表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その名前は捨てました。辺境食堂で幸せを打ち込む、元悪役令嬢の開拓暮らし  作者: 乾為天女


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/12

第10話 昼下がりの遊園地

 翌朝、食堂の裏手へ回ったセシリアは、雪の上に並んだ足跡の多さに目を丸くした。


 まだ仕込みの煙も細く、朝の白梢の谷は青い寒さの中にある。なのに、埋もれた遊具のあたりだけ、人が集まっていた。プラチャンが大きなシャベルを肩へ担ぎ、ミルコフがしゃがみ込んで木材の節を確かめ、アンナは古布の束を抱えている。レクシーに至っては、どう見ても食堂の裏から勝手に持ち出したらしい空き箱へ釘や麻縄を詰め込んでいた。


 「……皆さん、朝が早いですね」

 「言い出しっぺが遅い」

 プラチャンが鼻を鳴らす。

 「朝飯前に掘る。昼は食堂。午後は直す。わかりやすいだろ」

 「誰が決めたんですか」

 「子どもの顔見た連中、全員」


 言われて振り向くと、ユノとトトが少し離れた場所で、雪を踏み荒らさないよう妙に行儀よく立っていた。手伝いたいのだろうに、勝手に触って壊したらいけないとわかっている顔だ。


 セシリアは手袋の中で指先をこすり合わせた。

 昨日、考えましょうと口にしただけなのに、もうこんなふうに人が動いている。


 王都では、思いつきは誰かを飾るために使われた。

 ここでは、思いつきがそのまま手足になる。


 「でも」

 彼女は残骸の方へ目を向けた。

 「直すにしても、使えるものと使えないものを分けなければ危ないです。とくに子どもが乗るものは」

 「だから俺がいる」

 ミルコフが立ち上がる。

 革手袋のまま、木馬の胴をとんと叩いた。

 「腐ってる部分は切る。芯が死んでるやつは使わん。見た目がもったいなくても却下だ」

 「よかった」

 セシリアはほっとして笑った。

 「そこを曖昧にしては、せっかくの遊び場が怪我の場所になってしまいますもの」

 「先生も同意見です」

 アンナが言う。


 いつのまにか、ネマーニャが雪の上に立っていた。

 いつもの無表情だが、今日は手に紙束ではなく、巻尺と薄い板を持っている。


 「先生」

 「記録院の古地図を思い出しました」

 彼は木馬の向こう、雪に埋もれた石標へ視線をやった。

 「ここは正式名を『北方遊技庭園』といいます。北方視察の折、王族の子どもたちが午後の二刻だけ遊ぶために設けられた施設です」

 「午後だけ」

 レクシーが笑う。

 「なんだか上品ね」

 「上品というより、寒すぎて長居できなかったのだと思います」

 「夢がないわね先生」

 「事実です」


 事実を事実のまま言う声なのに、妙に場が和むのはなぜだろうと、セシリアは毎回少し不思議に思う。


 ネマーニャは石標の雪を払った。

 風化した表面に、かろうじて文字が残っている。

 白梢の谷北区視察庭。文字は途中で欠けていたが、それでも、ここがただの放置材置き場ではなかったことは十分伝わった。


 「本当にあったんですね」

 「ええ。記録上は」

 「では」

 セシリアは手袋をはめ直した。

 「記録だけで終わらせるのは、もったいないです」


 その言葉を合図にしたように、朝の作業が始まった。


 雪を掘る者。

 木材を運ぶ者。

 使えそうな鉄具を選り分ける者。

 食堂へ戻って湯を沸かす者。


 白梢の谷は、人手に余裕のある土地ではない。

 だからこそ皆、無駄なく動いた。昼の客足を考え、朝の仕込みを逆算し、遊び場づくりはその隙間へぴたりとはめ込まれていく。


 セシリアは食堂と裏手を何度も往復した。

 鍋へ根菜を落とし、パン生地の発酵具合を見て、外へ出れば掘り返された雪の穴を覗く。


 最初に姿を現したのは、木馬だった。

 昨日見つけた一頭だけでなく、半分埋もれた小型のものがもう二頭ある。耳が欠けたもの、脚が折れたもの、塗装だけが剥げたもの。プラチャンはそのうち比較的傷みの少ない一頭を選び、台座ごと持ち上げて目線を合わせた。


