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頭上の鳥

 とても恐ろしい夢を見た。

 内容は思い出せない。汗ばんだ額を拭った。

 自分が何か取り返しのつかないことをしてしまい、追いかけてくる恐怖からひたすら逃げ続けるという夢だった。

 あと一歩で恐怖に肩を掴まれる――というところで救いの手がどこからともなく差し伸べられ、その誰かの手の温もりにいつしか恐怖は消えていた。

「…………」

 カルルが半身を起こすと、自分とメーネとの間に毛布が一枚余分に敷かれていた。

 そこにさっきまでアカシアが寝ていたのだと気付くのにそう時間はかからなかったが、その本人はどこへ行ったのだろうか。

「――ん、最後はメーネか。カルも飲むか?」

 荷台の外から声がし、見ればアカシアが火を起こして何かをしている。芳ばしい匂いが湯気とともに鼻腔をくすぐり、どうやら珈琲を淹れているようだ。

「昨夜の火種がまだ残っていてな。道具だけはいつも持ち歩くようにしているのだ」

 彼女の荷物がやけに多いのはそのせいだったらしい。見慣れない形の真鍮の鍋に三脚、粉末に挽いた珈琲豆が詰まったガラスの瓶。それらを見る限りでもかなりのこだわりを感じられる。

「いただきます……」

 渡されたカップの温もりがじんわりと手に優しい。そういえば随分と久しい嗜好品だ。

 一口啜り、その味に思わず目を見開いた。

「……甘い! 砂糖が入ってるんですか?」

「私は苦いのはてんでダメでな。そのほうが美味いだろう?」

「でも砂糖って……すごく高いでしょう」

 本当に飲んでも良かったのかと疑うほどだ。

 少なくとも砂糖は一介の騎士が給金で買うには高すぎる代物である。それに高価な砂糖は蜂蜜のように甘味料としてではなく、万病に効く薬としての認識のほうが強い。珈琲に混ぜるなど富裕層にしか許されない飲み方だ。

「なに、出てくる前に屯所から失敬したものだから心配するな。それに甘いものは頭が冴える。歯を磨かなくてはならないのが難点だが」

「そう……ですね」

 アカシアの話をまとも聞いていられないほどに砂糖入りの珈琲は美味かった。

「……そろそろ夜が明けるな」

 日の出前のまだ薄暗い時間だが、白み始めた東の空に目をやると不思議な光景を見ることができる。

 限りなく黒に近い深緑色の大地の向こうから、細い陽光の筋が空に打ち上げられ始めた。

 太陽が完全に地平線から顔を出すまでの短い時間、草原の陽の光を浴びている部分が金色に輝いて見える現象が起こる。

 それを草原に住む者は「大地の目覚め」と呼ぶ。

 まるで太陽から風が吹くように金色の光が彼方から草原を染め上げていき、その神々しいまでの美しさに息を呑むのは、見慣れたカルルとて変わらない。

「……綺麗だったな」

「はい。ほんとに一瞬ですもんね」

 二言三言を交わしている間も無くそれは終わった。

 名残惜しく草原を見渡しても、そこにはもう朝の青空の下に映える緑色が一面に広がっているだけだ。あの闇の中を広がる金色の時間は、見間違いだったのかと思うほどに儚い。

諸説(しょせつ)は色々とあるのだがな。朝露に陽光が反射するせいだとか、精霊の仕業だとか。――もっとも、真実がわかるのはまだずっと先なのだろう。そう、私は思うよ」

 そう言って地平の彼方を見据えた騎士は、自分の知らない時間で何を見てきたのだろうか。

 ――遠い。

 そう感じざるを得ない。

「なあ、カルル?」

「はい?」

「長い時間会わなかった。今の私はカルルからどんなふうに見えているのか察することができない。私は……変わったのかな」

 それはどうでもいい話をしているふうではなかった。ただ、真剣というにはその目はあまりにも穏やか過ぎた。

 自分に向けられた双眸には曖昧な返事も、その場しのぎの綺麗言も彼女を傷つけてしまうだろう。

 カルルが幼き日を思い返せば、知らず内に口調も当時のものへと戻った。

「……七年も前のあの頃としか比べられないのは仕方ないけど、確かに君は変わった。……それに俺も変わってしまったから。それはもうどうしようもないことじゃないか。だからさ、それは悲しむんじゃなくて、良い意味で受け入れてしまえばいいと思う」

