生活の軸
「な、なんですか、その……聖母って……?」
「そっか、それも説明しておかないとね、うん、じゃあ、お茶淹れてくるからそこ座ってて」
「あ、私が……」
「いいのいいの、私が淹れてあげたいのよ」
ふふっと笑って、カレンさんは作業部屋を出て行った。
私はテーブルの椅子に腰をおろし、ふぅっと小さく息をはく。
三賢人っていうのも気にはなるんだけど……。
それよりも、ヴェルターさんに聞いた精霊祭のことが頭から離れなかった。
「お待たせー、はい、ナギはミルク多めー」
「わぁ、ありがとうございます」
何も言わなくても、ちゃんと私の好みを覚えててくれてる。
こういうのって、嬉しいな……。
「カレンさんはミルク少なめの砂糖多めですよね」
「おっ? やるねぇ~、もうナギに教えることはないかな」
「いやいや、さすがにそれは……」
「「あははは」」
ひとしきり笑った後、聖母に話題が戻る。
「まず、そうね……このエルドラン王国には王に認められた三人の賢人がいるの。蛮族の侵略から、その知略を持って国を救った賢者ルゥ=ゾシモス。不可能と言われた王都上下水道を完成させた名工デルミス・ローエ……」
「……」
「そして、医療の最高峰である王宮医師団長の座を捨て、民間のための医療を続ける、孤高の聖母マリー・ブラックウェル……」
「あわわ……どうしよう、あのお婆ちゃんがそんな凄い人だったなんて……」
「お婆ちゃんかぁー、となると……恐らく、ナギがあったマリーという人は聖母マリーで間違いないと思うわ」
カレンさんが困ったような笑みを浮かべる。
が、次の瞬間、その目がキラリと光る。
「ま、でも、これはチャンスよ、ナギ」
「チャンス……?」
「いい? 話を整理しましょう――。まず、仕事内容は、毎月決まった量の失敗ポーションを卸すこと。相手はあの聖母マリーだし、支払いについては問題なし」
「……」
私は小さく頷き、緊張しながらカレンさんの言葉を待つ。
「今のナギなら失敗ポーションを作ることに、さして労力はかからない。しかも……」
「しかも……?」
「マリーと仕事をするということは、ナギにとって想像以上の助けになると思うわ」
「信用面……ってことですか?」
元の世界でも、大手企業と取引があるだけで、相手方の印象が変わったもんなぁ……。
「そう! さすがわかってるわね~。私たち錬金術師はトラブルに見舞われることも、巻き込まれることも多い。でも、あの聖母マリーと取引があるとなれば、相当な抑止力になるでしょ?」
「なるほど……あ、でも、私じゃなくて、失敗ポーションはカレンさんが教えてくれたものですし、この工房で受ければカレンさんも喜んでくれるかなって……」
カレンさんはゆっくり顔を左右に振った。
「これはナギがね、この世界で生きていくための軸となるお仕事だわ。いくら錬金術師が稼ぎやすいといっても、安定収入があるだけで計画も立てやすくなるし、生活にもリズムが生まれるのよ」
カレンさんが手をそっと私の手に重ねる。
「ホントはね、私がナギの軸を用意してあげたかったんだけど……。まったく、この子ったら、自分で見つけて来ちゃうんだもんなぁ。師匠としては、ちょっと寂しいけど……やりなさいナギ、自分の居場所は、自分で作るのよ」
「カレンさん……」
「それにしても、あの聖母にまで気に入られるなんてねぇ……」
「いや、たまたまですって!」
「いーや、ナギが可愛いせいだぞ、このっ、このっ!」
悪ノリしたカレンさんに、ほっぺをぎゅーっと引っ張られる。
「ちょ、いててて……もぅ!」
「ふふっ、何だか昔を思い出しちゃった」
「え?」
「私も初めて仕事を依頼された時、いまのナギみたいに師匠に相談したの」
「カレンさんも……?」
「そう、それで……師匠に言われたの。自分の居場所は、自分で作るんだって。えへへ、さっきのね、実は師匠の受け売りなのよ」
カレンさんは髪を耳に掛け、
「そっか……師匠って、こういう気持ちだったのかなぁ」と呟くように言った。
カレンさん、師匠のことが好きだったのかな……。
師匠の師匠はどこに行っちゃったんだろう。
うーん、でも何となく聞きにくいよねぇ……。
「――ねぇナギ、この世界のこと……好き?」
「へ?」
その時のカレンさんの顔を、きっと私は一生忘れないと思う。
期待と不安がごちゃ混ぜになったような……。
カレンさんにそんな顔をさせたくない――
そう思うと同時に席を立っていた。
「す、好きです! この世界での生活が楽しくて仕方がないです! 私は……この世界にいる自分が好きです! 嘘をついて笑わなくてもいい、感じたことを素直に言葉にできます! 何より……カレンさんに出会えました! 元の世界に戻りたいなんて、これっぽっちも思いませんっっ……!」
い、言ってやった……。
「……ナギ」
目を丸くしていたカレンさんが、ぷっと吹き出す。
「あはは! ごめんなさい、気を遣わせちゃったわね」
「そんな、私は……」
――ふわっと良い匂いに包まれる。
カレンさんが私を抱きしめてくれた。
「ありがとう、ナギ……嬉しい。これからもよろしくね」
「はいっ……」
窓の外から風が吹き込んで、カレンさんの髪が揺れる。
『クアッ!』
いつの間にか窓辺に戻っていたクラモが、朝陽に向かって高らかに鳴く。
私はカレンさんの胸の中で、そっと目を閉じた。
この世界に来て、本当に良かった。
そう、心の底から思えた朝だった。
明日もお昼12時の更新です。
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