シオンの選択
*今回はヒロイン視点ではありません。
執務室のドアがノックされた。
「入れ」
「――殿下、失礼いたします」
疲れた顔のベクターが俺の前で礼を執った。
彼は幼馴染みで気心の知れた存在だが、いまこの場では護衛騎士として接している。
「報告いたします。事態はかなり深刻です。領内の医者を総動員して対応にあたっていますが、このままでは皆の体力が持たないでしょう。やはり、レッドクラスのポーションを手に入れるしか方法はないかと……」
「そうか……」
俺は席を立ち、窓から外を見る。
「これ以上の感染拡大は危険です、くれぐれも騎士団宿舎にはお近づきになりませんようお願いします」
「……」
エルドラン王国の中でも、我が公爵家の騎士団はそれぞれが一騎当千と言われるほどの武勇を誇る。
そんな騎士団が、幼い頃から俺の憧れであり、誇りだった。
彼らとは厳しい訓練も、地獄のような魔獣討伐も、共に乗り越えてきた。
どんな強敵にも怯まず立ち向かう姿を知っているからこそ、こんな不条理な理由で彼らを失うなんて、俺には到底受け入れることができない……。
ましてや、団長のガレウスは俺の剣の師だ。
彼が隣にいるだけで、戦場でも笑っていられた。
数少ない背中を預けることのできる臣下達。
それが俺にとっての騎士団という存在だ。
「ベクター、友人として尋ねる。いま会っておかなければ、後悔すると思うか?」
ベクターはやれやれと頭を掻き、
「その質問をする時点で答えはわかってんだろ?」と返した。
「そうだな。宿舎へ向かうぞ」
宿舎に着いた俺は、あまりの惨状に息を呑んだ。
大広間には等間隔に寝かされた騎士達がずらっと並んでいる。
発熱と嘔吐を繰り返したせいか、あの屈強な団員達が見る影もなく痩せ細っていた。
「これは……」
「殿下、気休めですが、これを口に」
ベクターが濡らした手拭いを差し出す。
「ああ、すまない」
口に手拭いを当て、うめき声が重なり合う宿舎の中を歩く。
「う……うぅ……」
俺は一人の騎士の手を握った。
「で、殿下⁉」
焦るベクターに手を向けて制し、
「大丈夫だ、もうすぐポーションが届くからな」と騎士に声を掛ける。
「シ……シオン……さま……」
「大丈夫だ」
騎士の手を戻し、俺は最奥にあるガレウスのベッドへ向かった。
「……何しに来た?」
ベッドの上で膝を立て、俺を睨み付けるガレウス。
その姿は、まるで手負いの獅子のようだった。
「おいおい、嘘だろ? 何で起きてるんだよ……」
相変わらず常識の通用しない男だと俺は頭を振った。
ベクターも言葉を失っている。
「俺は何をしに来やがったんだと聞いてんだ、坊主……」
「何って……」
見ると、目の焦点が合っていない。
とても話ができるような状態ではないはずだ。
「ガレウス、横になれ。無理はするな」
「……誰に言ってやがる」と、ガレウスは俺の手を払った。
信じられない。
何という強靱な精神力だ……。
「すぐにポーションが届く、それまでは頼むから体を休めてくれ」
「アルヴォラリス公爵家の次期当主が……何をしているのかと聞いてんだ坊主!」
ガレウスが俺の胸ぐらを掴んだ。
どこにこんな力が残っているというのだ。
「……騎士団は俺の誇りだ。これが最後になるのなら、自分の目で見届けたい」
「何をあま……ぐっ……」
「ガレウス⁉」
「お前がそんな甘いことを言ってるから、いつまでたっても俺が休めねぇんだ……」
「でも……」
「でもじゃねぇ! シオン、てめぇはいつまで俺の弟子でいるつもりだ⁉」
わかっている。
ガレウスの言うことが正しいと、俺だってわかっている。
本来なら俺は次期公爵として、病の蔓延するこの場に立つことは許されない。
これは俺の我儘だ。甘えだ……。
だが、どうしても捨てられない思いがある。割り切れない思いがある。
でも、俺が変わらなければ……。そうだ、変わるしかない。
変わった姿を、師に。
