バーチャル自殺
⚪︎プロローグ
「一回死んでみる」
2020年の世の中を生きている人には意味不明な言葉だろう。
現在、20XX年、VR(仮想現実)サービスはもはやファーストフード店のように身近な存在だ。
街中にもいろんなタイプのVRサービス店が犇め(ひしめ)いている。
今、かなり話題のショップがある。
『バーチャル自殺』「一回、リセットしませんか?」
こんな衝撃のVR体験が出来る店がある。
サービス内容は、好きな死に方でバーチャルに一回死んで、一度スッキリリセットするというものだ。
店内はアロマの香りとヒーリングミュージックがかかる癒しの空間だ。
死にたい人にも共感が必要だ。
でも、死にたい人に理解を示す人はあまりいないだろう。
世の中は世知辛い。
「死にたい」なんて一言でも漏らしたら、背中を押されそうな勢いだ。
そこで、『バーチャル自殺』体験で鬱々とした気分を少しでも晴らして欲しい。
臨死体験をした人が、人生に対する考え方を180度変えてしまうというストーリーはよく聞く話だ。
しかし、実際に生死にかかわる体験をすることは稀だ。
しかも周りにもそんな体験した人あまりいないことが普通だろう。
『バーチャル自殺』で一回死ぬ。
行き詰った自分が、一回死んだと思えばいい。
明日からは別の人間として別の人生を生きる。
一度死んだと思えば、多少の常識破りも怖くはないだろう。
全ての常識を完璧に身に着けたとしても、死ねば全て消える。
『バーチャル自殺』は当初、非難の的だった。
「不謹慎だ」
「不快だ」
「店をたため」
たくさんの非難が寄せられた。
しかし、かなりニッチな一定の市場があった。
「なぜかスッキリした」
「本当に死ぬかのようなリアリティがあった」
自分のしたい事をするとスッキリする。
しかし、死にたいという願望は実行するわけにはいかない。
仮想空間なら、安心して実行できる。
営利目的での運営は、風当たりが強かったため、自殺を抑止する目的で運営するNPO団体が運営を引き継いだ。
20XX年、2020年よりも自殺者の数が30%減少していた。
人口減少が主な理由だという専門家がいる一方で、
「『バーチャル自殺』の効果では?」というまことしやかな記事も三文記事も出てはいた。
本当のところはまだわからない。
しかし、精神医学的にもヨガの死体のポーズが追い詰められた精神を緩和する効果があるらしい。
一瞬、想像の中で死んでみる。
そうすることで精神が落ち着くとしたら、人間は不思議な生き物だ。
私たちの精神は自然界と分離してしまったのだろうか?
想像の中で一度死ぬことは、生きる事を目的とする動物の自然の本能に適っているのかもしれない。
本当に死ぬわけではないという安心が担保された状態ならば、安心して「一回死ねる」。
死んだと思えば、常識に逆らうことも怖くはない。
自分は一回死んだ。これは死人の人生だ。
仲間のおきてを破って、群れを追い出された動物みたいなものかもしれない。
ここがアフリカの草原の真ん中なら、死を待つだけだ。
ここでは群れを追い出された動物でも、バーチャルな死人でも生きてく手段を探すことは出来る。
群れのおきては破ったが、資本主義という昔の天才が作ったおきてに従えばなんとかなるだろう。
⚪︎第一章「最悪」
「あ~最悪。」
いつもそう呟く度に、心の奥に棘が刺さったみたいに、ギュッと内臓をつままれているような感覚になる。
でも体の中から、毒を出すみたいに口を突いて出る。
この言葉が頭に浮かぶと声に出さずにいられない。
「最悪だ。」
世の中には、引き寄せの法則というのがあるらしい。
自分が放っている波動と同じ波長の出来事を磁石みたいに引き寄せているらしい。
正直嘘くさい。
しかし、俺のこの「最悪だ。」という口癖と、ここ最近、いやずっと何年も前から自分の身や身の回りに起きたことを考えれば、一理あるのかもしれないとは思う。
3年前に時を遡る。
俺は、仕事のストレスから連日飲み歩いていて、ほぼアルコール依存症のような状態だった。
金はどんどん減っていくが、給料は増えるわけでもなく、段々クレジットカードの支払の額が自由に使える金の額を超えていった。
