表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/63

第五話

 「―――・・・っ!」


 巨大ガグルは首をひねり、テトラを見据えた。


 荒い鼻息を吹き付けられたテトラは後ろにつんのめり、しりもちを打った。懸命に立ち上がろうとしたが、彼女は腰が抜けてしまい、後ろへずり下がるのがやっとだった。

 ガグルはゆっくりとテトラの方に胴体をひねり、黒く長い舌を少女に向けてゆっくりと伸ばした。


 テトラはガグルの舌先で突かれた。何度も突かれて、砂地を転がされた。食べても安全かどうかを確認しているのだ。唾液と砂でテトラはどろどろになった。

 

 ガグルは大量の唾液を地面に垂れ流していた。地響きのような音を立て、喉を鳴らしていた。恐怖と絶望がテトラを支配していた。彼女の頭の中は真っ白になり、ホーグに渡されていた首輪を自分の首につけていることさえ完全に忘れ去っていた。

 

 

 意識を取り戻したホーグは、背中と左腕に走る激痛に堪えて何とか上半身を起こした。巨大ガグルがテトラに向かって舌を伸ばしているのが見えた。彼は小さく毒づき、気合を入れて立ち上がった。


 ホーグは心身ともに限界に近かった。パイの使用には多大な精神力を消耗するため、1日に使える回数は限られている。パイ以外の霊能術も同様に、長時間使い続けることは精神に大きな負担をかける。

無理をすると無気力状態に陥り、〝心死(こころじ)に〟しかねない。


 精神が完全に壊死し、肉体は生きていても人形のように動かず寝たきりになっている者を、ホーグはこれまでに何人も目にしてきた。心死にした者は、遅かれ早かれ衰弱死するのが定めだ。


 (雷鳥と浮遊石2個分はでかかったな。おまけに1日中透視し続けている・・・この状態でやれるか?)


 ホーグはぼんやりと考えながら首にかけている長い鎖を引っ張り、胸元から細長い筒を取り出した。


 (だが、迷っておる暇は無い。)


 彼は深く息を吸って、精神を集中させた。そして、アバターとガスマスクを接合している留め金を外し、白狐を側頭部へずらし上げた。口と鼻を覆う機械装置の上に、琥珀色の瞳をした鋭い目が凛とした光を放っていた。


 ホーグは筒の蓋を指で弾いて開いた。その中から白い煙が噴出す。


 「―――憑依トランス。」


 その一言で煙は竜巻のように回転しながら、彼のガズマスクをすり抜けて口の中へ滑り込んでいった。ホーグは目を閉じた。そして、かくんと頭を垂れた。


 

