精霊祭 下
「えっと、こっちでいいのかな……」
私は精霊様の像が刻まれた白木の祭壇を、部屋の中央に置こうとしていた。
クラモが『クァッ』と鳴いて、もう少し右にずらせと指示を出す。
「うん、そうだよね。光の入り方的に、こっちの方が良さそう」
祭壇の周りには、カレンさんが用意してくれた白い陽泉花が活けられている。
普段は作業場として使っているこの部屋が、まるで小さな聖堂のような神聖な雰囲気に包まれていた。
「カレンさん、まだかなぁ……」
着替えを手伝おうかと声をかけようとしたけど、なんだか照れくさくて言い出せなかった。そんな私の気持ちを見透かしたのか、クラモが『顔赤いぞ?』と言わんばかりに羽で顔を扇いでくる。
「もぅ、からかわないでよね!」
『クァックァッ』
クラモが楽しそうに鳴く。
まったく……でも、クラモとはかなり距離が縮まったと思う。
こうやってふざけられるのも、心を開いてくれた証拠だもんね。
「お待たせー」
振り向くと、そこには見慣れない人が立っていた。
いや、カレンさん。カレンさんなんだけど……。
銀糸で鳥の精霊の姿が刺繍された純白の祭服に身を包み、普段は後ろで一つに束ねている髪を、真珠のような光沢を放つ簪で上品に留めている。
「うわぁ……」
思わず息を呑んでしまう。
こんなに綺麗なカレンさんを見るのは初めて。
「どう? 似合う?」
「は、はい! とても……その、綺麗ですっ! すっごく!」
カレンさんがクスッと笑う。
その仕草に、普段の親しみやすさが垣間見えて、少し緊張が解ける。
「ありがと。さ、ナギも着替えましょ?」
「え?」
「はい、どうぞ」
そう言って、カレンさんが白い布包みを差し出してきた。
上質な布で丁寧に包まれた祭服が入っていた。
広げてみると、銀糸で精霊の花が刺繍された純白のドレスで、カレンさんのものと同じ生地が使われている。
「こ、これ、私の分、用意してくれたんですか⁉」
「当たり前じゃな~い。大切な弟子なんだから、ふふっ」
私は思わず目頭が熱くなる。
カレンさんは私のことを、本当に大切な弟子として考えてくれているんだ……。
「ありがとう……ございます」
「どういたしまして。さ、着替えてきなさい。手伝おうか?」
「い、いえ! 大丈夫ですっ!」
慌てて奥の部屋に逃げ込む。
扉を閉めた途端、ドキドキが止まらなくなった。
「ふ~っ……」
祭服を広げて、身体に当ててみる。
うわぁ、こういう洋服を着るのって初めて。
ちょっとコスプレ感覚で楽しいな。
「よっと……」
うん、サイズもぴったり!
大丈夫かな……似合ってるといいんだけど……。
まあ、年に一度のお祭りってことで、多少のことは見逃してくれるでしょ!
よしっ、と勇気を出してそっと部屋を出た。
「あのー、どうでしょうか……?」
私の声に振り向いたカレンさんの顔が、パッと明るくなった。
「まぁ! かわいい~っ! やっぱり似合うと思ったのよねぇ~!」
「ほ、ほんとですか……?」
カレンさんって、ちょっと私に甘いところがあるからなぁ……。
嬉しいけど、話半分で聞いておこう。
『クァクァ!』
「ほらほらー、クラモも似合ってるって」
「ありがと、クラモ」
クラモに褒められると、ちょっと真に受けてしまいそう。
祭服はカレンさんと色はおそろいだけど形が違う。
カレンさんのは大人っぽいドレスタイプ、私のはワンピースタイプだ。
「さて、じゃあお祈りをしましょう。手はこうやって組む、で、祭壇に向かって今年一年の感謝と来年の無事を精霊様に願うの」
「わかりました」
いわゆる恋人つなぎか……。
なんだか照れるなぁ。
差し出されたカレンさんの手にそっと手を乗せる。
クラモは私の頭の上に飛び乗った。
そして、カレンさんが微笑み、祭壇に向かって目を閉じる。
私もそれにならって、目を閉じた。
――精霊さま、ありがとうございます。
私、この世界が大好きになりました。来年もその先も、ずっとカレンさんとクラモ、出会ったみんなと楽しく過ごせますように……。
蝋燭の炎が静かに揺れ、白木の祭壇に陽泉花の影を落とす。
私たちの祈りに応えるように、夕暮れの光が部屋全体を優しく包み込んでいた。
「ナギ?」
カレンさんの声で目を開ける。
「なぁに? ずいぶん真剣にお祈りしてたけど、何をお願いしてたのかな~?」
「あ、いや、その……皆で楽しく過ごせるようにって……」
「あら、それなら早速、お願いが叶ったみたいね~。さ、冷えるから上着を着て行きましょ?」
「……え?」
* * *
街灯の明かりに照らされた石畳の道には、精霊祭の装飾が美しく輝いていた。
外はすっかり夜に包まれ、冷たい空気が肌にしみる。
寒がるクラモを上着の中に入れ、私はカレンさんの後ろを歩いていく。
「うぅ~っ! さっぶいね~……」
カレンさんの白い息がふわりと宙に溶ける。
「え、カレンさん、ここって……」
連れて来られたのは、すでに実家感漂うリロンデルだった。
暗闇の中、まるで灯台みたいに暖かい光を放っている。
一階の食堂からは楽しそうな声が漏れ聞こえ、寒さの中でも少し心が温まる気がした。
「おぉ、来た来た、遅ぇぞ!」
「ナギさん、こっちこっち!」
「よぉ! 嬢ちゃん、もう始めてるぜ!」
「み、みなさん……どうして?」
中に入ると、リロンデルの食堂に大勢の人が集まっていた。
アンリさん、職人頭のドノバンさんにヴェルンさん、ヴェルターさんに門番のブロンさんまでそろっている。その他にも、宿泊客や街の露店主の姿がちらほら。暖炉の火が心地よい温かさを放ち、テーブルには精霊祭の伝統料理が並んでいる。
「毎年、祈り終わったら、こうやって集まんのさ。ほら、早く座んな」
そう言ってテレサさんが、両手にジョッキを持ったまま私にウィンクをする。
「ナギさん、こっちですよ」
アンリさんが椅子を引いてくれている。
「あ、すみません、ありがとうございます」
「上着、お預かりします」
「えっ、あ、ありがとうございます……」
『クアァー!』
上着の中からクラモが飛び出してきて、アンリさんがのけぞった。
「えぇっ⁉ クラモ⁉ び、びっくりしたぁ~!」
「あ、ごめんなさい、外が寒かったんで……」
「いえいえ、ちょっと驚いただけですから……」
うわぁ、上着を脱ぐとなんだか恥ずかしいなぁ……。
私の祭服を見たアンリさんが目を輝かせた。
「わぁ、その祭服、とっても良く似合ってますね」
「あ、ありがとうございます……」
うぅ~っ! 恥ずかしくてアンリさんを直視できないっ!