当然払いきれなかった分は、リボ払いとして借金にするしかなく、カードの残高が徐々に増えていった。
働いているのに、赤字になって、どんどん借金が増え、俺は考えた。
仕事のストレスでアルコールに依存するようになった。
でも、仕事を辞めたら、酒代が払えなくなる。
酒代どころか家賃すら払えない。
しかし、あのクソ上司に怒鳴られる度に俺の中で、怒りの感情と大人としての自制心がせめぎ合って、すさまじい軋轢を心の中に生み出していた。
もう俺の心は真っ二つに割れてしまいそうだった。
そのイライラを酒に酔っている間は、麻痺させることが出来た。
何のために働いているかわからない。
今の仕事は、なんとなく給料が良いとか、求人広告の感じが良かったとか、そんな曖昧な理由で選んでしまった。
ある意味自業自得かもしれない。
ちゃんと自分の頭で考えなかったから、こんなどうにもならない状況に向かって進んでしまった。
まさにカオスそのものだった。
それから、3年後の現在。
俺の心は徐々に荒み、借金も増えていた。
「石の上にも3年」とはよく言ったものだが、どうにもコントロールできない状態の中に3年間いると、段々と人の心は変化していく。
俺は、自分の事をはさみと同じ存在だと思っていた。
はさみは文房具で、紙を切るための道具だ。
俺は上司の意のままに使われるはさみのような存在だと自分の事を捉えていた。
心の苦痛もだんだん感じなくなった。
ただいつも快速電車が通過する所をボーっと眺めていた。
なぜかわからないが、無意識にあのスピードなら死ねるかどうか考えていた。
ダンプカーがスピードを出して走っていくのを見かけた時も、なぜだか無意識に同じ事について考えていた。
あのスピードは人を引き寄せる何かがある。
あのスピードには、まさに俺を「最悪」の状況に引き寄せるような磁力があった。
今は借金があるから、仕事は辞められない。
でも会社にとって俺はただのはさみと同じ価値しかない。
何も感じない。
俺には無の時間しかなかった。
「死ねばいい」
何かのキャッチコピーが俺の目に飛び込んできた。
優しいテイストのポスターなのに、何かすごい事が書いてある。
――――――――――――――――
「死ねばいい」そんなこと考えていませんか?
いつも死んだらどうなるか想像しているそこのあなた。
VR空間で死んだ瞬間と死後の世界を体感出来ます。
VRサービスは無料で体験出来ます。
土日祝日の予約も受け付けております。
お気軽にお電話ください。
TEL XXX-XXXX
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VR空間で死後の世界を体験…?なんだ、それ。
そういえば、昔メディアに叩かれていたバーチャル自殺サービスというのがあったな。
確か店が休業に追い込まれたはずだったが、まだ存在していたのか…。
あの時は自殺体験なんてアホらしいと思って、全く気にも留めなかった。
でもなぜかわからないが、今は電話してみたい気持ちだった。
別にこんなサービスに何も期待はしていなかった。
誰かが自分を助けてくれるとか、そんなこともうどうでもよかった。
俺は来週の日曜日にバーチャル自殺体験の予約をした。
闇は、闇を引き寄せる。
<体験当日>
俺は本当に何も期待していなかった。
バーチャルサービスを受ける施設のある場所は少し都心から外れた場所だった。
施設は、駅から少し歩いたところにある普通のテナントビルの一階にあった。
「こんにちは」
静かな雰囲気の職員の人が案内してくれた。
「こちらにどうぞ」
VRのヘッドセットと体感スーツを装着した。
「仮想空間では歩こうと思うだけで歩くことが出来ます。
VRのヘッドセットにあなたの脳波が送られています。
あなたが望んだ形の方法で自殺を体験してください。
更にその後、あなたの記憶からAIが作成した死後の世界予想が投影されます。
気分が悪くなったり、途中でやめたくなったりした場合は、こちらの赤いボタンを押してください。
体験が途中で中断され、職員が参ります。
何か体験に当たって、ご質問などはございますか?」
「いえ特にありません」
