二 紅里野村の娘
助けてくれた二人は清とミツと名乗った。
「この子は幾つだい?」
清は首を回して背負っている千花の寝顔を見ている。
「千花は三つです」
「そうかそうか」
清とミツは愛おしそうに目を細めた。
紅里野村は割と裕福そうな村で、帝都のはずれに建ち並ぶ長屋とは比べものにならないくらい広い家が多い。
夫妻に連れられて村を歩いていると、次から次へと人が集まってきた。
「その子たち、どうしたんだい?」
「見たことない子だね」
矢継ぎ早に投げかけられる問いに、夫妻は片手をあげては「話は後にしておくれ」と言って相手にしなかった。村人たちも諦めたように口をつぐんだ。しかし好奇の目だけは抱かれている千花や私に向けられる。目が合って、小さく会釈をすると軽い会釈を返してくれる人もいれば、気まずそうに視線を外す人もいた。
やがて畑の向こうに立派な長屋門が見えてきた。山を背にした大きな屋敷だ。
「名主のうちだよ。池場様というんだ」
「あたしらのうちはこの先なんだ」
名主の屋敷を通り過ぎ、山の麓で足を止めた。
「ここだよ」
茅葺き屋根の建物で、名主の屋敷に比べたら随分と粗末でこじんまりとしているが、帝都の郊外によくある長屋よりは大きな家だった。森がすぐそばまで迫っていて日当たりは良くなさそうだが、家の周りには草もなく、綺麗に掃き清められており、帝都育ちの私が思っていた農家よりもずっと立派だった。
清は川から水を汲んできて盥に移し替えると外に出ていった。ミツが濡らした手拭いで体を拭いてくれる。千花は寝ぼけているのか、目が覚めても泣いたりせず、ミツに体を拭かれ、子供用の浴衣を着せてもらった。古いがきれいに洗ってしまわれていたのがわかる。
家の中を見渡してみても夫妻に子供はいなそうだ。それならばどうして子供用の浴衣があるのだろう。
ミツは千花の浴衣の帯を結んでいた手を止めた。私の視線が気になったらしい。
「ああ、この浴衣のことかい? これはね、うちの子のなんだ。洗って綺麗だから、心配しないで使って。」
「子供がいるんですか?」
「正確には、いた、だね。三つで亡くしてね。千花ちゃんを見ると自分の子を思い出しちまうねぇ」
「あ……すみません。そんなことを聞いてしまって」
つらい思い出を話させてしまったことを謝ると、ミツは一瞬きょとんとして、それから「いいんだよ、昔のことだから」と笑みを浮かべた。
「ところで珠緒ちゃん、あんた幾つだっけ? 千花ちゃんが三つだから……」
「十です」
「十歳にしちゃあ、随分としっかりしてるねぇ」
「そうでしょうか」
「この村でそのくらいの歳の子はあんたみたいに大人を気遣ったりしないよ。叱られるような悪さばかりしてる」
そう言いながらも笑っているから、きっと子供が好きなのだろう。
「私は……父と母に言われましたから。千花を頼む、って」
戻ったぞ、と声がして、清が帰ってきた。出て行く時には手にしていなかった布を抱えている。
「珠緒ちゃんにはうちの子の着物じゃ小さからな。近所に声かけてみたんだが、こんなのしかなくてな」
男物の絣の着物を広げて見せた。
「あら、あんたそれはかわいそうじゃないか」
「でもよう、娘っ子はみんな出ていっちまったし」
「あんた、今その話は……」
私は清から着物を受け取ると、羽織のように袖だけ通してみた。大きさはちょうど良さそうだ。
「こちらで充分です。ありがとうございます。どなたにいただいたのでしょうか。お礼を申し上げなければ」
「隣の文弥って子だ。お礼を申し上げるようなやつじゃないから気にするな」
よそのうちの子なのにそんな言い方をするのがおかしくて笑うと、清とミツはほっとしたように相好を崩した。
しばらくの後、清とミツに付き添われて帝都を訪れた。親戚など引き取り手を探すためだ。
しかし既に家は人手に渡っていて、売買契約をした人物も帝都を離れ所在がわからないという。新しい家主が言うには、売り手はこの家の親族を名乗っていたそうだ。先日の異形のものによる襲撃で一族もろとも亡くなったと語っていたという。私や千花も命を落としたと思われたようだ。
「珠緒ちゃん、あんたさえよかったら、千花ちゃんと一緒にうちの子になるかい?」
私は迷わず頷いた。
そして、あの日、父と母が張り付けられていた家の外壁を睨みつけながら心に誓った。
