黒と赤
早足で街を抜け、私たちはカレンさんのお店に戻った。
繋いだ手はもう離している。
別にそれだけの事なのに、脳裏の片隅でその感触が残っていて、何度も気を取られそうになる。
でも、今はそんな場合じゃない。
私は心を切り替え、カレンさんに急いで事情を説明すると、手提げ袋から野菜を取り出し、作業台の上に並べていった。
「……ラマニフ家の三男坊が被害にあってる。ちょっとまずいかもね」
アンリさんが説明の補足をしてくれている。
話を聞きながら、カレンさんが珍しく眉根を寄せていた。
「すみません、その、ラマニフ家ってそんなに怖い人たちなんですか?」
私が聞くと、カレンさんとアンリさんが顔を見合わせる。
そして、カレンさんがゆっくりと口を開いた。
「ラマニフ家当主、カルロ・ラマニフ。表向きはアンリと同じ、爵位を持たない貴族御用達商人。でも、彼らが扱うのは表に出せないものばかりなのよ」
「麻薬売買とか、そういう……?」
アンリさんが小さく頷く。
「もちろん、それもあるね。闇取引の仲介業とでも言えばいいかな。悪い貴族と悪い平民の間を取り持ち、同時にその弱みも握る。だからこそ、多大な影響力を持ち、裏社会では闇公爵と恐れられている」
「闇公爵……」
「一見、平和に見える王都にも、暗い部分があるってことね……。あーあ、ナギには教えたくなかったんだけどなぁ……」
カレンさんが唇をとがらせ、拗ねたように言った。
「知らずに危険な目に遭うよりはいいだろう?」
「そりゃそうだけどさ……」
「私なら平気です、それよりも早くマカロンさんたちの不安を取り除いてあげたいです!」
「ナギさん……」
「そうね、その通りだわ!」
カレンさんは食材の前に立つと、服の袖をまくる。
「さっそく調べてみましょう。ナギ、全部皮を剥くわよ」
「はいっ!」
「じゃあ、二人とも頑張って。僕は情報を集めてみるよ」
「ええ、お願いね」
「ありがとうございます!」
アンリさんは、ニコッと笑って作業部屋を出て行った。
あ、そうだ! と、私はアンリさんの後を追う。
カウンターで眠っていたクラモを起こし、
「クラモー! ごめんっ! アンリさんに付いててあげて欲しいんだけど……」とお願いする。
『クアァ……』
やれやれと言った感じでクラモがアンリさんの元へ飛んでいく。
「おや、これは心強いね。いいのかい、クラモ?」
『……』
肩に止まったクラモは、まだ眠そうな顔で黙ったままだ。
「クラモ、頼んだからね!」
「ありがとう、ナギさん。では、また後で」
よし、これできっと大丈夫!
なんたって、クラモがいるんだし……。
さて、皮むき皮むき……って⁉
振り向くとカレンさんの顔が間近にあった。
「ナギ? いつの間にそんな気遣う関係になってたの?」
「あ、いや、その、気遣うっていうか、ラマニフ家はとても危険だってことでしたので……」
「ったく、アンリの奴、油断も隙もないわね……」
憎らしげに親指の爪を噛むカレンさん。
あ、あの、カレンさん……?
「さ、さあ、カレンさん、急ぎましょう!」
「ん? あぁ、そうね……」
それから、野菜の皮むきを終え、成分を調べる作業に入った。
「この油で皮をひたすら揉む!」
「はいっ!」
白いクリーム状の油は王鹿の油だそうだ。
「意外とサラッとしてますね」
「でしょ? 軟膏のベースにも良いのよ」
そういえば、シオンさんからもらった乾燥肉も食べやすかったな……。
30分ほど皮を揉み込むと、カレンさんが手を止めた。
「そろそろいいわね。じゃあ、皮は全部捨てます」
「えっ?」
「必要なのはこの油の方なの、この瓶に入れてくれる?」
「あ、はいっ」
私は木のへらを使って丁寧に油を集めた。
「よし……カレンさんできました」
「ありがとー。ではでは、集めた油を湯煎して一度溶かしまーす」
手袋をしたカレンさんが、沸かしたお湯の中に瓶を入れる。
「で、透明になったら、このカレン特製の魔法の薬を一滴……」
小さな瓶を取り出し、油の中にポタリと一滴落とし入れる。
その瞬間、油の中にカラフルなマーブル模様が浮かび上がった。
「うわぁ、綺麗ですね……」
「良い反応してるわ、模様が複雑なほど良いのよ」
「なるほど……」
「うん、そろそろいいわね、ほら見て、ナギ」
瓶の横から見ると、底の方から色が三層にわかれていた。
一番下に白い層、その次が赤い層、一番上が黒い層。
「これって……」
「油に取り込んだ成分を分けたのよ。この黒いのと赤いのを調べれば何かわかるかも」
カレンさんは黒と赤の部分を匙で少しすくって、小皿に移すと私の前に置く。
「本当はここから色々と手順を踏むんだけど……今回は時間がないからね。ナギ、あなたの出番よ」
「え?」
「これなら鑑定できるでしょ?」
「あ――」
すっかり鑑定できることを忘れてしまっていた……。
そっか、こうして分けていれば鑑定もしやすい。
「では、行きます……鑑定」
――――――――――――――
名称:ロクジュソウの粉末
品質:★★☆☆☆
説明:黒の染料になる。食すると腹を下す。
虫下しに使われることもある。
――――――――――――――
――――――――――――――
名称:アカバソウの粉末
品質:★★★☆☆
説明:赤の染料になる。無害。
――――――――――――――
「染料……?」
私は不思議に思いながらも、カレンさんに鑑定結果を伝える。
「ロクジュソウ……」
カレンさんの声が震えていた。
「染料ってことは、絵の具にもなるんですよね?」
「ええ、画材なんかにも使われていたはずよ」
ふと、店に飾られていた、黒と赤で描かれた風景画が脳裏に浮かぶ。
これは偶然……? いや、そんなはずがない。
だが、問題は誰がこれを使ったのか……。
オーナーが支援する若手芸術家たち、絵画を設置する業者、接客するスタッフ……。
駄目だ、疑い始めるとキリが無い。
それに、誰も自分が犯人だなんて認めないだろう。
染料という証拠がありながら、このまま犯人がわからなければ、自然と責任は店主であるマカロンさんに向いてしまうのでは……。
「はあ……これは参ったわね……」
カレンさんは髪をくしゃっと掴み、頭を抱えるように俯いた。
わずかに見える横顔。ぎゅっと目を瞑っている。
恐らくカレンさんも、私と同じことを危惧しているのだろう。
「カレンさん、あの店のオーナーって誰なんですか?」
「……わからないのよ。上位貴族だってことは間違いないと思うんだけど……マカロンさんなら知ってると思うわ」
「それなら、ラマニフ家が動かないうちに事実を話して、マカロンさんからオーナーへ連絡してもらいませんか?」
「……そうね、それがいいわ。ナギ、行きましょう!」
「はいっ!」と、私は力強く頷く。
手早く上着を手に取り、私たちはル・シエル・アジュールに向かった。
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