第三十一話
テトラとヨルザは、そこから少し離れた場所に聳え立つ建築中の建物へと向かった。人気の無い工事現場に侵入した2人は、剥き出しの鉄筋によじ登った。
コロニー全体が見渡せるほどの高さまで登った所で、足場用の鉄板の上に陣取ったテトラは早速、遠距離透視し始めた。ヨルザは荷袋から墨を取り出し、鉄板の上に小さな魔法円を描き始めた。
「・・・・。」
テトラはそれが気になって透視を中断し、ヨルザの作業を観察した。
「・・・今日は満月ですね。」
ヨルザがぼそっと呟いた。
テトラは空を見上げた。空を覆い隠すスモッグを通して、仄かに月明かりが降り注いでいる。
魔法円を描き終えたヨルザは胡坐をかいて座り込み、ぶつぶつと何かを言い始めた。程なくして魔法円から煙が噴出し、硫黄の臭いが漂い始めた。
ヨルザはぶつぶつと呪文を唱え続けながら、胸元から筒を1本取り出して煙が立ちのぼる魔法円の中に投げ入れた。煙の中で、黒い手がその筒をつかんだ。
煙が魔法円の中へと吸い込まれていき、召喚された者の姿が露わになった。
「・・・・!」
魔法円の上に、コウモリのような羽が生えた小人が立っていた。全身真っ黒で、皺だらけの醜悪な顔に、血のように赤い目が2つ。
召喚された悪魔は、黄色い歯の生えた口を開けてヨルザから受け取った筒を飲み込んだ。
「×××?」
「×××、×××××・・・・。」
ヨルザと悪魔は、謎の言語で会話した。暫くして悪魔は了解を示したように頷き、その場から飛び去った。
「あれは、インプと同類のデビル系ファミリア?ヨルザは魔導師なんだね。」
「ええ。ムスリムを報酬に契約を交わすんです。与えられた仕事は必ず成し遂げてくれる使える連中ですよ。」
「・・・ムスリムは、どうなるの?」
「魔界に連れて行かれて、彼らの奴隷にされます。あるいは食糧。悪魔は、魔導師の描く魔法円がなければこの世に来る事も戻る事できません。それ故、この世に来てムスリムを魔界に持ち帰りたい悪魔たちは、魂の呪縛をかけずとも魔導師に逆らう事はないんです。」
ヨルザは立ち上がり、鉄骨の上に飛び乗った。
「さて・・・あの少年はどこかな。」
「・・・・。」
テトラは他にも聞きたい事がいろいろとあったが、とりあえず少年を見つけ出さなければ落ち着かないので、黙って遠距離透視を再開した。
手分けした甲斐あって、スリの少年を見つける事にはそう時間はかからなかった。テトラはすぐにでも少年のもとに飛んで行きたかったが、ヨルザの使い魔が戻るまではその場から離れるわけにはいかなかった。
「ヤミが東の社の中にいたら、あの悪魔は彼のもとに行けないんじゃないの?」
「東部コロニーへ出向くと言っていました。今頃、〝ロマ〟に居るはず。悪魔はアバターをつけていても相手を見間違える事はありませんし、ルキは時速600キロ以上で飛ぶ悪魔です。2、3時間の我慢ですよ。」
「・・・悪魔を刺客として送られたら一溜まりも無いな。」
テトラが不安げに呟くと、ヨルザはくすくすと笑った。
「その心配はありません。魔導師に逆らう事は無いと言いましたが、悪魔は魔界の掟によって、ムスリム系ファミリアのマスターを手にかける事を禁じられています。あなたがムスリムを連れてさえいれば、彼らがあなたに攻撃する事はありません。ムスリムを育む大事な人間ですからね。
魔導師と言えど、それだけは強制する事ができない。それがルールです。ルールを破った者は、必ず恐ろしい罰が与えられる。」
「もし、悪魔が魔導師に魂の呪縛をかけられたら?」
「悪魔に呪縛をかける事は非常に難しく、危険です。彼らも我々と同様に、本名を隠している種族であり、たとえ本名を知って呪縛をかけたとしても、大抵の悪魔は呪縛を解く術を心得ています。彼らを怒らせ、何らかの仕返しを受ける事になる。」
「ふーん・・・。」
その後暫く、2人は鉄骨に腰掛けてコロニーの夜景を黙って眺めていた。
「・・・すみませんでした。」「?」
ふいに、ヨルザが静かに謝った。