 「これならいける」

 「本当に?」

 「本当にだ。ただし乗るのは一人ずつ。飛び降りるガキは叱る」

 「叱る前提なんですね」

 「絶対いる」


 そのやり取りを聞いたユノが、先に首をすくめた。

 まだ何もしていないのに、なぜか叱られる側の自覚だけはあるらしい。


 次に掘り出されたのは、斜めに埋もれていた滑り台の骨組みだった。

 木の階段部分はほとんど駄目になっていたが、鉄の支柱は埋まっていたぶん錆が浅い。ミルコフが地面へ膝をつき、支柱の根元を確かめながら言う。


 「踏み板を全部換える。手すりも一部打ち直しだ」

 「滑る面は?」

 セシリアが尋ねる。

 「磨けば使える。ただし尻もちをつくと冷たい」

 「それは冬の遊び場全般の問題です」

 「なら、温かい座布でも敷くか」

 「滑り台に?」

 「冗談だ」


 ミルコフは滅多に顔を崩さないのに、ごくたまにこういうことを言う。そのたび、レクシーが少し遅れて吹き出す。


 屋台跡も見つかった。

 柱だけ残った小さな四角い骨組みで、屋根は落ち、板壁は片方しかない。けれどアンナはそれを見るなり目を輝かせた。


 「これ、布を渡せば風よけになるわ」

 「屋台にするんですか」

 「屋台というより休憩所ね。子どもが手を温めたり、靴紐を結び直したりするところ。旗もつけたい」

 「旗」

 「旗があると、なんだか楽しいでしょう」

 「……それは、たしかに」


 白梢の谷に来てから、セシリアは何度も思い知らされている。

 人は、必要なものだけで生きているわけではない。

 必要なものがあって、そこへ少しの飾りがつくと、やっと顔が上がる。


 昼前、仕込みの一区切りがついたところで、セシリアは大鍋から具だくさんの塩スープをよそい、外へ運んだ。

 湯気が上がる。

 冷えた手を椀のふちへ寄せるだけで、皆の肩から少し力が抜けた。


 「先に食べてください。午後も動くなら、今倒れられては困ります」

 「食堂主が一番容赦ない」

 プラチャンが笑う。

 「優しい言い方して、中身は命令だ」

 「健康管理です」

 「同じだろ」


 ネマーニャは椀を受け取る時、別の板も一緒に持っていた。

 薄い木板へ、細い針のような光が走っている。彼が携帯用の打鍵具を膝の上に置いていたのを、セシリアはそこでようやく見つけた。


 「まさか、もう札を?」

 「必要です」

 彼は当然のように言った。

 「遊び場に必要なのは、夢だけではありません」

 「急に現実を差し込まないでください」

 「安全上の注意書きです」

 「それは必要ですね……」


 板の上には、淡い青白い文字が並んでいた。


 『一人ずつのること』

 『階段で押さないこと』

 『ぬれた靴で走らないこと』

 『三つまで数えて交代』


 最後の一枚を見て、セシリアは目を瞬いた。

 「三つまで数えて交代?」

 「喧嘩の予防です」

 「具体的」

 「子どもは具体的な方が守ります」

 「……先生らしいですね」


 ネマーニャは少しだけ視線を動かした。

 「そうでしょうか」

 「ええ。夢を作る時も、まず喧嘩の予防から考えるところが」

 「食堂でも同じです。列が乱れると揉めます」

 「たしかに」


 真顔で返されると、笑っていいのか感心すべきなのか迷う。

 けれど迷っているうちに、セシリアの口元は自然にゆるんでいた。


 昼の客足は、前日ほどではないが途切れなかった。

 立ち食い用の温スープを求める木こり、持ち帰りのパンを買う猟師、鍋の匂いに引かれて来た旅人。食堂の中ではいつものように忙しい。だが今日は、その忙しさの先に、裏手の遊具があると思うだけで、足運びが軽かった。


