第二十九話
地上は、微かに明るくなり始めていた。
神殿の石階段の下に、一台の大型車が止まっていた。その前に4人の人影があった。1人はぼろぼろの旅衣を着たシングイ。後の3人はハンターらしき装備をしていた。古びたジャケットに破れたレザーパンツと、バースとは趣きの違った服装をしていた。
階段を下りてきたパイマー達を見て、ハイエナ顔のハンターが鼻笑いした。
「ガキが3人・・・東官吏も落ちたもんだな。」
「ノザー・・・。」
狼顔のハンターが制した。
「A.Jだ、宜しく。こいつはユーリ。」
口にガスマスク、丸渕の黒いゴーグルをつけた坊主頭の男が、狼顔のA.Jに紹介されて面倒そうに唸った。
「どうも。」
「ヨルザです。」
「リウォ。」
ヤクとナリが別名で短く自己紹介したのに対し、テトラはどう答えてよいか迷った。
「・・・お嬢ちゃん、バオド名は?」
A.Jはテトラを見下ろした。
「あ・・・噂に聞いた〝無呼吸の影無し少女〟だな。」
呼吸はある。酸素が薄く、ある程度の毒ガスを吸っても平気なだけだと、テトラは心の中で思った。
「ホーグの新しい愛人か。これまた、えらく性癖が変わったもんだ。」
と、ノザー。
「悪いな、口の利き方を知らない奴で。」
車に乗り込みながら、A.Jはテトラに軽く謝った。
「手順をざっと説明する。今から〝ランシード〟に向かい、エリア8の情報収集と必要物資を調達する。そこであと2人ハンターと合流する手はずだ。
明日の昼にはランシードを発ち、エリア8に最も近いシェルターで一泊する。おたくらには、シェルターから遠距離透視で現場を確認してもらう。その時点で俺たちの手におえないと判断したら、救助は中止だ。望みがあるようなら、翌朝エリアに潜入する。」
ユーリの乱暴な運転に揺られる荷台の上で、A.Jが早口で説明した。
「了承を得ておきたい事が幾つかある。まず第一にこのメンバーの命が最優先だ。次にゼロ。その次にシンさんのお友達。他何人かは、場合によって見捨てる事になる。
それから俺たちが救助を引き受けたのは、ガグルの調査が目的でもある。俺たちの指示に従ってさえくれれば、おたくらの命が危険にさらされる事は無い。OK?」
各自、了解を示した。
コロニーを出て数時間、砂漠の中を車は走り続けた。生物の影は一切無く、草の1つも生えていない荒れ果てた大地を、太陽が霞んだ空から容赦なく照りつける。
砂塵の混じった熱い風に波打つ日差し避けのシートの下、テトラは荷台の枠に身を預けてどこまでも続く衰退した地上の景色を物憂げに眺めた。赤みを帯びた砂と岩石の中、所々に居住区の跡地があった。
崩壊した建造物の中、ぼんやりとした黒い影が幾つも彷徨っている。
「・・・戦死した人たちかな。それとも、ガグルに襲われたのか・・・。」
あらぬ方向を見つめて呟いたテトラを、ノザーが気味悪そうに見やった。
「病に飢え・・・〝蛮族〟に食われた者もいるでしょうね。」
枠に腰掛けているヨルザ(ヤク)が、瓦礫の山を見ながら憂鬱そうに言った。
「その手の話題は控えてくれ、胸クソ悪ぃ。」
ノザーは我慢ならずに吐き捨てた。
「怖いのか?」
A.Jに冷やかされ、ノザーは舌打ちした。
「大丈夫だよ。退魔の鈴を鳴らせば、寄ってこないから。」
テトラは、腰にぶら下げている銀の鈴を鳴らしてみせた。
「・・・・。」
居住区跡の一角に車を止め、短い休憩をとった。テトラはイスラとサラマンを放ち、飛ばせて精神力を食べさせた。
僅かにエクトプラズムを放出しているサラマンの姿は、A.Jたちにもぼんやりとした煙として見えるようだった。不気味がるノザーとユーリを、A.Jはからかって楽しんでいた。
まだ飛び足りない様子の2匹を筒に戻し、荷台に飛び乗ろうとしたテトラは身体を強張らせた。彼女は今朝から体全身の痛みに苛まれていた。動くたびに関節が軋み、筋が引きつる。
それは成長痛だった。背を丸めてのろのろと動くテトラに、リウォ(ナリ)が見兼ねて手を貸した。
さらに何時間もの間、車は走り続けた。長時間の乗車に慣れていないテトラとヨルザは、車酔いを起こして床に転がっていた。
ある時、リウォがテトラを叩き起こした。
「・・・・?」
「そろそろ毒が濃くなる。一応、こっちに換えとけ。」
彼は荷物袋からハクビシンのアバター型ガスマスクを取り出して、テトラに手渡した。
「ランシード周辺は、ガグルを駆除するための毒ガスが撒かれている。普通の人間なら数秒と持たない。」