俯いていると、アンリさんが私の耳元でささやく。
「今日のナギさんが見れただけで、来た甲斐があったよ」
「っ……⁉」
私を見て目を細めてくるのはやめてっ!
まぶしすぎる……っ!
「よいしょっと」
「ぬぁっ⁉」
私とアンリさんの間に、ほぼ、ショルダータックルのような感じで、椅子を持ったカレンさんが割って入った。
「はい、邪魔邪魔ー、アンリ、私の上着もお願いねー」
顔を引きつらせつつ、アンリさんは笑顔でそれを受け取る。
「みんな盛り上がってるわね~」
「いやぁ、こうやって見ると二人とも姉妹みてぇだな」
「ええ、お二人とも祭服が良くお似合いですね」
向かい側のドノバンさんとヴェルンさんが言った。
「またまたー、嬉しいこと言ってくれるじゃない。ほら、飲んで飲んでー!」
カレンさんは軽やかに酒を勧め、あっという間に場がさらに賑やかになる。
いいなぁ~、こういう雰囲気。この場にいるだけで楽しくなっちゃう。
そんな中、ドノバンさんがふと言った。
「カレン、もうお祈りは済ませたんだろ? グリズリーは来たのか?」
「馬鹿ねぇ、来るわけないでしょ? それに、こ~んな可愛い弟子がいるんだから、ナギと祈るに決まってんでしょー? あ、クラモもね」
まるでお説教でもするように、ドノバンさんにフォークを向けるカレンさん。
その冗談めいた仕草に、場の空気が少し和らぐ。
「そうかい、そいつは良かったな」
「よぉ、カレン、ナギちゃん、今年も一年ありがとよ」
「ブロンさん!」
ジョッキ片手にブロンさんが顔を出す。
「クラモも元気そうで良かったな。カレン、来年は戻ってくるさ」
「あー、いいのいいの、どーせ、どっかで野垂れ死んでんのよ」
カレンさんは冗談っぽく、ひらひらと手を振る。
でも、その声には微かな寂しさが混じっているような気がした。
「そんなことより、みんな飲んでんのー?」
聞きそびれてしまった……。
なんだかちょっと気になるけど……いつか、カレンさんから話してくれるよね。
うん、だって、ずっと一緒に祈ろうって言ってくれたんだし……。
「私、飲みまーすっ!」
「おっ⁉」
「だ、大丈夫か?」
ふふふ、伊達に営業やってたわけじゃありませんから!
「んぐっ……んぐっ……」
一気にジョッキを飲み干す。
「ぷはーっ! うまいっ!」
「「おぉ~!」」
「いいぞナギー!」
「飲みっぷりがいいねぇ!」
「なんだぁ、ナギ、いける口じゃん!」
うへへ、楽しいな。
それにこのお酒も美味しい!
「おい、見ろよ、雪だぞ!」
「おぉホントだ!」
「雪だ雪だ!」
皆でリロンデルの外に出る。
薄暗い中に雪が降っている。
「わぁ……」
この世界に来て初めての雪だ。
当たり前だけど同じなんだなぁ……。
雪を見上げていると、
「冷えますよ」と言って、アンリさんが上着をかけてくれた。
「ありがとうございます……」
ひゃぁぁ、雪とイケメンの組み合わせ、これって反則では……。
「アーンーリィー?」
そのとき、背後からすさまじい圧を感じて振り返ると、カレンさんが不機嫌そうにこちらを睨んでいた。
「カ、カレン⁉ いや、僕は上着をかけただけで!」
「じゃ、わたしのも取ってきてー」
「ぐ……わ、わかったよ」
しぶしぶ中へ戻るアンリさんを見送りながら、カレンさんが満足げに笑う。
「あはは! そう簡単には渡せないよねぇ」
『クァックァックァッ』
アンリさんの背中をみながら、カレンさんが笑う。
クラモまで一緒になって笑っていた。
「さぁ、料理が冷めちまうよ、戻った戻った!」
テレサさんの声に促され、皆が再び食堂へ戻る。
降り積もる雪を見ながら、ふと思った。
これが、精霊様が冬を置いていくということなのかもしれない、と――。
冷たいけれど、静かに心を満たしてくれるこの雪は、きっとみんなへの粋な贈り物なのだ。
私はもう一度、夜空を見上げた。
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