第十七話
「イリ嬢、希に見るご乱心だったわね・・・。」
女官たちは女部屋で寝具の準備をしながら、先ほどの騒動について話し合っていた。
「そりゃ、怒るさ。4日間も眠らされてたんだよ?」
キナは押入れから出した寝具を皆に配りながら、イリに同情した。
「ヘル様って、時々過激な行動に出るよね。ナビの御令嬢に対して、催眠術かけるなんて・・・そこまでしても狩りが大事なのかね?」
キナを手伝う狐女官の1人が、不可解そうに首をかしげた。
「武神ラシュトラの御考えになる事など、私たちには理解できないわよ。」
毛布の上に寝転んでいる女官が欠伸をしながら言った。
「・・・イリ様、お可哀相に。」
「ああ、かなりショック受けてたな。惨いアウラだったよ・・・今でも伝わってきてる。」
晒し姿で胡坐をかいている2人の女武官が、鬼面顔を湖の方へ向けて憂鬱そうに言った。
「あら・・・ほんとだ。流石に、上級アイオンの精神エネルギーは強烈ね。」
狐女官の1人が、女武官たちに相槌を打った。
キナは部屋の入り口に突っ立っている少女に気がついた。
「あ、キラ!どこ行ってたんだい、自分の寝床は自分で確保しないと回廊で寝る事になるよ・・・って、どうしたんだ?浮かない顔して・・・。」
少女の顔は徐々に歪んでいった。そして、彼女はキナに駆け寄ってしがみ付き、声を上げて泣き出した。
「何だ、どうしたんだい!?あ、ナリだろ!全く、あの悪ガキ小僧・・・アバター返せって!??」 キナは、激しく咽び泣く少女の背中を擦りながら、事情を聞いた。
テトラはしゃくり上げながら首を横に振った。
「ん?じゃあ何が原因だ??ほら、泣いてちゃ分からないだろ!?」
女武官たちが、テトラに這い寄ってきて様子を窺った。
「この子・・・イリ様のアウラに共鳴してる。」
「!」
「心構え無しに上級アイオンの乱れたアウラとすれ違ったからだ。敏感なヤツだと、こうなるんだよ・・・・ふ、袋!過呼吸起こしてる、早く早く!」
女官たちは慌てて小物袋の中身を振り落とし、右腕に入れ墨のある女武官に投げて寄越した。
キナと女武官たちは、苦しそうに呼吸しているテトラの口と鼻に袋を覆わせて、ゆっくり息を吐くよう促しながら彼女の身体を擦った。
「こりゃ、酷いわね・・・イリ・パワー直撃っ!」
毛布に寝転ぶ女官が上体を起こしてテトラの様子を見ながら、面白がるように言った。
「テテ、ふざけないで。」
キナは彼女を睨み、きつい口調で制した。
「・・・どうだ、落ち着いたか?」
呼吸が安定したようなので、女武官はテトラから袋を離した。
「・・・ヘ、ヘルも・・・・ナリも、あんまりだよ・・・酷いよ、最低だっ!」
テトラは、泣きながら罵った。
それを聞いた女官たちは、眉間にしわを寄せた。
「なっ、何よ、この子!どの分際でヘル様に・・・!」
「カノ、止めな・・・そうだな、ホントに酷い連中だ。男の風上にも置けないね。」
女武官はテトラに調子を合わせた。
「ちょっと、シニ!?」
「いいのよ、それで。共感してあげる事で、荒れた感情を落ち着かせるの。初級アイオンのシニに任せときな。」
別の女官がカノを小声で制した。
「それにしても、この子・・・キラだっけ?かなり強いね・・・アイオン級じゃない?」
テテは、カノを制した女官に囁いた。
「そうね・・・・ヘタしたら、四天王級かも。」
「まさか、それは無いって。」
「分からないわよ?今のうちに、手懐けておいた方がいいかもね。」