「ガレウス、眠れ――、これは命令だ。後のことは我々に任せておけ」
俺の目を真っ直ぐに見据えた後、
「……いい目だ。やればできんじゃねぇか」とガレウスは倒れた。
「ベクター、寝かせてやってくれ」
「はっ、了解しました」
ベクターはガレウスをベッドに寝かせる。
その光景を眺めながら、俺はもう、弟子には戻れないんだと悟った。
無情にも時は流れていく。
重苦しい空気の中、騎士達の苦しむ呻き声だけが響く。
「殿下、すでに日が傾いておりますが……」
俺は窓の外を見る。
確かにベクターの言う通り、空は夕焼けに染まりつつあった。
やはり、アンリ・ド・ラメールでも手に入れることはできなかったのか……。
「殿下!」
医者が慌てて駆け寄ってくる。
「どうした?」
「レギオン副団長の容態が急変しました。このままでは……!」
「チッ……!」
俺は医者の後に続き、急ぎベッドへと向かう。
ベッドにはうめき声を漏らすレギオンが横たわっていた。
「レギオン……! しっかりしろ!」
「殿下……」
医者の一人が小さく顔を横に振りながら俺を止める。
「……すまん、処置を続けてくれ」
俺は一歩離れて、苦悶の表情を浮かべるレギオンを見つめる。
レギオンは若くしてガレウスに認められた剣の才を持つ。
未来の騎士団を任せるにふさわしい男だ。
先日まで普通に執務をこなしていた彼が、まさかこんなことになるとは……。
この病は、俺から全てを奪うつもりなのか……!
「体温が上がり続けています!」
「脈が乱れてきました!」
「意識も朦朧としています!」
次々と報告される悪い知らせ。
俺は取り出した懐中時計を握り締める。
頼む……神よ、奪わないでくれ!
俺にとって彼らの存在は、あまりにも大きすぎる……!
「殿下、もう一人容態が……!」
「第三分隊からも危篤者の報告が!」
立て続けに届く危機的状況の報告。
医者達は走り回り、看護師達は必死に対応する。
しかし、手の施しようがない。
カチカチと懐中時計の音が響く。
「日没まであと一刻です」と、ベクターが呟く。
日が沈めば、街道も暗くなる。
もしポーションを運んでいれば到着は必然的に遅れることになるだろう。
その時まで、皆が持ちこたえられるのか……。
「お、おい! 副団長の呼吸が……!」
「第三分隊の方も意識が……!」
それぞれのベッドから悲痛な叫び声が上がる。
「くそっ……!」
――その時。
「ポ、ポーションです! 殿下ぁっ! ラメール家からポーションが届きました!」
大声をあげながら使用人が宿舎に駆け込んできた。
「――来たか‼」
俺は急ぎポーションを受け取り、医者に手渡した。
「どうだ? 足りそうか?」
「投与してみないことにはなんとも……ともかく、少量ずつ試してみましょう」
「症状が軽い者から与えてくれ」
「……よ、よろしいので?」
「ああ、皆もわかっているはずだ。ひとりでも多く救わなければ」
医者は頷くと、治療に向かった。
本当なら症状の重い者から助けるべきだ。
しかし、限られた量のポーションを最も効率的に使用する必要がある。
症状の重い者は、使うポーションの量も多く必要になるかもしれない。
より多くの騎士を救うため、騎士団を存続させるには……これが最善だ。
すぐに慌てて医者が走ってくる。
「殿下、あのポーション、効いてます! 即効性があるようです!!」
「おぉ! やりましたね、殿下!」
「ああ、本当に良かった……。アンリ・ド・ラメールには大きな借りができたな」
夕日の中、次々とベッドから起き上がる団員達の影を見て、俺は大きく息を吐いた。
ふと、遠目にガレウスを見る。
意識を失っているはずのガレウスの表情は、穏やかに微笑んでるように見えた。
明日もお昼12時です、よろしくお願いいたします。
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