居住区のちいさな家
リロンデルの一階に降りると、ちょうど掃除をしていたテレサさんと顔を合わせた。
明るい朝の日差しに照らされ、光の粒子になった埃がテレサさんの周りを舞っている。
「おや、今日はずいぶんとおめかしして、男でもできたのかい?」
「ち、違いますよっ!」
恥ずかしくて、思わず声が裏返ってしまう。
確かに洋服は普段より気を遣って選んだものだった。
淡いブルーのワンピース、カレンさんには似合ってると言ってもらえたけど……。
「はははっ、ナギはわかりやすいねぇ。しっかりやってきな!」
「うぅ……いってきます」
テレサさんにからかわれ、思わず赤面してしまった。
そんなに私ってわかりやすいのかな……。
ずっと営業畑だったし、本音を隠すのには自信あったんだけど。
もしかして、ガードが緩んでる?
まあ、でもテレサさんにガードする必要なんてないもんね。
気楽に行こっと。
もう慣れたとは言え、たまにふと、私、異世界にいるんだって思う時がある。
いまがそう。市場の大通りを歩いていると、たまに獣人と呼ばれる某SF映画にでてきそうな毛むくじゃらの人とすれ違ったり、象みたいに大きな馬が荷台を引いていたりとか、元の世界じゃ絶対にあり得ない光景が広がっている。
「あ~、ほんと来てよかったぁ~」
とまあ、それはさておき、今日はこんなよそいきのお洋服まで着て何をしに来たかと言うと、精霊祭用のポーション作りが一段落したこともあり、アンリさんから物件を紹介してくれるという連絡があったので待ち合わせをしているのだ。
「えっと、王都の噴水……あ、これね」
王城へ向かう途中の広場に、大きな噴水があった。
三つの頭を持つ竜の彫像から水が流れ落ち、その飛沫に陽の光が当たって小さな虹が架かっている。周りには石造りのベンチが並び、待ち合わせをする女性たちや、寄り添って座るカップルたちの姿が見えた。
「あれ……これって、なんかデートみたいな雰囲気じゃ……」
着慣れない洋服を着てきたことが急に不安になってくる。
変じゃないかな……?
カレンさんにも見てもらったし、きっと……大丈夫だよね、うん。
まあ、来るのは不動産を管理している人だって言ってたし、そんなに気負わなくても平気かな。
噴水広場はロータリーになっていて、目の前をいろいろな形の馬車が通っていく。
丸っこいのやら角張っているのやら、扉に紋章が大きく描かれているのとか。
「ふぅん、馬車にも色々種類があるのね……」
私は行き交う馬車を眺めながら、管理人さんが来るのを待った。
その時、一際美しい白馬車がロータリーに入ってきた。
周囲のカップル達も、物珍しそうに見入っている。
どこかの貴族かな?