「アン、黒いね・・・。」
「皆、皆、地下に居るヤツはみんな最低だっっ!!!!」
「!?」
テトラの罵声に、女官たちは飛び上がった。
「あ、ああ、最低だよ。君の言う通りだ。」女武官は戸惑いながらも、どうにかテトラを落ち着かせようと、彼女に賛同した。
だがテトラはさらに興奮し、女武官を突き放して立ち上がった。
そして、恐ろしい形相で喚きだした。
「嘘だっ!!ホントはそう思ってないくせに・・・あたしには全部、見えてるんだ!!全部、聞こえてるんだっっ!!心にも無い事をよく平気で口に出来るなっ!!?そこの、あんた、あたしを霊視するなっっ!!何も憑いてないぞっっ!!触るなぁぁっっ!!!!ああああああああああ――――――っっっ!!!!!!!!」
「!!?」
テトラはまるで気が狂ったように、大声で叫んだ。
その時、彼女の周囲に旋風が巻き起こった。
「ちょっ、シニ!ど、どうなってんのよ!?」
「何、コレ!?テ、念動力!!?」
テトラが起こした凄まじい風は、家具を激しく揺らし、寝具を宙に舞い上げた。女官たちは慌てふためきながら、我先にと回廊へ逃げ出した。
「・・・あ、頭、痛てぇ!すげぇ、アウラ・・・う、あ・・・・!!」シニは、オレンジ色の髪を毟るように頭を抱えて部屋の床でのたうった。
「シ、シニ!?し、しっかりしてよ、アイオンでしょう!!?」
カノが遠巻きからシニに叫んだ。
アウラに敏感なアンとテテ、もう1人の女武官も身体の不調を起こして回廊にうずくまった。
「アン、テテ・・・サヤ!やだ、どうしたらいいの・・・!?」
キナは涙目で、気持ち悪そうにしている彼女たちの背中を必死で擦った。
「な、何があった・・・!?」
騒ぎで集まった官吏たちは、その場の光景を目の当たりにして立ち尽くした。
寝具、照明器具、衣類、几帳や大型の櫃までもが部屋の中を飛び交い、石壁に打ち当たって壊れたそれらの破片が、渦を巻いてテトラを取り囲んでいた。
ヘルやヨミと共に駆けつけたヤミは、部屋の床に倒れているシニに気がつき、陣風巻き起こる部屋に飛び込んで彼女を回廊へと助け出した。
「大丈夫ですか、シニっ!一体、コレは・・・!?」ヤミは意識を朦朧とさせているシニを抱き支えながら、現状を把握しようと周囲を見渡した。
「か、彼女、イリ様のアウラに中てられて興奮していたので、シニが落ち着かせようとしたのですが・・・!」サヤが頭を押さえながら、ヘルたちに説明した。
「キラ・・・。」
ヘルは荒れ狂うテトラに歩み寄ろうとした。
しかしテトラはそれを拒むように、激しく捲くし立てた。
「寄るなっ!!ヘルなんて大嫌いだっ!!イリに〝スリープ〟かけた事ちゃんと謝れっっ!!!!ヤミも最低だっ!!ここ来る時、あたしに〝忘却術〟使っただろっ!!?このゲス野郎どもっっ!!!!地下のヤツらは皆人でなしだぁっ!!触るなぁぁっ!!!!誰もあたしに触るなぁぁぁっっ!!!!!!」
さらに激化する旋風の中、テトラは暴言を吐き続けた。
「ヘル・・・彼女は、地下に充満する気に過敏すぎるのでは?この数時間のうちに、ストレスが溜まりに溜まって、イリ嬢のアウラで一気に・・・精神エネルギーが暴発した・・・??」
ヤミはテトラの様子に衝撃を受けながら、彼女を霊視してその身に起こっている理解しがたい異常事態の原因を解明しようと試みた。
「・・・・。」
「キ、キナ?危ないよ、近寄るなってっ!!」
キナがふいに部屋の中へと入っていこうとしたのを、女官たちが止めた。