「・・・・。」
テトラはぞっとして急いで面を取り換えた。
太陽が西の赤い地平線に沈んで間も無く、車は広大な都市遺跡の中に入っていった。大破した巨大建造物の合間には、いたるところにガグルを捕獲するための罠が仕掛けられていた。
黄色い毒ガスが漂う地面には、何らかの動物の骨が点々と散らばっている。
「・・・・っ。」
テトラは、奇形のドブネズミの腐った死骸を見て吐き気を催した。
それは1匹や2匹では無かった。瓦礫の中、醜く変形した何十匹ものドブネズミが転がっている。
「・・・食肉用に養殖されているものが逃げ出したんだろうな。」
A.Jが呟いた。
「あ・・・あれを食べるの?」
テトラはさらに気持ち悪くなった。
「食えるもんは何でも食うさ。ある程度、有毒物質を含んでたって腹を満たせれば構わしない。世界中から物資の集まるバース・ヒルス(タン)とは訳が違うんだ。」
「・・・・。」
分厚いスモッグのかかった暗い遺跡の中、高圧線の張り巡らされた区域が出現した。鉄柵の前に銃を抱えた数人の警備員が、ユーリに軽く手を上げて挨拶し、スライド式の重々しい柵を開けた。
車は日の暮れたコロニーの中を進んだ。ランシードはバースと並ぶ大きさのコロニーだが、バースよりもさらに酷く荒んでいた。
「いかにも、治安が悪そうですね・・・。」
廃棄物の山にたむろして、こちらをねめつけている質の悪そうなごろつき達を眺めながらヨルザは呟いた。
「南部コロニーは初めてか?」
リウォの問いにヨルザは軽く頷いた。
「・・・治安が悪いなんてもんじゃない。ここは賊の巣だ。人の血が通ってるとは思えねえような悪党どもが支配する無法地帯だよ。人肉も闇取引されている。」
「な・・・南官吏は何をしてるんです?バース圏内でそれは大罪のはずですよ。」
「話によると、中枢官吏たちが裏で回してるらしい。ファミリアに魂を喰われた者たちの死体を、食糧としてバオドで捌いてるんだとか。南官吏は・・・黙認せざるを得ないんだろ。
ちなみにここのナビは、元中枢官吏の上級アイオンだ。中枢出の前ヴィルダカによって任命されたと聞いている。セトも、そう簡単にはそいつを辞めさせられないんだろうな。」
「・・・・っ。」
リウォとヨルザの会話を聞いていたノザーが鼻で笑った。
「神も仏も無ぇ世の末に〝罪〟なんざいう概念は通用しねえ。明日知らぬ世に生まれ、人肉食ってでも生き延びようとする連中を誰が咎められる?」
「この世に蔓延る餓えた鬼に、人の道を説いたって何の意味もありゃしないよ。ヘタに正して生きる糧を奪う方が、よっぽど残酷さ。」と、A.J。
暗い路地に横たわる死人の持ち物を漁る浮浪者。汚水の溜まる道端で、客引きしているフリーク(奇形)の娼婦。寄り集まって、当たり前のように麻薬を打つ若者たち。退廃したコロニーの姿を、外装の割れた電飾がおぼろに照らし出していた。
鉄屑を寄せ集めて建てたような建築物の間を暫く進むと、露店に囲まれた大きな広場に出た。何台ものトレーラーが停車しており、野営用のテントが張られていた。
ランタンの下、様々な出で立ちをしたハンターや商人が集まって話し込んでいる姿が何組もあった。どうやら、各地のハンターたちが集まる交易広場のようだ。
広場の隅に車を止め、A.Jとノザーは情報収集に向かった。
「宿は取らないんですか?」
ユーリとシングイが荷台に幌を張り始めたのを見て、ヨルザが不満げに言った。
「こんな物騒な所で野営なんて・・・彼女の事を少しは考えて下さい。」
「・・・ランシード内では、ここで夜を過ごすのが一番安全なんだ。」
ユーリは、車から降りてしきりに辺りを見渡しているテトラを訝しげに見やった。
「屋台が気になるのかい?」
テトラはユーリを振り返って頷いた。
「・・・遊びに来たわけじゃないんだぜ。」
リウォが呆れてため息をついた。
「いいじゃないですか、ちょっと見物しに行きましょうよ。」
ヨルザは、ガスマスクからカラスのアバターを外して胸元に垂れさせた。
「・・・・。」
テトラとヨルザに熱い視線を送られ、リウォは毒づきながらも荷台から飛び降りた。
「トラブルは起こさないでくれよ。あと、スリに気をつけな・・・おい、あまり遠くに行くんじゃないぞ?」
ユーリは、夜の商店街にくり出す若者達の背に忠告した。
ユーリに生返事を返し、テトラたちは広場を出て屋台の並ぶ通りへと入っていった。