第二十一話
白石の階段でテトラたちの帰りを待ち侘びていたキナが、近づいてきた舟に向かって声を張った。
「キラ、中枢から証明書が届いた!これで、あんたは正式に初級アルコンだぁ!」
キナはまるで自分の事のように喜んでいた。
「この耳飾りがその証だ。耳たぶ穴開けるから覚悟しな・・・。」
キナは指でつまんだ小さな金の輪をテトラに見せながら、彼女の様子がおかしい事に気がついた。
「・・・どうしたんだい?」
「別に。」
「別にって・・・明らかに調子悪そうじゃないか。」
テトラは答える気になれず、彼女を素通りして社の中へと入っていった。
女官部屋の隅でうずくまるテトラに、キナは根気強く話しかけた。ヨミは少し離れた所に座り、その様子を見守っていた。
テトラは、退魔の鈴を物憂げに鳴らしながら、先ほどのテフとのやり取りを思い浮かべた。そして、ヘルの事を思った。キナに話せば、自分はきっと楽になる。だが2人の事を思うと、テトラはどうしても話す事ができなかった。
キナはため息をつき、ヨミを振り返って首を振ってみせた。その時、部屋の入り口の石柱からひょこっと黒髪の赤鬼が顔を見せた。
「キラ、ムスリム買いに・・・・ど、どうかしたんですか?」
ヤミは、その場の暗く垂れ下がったアウラにぎょっとして、皆の顔を代わる代わる見た。
「・・・北の社から帰ってきてから、この調子で・・・何も話してくれないんです。」
「・・・・。」
ヤミはキナの隣に座り込んで、俯くテトラの顔を覗き込んだ。
「・・・話したい事があるなら、我慢せずに話すべきです。1人で抱え込むのは、精神によくありません。」
「・・・・。」
「話してください。誰にも言いませんから・・・。」
「ヤミ、お前が一番おしゃべりでしょうが。」
ヨミが後ろから口を挟んだ。ヤミは振り返り、頭を掻いた。
「忘却術を使えばいいと思うと、つい・・・。」
「この子の前でその単語を口にしないで下さい!」
言い訳する彼に、キナが憤慨して忠告した。
ヤミは恐縮し、「すみません・・・。」と小声で謝り、その場をとぼとぼ立ち去ろうとした。
「・・・ヤミ。」
「はい!」
テトラに呼び止められ、ヤミは嬉しそうに元の位置に戻って正座した。
テトラはヤミを真剣に見つめ、彼に聞いた。
「どれくらいの範囲で、忘れさせる事ができるの?」
「・・・・。」
テトラの質問で、その場に沈黙が流れた。ヤミは、少女の考えている事を探るように見つめた。そして、低い声で答えた。
「私と共有した情報なら、期間を問わず消去可能です。」
「・・・あたしが話せば、ヤミはその内容をあたしから消せるんだな?」
「はい・・・ただし、私は記憶したままです。」
テトラは抱えた膝の中に顔を埋め、涙声でヤミに願い出た。
「・・・なら、言わないって誓って・・・それで、聞いた事全部、あたしから消して。」
「言わないとは、誓いましょう。ただ、あなたから消してよいものかどうかは、聞いてみないと判断できません。」
「・・・・。」
キナは、声を殺して泣くテトラに寄り添い、震える細い肩に腕をまわした。テトラはキナにしがみ付いて、言葉を詰まらせながら皆に懇願した。
「ヘルの事が、大切なら、絶対、テフに言わないで・・・テフに知らせないで。」
「ええ。ヘルは、自分の命よりも大切な御方です。絶対、テフ様には言いません。それは、ヨミやキナも同じです。」
ヤミの宣言に、ヨミとキナはきっぱりと頷いてみせた。