ふーん、馬車って暗い色が殆どだし、白い馬車って目立つよねぇ。
などと眺めていると、なぜか白馬車が私の前でとまる。
「はい?」
御者が降りてきて馬車の扉を開けると、周囲の時間が一瞬止まったように思えた。
アンリさんが降りてきたのだ。
陽光に煌めくプラチナブロンドの髪……。
真っ白な馬車とアンリさんの纏う漆黒の貴族服との対比も相まって、半径2㌔圏内にすさまじい王子オーラが放たれていた。
「な、なんという美の暴力……! 目が、目がぁ!」
広場にいた女性たちは無意識に足を止め、アンリさんを見つめている。
隣にいる恋人のことなど、一瞬で忘れてしまうほどの衝撃だろう。
でも、それは仕方のないこと。
決して恋人のことを嫌いになったわけじゃない。
これは、自然災害みたいなもの……抗えない本能レベルの話である。
「ナギさん? ナギさーん?」
「あっ⁉ す、すみません、あまりのことで……」
あぶないあぶない、また違う世界に逝きかけていた。
「じゃあ、乗ってくれる?」
「え? あの、管理人の方は……」
辺りを見回しても、それらしき人は見当たらない。
すると、私のそんな様子を見たからか、アンリさんはクスッと笑う。
「案内するのは僕だよ、ナギさん」
「えぇっ⁉ そ、そうなんですか⁉」
アンリさんがまるでダンスにでも誘うように、私に手を差し出し、
「僕じゃ駄目かい? お姫様」と、からかうような笑みを向けてくる。
「お、お、お、おひ、おひ……!」
頭の中が真っ白になる。
周りから女性の奇声が聞こえたような気がするが、もはや周囲の状況を把握する余裕すらない。
「ご、ごめんナギさん、ちょっとからかっただけなんだけど……」
アンリさんに体を揺らされ、我に返る。
「はっ、す、すみません! もう大丈夫です……」
「良かった。カレンに殺されるとこだったよ~。ごめんね、もうからかったりしないからさ」
「そうしていただけると助かります……」
うん、いっそのこと、アンリさんのことは遊園地のアクターだと思うことにしよう。
そう、これは夢、夢の世界なのだ……。
「お手をどうぞ」
「ありがとうございます!」
よしっ、気持ちの切り替え完了!
差し出された真っ白な手も、意識さえしなければただの綺麗な手だ。どうってことはない。
私はアンリさんの手を取り馬車へ乗り込んだ。
馬車の内装は、外観に負けないほど贅を尽くしている。
柔らかな革張りのシートに、繊細な木目の内装。窓からは、変わりゆく街並みが絵のように流れていく。
馬車が向かった先は、王都の居住区にある小さな家だった。
と言っても、私の前世での感覚での「小さな家」とは明らかに規模が違うわけで……。
「足元気をつけて」
馬車から降りる際、再びアンリさんに手を取ってもらう。
「はい、ありがとうございます」
石畳の上に降り立つと、周囲の静けさに気づく。
通りには並木が整然と並び、その合間から柔らかな日差しが差し込んでいる。
「居住区といっても、緑も多いんですねぇ」
「そうかな? これが普通だと思うけど……」
そっか、こっちの世界ではこれが普通なのか。
実際に見たことはないけれど、イメージ的に西海岸の住宅街って感じ。
お隣さんの家との距離もあって、プライベートは守られている。
「この家は昔、父が別荘として購入したものなんだ。結局、一度も使われることはなかったんだけどね」
アンリさんの言葉には、どこか懐かしむような響きがあった。
「見た感じは、最高に居心地良さそうですけどねぇ……」
元の世界の葉山加地邸を思わせる佇まいだ。
一度でもこういう家に住んでみたかったんだよねぇ……。
ヤバい、テンション上がってきちゃった。
「あぁ、ここが悪いわけじゃなくてね、他の別荘を父が気に入ってしまったんだよ」
「あー、なるほど、そういうことですか」
「じゃあ、先に軽く庭を見てみる?」
「あ、はい、お願いします」
アンリさんは門扉の鍵を開け、
「さ、どうぞ」と中に手を向ける。
「ありがとうございます」
軽く頭を下げ、期待に胸を膨らませながら中に入る。
「うわぁ……」
思わずため息が漏れる。
確かに雑草は伸び放題だけれど、それを差し引いても十分すぎるほどの広さだ。
朝陽に照らされた庭には、小鳥たちが気ままに舞い降りている。可愛い!
いいなぁ……これだけの広さがあれば家庭菜園とかできそうっ!
あ、ここに陽泉花とか植えればいいんじゃない?
そっか、素材を自家栽培するのもアリかも!
「ふふ、気に入りましたか?」と、アンリさんが優しく微笑む。
「いいですねぇ、広くて陽当たりも良いですし」
「この辺は、王城騎士団の宿舎も近いから治安も良いんだよ」
「それは安心ですね」
うん、今のところ不満はない。
むしろ、住みたい気持ちの方が強いかもしれない。
「中を見てみようか?」
「はーい!」
いよいよ本命の室内だ!
