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旅が終わる時

 長い間お付き合いありがとうございました。

 これで『ほぼ』終わります。

目が覚めたのは一度沈んだ太陽が再び昇ってからだった。丸一日も寝ていたとすると、やはり疲れが溜まっていたのかもしれない。

「?」

 下の階から話し声がする。一瞬もしやと思ったが、相手は声の低い男の声だった。

 クラーストの仕事の客か何かだろう。

 ならば今、顔を洗いに下に降りるのは遠慮したほうが良さそうだ。

 そんなことを考えていると、ぬっとクラーストの顔が階段下から現れた。

「……起きていたのか。アンタの迎えが来てる」

「……?」

 その意味は階段を降りるとすぐにわかった。

「――アカシア・フェルテットだな」

 ひとりの見覚えのある制服姿が応接用のソファに座っていた。胸元には国境警備隊の隊章が鈍く光っている。

「貴様を連行する。準備をしろ」

 感情の籠らない瞳にクラーストが映る。

「すまん……俺にはどうすることもできなかった」

 彼なりに最善を尽くしてくれたのだろう。アカシアは首をふって答えた。

「いや……世話になったな。クラースト」

警備隊員が取り出した手枷に大人しく従い、両手を繋ぐ鎖の重さにアカシアははっきりと実感した。

 

これでもう、すべてが終わる。終わってしまう。

 

ハッピーエンドにはほど遠い。

事実は想像よりも奇異なるものという。が、喜劇だってもう少しマシな幕引きが用意されているだろう。

残りの余生は神に愚痴でも溢そうか。

乗せられた馬車の上でそんなことを考えた。

本当に、あの二人には謝り切れない。

カルルと出会って彼が幼少期の想い人だとわかった時には、その奇跡に神を信じた。

本当に、どこで間違えたのだろう。

「……ん」

何気なく視線を落とすと、手枷の一部が朽ちて壊れかかっていた。思い切り鎖を伸ばせば千切れるかもしれない。

馬車の手綱を握る警備隊員は御者台から荷台のアカシアをたまに振り返るだけで、その気になれば逃げることも可能に思えた。

「……なあ」

 やや間があって、その男は呼びかけに応じた。

「どうした」

「枷が錆びて壊れそうだ。ローデリアは新しいのを支給してくれないのか?」

「…………。忠告に感謝する。その鎖は次で廃棄しよう」

「あとな。荷台の(かんぬき)の鍵が私の足元に転がっているのだが。貴公に預けたほうがいいか」

 荷台に使われる大きな錠前で後ろから一撃を見舞わせれば、人のひとりくらい昏倒させることは出来ただろう。

「……む」

 男はアカシアの差し出した錠前を御者台に置いた。

「……逃げたところで、な……」

「? 何か言ったか」

「いいや。なんでもない」

 家族も、親しい友人も、もう会える場所には居ない。自分だけがここに居る。

「着いたぞ。降りろ」

 もう一度ここに来る時は、三人でやれやれと胸を撫で下ろしながら、と思っていた。

 入国の手続きを受けた時とは別の入り口から建物の中に入り、出迎えたのはあのラダンだった。

「御久しぶりです」

「……三日ぶりだな」

 ラダンの制服から仄かに香水の匂いがする。印象に特に気を遣う性格なのだろう。

「どうぞ、ご案内します」

 アカシアに前を歩くように促す。長い廊下の両脇にはいくつもの扉や分岐が見て取れる。

「広いでしょう。我が警備隊の屯所や訓練施設等などが含まれていますからね。私もここに赴任してきた当時はよく迷ったものです」

 ラダンの声が聞こえなかったかのようにアカシアは淡々と述べた。

「それで、私はどこに連れて行かれるんだ? アリシルはもうなくなったと聞いたが。さすがにここには、断頭台まではなかろうに」

 吐き捨てるような最後の台詞に流石のラダンも面食らったが、すぐに軽い笑みを湛えた顔に戻った。

「御冗談を。私共はそんなつもりで貴女をここへお連れしたのではありませんよ」

「…………。どういうことだろうか」

 処刑など、とラダンは冗談を笑うように繰り返した。

「……、そうですね。あなたがここに来る途中、――少しでも逃げ出そうとする素振りを見せていれば、そうなっていたかも知れません」

「試していたということか?」

「非礼をお許しください。どうしても最後に確認したかったのです」

 さっきの馬車の錠前や朽ちた鎖はつまりそういう罠。しかし、処刑するために捕まえたわけではないというのなら、自分は何のためにここへ連れてこられたのか?