だが、キナはそれを振り払ってテトラに歩み寄っていった。家具の破片が、彼女に激しく襲い掛かる。それを物ともせず、彼女は叫び続けているテトラを抱きしめた。
「触るな、触るな、触るな、触るなぁっっ!!!!」
キナの腕から逃れようと、テトラは激しく暴れた。
キナは力の限りにテトラを抱きしめ、押さえ込むようにして座り込み、まるで泣き喚く赤子をあやすように、テトラの背中を軽く叩きながら身体を揺らした。
そして、彼女の耳元でゆっくりと静かに歌い始めた。
「・・・青く晴れた空 白い雲 そよ風優しく 昔を語る
思い出す あの笑顔 眠れよ静かに 静かに眠れ・・・」
「離せっ!あたしに、触るなぁっ・・・!!」
旋風の中、キナは優しい声で歌い続けた。
「・・・呼んでも還らぬ 遠い日よ 春夏秋冬 月日は巡る
思い出す あの笑顔 眠れよ静かに 静かに眠れ・・・
・・・思い出さそうよ 吹く風も 帰らぬ主の あと追うように
今もなお 目に浮かぶ 姿よ眠れよ 大地は静か・・・」
「・・・・触るな、さわるな・・・さわ・・・・。」
キナの心地よい歌声で、テトラは徐々に落ち着きを取り戻していった。部屋の中で吹き荒れていた嵐のような風も、ゆっくりと静まっていった。
「・・・小鳥はさえずり 野はみのり 寂しく春秋 いつしか過ぎて
今もなお 目に浮かぶ 姿よ夕べに はるかにしのぶ・・・」
キナが歌い終わった時には、テトラは彼女の胸の中で静かな寝息を立てていた。宙を舞っていた家具は床に落ち、ピクリとも動かなくなった。
「・・・・。」
皆、安堵のため息をもらした。
「・・・キナには、アイオンになっても敵わないや。」体調を取り戻したシニが、ため息交じりに呟いた。
官吏たちは、部屋に散乱した家具を手分けして片付けにかかった。
「キナ・・・これ。」
ナリは、膝にテトラを寝かしているキナに恐る恐る近づき、白イタチのアバターを彼女に手渡した。
「あ、やっぱあんたが奪い返したのね。」
「ち、違うよ。こいつが・・・・。」
キナの両膝の上で、死人のように青白い顔でぐったりとしているテトラを見て、ナリは言葉を失った。ヘルはテトラの横で胡坐をかき、彼女の額に手を当てて精神力を分け与えていた。
「ヘル・・・こいつ、どうなってんだ?」
ナリは、遠慮がちにヘルに聞いた。
「・・・・。」
彼は答えず、険しい顔をしてテトラを見つめていた。
「ヘル様・・・私、この子と寝食共にするのは、不安です・・・。」キナの怪我を治癒石で治しているカノが、怯えながら訴えた。
「恐れながら、ラシュトラ。彼女をここに置くのは如何なものかと。」
「こ、こんな状態で、この子を放り出せとでも言うのですか・・・!?」
ヨミの発言に、キナが反論した。
「だってキナ、次は誰かが大怪我するかもよ?さ、最悪の場合は・・・。」
「・・・・。」
「とりあえず、個別部屋を用意した方がいいのでは?原因がはっきりしない限り、またいつあのようになるか分かりませんし・・・。」シニの怪我を治療しているヤミが、ヘルに伺った。
ヘルは徐に口を開いた。
「・・・長期間、魂の呪縛を受けていた者の後遺症だ。」―――「!!」
皆は耳を疑った。
「そ・・・そんな・・・。」
「こんな、幼い子が・・・!?」
「ヤミの言う通り、アウラに敏感過ぎてストレスが溜まっていた。それが発作を起こす一因になった。それから俺とヤミが催眠術を使った事が、こやつを酷く刺激した。催眠は、呪縛に類似した霊術だからな。必死で我慢していたのだろう・・・そこに、イリのアウラが追い討ちした。」ヘルは淡々と語った。
