思惑を重ねて
毎日更新するぞー! と意気込んでいたのは良かったのですが、やはりやっつけになって描写も物足りない気がしてきたのでスローペースに戻します。
ここなんか変じゃね? と気になるところがあったら教えてもらえると助かりますぅ。
「……落ち着いたか?」
木のコップを手渡されてそれに一口付けた。
あの後、どのようにして帰ってきたのか記憶がない。
ふらふらと部屋に戻ってからアカシアに声をかけられ、ようやく我に返った具合だ。
窓の外を見ながら彼女は憂鬱そうに呟く。
「外は雨だ。まったく、久しぶりに洗濯できたかと思えばこれだ。参ってしまうよな?」
「ええ……」
いつになく気を遣われているのがわかる。……それも仕方がない。
アカシアが「メーネは?」と尋ねると、カルルは蒼白な顔をしたかと思えば途端に泣き崩れたのだ。
一部始終を聞いたアカシアはしばらく頭をもたげ、混乱状態のカルルに一度寝て落ち着けとだけ言った。
その時は確かまだ外は明るかったはずだ。
「いまは……何時ですか?」
「……私はさっき晩飯を食べたばかりだ。腹は減ってないか? 今日のは一段と美味いぞ」
カルルは自分が何も買わずに帰ってきたことを思い出した。おそらく寝ている間にアカシアが危険を犯して買いに行ってくれたのだろう。
「すいません……本当に」
「気に病むな。カルが悪いのではない。ちょっと待っていろ、飯を持ってきてやる」
足を乗せる度に軋む階段を降りていくアカシアの背中をぼんやりと眺め、メーネはどうしているのだろうと考えた。
「……なんで」
どうしてこんなことに。
ハロッサで働かされていた頃からメーネの世話をしてきた。
我儘で、意地っ張りで、泣き虫で。そんな子供な彼女を内心では煙たがっていた。あまり仲良くなり過ぎてもいけない環境ではあったが、そう思っていたのは確かだった。
「メーネ……」
あの時、彼女がセマードと行くと言ったのは彼女の本心なのだと思った。
だが、それは間違いだった。
それがいつかはわからないが、彼女は気が付いてしまったのだ。アカシアの正体を知る者がいて、自分がその口止めの取引材料にされていることを。
「俺は……なんて馬鹿なんだ……」
情けなさすぎてまた目頭に水が滲んだ。
最後に振り向いたメーネの顔が未だ鮮明に、頭から離れない。
――突然、ぐいと顔に布が当てられて驚く。
「…………」
アカシアは黙ってカルルの涙を拭うと、今度は頭に手を置いて言った。
「なあカル。……私とメーネのどちらかとしか一緒に旅が出来ないとしたら――」
そこまで言ってアカシアはしまった、と口を噤んだ。
カルルの立場で考えれば、今のは大変な誤解を招いてしまう問いかけ方だった。
「? どうしてそんなこと……」
鼻を啜りながら困惑の顔を向けられ、アカシアは口籠もる。
「い、いや。すまない、いまのは忘れてくれ。……それよりほら。食べろ、体が温まる」
小鉢に雑炊をよそい、カルルに手渡す。沈んだ表情を変えてやりたかった。
「……いただきます」
先にアカシアが食べた分が減っているとはいえ、うっかり三人分で作ってしまった雑炊はカルルには多すぎるだろう。
それでも、段々と早くなるスプーンを見て少しだけ安心した。腹が膨れさえすれば気力も湧いてくる。元気を出してくれる。
「御馳走様でした……」
空になった鍋を前にカルルが長い息を吐く。途中でメーネの分もあるのだと気付いて無理に食べきろうとしてくれたのは勿論わかっていた。
「御粗末さまでした。鍋は私が片付けておくから、カルはゆっくりしていてくれ」
アカシアが下に降りると、机の上の書類から顔を上げたクラーストと目が合った。
「……嬢ちゃんがまだ帰ってきてないようだが」
彼にはこのことを話していない。
「ああ……」
曖昧に返事をすると、水を溜めた樽から鍋を洗うのに必要な分だけ桶に汲み取り、流し場へと運んだ。
「なにかあったのか?」
