていないフリをしているにしては、どうも演技がうますぎる。

 ならば本気で警戒しているのか、かなりの天然なのか。

 心底どうでもいい推考だが、退屈しのぎにはこのくらいがちょうど良い。

「まあ半分は名目なのだがな。この状況で見張りなんて必要ないのはわかっている。それでも、もう半分は本気さ」

「……と言うと?」

「稀にだが、草原で旅をしていると『出会う』ことがある」

「――ああ、おとぎ話ですね?」

 親が子どもを怖がらせるのに使う、草原の悪魔のおとぎ話がある。

「はは。……そうだ、お伽噺さ。誰でも知っている有名な話。その、原作とでも言うかな」

「原作? あのお化けが、っていう話じゃないんですか?」

「いや。大体は同じだよ。そうさな、これはいつだったか……私が初めての遠征に出た時の話だ」

 雲がまばらな青空を見上げ、アカシアが語るのをシアンは背中で聞いていた。

 

 大地のほとんどが草原だとはいえ、地面の土が見えるくらい草の浅いところもあれば、背丈をゆうに超える、それこそ何かが隠れていて急に飛び出してきてもおかしくないような場所もある。

 その時は草の丈が腰くらいの、わりと深いところで野営をしていた。

 馬車が三台は横に並べるくらい道が太くなっていて、そこに数十名の傭兵が火を囲んで夜を過ごしていた。

 夜が更け、全員が雑魚寝をしているのが見渡せる位置にある馬車の上でアカシアも寝そべっていた。

 すると、月明かりの下で誰かがむくりと起き上がるのが見えた。

 (小便か……?)

 ふらふらとおぼつかない足取りで歩くその者は、あと一歩で草原というところで一度立ち止まると雑魚寝の一団を振り返った。

 それからやや間があって、また前を向くと草原に足を踏み入れていった。

 (道を見失うくらい離れるほど馬鹿じゃあないだろう……)

 そう思って瞼を閉じた直後、誰かが声を張り上げた。

「おい! お前どこまで行くんだ?」

 その声に起こされ、草原を歩く男の背中に視線が集まりだす。

「離れすぎだ! 小便くらいその辺で出来るだろう?」

「それとも、何かいいモノでも見つけたか?」

 一同に笑い声が響く。草原に現れる美女の悪魔のお伽噺に掛けた冗談だったのだろう。

 だがそれも、振り向いた男の一言に皆が凍り付いた。 

「お前ら……あれが、見えないのか……?」

 蒼白な面持ちでそう言った男を、誰も冗談とは思えなかった。

「じゃあ、あれは……」

 と、男は前に視線を戻した。

 そしてすぐ、

「わ、うわ――来るな! 離せ、このっ!」

「おいっ! どうした、戻ってこい! 戻ってくるんだ!」

 何もないはずの場所で必死にもがく男に周りの声は届かないらしく、挙句にその男は道に背を向けて奇声を発しながら走って行ってしまった。

「……とまあ、その男が見たのがお伽噺の悪魔かどうかはわからないが、そういうことが実際にあったということだ」

「…………」

「どうした?」

「いえ……そういう話は苦手なんです」

「そうだな。私も大の男が悲鳴を上げながら走り去っていったのには恐怖したよ」

 そっちかよ、とは言っても仕方ない。

 その手の恐怖に対しての耐性が自分にはないだけなのだ。能天気と言えば失礼だが、そういうところは羨ましい。

「その時に具体的に何が起こったのかは理解を越えるが、似たような話を方々でも耳にする。それがお伽噺のそれなのかは置いといても、だ。万が一があるということが言いたかったのだよ」

「……わかりました。それではまた見張りをお願いします」

「まかせてくれ。たとえ悪魔が出ようとも君には触れさせんよ」

 そう言われると複雑な気分だった。年上とはいえ女性に守られる立場というのは。

 だが実際にアカシアのほうが上手(うわて)なのだからどうしようもない。 事が起きれば今の自分は確実に足手まといだ。

 彼女がその気になれば荷馬車を奪って一人で逃げることくらい容易なはず。

 (馬鹿だなぁ……)