 その言葉を噛み締めるように視線を落とし、ややあってからアカシアは口を開いた。

「……そうか。カルがそう言うのなら、きっとそうなんだろう。……すまない、おかしなことを聞いて」

「いや。相談に乗るくらいしか……僕にできることはありませんから」

 そう言うとアカシアは少し不満そうな顔をして、カルルも気がついた。

「あ……」

「今の話し方でよかったのに」

「……すいません」

「ほら」

「…………」

 今まで喋る時には敬語しか許されなかった生活のせいで、すっかりそれが癖になってしまっていた。

 メーネのような例外もあるが、大抵の相手には意識しなければつい敬語で話してしまう。

 礼儀正しいと言えばそれまでだが、それでも度が過ぎているのは確かだ。

「……いつかは治せよ?」

「は……ああ、わか……った」

 やれやれ、とため息を吐くとアカシアはコーヒーの道具を片付け始め、それを見てカルルもそろそろ メーネを起こそうと荷台によじ登った。

「メーネ」

「…………」

「起きろ」

 尻尾だけがぱたりと動いたが、起きる気配はなかった。

「メーネ」

 声を強くして呼ぶ。今度はふさふさの獣の耳がぴくっと撥ねた。

「ん、んんん~~」

 眩しそうに目を擦りながら仰向けになり、ようやく言葉を発した。

「……にぃちゃんおはよぅ」

「おはよう。ほら、顔を拭け」

 こちらまで眠くなってきそうな顔に、水を含ませたタオルを渡してやる。

「…………?」

 その意味が分からないのか、渡されたそれをぼーっと眺めていたので、結局取り返してカルルが拭いてやった。

「ったく、昼間の元気を少しでもこっちにまわして欲しいもんだ」

 朝が弱いメーネの世話をさせられていた頃もよくこうして顔を洗ってやったものだ。

「カルルよ」

 焚火の始末を終えたアカシアが荷台に荷物を乗せてよじ登ってきた。

「とりあえず早いうちに出ておこう。朝飯は道すがらでも食べられるからな。多少あわただしくてもケルンに着くのは早いほうがいい」

「そうですね。じゃあ、先に出発だけでもしましょうか」

 草を食んでいた荷馬が出発の気配を感じたのか食事を止め、カルルは足元の水桶を脇に抱えて「行くよ」とだけ言って顔を撫でてやった。

 手綱を軽く振ってやるだけで荷馬車はゆっくりと動き始めた。朝の冷たくも清々しい空気を胸に吸い込み、大きな欠伸と共にまた一日が始まったのだった。

 


「もうっ、触んないでって!」

「む……よいではないか。少しだけ、な?」

 背後のやり取りに耳を傾けて笑っていたのも最初だけだ。

 太陽が真上に来てもまだ諦めないアカシアと、耳と尻尾を触られないよう守り続けるメーネの攻防戦。

 人のそれよりかなり上に付いている尖ったふさふさの耳。服の裾からはみ出した腰巻のような尻尾。それらが本当に体の一部として機能しているのを見たアカシアが、触らせてくれと言い出したのが発端(ほったん)だった。