 午後。

 日がいちばん高くなっても、白梢の谷の空気は刺すように冷たい。

 それでも、朝から手を動かした成果ははっきり見えていた。


 木馬は一頭、台座ごと真っ直ぐに据え直された。

 欠けた耳は丸く削って整えられ、座る部分にはアンナが余り布で作った細い帯が巻かれている。滑り台は新しい踏み板がつき、手すりも握りやすい高さへ打ち直された。屋台跡には風よけの布が張られ、赤と青の三角旗が細縄に並んでいる。


 何より変わったのは、入口だった。


 ネマーニャが古い門柱の間へ細長い板を渡し、そこへ光文字を打ち込んだのである。


 『白梢の谷 昼下がりの遊園地』


 雪明かりの中で、その文字は冷たくではなく、やわらかく光った。

 夕方の看板とは違う。人を呼び込む店の札ではなく、ここから先は笑ってよいのだと知らせるための札だった。


 セシリアは門の前で足を止めた。

 「……ずるいです」

 「何がですか」

 「こんなに立派な札を、先に用意するのが」

 「先にあった方が、皆が信じやすい」

 「それはわかりますけれど」

 「気に入りませんでしたか」

 「逆です」


 逆だから困るのだ。

 こうして形にされると、胸の内でぼんやりしていたものまで、本当にそこへある気がしてしまう。


 子どもたちが入口の前でそわそわしている。

 ユノは滑り台を見て、トトは木馬を見て、二人ともどちらから行くべきか決めかねていた。

 その姿へ向け、ミルコフが腕を組んだまま低く言う。


 「開く前に説明」

 「はあい」


 妙に素直な返事に、大人たちの間で笑いが漏れた。


 ミルコフは真面目に安全の話をした。

 走らないこと。

 押さないこと。

 順番を守ること。

 痛かったらすぐ言うこと。

 そして、先生の札は飾りではないから読める者が読んで聞かせること。


 最後の一文だけ、やや白梢の谷らしさが強かった。


 「では」

 セシリアは子どもたちへ向き直った。

 「午後の二刻だけ、開園です」


 開園、という言葉を口にした瞬間、ユノとトトがほとんど同時に息を吸った。

 それから走り出しかけて、札を思い出したらしく、二人そろってぴたりと足を弱める。そのぎこちなさに、周囲からまた笑いが起きた。


 最初に木馬へ乗ったのはトトだった。

 プラチャンが後ろで台座を押し、ぐらつきのないことを確かめる。ゆっくり、前へ、後ろへ。大きくは動かない。けれどトトはそれだけで、目を丸くした。


 「うごく!」

 「そりゃ木馬だからな」

 「もういっかい!」

 「三つまで数えて交代」

 ネマーニャが即座に札を指差す。


 トトは慌てて指を折る。

 「いち、に、さん!」

 「よろしい」

 「先生、はやい」


 今度はユノが乗った。

 最初こそ緊張して背を固くしていたが、二度、三度と揺れるうちに、頬が緩む。四度目にわずかに体を預けた時、彼女の口から小さな笑い声が漏れた。


 その音は、鍋が煮える音とも、パンが焼ける音とも違った。

 もっと軽くて、けれど聞いた者の肩から重みを一つ落とすような音だった。


 滑り台でも声が上がった。

 レクシーが最初に座って「安全確認よ」と胸を張り、その直後に思った以上の勢いで滑って尻もちをつき、皆に笑われたのだ。

 「いたっ」

 「大人が先に転ぶと安心する」

 アンナが真顔で言う。

 「何の安心ですか」

 「転んでも死なない安心」

 「縁起でもない」

 「でも大事でしょう」

 「それはそうですけど!」


 結局、そのやり取りのせいで子どもたちの緊張はすっかりほどけた。

 ユノが滑り、トトが続き、途中からは並んで待つことまで遊びの一つになった。待っている間、アンナの旗が風に鳴り、屋台跡の布がぱたぱた揺れる。プラチャンは木馬のねじれを見て締め直し、ミルコフは着地地点の雪を足でならした。ネマーニャは札の角度を直し、読めない子には短く読み聞かせた。


 大人たちの顔も、少しずつ変わっていった。


 最初は「こんなことをしている場合か」という顔をしていた男が、気づけば腕を組んだまま口元を緩めている。いつも疲れた目をしている女が、屋台跡の布越しに子どもを見ながら、指先でそっと目元を押さえていた。