「…………」
鍋を洗い始めてもまだクラーストがこちらの言葉を待っているのが気配でわかった。
「……貴公に話す必要は無いはずだ」
「何かあったんだな?」
「………………」
「話してみろ」
洗い物の手が止まる。
長い沈黙の後、ぽつりとアカシアは呟いた。
「……便利屋というのは、道具の調達もしてくれるのか」
「ん? ああ、モノによっては用意するのに時間がかかることもあるが、なんでも揃えてみせるのが売りだ。アンタがなにを欲しいのかにもよるがな」
「……剣が欲しい。用意できるか」
「剣? まあ……もちろんできるが、どんなやつがいいんだ?」
「うむ。軽くしなやかで――そう、サーベルのようなものがいい」
「サーベルか……」
「……すぐに用意できないのなら、それでなくても構わない。とにかくすぐに欲しいのだ」
「いや、ちょっと待て。前に東方から来たって商人が置いていったのがあったはずだ」
クラーストは立ち上がると奥の扉の前に立ち、錠前を開けて中に入った。
自然とアカシアもそれに続く。
「東方とは?」
「海を越えた島国だったか。話を聞く限りじゃなんともおかしな国らしいがな。男でもスカートを穿いて歩き、髪を結ったりもするそうだ」
中に入るとアカシアは感嘆の声を漏らした。
「これは……すごいな」
そこには人が五人は楽に住めそうな広さがあり、壁と中央には段数の多い棚が置かれていた。納められている品は大小様々だが、部屋の広さからしても保管されている点数はかなりのものだろう。
「最近は骨董屋みたいな仕事が多くてな。ここにある物のほとんどは客から注文を受けて取り寄せた物さ」
見れば棚に置かれている物の中には、いかにも値打ちがありそうな動物の角や毛皮といった素材や、何に使われるのか見当もつかない謎の物体まで並べられている。
そして中でも目を引いたのが、アリシルの刻印が入った武具甲冑だった。それも旧式から最新の物まで。その隣には他国の紋章入りの武具まで揃えられていた。
「聞かないでくれよ。色々とな」
「野暮というものか」
乾いた二人分の笑いが響いた。
これだけの品々を見れば、クラーストがただの商人ではないということは聞かずとも確定している。それでも協力してくれるのだからこちらも相手の痛いところを探るのは悪い。
「少しくらい秘密があるほうが魅力的だってな、……死んだ女房がな」
「そうか……。子供は居ないのか?」
「居た。娘がな」
「ということはもう自立したのか。……それは、やはり寂しいな」
「いや……そういうわけじゃないんだ」
「?」
「それより、あったぞ。これだ」
「……曲がっているようだが」
それは確かに剣だった。
見たこともない物には変わりないが、柄と鍔と鞘の部分が見て取れるのでやはり剣なのだろう。
「なんでも、この形のほうが切りつけ易いんだと。抜いてみるか?」
「ああ」
柄と鞘をぎゅっと握り、ゆっくりと引き出してみる。
古いくさびを引き抜いたような感触の後、ぬらりと細い白銀の刀身が薄暗い倉庫の中でもアカシアの顔を映した。
「美しいな。だが……」
「華奢、か」
「石を叩けば簡単に折れてしまいそうだ。儚いからこその美しさにも見える」
「文化が違えば剣もここまで変わるものか。俺が聞いた話では、その手の剣には神憑った逸話が多くあるらしい」
「……神や精霊の祝福を受けたという剣なら、どこの国にも一振りか二振りくらい祀られているものだろう」
「いや、むこうの文化ではそういうんじゃないらしい。切れ味に関するものばかりなんだ」
「ほう」
倉庫から出るとクラーストはしっかりと鍵を掛け直し、アカシアに座るよう促した。
「俺も信じてるわけじゃないがな……もしかしたら一本くらい本当にそんな切れ味の剣が存在したのかもしれない。――ところでアンタ、いけるくちかい?」
クラーストが酒瓶をラッパ飲みする手振りをして聞いた。
「……私は珈琲がいいな。で、どんな話なのだ。その逸話と言うのは」