 こういう考えばかり思い付くのは、そういう大人しかいない町で長く過ごし過ぎたからだろう。

「……あと、もう少しでハロッサに着きますよ」

「そうか。それじゃあ一旦、この辺で止めてくれ」

「! はい」

 馬に合図を出すと、数泊遅れて荷馬車が動きを止めた。このままハロッサの門をくぐれば、顔の知れているカルルは簡単に捕まってしまうのは分かりきっている。

 なにか、案でもあるのだろうか。

「このまま行けば君は捕まってしまうからな。一応、考えていたのだ」

「どうするんですか?」

 まずは、とアカシアは自分の小さな荷袋を探り出した。はち切れそうなぎゅうぎゅう詰めのそれから引っ張り出したのは一着のローブ。

「君にこれを着てもらう。大きさはまあ、大丈夫だろう」

「え……これは?」 

「私もいつまでもこの格好では不便だからな。王都の刻印もそこら中に入っているし。町に着いたらこれに着替えるつもりでいた」

「はあ……」

 とりあえず相槌を打ちながら、カルルは茶色い女性用のローブを手に取ってしげしげと見つめた。変装、ということらしい。いや、女装になるのだろうか。

「フードを深く被り、ずっと俯いていてくれればいい。別に気にする者がいても、連れは顔に呪いを受けていると私が言ってやる」

「……。でも、この荷馬車は? これだってあの村の物なんです。すぐに気付かれますよ」

「この村に来る途中で奴隷のような格好の子供に襲われ、仕方なく切り伏せて奪った。……という筋書きを考えているのだが、どうかな?」

 先程の自分の考えが頭をよぎった。

「完璧です。それでいきましょう」

「よし、じゃあさっそく……」

 アカシアの手がカルルの胸元のボタンを外しに掛かった。

「いや、まっ……自分で脱ぎますから!」

「怒ることはないだろうに……。ところで君はこれの着方を知っているのか?」

「着たことはないですけど……。被って腰のひもを縛るだけでしょう?」

 アカシアは残念そうにため息を吐き、カルルが着替えるのを待った。

 そして最後に腰のひもを結び始めた時だった。

「ああ違う、そうじゃないんだ」

 期待して待っていたかのように素早くひもをカルルの手から奪う。

「結び方ひとつを取っても流行(はや)(すた)りがあるんだ。どんなに世間知らずの田舎の娘でも片結びはしないだろう」

「……そうですね」

 世間知らず、という部分が引っかかったが大人しく結び終えるのを見ていた。

「まあ、蝶々結びが無難かな」

 形の整った綺麗な結び目に満足したように言い、カルルも彼女の意外な器用さに驚いた。

 それから一歩下がるとアカシアはカルルの頭の上から爪先までを無遠慮なまでにじっくりと見つめ、

「ふむ、悪くない。いや……むしろ良い。華奢な体と顔つきが幸いしたな」

 妙な視線を肌に受けながら差し出された手鏡を見ると、何ともいえない気分になった。

「とても似合っているぞ」

「……勘弁してください」

「この町娘っぷりならいかに知った顔といえど早々に気づかれることはないだろう。さっさと通り抜けてしまえば大丈夫さ」

「……行きますか」

「ああ。それとカル、これを懐に」

「?」

 寝ぼけて掴みかかった時に一瞬だけ見た短剣だった。

「いくらなんでも丸腰ではな。あの長剣よりはこちらのほうが使い易い」

 持ってみると短剣というよりは少し大きめのナイフといった印象だ。懐に携帯するにはこのくらいが良いのかもしれない。

「ありがとうございます。……あの丘の向こうにハロッサが見えるはずです」

 頂上に生える木が親指ほどの大きさに見える丘を指差した。あそこの上に立てば、あの忌々しい村を見渡すことができる。

 ……無事に抜けられるだろうか。

 そんな気持ちが顔に出ていたのかもしれない。

「なぁに、多対一も私の得意分野さ」

「得意分野?」

「……いや、例えが悪かった」

 バツの悪そうな顔をして訂正した。

「狼より強い人間はさすがにあの村にはいないだろう?」

 と笑って見せる。それにはカルルも肩を揺らして頷き、御者台へと移るアカシアに手を差し伸べた。

その時は、丘の向こうに見える空が曇っているのはこれから雨でも降るのだろうと思っていたのだった。



感想を頂いたことでモチベーションが凄まじくあがり、自分でも驚きました。

モチベーションを燃料とすれば私の飛行機はもう低空飛行どころか常におなかが削れているような状態なのでありがたかったです。

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