 巨大ガグルは念入りに(テトラ)の安全検査をした後、砂ごと舌ですくい上げた。テトラは完全に萎縮してしまい、抵抗することが出来なかった。


 彼女の身体が黒い舌に持ち上げられた時、


 「!?」


 突如ガグルの頭上に何か白く発光するモノが、凄まじい勢いで降り落ちてきた。その衝撃波で、テトラは舌の上から転げ落ちた。何が何だか分からず、彼女はガグルを見上げた。


 ガグルの眉間の上に、何かが乗っている。砂と血で汚れたぼろぼろの白装束。ホーグだ。テトラは安堵した。だが、彼の様子は何かおかしかった。


 巨大ガグルの眉間に乗り下りたホーグは、先に鱗を剥がした部分に銃剣の切っ先を深く突き刺していた。ガグルに何が起こったのかを考える間も与えず、彼は吐き捨てた。


 「クタバレ。」


 銃剣が鋭く輝き、ガグルの眉間にめり込んだ銃口から先ほどとは比べ物にならない強大な光が放たれた。それは炎と雷が渦を巻き交じり合った砲弾のようなものだった。


 光は巨大ガグルの額から喉を突き破り、さらに砂地の深くまで落ちていった。その爆風でテトラは吹き飛ばされた。


 地面に伏して爆風をやり過ごしたテトラは、大量の砂塵を吸ってむせ返りながら起き上がった。巻き上がる砂煙の中、彼女は透視でホーグと巨大ガグルの姿を捉えた。

 巨大ガグルは地に伏し、アウラを失い完全に死滅していた。破裂した喉から大量の血が砂地に流れ出し、赤黒い水溜りとなっている。


 その黒い塊の上にしゃがみ込み、俯いているホーグ。彼の全身から、白い光が大蛇のようにうねり昇っていた。それは人間のアウラとは到底思えない、美しく恐ろしい光だった。


 「・・・ホーグ?」


 テトラは恐る恐る彼に近づいた。

 ホーグは眠っているように動かなかった。


 「なあ・・・・大丈夫か?」


 彼は徐に少しだけ顎を上げて、テトラの方を見た。


 「!」


 テトラは息を呑んだ。彼の虚ろな目は、まるで魔物のような毒々しい赤紫色に光っていた。その上、はだけた胸元と首筋、顔や腕には不気味な紫色の紋様が浮かび上がっている。


 彼はテトラを見据え、軽く首を傾げた。テトラはただならぬ雰囲気を感じてあとずさった。ホーグは、ガスマスクがずり落ちて露わになった口元に怪しい笑みを浮かべた。正気の者の表情ではない。


 (何かに、憑かれている―――・・・!)


 それを悟っても、テトラにはどうしてよいか分からなかった。彼女には除霊や悪魔払いの経験が無い。見たことなら何度かあるが、それに必要な道具や手順をはっきり記憶していなかった。テトラは自分がどれだけ無知で無力かを、この時痛感した。


 正気を失っている彼は、ガスマスクが外れている事などお構いなしに、ガグルの頭部に開いた風穴を銃剣でいじって遊んでいる。

 早くマスクを直さなければ。左腕の怪我も消毒して塞がねば、病原菌に感染して取り返しがつかない事になる。

 だが、テトラは一歩たりともその場から動けなかった。一歩でも近づけば、憑き物に何をされるか分からない。



  ――――ガグルを倒した後に俺の様子がおかしいようなら、赤だ。



 「!!」


 ホーグの言葉を思い出したテトラは、慌てて首輪を外して赤いスイッチを押した。首輪は小鳥が短く鳴くような音を出した。

 

 ホーグの側頭部で天を向いている白狐が、カタカタと震えだした。テトラは目を疑った。赤いラインで彩られた白狐の細い目が、真っ赤に光って見開かれた。そして生き物のように自ら動き、ホーグの顔に覆い被さった。


 「!?」


 彼は驚いて面を外そうとした。だが白狐はしっかりと彼の顔に張りついて離れなかった。ホーグはガグルの死骸の上でもがき苦しみ、暴れて転がり回った。


 見るに耐えない彼の惨い姿に衝撃を受け、テトラの目から涙が溢れ出た。彼女は顔に手をやり、泣き震えながら祈るように彼を見守った。

 ホーグは空を仰ぎ見た。白狐の顎がぱくりと開かれ、そこから白い煙が逃げるように溢れ出た。その白い煙の塊は上空で暫く旋回し、地上に降り立った。


 それは、1m以上あるサソリのような形をした霊体だった。丸く出っ張った赤紫色の目、白い甲羅にツタのような紫色の模様。

 白サソリは、まるで嗤うようにギチギチと不気味に鳴いた。そして俊敏な動きで砂地を走り去ろうとした。


 正気を取り戻したホーグは白狐を顔から剥がした。そこには紋様も赤紫の目も無く、褐色の肌と澄んだ琥珀色の瞳があった。テトラは、彼の本当の顔をついに垣間見た。鋭い目が印象的な、端整な顔立ちをした青年だった。