「これを。貴女に渡しておかなくては」

「……?」

 『入国許可証』と大きな文字で書かれたそれには、中ほどに国境警備隊の証文が小難しい文体で長々と綴られ、最後に大きく真っ赤な印が押してある。そして同じものが三枚。

「たしかに申請は三人分だが……」

 受け取るべき者が居ない二枚の許可証を見つめていると、胸にこみ上げてくるものがため息として漏れた。

「そうですか? ……ふむ。わかりました」

 二枚の許可証を制服の内ポケットに戻し、ラダンは何も言わずに歩き始めた。階段を上り、アカシアが三階の廊下の窓から見下ろせる中庭を何気なく見下ろしていた時だった。

「ここです。止まってください」

ある扉の前で立ち止まり、ラダンは再び先程のカルルとメーネの名前が書かれた許可証を取り出した。

「さあ、これを」

 しつこく差し出されたそれに顔をしかめる。

「だからそれはもう必要ないと――」

「これは貴女を」

「――?」

「無実の貴女を罪人として疑ったことに対する、せめてものお詫びです」

「お詫びだと?」

「貴女は勘違いをしている」

 勘違い? 

とはなんだろうか。アリシルが崩落したのが嘘だったとか? それならやはり待ち構えているのは心躍るようなものではない。

「クラーストから事情は聞いています。その上で、これをお渡しするのですよ」

 事情、というのはカルルとメーネのことだろう。それを知っていながら許可証を渡すことに意味があるとすれば……。

「さあ早く。お待ちかねですよ」

 ラダンはにっこりと笑って許可証を無理やりアカシアの手に握らせ、軽く背を押したのだった。

 

「止まれ! 貴様ら!」

 その次にカルルが目を覚ました時にはすでにベッドの上で、目が合ったメーネは身を投げるようにして抱き着いてきた。体に多少の違和感はあったものの、医者が言うに命に別状はないとのことだった。とりあえず、助かったらしい。

 後から聞いた話で、自分達が逃げ込んだ場所というのがなんとローデリアへと続く地下の国境で、怒声は見張りの警備隊員のものだったのだそうだ。

 そして自分が気を失ってから間もなくサーカスの人間が追いつき、すんでのところで状況を把握した警備隊員が間に入って止めてくれたらしい。

最初こそサーカスの人間は数で警備隊を相手にしようとしたものの、警笛を聞きつけた地上からの応援がぞろぞろと梯子を下りてくるのを見るや蜘蛛の子を散らすように退散していったという。