 セシリアは、その横顔を見た。

 腹が満ちれば、人は明日まで持つ。

 けれど笑った顔は、明日より少し先まで生きようとする。


 その時、屋台跡の休憩所で、小さな揉め事が起きた。

 トトが自分の番をもう一度先にしたいと言い、別の子がむっとしたのだ。声が尖りかける。だがその前に、ユノが入口の札を指差した。


 「三つまで数えて交代」

 「でも、もういっかい……」

 「じゃあ、わたしが三つ数える」


 そう言ってユノは、指を一本ずつ立てた。

 「いち」

 トトが口をつぐむ。

 「に」

 別の子が順番待ちの位置へ戻る。

 「さん」

 そこでトトは、しぶしぶではあったが木馬から降りた。


 ネマーニャが小さく息を吐いた。

 「札が仕事をしました」

 「先生、ちょっと嬉しそうです」

 「喧嘩が減るのは良いことです」

 「嬉しいんですね」

 「良いことです」

 「二回言いました」

 「大事なので」


 無表情なのに、少しだけ声の端がやわらかい。

 それを聞いて、セシリアはとうとう笑ってしまった。


 午後の二刻は、あっという間に過ぎた。


 日が傾き始めると、遊び場の影は長く伸びる。雪の白が青へ変わり、旗布の色も沈み、子どもたちの鼻先が赤くなる。そこでセシリアは手を叩いた。


 「今日はここまでです。続きは、また明日の午後」

 「ええー」

 不満の声が上がる。

 「冷えた手でパンを持つと落とします」

 「それはいや」

 「ですから、今日は終わり」


 食堂主の理屈は、遊び場でも案外強い。

 子どもたちは名残惜しそうにしながらも、屋台跡の布をくぐって出てきた。最後にトトが門の札を振り返り、読み上げる。


 「しら……こず……」

 「白梢」

 ユノが教える。

 「しらこずのたに、ひるさがりの……ゆうえんち」


 たどたどしいその声に、大人たちはまた笑った。

 だが馬鹿にした笑いではない。自分たちの場所へ、新しい呼び名がついたことを確かめるような笑いだった。


 片づけのあと、セシリアは門の前へ戻った。

 薄暮の中、光文字だけがまだ静かに浮かんでいる。昼間よりも少しだけ、夢の輪郭に見えた。


 「今日の売上より、こちらの方が大きいかもしれません」

 隣へ来たネマーニャに、彼女はそう言った。

 「金額で測れないものです」

 「先生がそう言うと、珍しいですね」

 「私は数字が好きですが、数字にならないものを嫌ってはいません」

 「知っています」


 返してから、少しだけ黙る。


 遠くで、食堂へ戻る子どもたちの声がする。

 あの声が、白梢の谷に前からずっとあったように聞こえるのが不思議だった。つい昨日まで、雪の下に埋もれていた場所なのに。


 「先生」

 「はい」

 「ここは、もう『生き延びるだけの谷』ではないですね」

 「ええ」

 ネマーニャは門の札を見上げた。

 「今日からは、午後になると笑い声の出る谷です」


 その言い方が、妙に白梢の谷らしくて、セシリアは肩を揺らした。


 「長いです」

 「では短く?」

 「お願いします」

 「……笑える谷」

 「それ、好きです」


 好きです、と口にしてから、何に対してなのか急に曖昧になった。

 札の文句か。

 この場所か。

 隣に立つ人の、削りすぎない言葉の置き方か。


 自分でもわからず、けれど言い直すには遅かった。


 ネマーニャは何もからかわなかった。

 ただ、雪の匂いの中で静かに頷き、最後の板へ新しい一行を打ち込む。


 『また明日の午後に』


 淡い光が灯る。


 白梢の谷に食堂ができ、鍋の湯気が立ち、看板が上がった。

 そこへこの日、もう一つ増えたものがあった。


 午後だけ開く、小さな遊び場。

 笑い声を迎えるための門。

 そして、生き延びるためだけでは足りないと、皆が自分の手で認めた証。


 昼下がりの遊園地は、そうして白梢の谷へ戻ってきたのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