テトラは、そのアウラで彼らが嘘をついていないと瞬時に分かった。それでもテトラは躊躇した。だが、テトラの抱える事実は、彼女にとって重た過ぎた。誰かに負担してもらわなければ、その重みで潰れそうだった。
テトラは自分の弱さを呪いながら、彼女が抱えているものを吐き出した。
「あ・・・あたし、嘘ついた。テフに、嘘ついた。彼に、アウラが見えなくなってる事、分かってて・・・嘘、ついた・・・。」
「・・・どんな嘘を?」
ヤミが促した。
「ホントは、き、聞こえた・・・聞こえたのに・・・。」
「・・・・!」
それを聞いてヨミが、素早くテトラに駆け寄って囁いた。
「あの音が・・・聞こえたのだな?」
「あの音って、どの音です?」キナが怪訝そうにヨミに聞いた。
ヤミは、はっとしてテトラに囁いた。
「―――聖音が、聞こえたんですね?」
「オーン?」
キナは首をかしげた。
テトラは真っ青な顔をして頷いた。ヨミは眩暈でも起こしたのか、赤鬼の額に手を当ててうずくまった。
「まさか・・・二代続いて、現れるとは・・・!」
「・・・〝定め〟としか、言い様がありませんね・・・・。」
ヤミは放心して呟いた。
「或いは・・・ラシュトラの尋常ならぬ執念が招きよせたのか。」
ヨミは、まるで嘲笑するように小声で言い捨てた。
キナは何が何だか分からず彼らに視線で説明を求めた。それに応じ、ヨミが囁き声で語った。
「全てを聞きし北の主、その耳に聞こえぬ音は無し―――いつの世から、そう言い伝えられてきたのか定かではない。四天王の後継者を決める際、バースに纏わる〝シャイマンの書〟に記載された〝四神の詩〟が基とされる事は、キナも承知であろう。」
キナは頷いた。
「その詩によると、四天王の中で北は最も特殊な存在なのだ。その者以外、誰にも聞こえぬ音が聞こえる―――それが北の主、イシュラの継承権を持つ者。そして、正統なイシュラにのみ聞くことが出来るのが、オーンだ。オーンは、大精霊石の中に眠るエルムの母体が放つ心音だと言われている。」
「じゃ、じゃあキラがイ・・・うがっ!」
キナが叫びかけたのを、ヤミがすかさず彼女の狐の鼻面を叩いて制した。
「お馬鹿。何のために、ヨミと私が警戒態勢に入っていると?」
「・・・・!」
ヤミに言われて、キナは気が付いた。彼らは全神経を研ぎ澄ませていた。そのぴりぴりとした強力なアウラを感じ取り、キナは唾を飲み込んだ。
「キラ、あの場で申さなくて正解であった。」ヨミは低く囁いた。「大変な騒ぎになるところだったぞ・・・。」
「おめでたい事じゃないんですか?なぜ、コソコソする必要が?」
さも不可解そうにキナは唸った。
「それはだな。今、上級アイオンの間で北の・・・。」
「テフは、死ぬ気だった。」―――「!」
ふいに呟いたテトラを、3人は凝視して固まった。
「テフは・・・待ち侘びてた・・・真の、イシュラが現れるまで、彼は安らかに、眠れない。現れたその時・・・彼は、死ぬつもりでいた。あたしが、その者だと・・・彼は感じ取ってた。期待してた・・・やっと、眠れると思って、頑張って起きてた。」
「・・・・。」
「あたしが、違うと言って・・・テフは絶望した。まだ、眠れないと思って・・・彼は絶望した・・・。」
テトラの虚ろな目から、ぼろぼろと涙が溢れ出た。
「テフが死んだら・・・ヘルが悲しむ。それが嫌だから、嘘ついた・・・あ、あたし、テフに、酷い事した・・・あんなに、苦しんでるのに・・・嘘ついて、彼を・・・この世に、引き留めた・・・もう、魂が抜けかけてるのに、耐えて待ってる彼に・・・う、嘘ついて、苦痛を長引かせた・・・。」
「・・・・っ。」