運が良かったとしか言いようがない。

 地下水路の国境の真上は、地上でいう関所がある場所である。大けがを負ったカルルがここに運び込まれたのもそういう理由からであった。

「え……?」

 彼女はまさに『驚愕』していた。額縁を付けて表題をそれにして飾りたいくらいである。

「なんで……お前…………?」

 言いたいことが山ほどあるのだろう。それが喉の当たりで詰まって妙な沈黙を生んでいる。

 ならば先に言わせてもらおう。言いたいことが山ほどあるのはこちらも同じなのだから。

まず、最初に。ちょっとはにかんだ笑顔で。

「……ただいま。アカシアさん」

 ベッドの足元で身体を丸めて眠っていたメーネの頭を撫でつけ、起こした。

 手が届くところに置いてある帽子掛けには派手な花飾りの帽子が引っかかっている。

 ようやく理解の追いついたらしい彼女は、開口一番こう言った。

「――、……ばか……」

「すみません」

「本当に……ばか野郎が」

 今日ほど何度も抱き締められた日はない。と、彼女の髪の匂いを感じながら思った。そしてこの人がこんなに軽かったことも知らなかった。

「……? ――っ!?」

 無理もない。アカシアの顔が再び凍りつく。何と声を掛けるべきかわからない。

「お前……腕……なんで……」

 肩から先のない左腕を掴もうと震える手が(くう)を泳ぐ。それをカルルは右手で優しく包み込むように握った。

「……泣かないで下さい。これは勲章ですから」

「勲、章……?」

 顔を上げると彼女の目頭の水たまりからつう、と涙がこぼれ、カルルの手の甲に落ちた。その雫に視線を置いて話し始めた。

「今まで人を殺めることが精一杯だった自分が……人を、人の命を救えたんです……。それが、嬉しくて……」

 涙は最後まで待てなかった。

 腕が痛むからではない。

 アカシアが悲しそうな顔をやめてくれないからでもない。

「ただ、それが本当に嬉しくて……」

 物心ついて間もなく家畜のように扱われる人生が始まり、いくら洗っても落ちない汚れにまみれた自分に価値などあるのか、誰かに認めてもらえるのか、たまらなく怖かった。

 でも、あの少女を救ったという確かな事実が、その不安を溶かしてくれた。自分が必要だったのだと、初めて存在の証明が見つかった気がした。

「だから……悲しいことじゃないんです。僕はこの傷に誇りを持ちますよ。こういうのを、名誉の負傷と言うんでしょう?」

「っ、…………」

 ほんの少しだけ目が笑ってくれた。「ばか野郎」と顔に書いてある。

「――そういうわけだ。最後まで嘘をついて悪かったな」

 部屋に入ってきたのはクラーストだった。

 さっき彼がここにきて娘と再会したのをカルルは知っていた。何年ぶりなのかは聞いていないが、このあたりで戦火に巻かれて生き別れたということはおそらく五年は経っている計算になる。

 それでも、やはり親子の絆は強いものだと教えられた。

 彼の腰までの背丈のエリスはすぐにクラーストの服の裾を離さなくなった。彼がアカシアが起きる前に家に戻ると言った時も散々ぐずったほどなのだから、その点の心配はもう無用だろう。

「……結局、私ひとりが踊らされていたというわけか。……気に喰わん」

「まあ、疑いも晴れたんだからもういいじゃないか。あとはしっかり休んでこれからのことでも考えればいい」

「あ、そのことでちょっと……」

 クラーストからの差し入れのホットドックをメーネの口に運んでやりながらカルルが言った。

胡坐を掻いた足の上に陣取って以前にも増して甘えてくるようになったのは、サーカスでそれほど寂しい思いをしたのが原因かもしれない。ならば無下にするわけにもいかず侵攻を許している……というのは言い訳だ。

 自分自身、メーネが二度と戻らないと思うと取り乱してしまいそうでならなかったのだ。

だから、本心を言えば今はこの温もりを思い切り抱きしめてやりたくてしょうがないのだが、それは流石に人目をはばかるというもの。

「何か考えてあるのか? カルル」

「はい、王都アリシルが(ほろ)んだということは……もうアカシアさんは逃げる必要がなくなったってことですよね?」

「まあ……そうだな」

 アカシアの表情の曇りから察したカルルは謝ろうとしたが、「それで?」と先を促された。

「この街に住むというのはどうでしょう。目的が無くなってからも旅を続けるのは路銀があるうちはいいでしょうけど……ずっとそういうわけにもいかないんじゃないかと」

「ふむ……しかし」

 この街に住む、という案を出して懸念されるのもやはり金銭面である。旅とは違い、人の集まる街で暮らすのは食料だけ確保できればいいというわけではない。住む家を借りるなら家賃が掛かり、仕事をするのにも場合によってはそれなりの身なりを整えなければならないことだってある。何より、娯楽や誘惑の種類も荷馬車の上とは比較にならない。