「や、ちょっ……にぃちゃん、たすけて!」

 肩に衝撃を受けて振り向くとメーネの顔があった。その後ろにはアカシアが。

「だから少しだけだと言っているではないか。減るものでもないのだし。ほらほら」

「この人もいじわるする! メーネ嫌だって言ってるのに――や、やあああぁぁっ」

「素晴らしい……! これが獣人の尻尾か、なんという心地良い肌触りだ。そこいらの毛皮とは比べ物にならん」

「さ、触らないでぇ……」

 へなへなと腰砕けになるメーネに襟首をひっぱられ、ようやくカルルが止めに入ったのだった。

「アカシアさん。お昼なに食べます?」

「む」

 食欲が好奇心を押し出したらしい。尻尾を放すと、代わりに水の入った袋を引き寄せて栓を抜いた。

「そうだな、私は腹が膨れればなんでもいいぞ」

「……なんでも、ですか?」

「ああ。滋養が高いに越したことはないが。とりあえず体が動けばなんでも食べる」

 恐らくアカシアの言う「なんでも」と自分のそれの範囲が格段に違うことに気付いてはいたが、やはりからかってみたい気持ちに負けた。

「よし、メーネ。昼飯はあれにするか」

「え? なに?」

「ほら、だいぶ前に飯が三日くらい抜きだった時。掘り返してさ……食ったろ?」

「え……え――?」

 御者台で足をぷらぷらさせて座る少女の表情が凍りついた。

「なんだ? 雑草とかか? あれは当たり外れがあるがいけないこともない」

「ちがうもん……」

 アカシアのその笑いもメーネの一言にぴたりと固まった。

「……ミミズ」

「ミ……」

 からからとカルルは笑う。

「あれって栄養はすごくあるみたいで。味と見てくれは最悪ですけど、食いつなぐことはできました」

「食べたことが……あるのか?」

 驚愕するアカシアにカルルは苦いものを浮かべた。 

「仕方がなかったとはいえ……あまり思い出したくはないですね」

「…………」

 アカシアの絶句に満足し、カルルは食料の麻袋を引き寄せた。

「はは、冗談ですよ。どうせ干し肉とパンくらいしかありませんし。ケルンに着いたら野菜を買いたいですね」

 そう言って干し肉を取り出して口に咥えると、その袋をアカシアに差し出した。

「なんだ、冗談か……いやおかしいとは思ったんだ」

 安心して袋を受け取るとその中をまさぐった。

「そうだよな、いくらなんでもミミズは食べられないよな」

「え? ――ああ、ミミズの話は本当です」

「…………」

 騎士は再び言葉を失ったが、それに気にせず話を変えた。

「でもまさか、本当にこんなのんびりと空を拝められる日が来るとは思いませんでしたよ」 

 重圧から解放されて、その分余計に感動に回すことができる。

 それがこれほど素晴らしいものだとは思わなかった。

「ああ……そうだな――ん?」

 つられて空を見上げたアカシアが目を細めた。

「どうしました?」

「あれは……」

 指さした方向に目を向けると、空に一羽の黒い鳥が飛んでいる。カラスではないようだ。

「…………?」

 カルルが御者台に立ち上がって目を凝らしたのはその鳥に違和感を感じたからだ。

 何かが変だ。直感、あるいは本能のようなものがそう告げている。

「――怪鳥だ。……背中に兵士が乗っているな。おそらく私の件をケルンの国境警備に伝えようとしているのだろう」

「怪……鳥?」

 言われてみれば確かに、人のような影が鳥の背中にちらりと見えた気がする。ともすればその鳥は相当な巨体ということになる。

「あんなのがいるんですか……?」

「私も見たのは二回目だ。馬より早く、尚且つ安全に情報を運ぶことができる。怪鳥自体が希少な生き物だからやりあうことは無いだろうが、……まずいことになったな」

 その鳥が飛び去っていったのは荷馬車が目指すのと同じ方角だ。

「……このままいくしかないだろうな。進路を変えるにしても、どうせ国境沿いの町にはすべて連絡が回っているだろう」

 重い空気の中、カルルが口を開く。

「で……でも、国境の向こうのローデリアはアリシルとそんなに仲が良いわけじゃないんでしょう? いくら頼まれたからといって、ローデリアが協力するとは限らないんじゃ……」

 言っていて不安を抱いた。国と国との関係がそれほど単純なものなのだろうか、と。

「…………。特に関係がないからこそ、これから優位な立場を築いていくための材料として貸しを作ろうとするのはあることだ。楽観的になり過ぎていたかもな……」

 この時カルルは初めて、自分たちが追われている『国』という存在の大きさを理解した。



 先日、久しぶりにラノベを最後まで読み切れました。

 「とある飛空士への夜想曲」という、先月映画が公開した「~~への追憶」の後日談にあたる上下巻二冊です。

 高校時代に「追憶」を読んで「これ以上のは無いだろう」なんて偏食野郎は思っていたのですが、「夜想曲」でまた同じことになったわけで。

 内容はもちろんのこと、尊敬せざるを得ないのはその参考資料の多さでした。

 主人公のおそらくモデルとなった坂井三郎氏関連の著書に始まり、世界観などにも多くの書籍を参考にして物語のリアリティを追及する様は物書きの手本として、私もかくありたいと思いました。

ある面白そうな話が浮かび、それをすぐに描き始めてしまうのではなく、プロット以外にも詳細な設定を描かなければ面白そうなだけで終わってしまうという失敗を何度も繰り返した私には彼の姿勢は理想だったわけです。


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