「ハ・・・〝ハオマノイド〟になってまで、ヘルの・・・ホーグの事、思って・・・自分の、次に、オーンの聞こえる者が・・・見つかるまで、彼は・・・安心して、ホーグを置いて逝けないから・・・だから、あんなに耐えて待って・・・。」
「もういい、分かったよ・・・!」
キナは堪らずテトラを胸に引き寄せて、力一杯に彼女を抱きしめた。
「なのに・・・あたしはホーグの、悲しむとこ見たくなくて・・・テフに・・・・!」
「分かった、分かったから・・・もう、止めとくれ・・・っ!」
テトラは、キナの胸に顔を埋めて咽び泣いた。キナは狐面の下でもらい泣きした。
「そ、そなた・・・そなたという奴は・・・。」
ヨミまでもが、鬼面に隠れて男泣きした。
そんな中、ヤミは冷静にテトラを見つめていた。思う存分に泣き、彼女が落ち着くのを黙って待ち続けた。
暫く泣き続け、テトラは幾らか気分が楽になった。だが、テフに対する罪悪感が彼女の中で疼き続けていた。
「キラ。」
ヤミに呼ばれ、テトラは赤く腫れた目で彼を窺い見た。ヤミは背筋を伸ばし、真剣にテトラを見据えていた。
「・・・苦しいのはよく分かります。あなたにとって、その事実は重荷でしょう。ですが、それを消し去る訳にはいきません。」
ヤミは、きっぱりとテトラに言い切った。
「・・・・っ!」
「時機を見て、あなたの口からテフ様に真実を申し出るべきです。」
テトラは、情けなく顔を歪ませて首を振った。
「い、嫌だ・・・あたしがテフを、こ、殺すようなもんだ・・・!」
「そうではありません、彼をお救いするのです。どの道、彼はもう永くない・・・持って3ヶ月と聞いております。後継者が現れぬままお亡くなりになれば、テフ様の御魂はこの世をさ迷う事になりましょう。あなたが真実を語りさえすれば、彼は報われ未練なく逝けるのです・・・ヘルもそれを御望みになるでしょう。」
ヤミは穏やかな声でテトラに言って聞かせた。テトラはヨミを見た。彼は、ヤミに同意を示して頷いた。
「・・・嫌だよ、テフは・・・ヘルの大事な友達なんだろ?何とかして、テフを、助けられないのか?何か、方法は・・・?」
「・・・・。」
テトラは自分の唯一の友達だったキトラの事を思い出し、また胸が苦しくなった。
「お救いする方法は1つ。あなたが本当の事を彼に言い、安らかに眠らせて差し上げるのです。」
辛辣なヤミに、テトラは逆上した。
「そんなの、認めるもんか!そんな簡単に言うなっ!ヤミなんか嫌いだ、大っ嫌いだっ!!」
「嫌われて結構。あなたとテフ様、そしてヘルにとってもそれが一番よいのです。」
「そ、そんな決め付けるなっ!何か、何か方法が・・・!」
「・・・他にありません。嘘をついたままでよいのですか?その方が、もっと辛いはずです。テフ様とヘルも、さらに苦しむ事になる。彼らを救えるのは、あなただけなのです・・・!」ヤミは、少しだけ声を荒げて断言した。
「・・・・っ。」
ヤミは湧き上がる感情を押し殺していた。3人の事を思いやるが故、彼が心を鬼にしてテトラに手厳しく諭している事を、彼女は感じ取った。そして、彼が言っている事は揺ぎ無い事実であった。
だが、テトラがそう容易く受け入れられるものではなかった。これが、自分がここへ導かれて来た理由なのだろうか。だとすれば、その〝定め〟は残酷過ぎる。
テトラは銀の鈴を握りしめながら、目を瞑って心の中で銀色の海竜の名を呼んだ。誇り高く美しかった北湖の主の名を、何度も呼んだ。
(―――キトラ、これが・・・あなたがあたしに託した使命なのか?)