「お金のことなら当面は大丈夫です。メーネ、あれ取って」

 足の上から降りたメーネはベッド脇のテーブルに置かれたカルルの着替え(獣の爪痕と血糊で着られたものではないが)の上にずっしりと佇む皮袋二つを持ってカルルに渡した。

「こっちの小さいほうは、僕がハロッサから出てくる時に給金として貰ってきた分、こっちは……」

 大きいほうは、メーネの代金だ。

 言わずとも周囲が理解してくれたのはありがたかった。

「……あの広場にそれなりの家が建つな」

 中身を見てアカシアもその金額に驚いたに違いない。相場でいえば、この種類の金貨が十枚あれば三人で暮らすのに十分過ぎる家が買える。二階建てで多少壁の塗りをこだわったとしてもお釣りが出るだろう。

「……わかった。私はそれでも構わないが、メーネは?」

「メーネも……。うん、賛成だよ」

 エリスと目配せをしてから快諾した。早速いい友達ができたらしい。

「決まりだな。となると……まずは住処(すみか)を決めないとならないな」

「そういうことなら、俺があの広場の地主に口を聞いといてやろう。……しかし、三人で住むのならあそこ全部は広すぎるか」

「そうですね……普通に暮らすだけですからそこまでは……」

「なら、少し広い庭が付くくらいの範囲に絞って交渉しといてやろう」

「そうですね。それでお願いします」

 そうして今後のおおまかな方針を話し合ってその日は解散となった。体力が(おおむ)ね回復したカルルもクラーストの家へと戻って家が建つまでの間はそこに居候(いそうろう)させてもらうことに決まり、一行が警備隊舎の玄関を出たところだった。

「…………」

 街道の脇の長椅子に腰かけてこちらを見つめる姿が合った。自分以外はそれに気がついていない。

「ん? どうした、カルル」

「い、いやちょっと……腹の具合が」

「大丈夫か? もちそうにないなら屯所の厠を貸してもらうか」

「そ、そうします、先に行っててください」

 そう言い残して一度隊舎に戻り、厠で皆が居なくなるまでしばらく時間を潰すことにした。

 再び隊舎を出ると、やはりその人物は長椅子に腰かけて待っていた。今度はじっと前を向き、カルルが隣に座ってもそのままだった。

 なのでカルルも前を向いたまま、独り言のように言った。

「……ヴィタ。どうして君がここに?」

「心配して様子を見にきたんだけどね。元気そうでよかったよ」

 なぜため息を吐かれたのかカルルにはわからなかった。

 しかし彼女が偶然ではなくここで自分を待っていたのなら、つまりはサーカスがこちらの居場所を知っていることになる。なら、なぜ彼女だけで自分を捕まえようとする者の姿が見えないのか?

 もう一度、わざとらしいため息が聞こえた。

「……もしかして何か怒ってる?」

「ううん。あれだけ酷いケガをしたっていうのに、会ってみたらぴんぴんしてるんだもん。滅茶苦茶心配した自分が馬鹿みたい、って思っただけ」

「ああ……そういうことか」

彼女に腕のことを話すのはやめたほうが良さそうだ。

「で、どうなの? 具合は」

「もう大丈夫だよ。ぴんぴんしてるさ」

「そうじゃなくて」

「?」

「腕のこと」

「………………」

「……カルル?」

 当たり前と思っていた前提が間違っていたかのような、そんなふとした悪寒にヴィタの口調が険しくなる。気付いてカルルはそれを誤魔化そうとした。

「……傷の処置の跡がひどいんだ。でもちゃんと治れば綺麗に消えるってお医者さんが言ってたから。……だから、今は見せたくない」

「そんなにひどいの……?」

「ああ、見ても良い気はしないと思う。だから……ね」

 しばらくヴィタは悩んでいたが、勇気を湛えた目でカルルに言った。

「お願い、見せて。それは私のせいだから……知らないわけにはいかないよ」

「…………」

 カルルは無意識に少し身を引いて左の肩を抑えた。今は外套を羽織っているおかげで腕は見えていないが、いくら頼まれてもこれを脱ぐことだけは絶対にしてはいけない。それは彼女のためだ。

