2 二人目の悪夢
「ララティナじゃないか?」
私は声を掛けて来た人物を見て、思いっきり顔を顰める。
「……うっわ」
先日に続いて、この世で最も会いたくない人間の二人目に遭遇してしまった。
「……何だよ、その顔。傷付くだろうが」
二人目の婚約者――エドマンド様だ。
オスカー様なんかと会ったせいで、今回はすんなりと思い出せてしまう。
「久しぶりだな。元気そうじゃないか」
「……はあ。まあ、そうですね……」
折角、気分良くお買い物をしていたのに……。
そう思いながらエドマンド様に目を向けると、私を見てにやにやと見下すように笑っていた。
変わってないなぁ……このモラハラクズ。
エドマンド様――艷やかな黒髪を撫で付けていて、品の良い眼鏡を掛けた、一見すると紳士的な好青年なのだが……実はとんでもないモラハラ野郎であった。
彼は何でもかんでも、自分の思い通りじゃないと気が済まない、支配的な人で……。オスカー様の時に散々な目に遭ったので、次こそはと思っていたのになぁ……。
最初の頃は、彼も私に対して紳士的に振る舞ってくれていた。しかし、何度もお会いするうちにエドマンド様の態度は変わって行って――気付けば、冷たい態度だけではなく、酷い言葉も投げつけられるようになっていった……。
◇
「お前さぁ。そんなことも出来ないとか、伯爵令嬢として恥ずかしくないの?」
「……はぁ。俺はさぁ、お前のために言ってあげてるんだけど? 理解できないかなぁ?」
「は? もしかして、俺が悪いとかって思ってる? 被害者ぶるのも、いい加減してくれないかなぁ?」
「お前は、俺の言うことだけ聞いていればいいんだよ。なぁ、お嬢ちゃん?」
「俺とお前……周りは、どっちの言うことを信じると思う?」
「なに真に受けてんの? 冗談だって分からない? ほんと、堅くて面倒なお嬢ちゃんだこと」
「あのさぁ。自分だけが、頑張ってるみたいな態度やめてくれない? 俺がお前に対して、普段どれだけ我慢してるのか分かってる?」
「お前みたいな、何の魅力も取り柄もない奴が婚約者だなんてなぁ……しかも、婚約破棄されてるような女……。まあこの俺がもらってやるんだから、一生感謝して這いつくばって生きろよ」
――このような言葉を会うたびに浴びせられていた。彼は外面が死ぬほど良かったので、なかなか周りには理解してもらえず、私の精神だけがすり減ってゆくばかりで……。
最初の頃は私が悪いのかもしれないと、必死に彼の機嫌を取って尽くして尽くして尽くしまくった。しかし、これが彼のモラハラを助長させてしまったのだと思う。
――だがある日。公爵家のパーティーでのこと。
主催者に挨拶を済ませて、飲み物をいただこうとしたとき。
近くにいたご婦人の手に持ったワインが、ドレスに掛かってしまった。
「――っ!?」
「きゃあ! ごめんなさい!!」
おろしたての流行りのドレス。着るのをとても楽しみにしていて、髪もお化粧もドレスに合わせてもらっていた。
ショックで思わず顔を伏せてしまったけれど、この人だってわざとワインを掛けたわけではない。その証拠に顔を真っ青にして慌てふためいている。
(……誰にだって、失敗はあるものよ)
そう思って深呼吸をしてから、顔色を青くさせているご婦人に笑顔を向けようとした瞬間――。
「お気になさらないでください。ぼーっとしていた、こいつが悪いんですから。なぁ、ララティナ?」
私は突然入って来たエドマンド様を、呆然と見つめてしまう。
「え? ……ええ……そう、ですね……」
「で、ですが……ドレスを……」
困惑しているご婦人に、にこりと微笑むエドマンド様。
「大丈夫ですよ。どちらにしろ、今日はすぐに帰る予定でしたので。では、もう失礼いたしますね。帰ろう、ララティナ」
すぐに帰る予定なんてなかったはず……そんなことを考えていると、エドマンド様に手を引かれて会場の外へと連れて行かれる。
(……いえ。それよりも、何故この人が〝大丈夫〟なんて言うの? 私の気持ちを決めつけるの?)