 ホーグは逃げてゆく霊体に向けて小さな筒の口を向けた。


 「アスモ、戻れ!」


 彼の鋭い命令で白サソリはぴたりと停止し、白い煙に戻った。

 そして、筒へと吸い込まれていった。


 ホーグは筒の蓋をパチンと閉め、ガスマスクと白狐の面を素早く掛け直した。白狐は、何事も無かったかのように涼しげな表情をしていた。


 「・・・・っ。」


 ホーグは苦しそうに胸を押さえ、肩で息をしながらテトラを見下ろした。彼女の無事を確かめ、おぼつかない足取りで立ち上がったが、体の均衡をうまく保てずにガグルの額から崩れるようにして落ちた。テトラは急いで駆け寄り、彼の体を支えた。


 ガグルの死骸を背もたれにしてホーグを座らせ、彼の肺を透視した。肺に異常が無いことを確認し、次に赤黒く腫れ上がった左腕の具合を見た。ガグルの牙が骨まで達しており、骨にひびが入っている。感染症も起こしているようだ。早く治療しないと、切り落とさなければいけなくなる。


 テトラは意識を朦朧とさせている白狐の袖から幾つかのパイを取り出した。暗闇透視して道具入れをあさり、そこからスキットルボトルを抜き取った。水流石で彼の腕の傷口を洗い流し、消毒薬の代わりに酒を裂けた皮膚に慎重に注いだ。そして、治癒石の力を放出させた。


 皮膚の表層部が塞がったところで石が砕け落ちた。ストックの治癒石を使って、裂け切れた筋肉とひび割れた骨が治るまで、ゆっくりと時間をかけて力を放出し続けた。


 「・・・手慣れておるな。」

 ホーグはくぐもった力の無い声を出した。


 「父親が医者だったから・・・抗生物質とか無いのか?酷い熱だ。」


 ホーグは気だるく鼻で笑った。


 「今のアクラシアに在るかよ。」

 「・・・・。」


 腕の治療を終えたテトラは、彼の上体を少し動かせて背中の具合を確かめた。背骨に異常はないが、重度の打ち身を負っている。治癒石の効果を高めるため、彼の衣をずらし落として背中を発光石で照らし出した。


 「―――・・・!」


 テトラは一瞬固まった。赤く腫れた彼の背中に、太く大きな3本の生々しい傷跡が斜めに走っていた。大型ガグルの爪あとだろうか。相当深く抉られたに違いない。


 「・・・この入れ墨、何か意味があるのか?」


 テトラは打撲を治療しながら、彼の右腕から肩にかけて彫り込まれた複雑な模様の赤い入れ墨について聞いてみた。


 「・・・・。」


 ホーグは答える気力が無いのか、ただ言いたくないだけなのかは分からないが黙っていた。



 背中の打撲が治りきる途中で、2つ目の石が崩れた。テトラは、彼に感心した。彼は3つの治癒石を所持していた。1種類2個ずつ持ち歩くのが一般的なのだが、2個以上持っているのは、彼が用心であるという証拠だ。


 打撲も完全に消し終えて衣を直し、ホーグを黒い壁に再びもたれさせた。彼の身体は完全に力が抜けたようにだらりとしていた。テトラは狐面をずらして彼に水を飲ませた。彼は飲み込む力さえほとんど残っていなかった。


 テトラは首輪の黄色のスイッチを押そうとした。それを制するようにホーグが「緑だ。明け方にはガグルの解体屋が来る。」と、か細い声で言った。


 「黄色じゃなくていいのか?ホーグ、すごくアウラ弱ってるよ・・・。」

 「トランスの反動だ、心配ない。」


 テトラが黄色と緑で迷っていると、ホーグがだるそうに右腕を伸ばして彼女の手から首輪を取った。緑のスイッチが押され、首輪がピッと鳴った。


 ホーグは、ブーツから小型銃を抜き取ってテトラに渡した。


 「パイと要領は同じだ。少し寝る・・・。」


 彼は消え入るようにそう伝え、ふっと息を吐いて静かになった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