「・・・後遺症で、あんな状態になるものなのですか?」
信じられないといった様子で、ヤミが聞いた。
「他者への不信感が呪縛時の恐怖を呼び覚まし、反射的に魂の主導権を守ろうとして〝超常現象〟を起こすほどの莫大な精神力が一時的に発生する。重度の被縛者が後遺症によって起こす特殊な発作だ・・・間違いない。〝南アクの避難民〟が同じ状態に陥って、その中の何人かが心死にした。」
「・・・・っ!」
その衝撃的な事実に、全員が凍りついた。
「・・・つまり、トランスに近い状態になるんだな?ファミリアを体内に入れた時、魂の拒絶反応で生まれる精神エネルギーが・・・憑き物無しで、暴発する。」
ナリの解釈にヘルは頷いた。
「だから・・・こんなに、弱ってるのか。キナが止めてないと、こいつ・・・。」ナラは、頬に赤みが戻りつつあるテトラを見ながら、最悪の事態を想像してぞっとした。
「早く気づいてやるべきだった・・・今思うと、社に着いた頃から前兆が表れておった。」テトラの頭を撫でながら、ヘルは自責した。
「変に興奮気味だったのが、その前兆だったんですね・・・。」官吏の1人が呟いた。
「・・・専門医に、掛からせるしか有りませんね。」ヨミはテトラを哀れむように見ながら、力無く言った。
「そうだな・・・。」
「・・・・な、さい。」
「!」
「ごめん、なさい・・・ひ、ひどい事、言った。ご、ごめ・・・・。」
キナの膝の上で意識を取り戻したテトラは、弱々しく泣きながら皆に謝った。
「キラが悪いんじゃない。お前は、何も悪くないのだ。」
ヘルは彼女に優しく言い聞かせた。
「・・・ごめん、怪我まで、させた。」
「これくらい、たいした事ないよ!」
キナは明るく言ってのけた。
「ごめん、なさい・・・。」
シニに向かって謝るテトラに、ヘルが鼻で笑った。
「気にするな。武官の怪我は、常日頃だ。」
「あ、あたし、ここに、居られない・・・また、きっと、傷つける・・・。」
「ふん、張り合いがあっていいさ。東官吏を舐めるなよ?」キナはヘルを真似するように鼻で笑って、滑稽に凄んでみせた。
「お前が居ると、よい訓練になる。」
ヘルは本気でそう思っているようだった。
シニは苦笑しながらも、認めた。
「確かに、鍛えられました。いい経験にもなった・・・あ、ヘル!まさか、そのために連れて来た訳じゃないですよね!?」
「だとすれば何だ?」
ヘルは凄んだ。
「お・・・鬼っ!」
シニは怯えた。
そのやり取りを見て、テトラは思わず微笑んだ。
「冗談はさて置き・・・キラ。明日、知り合いの心療師にお前を診せようかと思う。構わんか?」
ヘルの問いかけに、テトラは頷いた。
「よし。片付けはその辺にして、野郎は退散だ。頼むぞ、キナ。」
「はい。」
官吏たちは足早に撤退していった。
女官たちは寝具を敷きなおし、暫くの間ひそひそと会話していたが、流石に東官吏は肝が据わっているのか、神経が図太いのか、床に就いて一時もしないうちに寝息を立て始めた。
キナはテトラのすぐ横に寝そべり、小声で雑談した。テトラより先に、キナが寝落ちした。テトラは安らかな寝息を立てている狐面を見つめた。
キナのアウラは柔らかくて心地よい。彼女の温もりを感じながら、テトラは目を閉じた。自然と眠気が訪れ、ゆっくりと眠りに落ちていった。