英雄
一体、どれほどの敵を切り伏せてきたのだろう。
ずっと生き延びるために必死だった。
自分を殺しに来る敵が、ただただ怖かった。
名も知らぬ相手に剣を振り下ろすうち、いつしか『戦神アカシア』などと呼ばれるようになっていた。
それが使命と信じ込むことで、命を奪うことにすら躊躇しなくなったのはいつからだろう。
……半月ほど前、ある国で権力の頂点だった国王が戦死し、その後を王子が継ぐことになった。
まだ若い王子は腹に一物を抱えた老人の言葉を鵜呑みにしてしまい、その国の英雄として讃えられていた者を処分することに決めてしまった。
それ自体はあまり珍しい話ではない。
未熟な跡継ぎが王たる資質を養うために失敗を重ねるのは自然なことだ。
だから、王宮に仕える親友にそれを告げられた時も大して驚きはしなかった。ああ、やはりそうなったのか、と。予感はしていた。
今の王に弁明の声は届かない。
だが、こちらとてそんな理不尽に殺されるつもりも毛頭ない。
ならば逃げよう。自分にはこの生き方しかできない。
幸か不幸か、物心ついた時には家族はどこにも居なかった。しかし、自分が姿をくらましてその幇助を問われないよう、忠誠を誓ってくれた部下を裏切る必要があった。
あの、何事にも生真面目だった部下。
自分の娘ほどの年齢の相手に、彼は気を失うまで殴られることも厭わなかった。
何度も殴打され、痛みを叫ぶのは部下のはずなのに、自分ばかりが泣いていた。
そして、夜中に門兵が全員居眠りをしている隙を突いて門をくぐった。
寝言と言いはる彼らに独り言の別れと礼を残し、夜の草原へと馬を走らせた。
死神とまで謳われた英雄が、死刑を前にして逃亡。
後ろ指などいくら刺されても痛くも痒くもないが、同じ釜の飯を食った連中との別れはやはり辛かった。
逃走劇は成功したように見えた。自分自身、安心して馬に気を遣う程度の余裕も持ち始めていた。
だが、若い王は早く実績を作りたかったのか、裏切り者の処分に特に力を入れて動いたらしい。
追手は予想よりもずっと早く追いつき、馬を射止められてしまい応戦を余儀なくされた。
戦いには勝利したものの、自分は剣と馬を失い、追手の者も死ぬ間際に愛馬を道連れにした。
結局、自分の足で草原を行くしかなくなったのである。
捕らえられれば裁判もなく処刑されるだろう。あっけないほどに。
生き残るには王国が滅びるか、追手の及ばない他の勢力圏まで逃げ切るしかない。
「――アカシアさん? どうしたんですか、急に黙って……」
「……カルル」
「はい?」
「頼む。どうしても私は王都から早く離れたいのだ。そのために……この馬を貸して欲しい」
これほど必死に人にものを頼んだのはきっと初めてだ。だが、言葉を濁すカルルに胸の奥が重くなる。
「……頼む」
「…………」
そう簡単に頷いてくれるとは思っていなかった。だからといって手荒な真似をするのは本当に最後の最後にしたい。
そんなことを考えているうちに、ふと疑問が浮かんだ。
逆に、どうして彼は王都を目指すのだろう。理由もなく人の頼みを無下にするような性格には見えない。よほどの目的があるのだろうか。
「……なあ、カル。そういえば聞いていなかったが、君はどうして王都に?」
「――――」
より一層カルルの表情が強張った。それは何か、彼の触れられたくないモノに触れてしまった反応。
「カル?」
「……僕は……」
俯いて服の裾をぎゅっと握り、消え入りそうな声でカルルは言いかけた。だが次第に顔が青ざめ、ふっと。
「カルルっ!」
少年は気を失って倒れてしまった。




