人参の思い出
「え? あの絵に近づいた人……?」
私は近くにいたスタッフさんに少しだけ時間をもらって、事件当日に絵の周りで何か気になることはなかったか尋ねてみた。
「人気のある絵だからね、立ち止まって眺めている人も多いけど……ほら、すぐ近くにテーブルがあるでしょ? あそこにお客さんが座っている時は、皆遠慮して近寄らないかなぁ」
そうか、たしかにあのテーブルが埋まっていると、わざわざ近づいて見ようとはなりにくい距離だよね……。
「ありがとうございます」
お礼を言って、厨房に戻ろうとすると、スタッフさんが何かを思い出したような声を上げた。
「あ、そういえば……」
「何かありました⁉」
「そういえばあの日、あのテーブルに座っていたのって、ラマニフ家の人達だったなって思って……」
「食中毒が起きたのは、あのテーブルのお客さんだけってことですか⁉」
「ええ、そうですね……。あと、何人かは立ち上がって絵の前で鑑賞してましたね」
「そ、それって、絵に触れたりしてましたかっ⁉」
「さ、さぁ……そこまでは」
「ありがとうございます、とても参考になりました!」
『クアッ』
私は深くお辞儀をして、急ぎ厨房に戻った。
* * *
厨房を調べていたカレンさんに、スタッフさんから聞いた一連の情報を聞いてもらった。カレンさんは、真剣な表情で数秒考え込む。
「なるほど……ちょっと整理してみましょうか」
カレンさんは手元にあったタマネギを調理台の上に置く。
「食中毒の被害にあったのはラマニフ家の人達だけだった」
そう言って、今度は黒い実をその近くに並べる。
「ロクジュソウの染料が使われた絵は、彼らが座ったテーブル席の側に」
私は小さく頷く。
「リリーさんの話だと、食中毒の原因となったロクジュソウの顔料は、今では、ほぼ手に入れることができないのよね?」
「はい、作られている職人さんがいないそうです」
「絵には顔料を削った跡があった……そして」
ニンニクをタマネギの近くに置く。
「事件当日、スタッフは、ラマニフ家の人達が数人で絵を鑑賞する姿を見ている」
「やっぱり、偶然入ったとも思えないですし、わざと自分たちの料理に入れたんじゃないでしょうか……」
「私もその可能性が高いと思う。恐らく、難癖をつけるためだと思う。それか他に何か目的があるのかも知れないけど……」
カレンさんが人参を手にとって、懐かしそうに目を細めた。
「昔ね……両親が突然いなくなっちゃって。あの頃は、アンリといつもお腹をすかせてさ……父の知り合いなんかも頼ってみたけど、みーんな門前払い。もう、このまま死ぬのかなぁって本気で思ってた」
「……え」
「あっごめんね、辛気くさい話しちゃって……」
「い、いえ! そんなことは……」
「そんなとき、ゴミを捨てに来たマカロンさんが私たちを見つけて。優しい人だから私たちのこと放っておけなかったのね、お店のまかないを分けてくれたの」
カレンさんは嬉しそうな笑みを浮かべる。
「それから、私たちは野良猫みたいに、ゴミ捨て場のある路地裏でマカロンさんを待つようになってさ。今考えると良い迷惑よね? ふふふっ」
当時を思い出しているのだろうか、カレンさんが目線を上に向ける。
「美味しかったなぁ……マカロンさんのシチュー。たまに、人参が入ってるとアンリが「カレン! 見て見て!」って、大騒ぎしちゃって……。だから、マカロンさんには返しても返しきれない恩があるの」
「ぞ……ぞうだっだんでずが……!」
「ちょっ、ナギ?」
やばい……泣ける。
私、小さいころ、人参嫌いで残してた……ごめんなさい、うぅっ。
こんなに優しいふたりが、こんなにも辛い思いをしてたなんて……。
「もう、大げさなんだからぁ……ほらほら、泣かないで」
「すみません……」
涙を拭いて、やっと落ち着きを取り戻した時、厨房のドアが開く音が聞こえた。
振り向くと、そこにはアンリさんとマカロンさん、そして見たことのない男性が立っていた。
三人とも、泣いている私を目にして、一瞬言葉を失ったように見えた。
「カ、カレン……これはいったい……」
呆然とするアンリさんに、カレンさんが慌てて手を振る。
「えっ、違う違う! 違うからね⁉」
「「……」」
どうやら、私のせいで誤解させてしまったみたいです……。
明日もお昼12時更新です。
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