「気になるか? まあ、なら話そうか。どうも俺には眉唾過ぎてどうかと思ったんだがな」
二人分の珈琲が淹れられると、例の剣を肴にクラーストの話が始まった。
――中々面白いものだった。剣で切った紙の切り口で髭が剃れたとか、川に立てれば水面を流れる木の葉が引き寄せられてきて真っ二つになったとか、真偽はさておきとてもよく出来た内容で聞いていて飽きないものばかりだった。こちらと比べると東方の国とはよほど剣に対しての畏敬染みた思い入れが強いらしい。
簡単に言えば、こちらの定義する剣とは鎧を着た相手や堅い皮膚を有する害獣を倒すことが前提とされているため、刀身は分厚く頑強で、重量によって叩き切る、刺すことが良しとされている。
一方、東方の剣は薄く細く、とても貧弱に見える。
しかしこれほどの切れ味を持つ刃物はこちらの大陸では聞いたことが無い。アカシアは自分の指から滲み出る赤い線に一種の感動を覚えていた。軽く触れただけでこれである。
弱点に思える要素すべてを補えるだけ切れ味に特化され、突き詰めた合理性の果ての美しさが宿っているのだろう。
「まるで鏡のようだ」
「錆止めに薄く油を塗ってあるからな。表面が錆びてしまうと一気に切れなくなる。手入れは重要だぞ」
「道具の繊細さも美学のうちか……」
「で、使えそうか? そいつは」
「うむ。使うしかあるまい」
「大丈夫なのか? 一体なにに使うのか知らないが」
「…………。こいつの代金だが」
「ん? ああ、それだけのモノだ。高いぞ?」
意地悪く笑って見せるクラーストに対し、アカシアはあくまで真剣だった。
「これで足りるだろうか」
もしカルルが一人で旅をしなければならなくなった場合の当面の旅費を差し引いた、残りの所持金を提示した。
「…………」
これだけ芸術的価値の高そうな剣となれば足りないかもしれない。
「それで足りないと言うなら……」
重い緊張に胸が詰まる。
無言の視線が意図するものに気付いたクラーストは肩を落としてこう言った。
「アンタがそんなことをして、あの坊主はどう思う? ましてや、あの嬢ちゃんだって負い目を感じるってことくらいわかるだろうに。冷静になれ」
「…………!」
負い目、ということは彼は自分がメーネのために動こうとしているのを知っている。
「……知っているのか?」
「この街じゃ誰よりも耳が良いんでな。仕事柄、繋がりが多い」
まさか正体がバレているのかとも考えたが、もしそうなのであればこんな対応をとるはずはないだろう。困惑しながらもそれだけは胸中で安心した。
「それで、その剣の代金だが」
「あ、ああ」
「条件次第でタダにしてやってもいい。もともと俺には無用の長物だしな」
「……条件とは?」
「アンタの力を借りたい」
「…………?」
悪くない話だった。
「……目的がほぼ一致しているな。わかった、協力しよう」
アカシアはその提案に乗ることを約束し、二階へと戻った。
階段を上るとランプの火を消して毛布で丸くなっているカルルの姿があった。その隣にもう一枚畳んで置いてあるのはクラーストから借りた毛布だ。若干こちらほうが分厚くて清潔な匂いがする。
「私も休むか……」
譲って貰った片刃の剣を毛布の中に隠し、それを抱くようにして目を閉じた。
そしてアカシアが何度目かの寝返りを打ち、闇の中で穏やかな寝息が静寂を揺らすのみになると、ようやくカルルは身を起こすことが出来たのだった。
アカシアに気付かれないようにそろそろと階段を降りると、カルルはクラーストがまだ起きていたことに安心した。
「どうした?」
なぜ顔が赤らんでいるのかはテーブルの上のコップと臭いでわかった。コップが二つなのはきっとアカシアも飲んでいたのだろう。
「便利屋っていうのは……欲しいものを揃えてくれたりもしますか?」
「まあ、そういうこともするな」
カルルには彼がなぜ笑っているのかがわからなかった。