「くだらぬ事でリウォと喧嘩して、周囲への警戒を疎かにした・・・あなたを、早々に死なせる所でした。兄上が知ったら何と言われることか・・・。」
そう言って暗い目で俯くヨルザを、テトラは横から見つめた。
「・・・いいな、兄弟。」
「・・・・。」
「あたし、1人っ子だし・・・父さんも、母さんも死んじゃったから、家族がいないんだ。ヤミがお兄さんだなんて、羨ましいよ。」
ヨルザは、微かに笑った。
「他人と変わりませんよ。血が繋がっているというだけで、お互いに本名さえ知らない・・・両親は他界しましたから、僕の名を知っているのは僕だけです。兄上の名を知っているのは、兄上とヘルだけ。」
「・・・・。」
「霊能一家など、どこも同じようなものです。子の本名を知るのは両親のみで、言う事を聞かねば軽く呪縛をかけられる・・・両親の本名は、亡くなった後に知りました。彼らに一度は呪縛をかけてやりたかったものです。」
ヨルザの黒い瞳は周囲の暗闇よりも暗く、底無し穴のように黒かった。テトラは、酷く空虚な気分になった。
「・・・ヨルザは、誰にも本名を教えない気なのか?」
「・・・・。」
ヨルザは、遥か遠くを見つめた。
「・・・心から信頼できる者が現れれば、教えるかもしれませんね・・・兄上が、ヘルにそうしたように。」
「ヤミの事、信頼してないの?」
さも不思議そうに聞くテトラに、ヨルザは苦笑いした。
「彼だって、僕の事を信頼していません。〝カグヤ〟一族の事を知れば、それがなぜかよく理解できるはずです。」
「・・・・。」
「僕の口からは、何とも言えませんが・・・旧家の出であるリウォなら、事情をよく知っていますよ。気になるなら、彼に聞くといい。」
そう言って朗らかに笑うヨルザを見て、テトラは何となくやるせない気持ちになった。
「・・・ヤミは、いい人だよ。」
拗ねたように呟いたテトラに、ヨルザは「承知しています。」と軽く頷いた。
長い間、沈黙が流れた。
冷えた夜の砂漠の風が、高所の鉄骨に座る2人の衣をはためかせた。テトラは、女の子のようなヨルザの端正な横顔を見やった。
何かを言いたげにしているテトラに、ヨルザは微笑んで首をかしげた。テトラは何も言えず、前に広がる退廃した居住区に視線を戻した。
また暫くして、暗い灰色の空から羽音が聞こえてきた。戻ってきた悪魔のルキは、ヨルザの腕に降り立って甲高い声で何やら言い伝えた。
「え・・・。」
ヨルザは、驚いたように黒い目を見開いた。
ルキは3本指の黒い手に持つ小さな巻物をヨルザに手渡した。ヨルザは、ルキと幾らか言葉を交わし、魔法円の前に戻った。墨で魔法円に手を加え、ルキをその上に立たせたヨルザは複雑な呪文を唱えた。
魔法円から煙が噴出し、黒いルキの身体を覆った。そして、煙と共に魔法円の中に吸い込まれていった。
ヨルザは魔法円に水流石で水をかけ、ブーツ底で擦って消した。
「・・・それ、何?ヤミに何かあったのか?」
テトラが不安そうにヨルザに聞くと、彼は首を振った。ヨルザは、巻物の紐を解いて広げた。
「・・・・。」
「・・・何?何が書いてるの??」
紙切れに目が釘付けになっているヨルザに、テトラは催促した。
「なあ、教えてよ。何、1人でにやついてんだ!?」
ヨルザは賢明に笑みを噛み殺し、紙切れに水をかけた。ヤミから届いた紙切れは、見る見るうちに溶け落ちた。
「・・・今日はね。」
ヨルザは、鉄骨を飛び降りながら打ち明けた。
「僕の誕生日なんです。今日で14。」
「ホント!おめでとう!!」
テトラは彼の後について下りながら祝福した。
「兄上から、予想外のプレゼントが届いたよ。」地面に降り立ったヨルザは、黒い瞳を黒曜石のように輝かせた。
「彼の、ファーストネームだ。」「!」
「呪縛はかけられませんが・・・これで使い魔を送る手間が省ける。」
ヨルザは、スモッグに隠れた空に浮かぶ満月を見上げた。
「・・・約束、ちゃんと覚えてたんだな。」
「・・・・?」
「さ、早いところ、スリの少年から牙を取り返しましょう。」
意気揚々と路地を歩み始めたヨルザを見て、テトラも嬉しくなった。