「……ねえ、まさか…………」

 カルルは何か言葉を紡ごうと口を動かす。それは否定ではなく、もうやめてくれという意味で。

「もういいじゃないか、そんなこと。それより――」

「だめ、見せてよカルル!」

 彼女の手が外套を掴む。振り解こうにも右手だけでは二本の腕は止められなかった。ヴィタが強引に外套を奪うと、その視線が一点に釘付けになった。

「うそ……」

「……っ」

「腕が……ない……? ……ねえ、カルルっ……!」

 感情が豊かというか、彼女は人前でも強い気持ちを表に出すことを(いと)わない性格の持ち主らしい。対する自分はとても不器用で、ぼろぼろとこぼれ落ちる涙になんと言葉をかけてやればいいのかわからないでいる。

「ごめんね……ごめんね…………。私のせいだよね……」

「ヴィタ……」

 気の利いた言葉が出てこない。だが語彙の少なさを呪うのは後だ。とにかく今は――

「――泣くな。君が泣くのは見たくないんだ」

 ただ、それだけなのだ。ヴィタの頭におっかなびっくり手のひらを乗せると、それこそ小さな子供にでも言い聞かせるようにカルルは言った。

「俺は君に泣いてほしくてこうなったんじゃない。また……もう一度君の…………」

「…………?」

 もう一度、何だ?

 自分でもよくわからない。助けるのに理由など要らないという理屈もここでは違うような気がする。

 あの時、獣に襲われかけている彼女を見て自分は何を思った? それを素直に言葉に変換すればいいはずだ。

「君を失いたくなかった」

「…………っ」

 カルルは自分の近くで人が死ぬのを見たくなかったという意味で言った。しかし、今のセリフを彼女がどう受け取ったのかは定かではない。 

「……カルルっ」

 感極まったヴィタが思い切りカルルに抱き着き、それは道行く人々の足を止めさせ注目を集めるのには十分過ぎた。

「ヴィ、ヴィタ……ちょっ、はなれて……」

 ぢーん、と嫌な音がした後にヴィタが顔をどけると、服にべっとりと鼻水を付けられていた。

「あはは……。すっきりしたよ。――ありがとう、カルル」

 どこかから拍手の音が聞こえたが、無視した。

「……一つ聞きたい。どうして俺を捕まえようとするサーカスの人が居ないんだ? 君がここに居るってことは、俺の居場所もバレているんだろう?」

「……うん。実はね」

 ヴィタはなかなか続きを喋らなかった。何かあったのだろうかとカルルが口を開きかけた時、突然明るい声で言った。

「私、帰るトコなくなっちゃったんだ」

「え?」

「サーカス、団長さんが捕まっちゃって。ほら、檻の動物達が逃げたでしょ? 結局けが人が出る前に警備隊が町の外に追い出したらしいけど。でも……あれが昼間だったら大変なことになってたから……。それで団長さんがひとりで責任を、ね……」

