もうひとつの精霊祭
*今回はヒロイン視点ではありません、シオン視点です。
馬車の窓から王都の景色を眺めていると、ふと見慣れた露店が目に入った。
「……あれは」
思わず声が漏れる。
店の前に立つ少女の姿に見覚えがあった。
「どうしたんだ?」
向かいの席でうとうとしていたベクターが目を開ける。
人目のない馬車の中では、幼馴染みらしい物言いで話しかけてくる。
「いや……何でもない」
だが、確かにナギだった。
あの笑顔は間違いようがない。見ていると、思わず口元が緩みそうになる。
「ほう……珍しく良い顔してるな」
「気のせいだ」
「なぁ、今年の精霊祭には例の宮廷魔術師団長も来るんだろ?」
「ああ」
「どうなんだ? アイラ様は確かに美人だし、家柄も申し分ないぞ」
俺は目を細めた。
「まだ、そんな気持ちにはなれないだけさ」
「お前には選ぶ権利がないんだぞ? その点では同情するけどな」
「ベクター、その辺にしてくれ」
「すまん、つい余計なことを」と、ベクターは苦笑する。
公爵家の跡取りに生まれた以上、自由な選択など許されない。
アルヴォラリスの名を受け継ぎ、後世に残すことも、俺に課せられた使命だった。
――自由に生きてみたい。
そんな気持ちは、とうに捨てたはずだった。
先日の流行病騒動で、改めて自分の立場を自覚した。
覚悟は決まったと思っていたのに……。
「シオン?」
「ベクター、さっきの露店で何か買ってきてくれないか」
「お? 珍しいな。まあ確かに、公爵家の跡取りが露店で食事なんて見られちゃ面白くないもんな」
ベクターは御者に指示を出し、馬車を露店まで戻らせた。
「店主が驚いてたぜ。さすが公爵家の馬車ってとこか」
「悪いな」
受け取った包みからは、香ばしいチーズの香りが漂う。
「これは?」
「チーズヌードンだそうだ」
表面のパリッとしたチーズの膜を破ると、中から麺が顔を覗かせる。
俺は思わず目を細めた。
「はふ……はふ……」
ベクターとふたりで無言で食べ進める。
麺に絡む濃厚な旨味が、次々と食欲をそそる。
「かぁ~うめぇ! これ、癖になるな」
「ああ、城の料理人に同じものが作れないか相談してみてくれ」
「ははっ、殿下のご命令とあらば」
ベクターが大仰に一礼する仕草に、俺は頬を緩めた。
* * *
屋敷に戻ると、侍従達が精霊祭の衣装を持って待っていた。
白い祭服には、銀糸で家紋である双剣に獅子の紋章が刺繍されている。
着替えを済ませ、鏡に映る自分の姿を見つめる。
今年の精霊祭で、俺は初めて次期当主として公の場に立つ。
そして、隣には婚約者として宮廷魔術師団長のアイラ・ファウンゼンが控える。
ファウンゼン家は由緒ある魔術師の家系。
特にアイラは類まれな才能を持ち、全属性魔法のスキルを有する天才だった。
若くして宮廷魔術師団長に抜擢されたのも、納得のいく話だ。
だが、この縁談には違和感があった。
父上とファウンゼン家に繋がりはないはず。
母上の実家も、爵位を持たぬ魔術師の家とは関わりが薄い。
アイラと初めて会ったのは、まだ剣も満足に握れない頃のことだった。
王宮での騎士見習いの稽古帰り、彼女は怪我の手当てを申し出てきた。
「回復魔法を使わせていただけませんか?」
「結構だ」
「でも、痛そうですから……」
痛みは自分の未熟さを教えてくれる。
そう信じていた当時の俺は、アイラの申し出を断った。
「俺は大丈夫だ」
「ご、ご迷惑でしたか……申し訳ありません」
「違う、気遣ってくれてありがとう」
それっきりだった。
あの日以来、彼女とは言葉を交わしていない。
それなのに、いつの間にか婚約者として名が上がっていた。
父上は一体、何を考えているのだろう。
* * *
「失礼いたします」
控室で出番を待っていると、白い祭服に身を包んだアイラが入ってきた。
その姿はたしかに美しい。ベクターが騒ぐのも納得がいく。
俺は立ち上がり、丁寧に会釈する。
「アイラ殿、シオン・アルヴォラリスです。本日はよろしくお願いします」
「シオン様……実は、以前お会いしたことが――」
「申し訳ありません、よく覚えていなくて」
覚えていた。
だが、なぜか素直に認められなかった。
「あ、いいんです。ほんの一瞬でしたから……ふふっ」
「どうかしましたか?」
「いいえ、あの頃とお変わりないなと思いまして」
アイラの瞳が柔らかな光を帯びる。
俺は言葉に詰まった。
合図のファンファーレが鳴り響く。
『――シオン・アルヴォラリス殿下、アイラ・ファウンゼン様、ご入場です』
俺は黙ってアイラに腕を差し出した。
アイラの手が、そっと腕に触れる。
「……嬉しい」
「え?」
「いいえ、何でもありませんわ。参りましょう」
かすかに聞こえた言葉の意味を考える間もなく、俺達は式典会場へと足を踏み入れた。
天井から吊るされた水晶のシャンデリアがほのかな光を放ち、大広間を優しく照らしている。
青と金の装飾が施された白い壁の間を、魔法の光玉が静かに漂っていた。
柱に掛けられた銀の飾り布が風もないのに揺れる。
足音を吸い込む深紅の絨毯の上を、俺たちはゆっくりと歩を進めていく。
大広間に拍手が鳴り響いた。
誇らしげな父上と母上の姿。
公爵家に連なる貴族達とファウンゼン家の面々。
万雷の拍手を浴びながら、俺は微かな違和感を覚えていた。
己の立場も、求められる役割も、頭では理解している。
なのに、どこか心が落ち着かない。
精霊への祈りは、本来最も大切な人と捧げるもの。
――ナギ、君は誰と祈るのだろう。
その想いが、どうしても心から離れなかった。
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