「それでは、3分後に体験がスタートします。リラックスしてお待ちください。」
俺は椅子に座って、どうやって死ぬか考えた。
いつも眺めていた電車かダンプカーに…。
仮想空間だったら、どんな方法で死んだとしても誰にも咎められないだろう。
どうせ全部、バーチャルなのだから…。
俺はスピード感の中で死にたかった。
あのスピード感には俺を引き寄せる何かがあった。
どうせ仮想空間なら、派手に車で崖から飛び降りようと思った。
猛スピードで断崖絶壁に向かって走れば、落下した衝撃で確実に死ねるだろう。
3分が経過し、バーチャルの世界が投影された。
バーチャルの世界で、俺は自分のアパートにいた。
まずは車を借りに行こう。
財布にはほとんど金が入っていないから、またカードを使わなきゃいけない。
まぁ仮想の世界だから、借金は増えないのだが、なんだかやるせないみじめな気持ちになった。
俺は近所のレンタカー屋で乗用車を借りた。
これを飛び降り自殺に使ったら、誰が壊れた車の費用を払うのだろうか…。
死ぬのにも金がかかる。
一生懸命生きても、一生懸命死んでも、何かにつけ、金がかかる。
俺は乗用車に乗り、ネットで崖を検索した。
海の方に、断崖絶壁になっている岩場があった。
俺はそこを目的地に設定して、車を走らせた。
久しぶりのドライブだった。
しかも海に向かっている。
普通だったら、何か感じるのだろう。
昔は何か感じていたはずだが、何も感じなくなっていた自分に驚いて、少し悲しくなった。
まぁ死に行くのだから何も感じなくても当たり前のことだろうが、ふと海に行くだけでワクワクしていた子供の頃の自分を思い出して、物悲しい気分になった。
そして、あっさりと目的地までたどり着いた。
少しドキドキしていた。
少し怖い。
痛いのだろうか…?
考えた瞬間に愚問だと気づいた。
自殺を考える人間は心の痛みが体の痛みを超えた時、死を決心する。
もう俺には何も感じない心とモノトーンになった世界しか残っていなかった。
断崖絶壁を前に、少しバックした。
助走をつけて、ハイスピードで飛び出そうと思った。
俺は一度深く呼吸した。
本当に深く息を吸い込んだ。
最後の呼吸だ。
俺はゆっくりアクセルを踏んで、スピードを上げた。
崖に近づくにつれて、徐々にスピードは上がっていった。
アクセルを力強く踏んで、ハンドルを握りしめた。
次の瞬間、車ごと空中に投げ出された。
ふわっと、浮くような感覚がした。
そして、次の瞬間重力を感じた。
崖の下は岩場になっていた。
加速度の力で、初めはゆっくり近づいているように見えたが、徐々に近づくスピードが上がって、岩場が迫ってきた。
もう視界には岩しか見えない。
その次の瞬間、ものすごい衝撃音と全身に凄い衝撃を感じた。
骨という骨が砕け散った。
頭も岩に砕かれたようだった。
しかし俺は、まだ自分の心臓の鼓動を感じていた。
仮想空間だからか…。
俺は仮想空間にのめり込みすぎて、一瞬自分がどこにいるのかを忘れていた。
俺の心臓はすごい速さで脈を打っていて、なぜか生きている事を強烈に感じた。
生きている…。
まだドキドキしていた。
現実に戻ってこられなかった。
俺はその時、はさみだと捉えていた自分が、人間に戻っていたことに気が付いた。
今までは、はさみと同じ価値しかないと思って、心を麻痺させていた。
しかし、落下の衝撃で、電気ショックを受けたように、自分がはさみと同じではないと感じた。
自分がはさみと同じではなかったということに気づいた瞬間、抑えていた感情が込み上げてきた。
自然と涙が流れた。
悔しかったり、怒っていたり、理性で抑えていた感情が湧き出ていた。
俺は抑えきれなくなった感情を泣くことで爆発させた。
俺が感情を露わにしたのを職員が察知したらしい。
仮想空間に職員の声が流れた。
「大丈夫ですか?気分が悪かったら中断しますか?」
「いえ、大丈夫です。」
俺は涙声で答えた。
俺はまだ体験し足りないと思った。
死後の世界が気になった。
死後の世界はなかなか前に進まなかった。
崖の下で人が通りかかるのを待った。
しばらくして、遠くで近所のおじさんらしき人が、こちらを見ながら、電話している姿が見えた。