「そうだったのか……」

「うん……」

 もう自分を追う者が居なくなったのかと安心したが、ヴィタの手前素直に喜ぶことはできない。

「…………」

「…………」

 道の脇に植わる街路樹の赤く染まった葉がさざめく音がよく聞こえる。

これから段々と寒くなることを考えると、旅をやめてこの地に家を建てるというのはやはりいい案だったと思う。

 それと同時に浮かんだ疑問があった。

 ようやく意を決し、カルルは尋ねることにした。

「君はこれからどうするんだ?」

 サーカスが潰れてしまったのなら彼女は今夜寝るところにすら困っている状況かもしれない。もしそうなら、無理を言ってでも一緒に暮らさないかと言うつもりだった。

「うん、旅に出ようと思うの」

「……旅?」

 意外な答えだった。

そして一口に旅といっても色々ある。どこかを目指したり探し物をしたり。彼女の場合はなんだろうか。

「そう、修行の旅」

 修行、とくれば彼女のことだ。あとはもう大体わかる。

「大道芸で旅をするってことか」

「私はナイフしか投げられないんだけどね。まあ、なんとかなるでしょ。あはは☆」

 軽くもその笑顔は気丈だった。どうやら無用な心配をしていたことに気付かされる。

「そっか……。じゃあ、頑張って。俺はこの街に居るから、いつでも帰ってくればいい」

「別に待っててくれなくてもいいよ?」

「え?」

「『世界中を公演して廻るような役者』でしょ? どこにいてもきっといつか会えるよ」

 そういえばそんなことも言った気がする、とカルルが笑い返す。

「逃がしゃしないんだから」

 悪戯っぽく口の両端を吊り上げた。

「それじゃ、そろそろ……お別れだね。とりあえず次の街までの馬車を団長さんが手配してくれてるんだ。もう行かないと」

「あ、待って」

「へ?」

「こんなものしか渡せないけど……お守りの代わりに」

 最小限の装飾の鞘に収まったソードブレイカーを手渡す。

「いいの……?」

「荷物になるようだったら……置いていって構わないから」

 少女の手にはずしりと大きなそれ。カルルも何度それに窮地を救われたかわからない。

「……ううん。これで私を守ってくれたんだよね。……ありがとう、もらってくよ」

「じゃあ、気を付けて」

「うん。……じゃあね」

 ヴィタが歩き出す。

しばらくその背中を見つめていたカルルも、未練を振り払って反対方向に歩き出した。

――彼女ならきっと、上手くやってくれる。また会えるさ。

雲の無い秋空を見上げた。


「カルルっ!」


「えっ?」

 呼ばれて、ふり向くと視線が重なった。

駆け寄ってきていたヴィタの顔がすぐそこにあった。そして――


「ああーーーーーーーーーーーーーーーーーっっ!!!」


 不意に建物の陰から大声があがり、驚いた二人の額が(したた)かにぶつかった。

 声のほうに視線を向けると、そこに居たのはわなわなと怒りに肩を震わせる町娘――の格好をした騎士の姿。

「カ……カ、カルル! き、貴様っ……黙って見ていれば……よくもぬけぬけと……――もうゆるさん!」

「あ、アカシアさん!? 帰ったんじゃ――」

「坊主、逃げろ!」

 羽交い絞めにする形でクラーストまで飛び出してきた。するとやはり、

「にぃちゃん、その人とお友達だったの?」

 皆が盗み聞きしていたらしい。おそらく、最初からずっと。

「も、もう行くね! じゃあね、カルル」

「あ……ああ! 頑張れよ!」

「ありがとーっ!」

 逃げるように走り去っていく彼女に最後に手を振って返し、カルルも踵を返して走り出した。

「カル! どこへ行く貴様ぁ!」

鳩尾(みぞおち)を抑えて(うずくま)るクラーストを背景に、アカシアがものすごい勢いでこちらに向かってくる。捕まったらどうなるかわからないので、とにかく逃げることにした。

「待て! 逃げるなカルルっ!」

 逃げ足に至っては珍しくカルルのほうが上だった。その気になればいつでも振り切れる。

 逃げて、一番最初にクラーストの家に帰ったら、掴みかかってくるアカシアに疲れたと言って昼寝をしよう。それで起きたら、……それはまたその時に考えよう。

 とにかく、ただひたすらにカルルは走った。

 時折後ろを振り返っては彼女が(つまず)いて転んだり、諦めて追ってこなくなることが無いように、足を加減しながら。

 せめて皆で囲む夕食の頃には何とか仲直りできないものだろうか、などと考えながら。

 いつか誤魔化されたアカシアの花言葉をカルルが知るのは、まだそのずっと先のことなのであった。



 あとほんのちょっと『おまけ』があります。それはどうしても別の章として扱いたかったので、このあとすぐに投稿します。よろしければ最後までお付き合いくださいませ。

 

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