フランツ・カフカ「掟の門」2
入ろうと思えばいつでも入ることが可能な「掟の門」。いつも開かれているその門は、中に入ることを禁じながら、入ることを誘惑しているようだ。
その前に立つ恐ろしげな番人も、入門を言葉で厳しく禁じるだけで、実力行使は伴わない。門の中を覗き込む男を、門番はただ見守るだけだ。
勇気を出せば簡単に入ることができそうなのに、中に入ろうとはしない。「おとなしく待っている方がよさそうだ」と、入らないことを自ら決断し、実行する男。
聞き分けのよい子にはご褒美がある。「おとなし」い男に、門番は優しく「小さな腰掛けを貸してくれた。門の脇に座っていてもいいという」。飴と鞭による懐柔。
その言葉に従い、「男は腰を下ろして待ちつづけた」。それも「何年も」。
もちろん男とて、何もしなかったわけではない。「その間、許しを得るためにあれこれ手をつくした」。「くどくど懇願し」、「故郷のことやほかのこと」を話した。「ときたま」「聞いてくれた」門番だったが、「おしまいにはいつも、まだだめだ、と言うのだった」。
それでも男はあきらめない。「いろいろな品」を「つぎつぎと贈り物にした」が、門番は「平然と受けと」り、「おまえの気がすむようにもらっておく」が、「ただそれだけのことだ」と言う。賄賂は受け取るが、それに左右される自分ではないということ。
こうして、「永い年月」が過ぎ去る。その「あいだ、男はずっとこの門番を眺めてきた」。ここに至り、男の関心は、門そのものではなく門番へと移ってしまっている。男には、「ひとりこの門番が掟の門の立ち入りを阻んでいると思えてならない」。
「はじめの数年は、はげしく声を荒らげて、のちにはぶつぶつとひとりごとのように呟きながら」、男は「身の不運を嘆いた」。
「そのうち」男は「子どもっぽく」なる。これは、この後の、「そのうち視力が弱ってきた」からもわかる通り、高齢化が進んでいることを表す。
子どもは虫が大好きだし、小さなものにすぐ目が行く。「永らく」「見つめてきた」ためもあり、門番の着ている「毛皮の襟にとまったノミにもすぐに気がつく」。何とか門番を攻略しようとする男は、ついにはその「ノミにまで」「たの」む。「おねがいだ、この人の気持ちをどうにかしてくれ」と、藁にもすがる思い。他者依存。
視力の低下に伴い、「暗闇のなかに燦然と、掟の戸口を通してきらめくものがみえ」始める。男が長い間求め続けてきた「掟の門」の向こう側にある何かが「きらめく」。
とうとう男の「いのちが尽きかけていた」。
からだの硬直が始まる。
「もう起き上がれない」。
「すっかり縮んでしまった男」。
その「上に、大男の門番がかがみこん」で言う。
「欲の深いやつだ」。「まだ何が知りたいのだ」。
この、「まだ」には、「もうお前は知ったはずだ」という意味が含まれる。それは、「掟」の意味だ。①長い年月をかけて男が知った「掟」の意味。
門番の問いかけに、男は答える。「死のまぎわに、これまでのあらゆることが凝結して一つ」となった、「これまでついぞ口にしたことのない問い」。
「誰もが掟を求めているというのに……この永い年月のあいだ、どうして私以外の誰ひとり、中に入れてくれといって来なかったのです?」
男の「命の火が消えかけていた。うすれていく意識を呼びもどすかのように門番がどなった」。
②「ほかの誰ひとり、ここには入れない。この門は、おまえひとりのためのものだった」。
①長い年月をかけて男が知った「掟」の意味について
男が「掟の門」をくぐりたいと切望したのは、彼が「掟」とは何かを知るためだった。だから門番は、彼の求めに応じて「掟」の意味を分からせようとする。具体的には、絶対にこの門をくぐってはいけないという禁止を出すことで、「掟」とは何かを理解させようとした。門番は、男の求めに素直に従っただけだ。
しかも門番のやり方はより丁寧だ。中に入るとひどい目にあうぞと言葉で脅すだけで、彼は決して手を出さない。物理的な阻止をしないのだ。「入ろうと思えばいつでも入れる。現に門は開いているし、俺も阻止するわけではない。あとはお前が自分で考え判断しろ」ということ。このことは、だからこそ男が自分の意志で「入らない」ことを選択したことになる。
男は、「入らない」という選択を長い間実行し続ける。「掟」を何年にもわたって守り続けたのだ。
このように、長い年月をかけて男が知った「掟」の意味は、社会から求められる自己規制ではない。社会がダメだというからやってはいけないのではなく、自分で選択してやらないことだ。
②「ほかの誰ひとり、ここには入れない。この門は、おまえひとりのためのものだった」について
死が近づく男は門番に尋ねる。「誰もが掟を求めているというのに……この永い年月のあいだ、どうして私以外の誰ひとり、中に入れてくれといって来なかったのです?」。
門番が言うとおり、男の認識は間違っている。「誰もが掟を求めている」わけではない。むしろその意味を真面目・真率に求めていたのは、男だけだった。だから男「以外の誰ひとり、中に入れてくれといって来なかった」のだ。その意味で男は、他の誰よりも「掟」に近い存在だった。
「ほかの誰ひとり、ここには入れない。この門は、おまえひとりのためのものだった」とは、「他の者たちは、そもそも掟を守ろうなどとは思っていない。この「掟の門」は、お前ひとりのための(に開かれた)門であり、お前は見事に「入るなの禁」を死ぬまで守り通した」、ということ。
掟を最後まで守り通し、掟とは何かを体得した男。男を試すために設定された門も役割を果たし、門番の役目も終わった。
門番の、「さあ、もうおれは行く。ここを閉めるぞ」とは、「お前が真に掟を知り得るかを見守っていた自分の役目も、門の役目も終わった」ということ。
門の前での足止めの規制を解くことができるのは、実は自分自身というアイロニー。世の「掟」を守るも破るも自分次第という逆説。
「掟」とは、社会の規制ではなく、自身による規制なのだ。
安部公房の「赤い繭」は、まさに社会の不条理を描いていたが、カフカの「掟の門」は、不条理ではなく、自己規制のアイロニーを描いた物語だった。
(終わり)