騒がしい夜
挿絵とはいえ、初めて乳首を描いてしまった……。もうだめだ、一線を越えてしまった。
突然ぱっと明るくなった空を見上げてアカシアは呟いた。
「花火とはな……粋なものを使うじゃないか」
その『合図』は夜空に紫陽花のように色鮮やかな光跡を残し、続いて耳を覆うほどの爆音で静寂そのものであった一帯の空気を騒がしく変えた。
寝静まっていた広場は次第に大小の人の声が飛び交い始め、テントから目を擦りながら出てきたサーカスの団員達も何事かと空を見上げた。
「私も行かなければ」
この広場で人の出入りが可能な場所は二か所ある。
現在クラーストが花火で陽動を起こしている大通りに面した正面口。
もう一か所はそれの真反対に当たる、町の居住区側のこの裏口の二か所だけだ。
その両端で騒ぎを起こして人間を引き付けておけば、中が手薄になって潜入するカルルも動きやすくなる。そういう作戦だ。
しかし、このままでは花火が上がっているクラーストのほうにばかり人が集まってしまう。
アカシアは深く息を吸い込むと、いかにもそれらしく、切羽詰まった大声で叫んだ。
「強盗だ! 誰か来てくれーっ!!」
すると一番近いテントの中から団員らしき男が顔を覗かせ、アカシアは剣を抜いてそれに不敵な笑みを浮かべて応えた。
「――っ!」
男はとても面白い表情のまま固まると、数秒の後に声にならない悲鳴を上げながら今にも転びそうな慌ただしさで駆けていってしまった。
それからどれくらい待ったか。
裏門からそれ以上足を踏み入れようとしないアカシアを遠巻きに牽制する団員達が十数人余り集まってきていた。
娘一人とは言うが、月明かりの下で白刃を晒してじっと立っていればそれだけで何もせずとも不気味である。近付いて追い払おうという者はおらず、皆が進展のない目配せを続けていた。
視線を上げれば、正門のほうでは今だ花火が続いている。打ち上げる装置など一体どうやっているのかは気になるが陽動は成功と見ていいだろう。
あとはここからカルルのためにどれだけ時間を稼げるか。
「なンの騒ぎだ!」
騒ぎを聞きつけて背の低い男が大股でやってきた。団員の態度からしてかなり偉い立場の人間のようだが……。はて、どこかで見かけたような顔である。
「――お、お前……っ!」
「……そうか。貴様だったのか」
相手の引き攣った表情を見て思い出した。
「私の秘密を知る者に脅された……と聞いたが。まさかいつぞや隣国に遣いとして行った道中で蹴散らした奴隷売りだったとはな……どうやら更生は出来なかったか」
「あ、あの小娘を取り返しにきたのか!? こンなことをして、警備隊に突き出すだけで済むと思うなよ!」
「ふん。奴隷商人からサーカスの主人とは、大した出世じゃないか。仲間を取り返すだけのつもりだったが……ついでに貴様もここで終わらせてやろうか」
「ぐ……っ」
「だ、団長? 知り合いですかい?」
「……王都アリシルから逃亡中の、とびっきりの賞金首だ。手配犯のくせに……っ、それで正義の味方でも気取ってンのかよ!」
アカシアはその言葉を真摯に受け止めた。もう何度と自問してきたことだ。
深く息を吸い、揺るぎない意思を凛と声にした。
「私は正義など、知らぬ。語らぬ。名乗りもしない。正義とはただ信じる行為に宿るものだからだ。私はその信念を貫く……! そして神が貴様に裁きを下さないというのなら、死神の仇名においてこの私が粛清してくれる。――さあ、貴様の罪を数える時だ……」
その時。
ひらひらと舞ってきたのは一匹の真っ白い蛾だった。張り詰めた空気の中を優雅に飛び回り、その場に居合わせた者の視線をほんの一時の間だけ集めた。
そして、その蛾が彼女の構える剣の切っ先に吸い寄せられるように止まった――と。
誰もが思った直後に。
誰もがその剣を畏れた。
「…………っ」
水の流れが分岐するように。ごく自然なことのようだった。
真っ二つに裂けた左右の羽が、月の燐光に照らされながら落ちていく。
半分だけになっても羽ばたき続けている一対の羽はそのことにすら気づけていない。
そよ風に揉まれるが如くゆっくりと舞い落ちて、彼女の足元で落ち葉のように動きを止めた。
「…………」
不思議な感覚である。
これほど気力が充実している時が今までにあっただろうか。素晴らしい剣に出会えたことに気が高揚しているのかもしれない。根拠は無いがこの瞬間、どんなことだってできる確信がある。
「さあて……」
アカシアが無意識のうちに取った構えこそ、その剣の本来の型の一つであったと彼女は生涯知る由もなかった。もしかすると剣もまた、使い手に満足してそんな悪戯が起こったのかもしれない。
「誰からでもいい。早くかかってこい」
不敵な笑みはもはや演技ではなかった。
だが死人を出すなという約束を忘れたわけではない。
この剣は片刃である。つまりその背で打てば思い切り使っても差し支えないではないか、と思い付いたからこそのささやかな笑みだった。
今回の話で日本刀が登場しますが、実際これくらいの切れ味というか業物って存在したんでしょうかね? よくサムライソード(日本刀)は切れ味において一番優れているみたいな話が出てきます。
試し切りで重ねた人間の胴体が三つ切れれば三ツ胴、とかちょっち剣道かじってて聞いたことはありますが。さすがに妖刀の類はこの物語に出てきた一例くらいなんですよね。
でも私はあったんじゃないかなーと思っております。今はないけど、昔は……って。
途絶えてしまった古の製法や技術が、今の現代科学を一分野でも上回っていたんじゃないかって。
そんなロマンを持ってみてもいいじゃない。
たとえると流れ星だって「落下中の岩の塊が燃えてる現象」ってみんなが知るまでは本当に願いを叶えてくれたんですよ。きっと。
裏切られる前提でも、とりあえず信じてみるのがファンタジーには大切なのサ!