ぎゅっとドレスを握って俯いていると、屋敷を出た処でエドマンド様が私の耳元に唇を寄せてきた。
「お前みたいな見栄えのしない女が、張り切ってそんな派手なドレスなんか着てるから……くっ……ははっ! 面白っ! 調子に乗るから、こんな目に遭うんだよ。バーーカ」
――耳元でそう囁かれた瞬間、私の中の何かがプツリと切れた。
これまでに、彼から受けた暴言や仕打ちが走馬灯のように脳裏に駆け巡る。
『役立たず』『出来損ない』『つまらない女』
貶められて、馬鹿にされて、笑われ続けた日々……。私は彼のストレス発散道具でしかなかった。
(……いい加減にしなさいよ)
――こんな奴と結婚するくらいなら、腹を掻っ捌いて死んだ方がマシだ。
私は目を閉じて大きく息を吐くと、持っていたハンカチを手に巻き付けた。そして、足を肩幅くらいに広げると脇を閉める。
腹にぐっと力を入れてから、エドマンド様の不快な顔面に思いっきり拳を叩き込んでやった。
「ピーチクパーチクうっせぇんですのよ、このクソモラハラ野郎っ!!」
「お゛っ……ぐぅ……!! いっ、いだぃ……っ!! にゃ、にゃにす……」
我慢の限界だった私は、エドマンド様の頬と腹にもう二発ほど決め込むと、落ちた眼鏡をバキンと音を立てて踏み付ける。
「……うっ……ひぐっ……ひっ、ひ、どぃっ……うっうぅ……っご、ごめ……ゆるじでぇ……」
「さんざん人のことをバカにしておいて、ちょっとやり返されたただけで、泣いて許しを乞うのですね」
はっと息を吐くと、しゃがみ込んだエドマンド様の胸ぐらをつかんで睨み付けた。
「訴えるのでしたら、ご自由にどうぞ。こちらも魔法の音声記録装置で、あなたのこれまでの暴言の数々は録音済みですので。もちろん、他にも証拠は揃えてありましてよ。お覚悟なさいませ!!」
「ひいぃ……!!」
◇
――当然、このあと婚約破棄となったのだが……。
(……あんなことがあったのに、よく私に声なんて掛けられるわね)
「お前、俺と婚約破棄したあと、別の奴とも婚約破棄したんだってな?」
「……だったら、何です? あなたと雑談するような暇はないので、もういいですか?」
「ま、待てよ!! あ、あの……つまり、アレだよ……その……お、お前と、やり直してやってもいいぞ?」
「はあ?」
なに言ってんの、この人?