その後、救急車が来て、俺は車の中から運び出された。
仮想空間ではもう死んでいる事になっている。
救急車で運ばれたが、病院で死亡が確認された。
俺には家族がいなかったから、誰も来ないと思った。
しかし、病院には会社の人が来ていた。
会社の人は、泣いているようなそぶりをしていた。
しかし、医者がいなくなるとすぐに表情が元に戻り、ケータイで誰かと話し始めた。
会社の人が、手に持っていたハンカチも乾いている。
俺はあいつらにとって、まだはさみと同じ存在なのだな…。
馬鹿と鋏は使いようというが、俺は「自分の事を誰かにうまく使いこなして欲しい」そんな風に思っていた。
俺は誰かに使われたり、利用されたりすることをとにかく受け入れようとしていた。
なぜだろう…。
なぜか、それが「優しさ」だと思っていた。
相手の意図したとおり、黙って従っている事が自制心の表れだとも思っていた。
でも、実際はどうだったんだろう…。
俺は自分の感情と向き合う事も、自分の頭で考える事も、どちらも放棄していた。
周りに大事にされていないとか、軽んじられている事実を受け入れたくなかった。
今まで、自分の気持ちを吐き出そうとしたこともないし、自分が考えたことを伝えようとしたこともなかった。
今の仕事が向いてないなんて、言い訳に過ぎないと思っていた。
また自分の好きな事をやることは、甘えのように感じていた。
馬鹿と鋏は使いようには、その人の能力を活かすように使ってやれという意味があった。
俺は、誰かが俺をうまく活かしてくれることをいつも期待していた。
他人に期待するという事は、要は他人次第で状況が良くなったり悪くなったりする、予測不能なジェットコースターに乗っているのと同じようなものだった。
俺は、いつも心の底で他人に期待し続けていた。
誰かが状況を良くしてくれることをずっと待ち続けていた。
その我慢こそが、甘えだったんじゃないか?
俺は、自分の考えや感情も全てを、他人に合わせる事だけを考えて生きていた。
でも、誰も俺をうまく使いこなしてはくれなかった。
なにせ俺自身、自分の持ち味を把握して活かしているわけでもなかった。
「他人と自分の関係は、自分と自分自身の関係の相似形だ。」
この言葉をふと思い出した。
昔どこかで読んだが、今やっと意味が分かった。
俺が俺自身を活かしてやらないと、他人にも自分を活かしてもらえないということだ。
俺がもっと自分を理解して、自分の能力を活かせる職場で働くために考える必要があった。
「最悪だ…」
こんな簡単な事に気が付くのに、何年もかかってしまった。
「あ~本当に、最悪だ」
俺はまたいつもの口癖を呟いた。
しかし、2回目はなぜか清々しい気分だった。
俺が仮想空間でこんな体験をしたからと言って、周りの人間や状況が何か変化する訳じゃない。
しかし、俺が何かに気づき、俺の中のどこかの回路が繋がった瞬間、俺を取り巻く世界の何かが変わった。
俺が自分で自分をうまく使いこなしてやることが大切だと気づいた。
俺は昨日までは上司のはさみだったが、この体験を通して、俺のはさみに戻った。
俺は、誰かの道具ではなくなった。
自分自身が、自分の元に戻っていた。
仕事を辞めても何とかなるだろうと感じられた。
借金はまだあるが、もっと狭いアパートに越して、ストレスの少ない仕事を探せばいい。
自分次第でどうにでもなる。
今回の体験で、そう思えるようになったことが一番の収穫だった。
VR体験が終了し、職員がヘッドセットを外してくれた。
「どうでしたか?無料のカウンセリングサービスも受けられますが、いかがですか?」
「カウンセリングは大丈夫です。もう大丈夫だと思います。ありがとうございました。」
俺は、簡単に体験の内容を職員に話した後、施設を後にした。
不運な事に、帰り道で、道端に落ちているガムを踏んづけてしまった。
靴底にべったりとくっついた。
なぜかそこでいつもの口癖が出てこなかった。
なぜかそれを言わない自分をおかしく思って、俺はふっと笑った。
でも、さっきまでの自分を思って、わざと言いたくなってしまった。
「あ~最悪……だったな。」
終わり。