次の言葉を待っているように、クラーストは小さな箱から葉巻を一本取り出してナイフで丁寧に切っていく。
「……お金は払います。用意して欲しい物があるんです。お願いできませんか」
真剣な申し出にクラーストはとりあえずカルルの差し出した紙を受け取った。
「……なんだこりゃ。ぼうず、泥棒でもするつもりか?」
見てみればいかにも、といった風な内容だった。
そして冗談のつもりで言った言葉に対しては、
「似たようなものです」
と答えたのだから困ったものだ。
ついさっき娘と話して、仲間が攫われたということは聞いた。自分の動向についてこの坊主には話さないでくれと念を押されたばかりでもある。
あの娘が話していないのなら、こいつは自分で今の考えに至ったということになる。
ならば、自分にそれを止める資格があるだろうか。
「……いいだろう、用意してやる」
「待て」
いつの間に階段を降りてきたのか、クラーストでさえ気付けなかった。
「私は認めない。止める義務がある」
その眼差しにはやや焦りの色が見え、珍しく強い感情が顔に出ていた。
「アカシアさん……」
「カル。お前はいい、私にすべて任せろ」
「でも」
「私のせいなのだ。お前まで危険な目に合わせるわけにはいかない。……わかってくれ」
「でも――」
「カルル」
威圧的。
口調、その眼つき佇まい、それらが醸し出す雰囲気にカルルが怯んだのも無理はない。やはりこの娘、ただ者ではないとクラーストは再認識した。
「……嫌です!」
「カルル……お前……!」
アカシアの眉と目がさらに寄り、クラーストもただならぬ気迫に落ち着かなくなってきた。
――恐ろしい娘だ。
経歴故に様々な体験をしてきた自信はあるが、こんな奴は初めてだ。
これは十年や二十年そこらの人生経験で身に付くようなものではない。恐らく生まれついての才能だ。
だが、これに言い返せる小僧もなかなか見どころはあるようだ。
「あなたがどう思ったって、俺はあいつを助けに行きます!」
「…………そうか。カルル――」
観念したと見せて、アカシアが腰を落とすのをクラーストは見逃さなかった。
「――っ!」
「おっと。それはさすがにひどいんじゃないか?」
「…………」
アカシアの拳を止めていたクラーストの手が離れる。みぞおちにでも一発喰らわせて止めようという魂胆だったのだろう。
視線の矛先がクラーストに向けられる。
「……邪魔をしないでくれ」
それは二人のどちらに言ったのか。
「邪魔はしません。あなたが一人で行っている間に別の場所から忍び込みます」
「カルル、お前いいかげんに――」
「ま、まあまあ」
喰ってかかろうとするアカシアの肩を掴み、クラーストが言った。
「もういいじゃないか、本人がここまで言っているんだ。それにあの作戦は人手が多いに尽きる」
「く……っ」
アカシアは歯痒そうにカルルを睨み付けたまま引こうとはしない。
肩を掴んでいる手を離せば、きっとこのまま坊主に倒れ込んで面白いことになる状態だ。
クラーストは思い付きで、ぱっと手を離してみた。
「っ――!?」
「?」
ごつん、と額同士が勢いよくぶつかり合った。
そのままずるりと糸が切れた人形のように倒れ、二人とも起き上がる気配がない。
「お、おい。大丈夫か?」
やり過ぎたかとクラーストが駆け寄ると、どうやら二人とも気を失っただけのようだ。
「……大丈夫そうだな」
欠伸をしながら髪を掻き毟ると、クラーストは床で並んで倒れている二人にはそのまま毛布を掛けるだけしてやり、自分はソファにどっかと横になったのだった。
「ったく、明日には仲直りしてくれよ……」
決行は明日の夜。
もうすぐだ、もうすぐエリスに会える。
下準備はすでに完璧だ。協力者さえ得られればあとは作戦を実行するのみ。
クラーストはしばらく明日のことに頭に巡らせていたが、やがて支障が出てはといけないと考えるのをやめて目を閉じた。