「あの時、私に殴られてピーピー泣いてたくせに何を言っているのです? 頭、大丈夫でして?」
心配になって、思わず憐れみの目を向けてしまった。
「俺も、お前みたいな暴力女なんかご免だって思ってたよ。けど、あのあと誰と付き合っても、上手くいかないんだ……結局、俺に一番尽くしてくれて、理解しようとしてくれてたのは、ララティナだったんだなって……」
まあ……結局、あなたのモラハラを助長させただけでしたけどね。あれに関しては、かなり反省しています。
「だから、特別に俺とやり直させてやるよ! 嬉しいだろ? 俺もあの頃とは違って、もうお前を傷付けたりしないって約束してやる!」
張り切った笑顔でなに言ってんの、この人? オスカー様といい、急に何なのだろう。気味が悪い……鳥肌を押さえながら、私は口を開く。
「……あのですね、それで私が……」
「いや、今は返事はいい!! ちゃんと考る時間をやる! また近いうちに会いに行ってやるから、その時に返事をくれればいい! じゃあな!」
「はあ!? ちょっ、ちょっと!?」
――この男も、言うだけ言って去って行ってしまった……。
◇
――そのあと。
私は買い物を中断して、魔術塔へと向かった。
「ねぇ……アデルくん。何なのかな、これ? 私、呪われてるのかな? 地獄なんだけど……」
「へぇ……あの時の害虫。ララ姉さんの前に、よく顔を出せたね……信じられないな。姉さん、大丈夫だった? 何もされてない?」
「う、うん……」
あの頃――外面の良いエドマンド様のことを話しても誰も信じてくれなかった中で、唯一私のことを心配して味方になってくれたのが、アデルくんだった。
学院の長期休暇中に屋敷に帰って来たアデルくんは、私の様子を見てすぐに何かあったのだと察してくれた。私が、これまでのことを話すと「うん。殺そうか、そいつ」と、とびきりの笑顔で行動に移そうとしたアデルくん。
何とか引き留めて協力を仰ぐと、彼が魔法の音声記録装置や映像記録装置を作ってくれて、それを使って証拠を集めまくったのだ。
「あの時は、本当にありがとう。アデルくんのお陰で、有利に婚約破棄ができたわ」
「大したことはしてないよ。それよりも、何かあればすぐに知らせてね? 必要なら、今すぐにでも呪い殺して……」
「だ、大丈夫だから! 立て続けに地獄みたいな事が起こっちゃったから、ちょっと疲れただけだよ。ごめんね、こんな話ししちゃって」
私が肩を落として謝ると、アデルくんが宝石の散りばめられた美しい箱を取り出し、中からチョコレートを差し出してくれる。
「じゃあ、そんなお疲れのララ姉さんに。どうぞ」
「わぁ。いいの? ありがとう、いただくね」
チョコレートを受け取ると、包みを剥がして一口齧る。すると、中からとろりとキャラメルが溢れてきた。
「ん〜! チョコも美味しいけど、中に入ってるキャラメルがほろ苦くて、すっごく美味しい!」
「良かった。そのチョコレートも、ララ姉さんをイメージして作ったんだ」
「――これも?」
確かに、このチョコレートの中に入っているキャラメルは私の髪の毛の色に良く似ているかもしれない。
この間のキャンディーといい、嬉しくて顔が綻んでしまう。
「アデルくんって、ほんとうに器用ねぇ。何でも出来て、魔術師としての才能も申し分なくて……おまけに性格も優しくて頼りになるし。アデルくんみないな人が旦那様だったら、きっと幸せなんだろうなぁ」
私の呟きに、アデルくんが大きく目を見開く。何か言いたげに口を開きかけて、静かに閉じると美しい瞳をとろりと細めて微笑んだ。
――その美しさに思わず胸が跳ねる。
「うん……大丈夫だよ。ララ姉さんは、絶対に僕が幸せにするから。安心して?」
「……アデル、くん?」
(――あれ。この子って……こんな感じの子だったっけ……? こんなにも大人びていて、底の知れない雰囲気の……)
私が戸惑っていると、蠱惑的な笑みを浮かべたアデルくんが、ふっと表現を和らげる。
「困ったことがあれば、いつでも相談して? 僕は何があろうと、姉さんの一番の味方だから」
「……う、うん。ありがとう」
「ふふ。じゃあ、お茶のおかわりを淹れてくるね」
そう言って奥の別室に向かうアデルくんを、呆然と見送る。
(い、今のは何だったのかしら……)
早くなってる胸を押さえると、はっと息を吐く。弟のような存在の大切なアデルくん……いつの間に、あんな表情をするようになったんだんだろう。
気付かないうちに大きくなっちゃったなぁ……なんてことを考えていると、アデルくんがお茶を持って来てくれたので、それをいただいてから私は屋敷へ帰ることにした。
◇
――その数日後。
大聖堂で行われた慈善活動の手伝いを終えて、帰路に着く途中。
「ララティナじゃないか?」
声を掛けられた私は、胸のざわつきに眉を顰めながら振り返る――。