暗闇の中、遠く離れた場所で銀色の海竜が優雅に泳ぐ。彼女は大きな青い目を細め、遥か彼方からテトラに微笑みかけた。
テトラはその姿を追いかけた。しかしキトラは彼女に背を向け、長い尾を優美にうねらせながら静寂に満ちた闇の奥深くへと消えていった。
瞑想が見せた幻は、テトラの心を喪失感と孤独感で満たした。彼女の両目から再び涙が溢れ出し、零れ落ちた。
「・・・辛くとも、背負わねばなりません。でも独りで背負う必要はないのです。あなたは、決して独りではない。」
黙ったまま遠い目をして泣くテトラに、ヤミが澄んだ優しい声で力強く言った。
テトラは、背を向けて逃げたかった。だが、これが自分の求めたものの一部なのだとしたら、受け入れて背負わぬ訳にはいかない。
「ヘルが・・・帰ってくるまで、待ってもいい?」
ヤミはきっぱり頷いてみせた。
「ええ、その方がいい。今、イシュラの座を巡って上級アイオン達が激しく争い合っています。正統な後継者が現れたとなると、彼らがどんな汚い手を駆使してあなたの命を狙ってくるか分かりません。ナビとヘルが御不在の間は、内密にしておくべきです。」
ヤミは周囲を警戒しながら、キナにも視線を送って声を潜めて早口で告げた。
「既に、北官吏の間で噂になっておるやもしれん。早急に対処が必要だ。」
ヨミは、ヤミに向かって合図した。ヤミは無言で了解を示した。
「キラ、今日はゆるりとして心を休めなさい。ムスリムは、明日必ず買いに行きましょうね?」
テトラは火照った目を擦りながら頷いた。ヨミとヤミは足早に部屋を去っていった。
「・・・忙しくなりそうだね。」
キナは彼らを見送りながら呟いた。テトラは不安げに彼女を見上げた。
「心配ないよ。ヨミ達に任せとけば、ちゃちゃっと問題解決してくれるさ!」
キナはテトラの頭を撫でながら、能天気に言ってみせた。
「さ、耳飾りつけちまおう。」
「・・・耳たぶ、穴開けなきゃ駄目なの?」
テトラは苦い顔をした。
キナは既に準備に立ち上がっていた。
「大丈夫、大丈夫。一瞬の出来事さ!」
彼女は道具箱から針やら布切れやら出しながら、明るく言ってのけた。
テトラの前に戻ってきたキナは、針を蝋燭の火で炙って消毒し、テトラの左耳をつかんだ。テトラは思わず身を引いた。
「・・・・。」
キナに睨まれ、テトラはしぶしぶ覚悟を決めた。
キナは気を取り直してテトラの耳をつかみ、「いくよ?」と短く言って彼女が了承を示す前に思い切りよく針を刺した。
一瞬の鋭い痛みと、その後の熱い鈍痛を耳たぶに感じながら、テトラは以前にも同じような事があったなとぼんやり思った。
「―――痛みに耐えるのも、修行のうちだ。」
キナはそう言って針を抜いた。
再び鋭い痛みが走り、テトラは身体を強張らせた。キナは滴る血を布で受け止めながら、金の輪を耳たぶの穴にはめ込んだ。そして、素早く治癒石で傷を治した。血を拭い取り、キナはテトラに手鏡を渡した。
テトラは、自分の薄い耳たぶにぶら下がる小さな金の輪を見て、何となく嬉しくなり、そして誇らしい気持ちになった。
「耳飾りの数で、アルコンの階級が示される。アイオン以上は、個別の入れ墨を彫るのが決まりだ。」
キナは、満面の笑みを浮かべて鏡を覗き込んでいるテトラに説明した。
「これで、あんたは正式にキラ・アルコン・パイマーだ。バース圏内どこの地下でも出入り自由、そんでもってキューブの酸素料が免除されるってわけさ。階級ごとに相応の特権が与えられるのが、バースの仕組みなんだ・・・。」
「・・・・?」
テトラは、キナが一瞬だけ寂しげなアウラを放ったのを見逃さなかった。