いつか必ず、お父さまとお母さまの仇を討ってやる、と。
突然変わった暮らしだったけれど、千花は幼さが幸いしたのか、早々に村に馴染んだ。帝都での暮らしを口にすることがないため、覚えているのかどうかもわからない。もし忘れているのなら、あの残酷な夜のことを幼い千花に思い出させたくない。だから私も帝都の話を持ち出さないようにしている。あんな出来事は忘れている方がいい。覚えているのは私だけでいい。
あれから十三年。千花は十六、私は二十三になった。帝都にいれば結婚を急かされていたことだろう。いや、とっくに行き遅れと揶揄されていたか。その点、千花は年頃で引く手あまたのはずだ。そろそろ千花の嫁入り先も考えなければならない。父さんと母さんに相談しなくては。
そんなことを考えていると、目の前を子供たちが走り抜けた。着物が濡れている。
「こらぁ、あんたたち! また湖に行ったんでしょ!」
「げっ! 珠緒姉ちゃんだ!」
「怖え〜!」
鬼婆にでも会ったような反応だが、けして嫌われているのではないのだとわかっている。
「姉ちゃんより湖の方が怖いんだぞ〜! だから湖に近づいたらいけないんだぞ〜!」
威嚇するように両手をあげて子供らを追うと、きゃあきゃあと声を上げながら畦道を走っていく。本気で逃げていないから、簡単に捕まえられる。二人、三人と腕いっぱいに抱き寄せると、笑いながらも「わかった、わかったよ」「ごめんなさい」と言ってくれた。
「わかればよろしい」
腕を解いて送り出すと、子供たちは手を振って走っていった。
子供たちが来た方を振り向くと、鬱蒼とした森の木々が風に揺れていた。あの森の奥に紅緋湖という湖があるという。話に聞くだけで行ったことはない。紅緋という名は、異形のものに襲われた村人の血で湖水が赤く染まったことがあるからだそうだ。真偽のほどはわからない。水深が深くて危ないから子供が近づかないようにという方便かもしれない。いずれにせよ、近づいてはならないことになっている。
「あいつら、珠緒に相手してほしくて着物を濡らしてるんだぜ」
いきなり隣で声がして、思わず飛びのいた。
「なんだよ、人を化け物みたいに」
背の高い青年がカラカラと笑っている。
「文弥! 驚かさないでよ!」
「珠緒が勝手に驚いたんだろ」
「だって急に現れるんだもの」
「子供らの遊び相手をしてたんだよ」
「あんたがいながら湖に行ってたの? あそこは行っちゃだめだって……」
「行ってない、行ってない。あれは川遊びで濡れたんだ」
「え? だって、森から出てきたわよ? 川はそっちじゃないでしょ?」
「言ったろ。珠緒に構ってほしいんだって。わざわざ森に入って珠緒が通りかかるのを待ち伏せしてたんだ」
「もうっ、なんなの! 心配して損した!」
「まあそんな怒るなって」
文弥は笑いながら私の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
初めて村に来た日に着物を譲ってくれたのが文弥だった。あの頃は背丈が同じくらいだからという理由で着物を譲ってもらったのに、今では頭一つ分見上げなければならない。
「いつまで私の頭に手を置いてるのよ」
振り払おうとしたら、手首を掴まれた。
「ちょ、ちょっと!」
振り解こうとしても解けない。
「なあ、珠緒。俺たち――」
いつになく真剣な眼差しの文弥の様子に鼓動が早くなる。息を詰めて見つめる。文弥が口を開いた、その時。
「姉さま〜!」
畦道を走ってくる千花が見えた。
文弥が慌てて離れた。取り繕ったような澄まし顔をしている。
「姉さま、父さんと母さんが呼んでる」
「二人になにかあったの?」
「ううん、名主さんに呼ばれたんだって。四人で来いって」
「四人って、父さんと母さんだけじゃなくて私たちも?」
「そうみたい。嫁入りがどうとかって」
私の歳ではもう縁談は来ないだろう。だとすれば千花の縁談かもしれない。
「わかったわ。帰りましょう。――あ、文弥、さっきなにか言いかけてなかった?」
「いや、今度でいい」
二人きりの時にとかなんとか消え入りそうな声で言っている。
「姉さま、早く」
「いま行くわ。またね、文弥」
文弥が言いたかったであろうことに思いを馳せると自然と足取りが軽くなった。