どんな感じなんだろう、楽しみ~!
アンリさんが鍵を開け、
「ちょっと埃っぽいから気を付けてね」と言いながらドアを押し開く。
「あ、はい、ありがとうございます」
軽いきしみ音と共に、木の香りが漂ってきた。
中に入ると、不思議と気持ちが落ち着くような気がした。
長年人の気配がなかったはずなのに、どこか懐かしさを感じる。
「少し傷んでるところがあるかもしれないね。もし、ここに決めるなら、入居前にいちど点検してもらった方がいいね」
アンリさんは専門家のような目で、あちこちをチェックしている。
家具やソファには白いシーツが掛けられ、埃から守られていた。
大きな家具は買いそろえなくても大抵の物は揃っているようだった。
キッチンに足を踏み入れ、私は思わず声を漏らした。
「すごい……!」
うわぁ、作業台も広くてお料理がはかどりそう!
収納棚もあって、使い勝手も良さそうだし、これなら買い置きもできる!
おや? これは水道?
「アンリさん、これって水道ですか?」
「良くわかったね、そう、この家は珍しく水道が通ってるんだ。なぜだかわかる?」
そういや、生活魔法があるからあまり気にしてなかったけど、リロンデルも部屋には水道がなかったし、カレンさんの店も井戸を使っていた。
この世界での水道は、かなり珍しい設備なのかもしれない。
「うーん、なんでだろう……技術的な問題でしょうか?」
「ヒントはナギさんの大好きなもの、かな」
私の大好きなもの……?
えっ⁉ もしかして!
「お風呂ですかっ⁉」
「その通り、正解はお風呂があるから。元々の持ち主は貴族の方でね、湯浴みが大好きで別荘だったこの家にも作ったそうなんだよ」
「おぉぉ……! こ、この家、おいくらでしょうか?」
「ナギさん、まだ全部見てないけど……」と、アンリさんは困ったように笑う。
「そ、そうでしたね、とりあえずお風呂を見せていただけますか?」
「うん、こっちだよ。埃で階段が滑るから気を付けてね」
アンリさんは私の斜め後ろに付き添いながら、二階へ案内してくれる。
こんなに気遣ってもらうのなんて初めてだなぁ……しかもイケメンに。
なんか得した気分だなぁ……って、ちょっと待って、二階⁉
やばっ、これは憧れていた二階にお風呂のある家……!
まさか異世界で夢が叶うとはっ⁉
ますます、この家を気に入ってしまった。
二階へ上がり、「どうぞ」と、アンリさんが突き当たりの部屋の扉を開けると、そこは浴室になっていた。
「すばらしいっ!!!」
床や壁は丁寧にタイル張りされ、大きな鏡が一枚、壁に嵌め込まれている。
浴槽は軽く泳げそうなくらい広く、大理石でできているのか、艶やかな白さが印象的だ。
そして、浴槽の角には、噴水にあった三頭の竜の湯口が付いてた。
「うわー! ここからお湯が出るんですよねぇ? かっこいー!」
いいな、いいなぁー!
うぅ~……早くここでのんびり湯船に浸かりたい!
はあ……気持ち良さそうっ!
「フフッ、本当にお風呂がお好きなんですね」
「あ、えっと……はい」
少し恥ずかしくなって俯く。でも――
でも、これは本当の気持ちだもんね。
むしろ、この世界で自分の好みや性格を隠さず出せるようになったことは、良いことなのかもしれない。
浴室全体が希望の光に満ちているような錯覚さえ覚える。
この場所なら、きっと――。
新しい生活への期待が、静かに、でも確かに胸の中で膨らんでいくのを感じた。
すみません……っ!
予約するのを忘れていました……!
明日はちゃんと予約します!
お昼12時です、よろしくお願いいたします!




