第十六話
女官の共同部屋で、テトラは数日振りにしっかりとした食事にありついた。麦飯、セキメの煮付けと蛍魚の刺身、キノコゴケ(地下で栽培されている植物)の塩揉み、そして養殖サソリの姿揚げ。一食にこれだけの食物を口にできるのは、地下に住む限られた者たちだけである。
残してはいけないと思いながら、テトラはどうしてもサソリに手をつける事が出来なかった。キナが二杯目の麦を勧めたが、テトラは元々少食であり、さらに他の女官たちの視線が先ほどから痛く、とても食事が喉を通る状況ではなかった。
女官たちはテトラの陰口を、彼女に聞こえるように盛んに囁き合っていた。テトラが不気味な影無しである事、ヘルに対して余りにも無礼である事、男湯に裸で飛び込んだ事が話の大まかな内容であった。
それから、ヨミによって阻止はされたが、ヘルがテトラと食事を共にするつもりであった事が彼女たちを強く刺激したようだ。
むせ返るような軽蔑と嫉妬のアウラに囲まれながらも、何とかサソリ以外の物は食べ終えたテトラは膳を下げ、キナに教えてもらいながらアルコン登録に必要な書類を作成した。
「ナビに名を与えられて、試験無しでアルコンに認められるなんて・・・あんた、すごいんだな。お見逸れしたよ。あたいなんて初級アルコン2回も落ちて、中級だってつい最近やっと取ったばかりさ。」
キナはテトラの残したサソリをかじりながら、茶色の目を大きく見開いて感心した。
「キナもバオド出身なのか?」
「ううん、地下生まれ。地下で生まれた者はね、10歳までに初級アルコン合格しないと、バオドに放り出されるんだ。まあ、親が金持ってたら話は別だけど。あたいは一応、実力で取ったんだ。上級アルコン試験からは格段に難しくなるから、あたいの才能ではどれだけ修練したって中級止まりだね。」
「でも競争率の高い東官吏職につけたって事は、キナもすごいじゃないか。」
テトラは、書類に拇印を押しながら思った事を素直に言った。
「ふん、褒めたって何も出やしないよ!そりゃあ、やっぱこの器量が物を言わせたのさ。」
そう言って、キナは血色のよい頬を叩いてみせた。彼女は、美人とは言い難いが童顔で愛嬌のある顔つきをしていた。
テトラはふと不安になった。
「・・・あたし、これからどうなるんだろ。」
「何言ってんだ、ここで働くんじゃないのかい?あたい、てっきりそう思ってたんだけど・・・。」 キナは形のいい眉を顰めた。
「自分で決めればいいって言われた。」
「ヘル様に?」
テトラは頷いた。
「なら、ここに住んでいいって事じゃないか・・・まさか、キラ!東の社が不満だって言うのかい!?ここ以上に、いい場所なんてアクラシアに無いよ?いや、エス中探したって無いに決まってるさ!」
「うん、きっとそうだ。でも・・・あたし・・・・。」
テトラは、暗い顔をして俯いた。
キナはそんな彼女を暫く見つめ、ため息をついた。
「・・・何か、訳ありって感じだね。まあ・・・暫くは、ここに居ればいいじゃないか。とりあえず教養つけてさ、その後で自分が満足いく事をやればいい。」
テトラは、思いやりのあるキナの言葉をありがたく感じながら、ゆっくりと頷いた。
石灰石が敷き詰められた中庭で1人、弓矢の稽古をする少年の影があった。狐面の少年は深呼吸して的を睨みつけ、ゆっくりと矢を構えた。
神経を研ぎ澄まし、照準の僅かなズレを修正して、矢を放った。放たれた矢は空を切り、的へと向かって走る。そして、矢は見事に的の中心に命中した。
回廊から、誰かが拍手した。
振り向くと、そこには金髪の少女が立っていた。
「上手だな、ナリ!」
テトラは感嘆した。
ナリは満更でもなさそうに鼻で笑った。
「・・・アバターつけとけ。呪い殺されたいのか?」
テトラは慌てて後頭部から白イタチを前にやった。
「アルコンになったんだってな、おめでとう。」
ナリは棒読みで言いながら、矢を構えた。
「うん、キラだ。どうぞよろしく。」
テトラも棒読みで言い返した。
矢は的をかすめ、その後ろの岩壁に当たって弾かれた。
「・・・・。」
ナリはため息をつき、お前のせいだと言いたげにテトラを睨んだ。
「あのな、ちょっと聞きたい事があるんだけど。」
テトラは石階段に腰掛けて、迷惑そうにしている彼に質問した。
「このアバター、すごい価値のあるモノなんだろ?何で、あたしに?」
ナリは肩の力を抜き、再び矢を構えた。
「アバターは・・・死人の顔で型をとった、デスマスクを基にして作るんだ。」
「・・・・。」
放たれた矢は、先に刺さっていた矢を落として、的の中心を射抜いた。
「誰のデスマスクを使用したかで、アバターの価値が決まると言っていい。その白イタチは・・・。」
ナリは周囲を見渡し、テトラに歩み寄ってしゃがんだ。そして小声で真相を語った。
「ジョナの都で買った。ここまで言えば分かるだろ?」
「・・・・!」
「ホーグには内緒だぞ?〝勇者レナ〟の事に関すると、あいつ変になるから・・・オークションで何とか競り勝ちして手に入れたんだ。そこらで売ってるアバターとは桁2つ違う値打ち物だ、割ったりしたらぶっ殺すからな・・・!」
テトラは何度も大きく頷いた。
「・・・このアバター、あたしの顔に妙なくらい馴染むから不思議に思ったんだ。そうだったんだな・・・大事にする。ありがとう、リウォ。」
彼女は心から礼を言った。
「・・・・。」
ナリは居心地の悪そうに首を掻き、立ち上がって弓矢の稽古に戻った。
「ちなみにアバターってのは、守る者を選ぶと言われている。持ち主を守りたいという念がアバターに生じた時、刺客のファミリアを寄せ付けないという本来の機能を上回る、秘められた力を発揮するらしい・・・ま、都市伝説みたいなもんだけどな。」
「へえ・・・。」
テトラは目を瞑り、白イタチの滑らかな顔を撫でた。
その時、背後の寝殿から女性の甲高い怒鳴り声が聞こえた。
「貴方って最低っっ!!!!もう、勝手に何処へでも行って好きなだけガグルとお戯れになればいいわっ!!」
「あ・・・高飛車女のお目覚めだ。」
ナリは嫌気がさしたように弓を下ろし、ため息をついた。
「これほどの屈辱を受けたのは、生まれて初めてですっ!!私が、ほんの、ほんの一瞬でも貴方に現を抜かしたのが愚かでした・・・っ!何て酷い御方なの!?もう、顔も見たくありませんっ!!!!」 女性は涙声で喚いた。
「悪かったよ、イリ。どうしても、この機会を逃す訳にはゆかなかったのだ。」
彼女をなだめる穏やかなヘルの声。
「父上に・・・シャイマンに禁じられていたでありませぬかっ!ヨミっ!!お前は一体何をしておったのだっ!?何の為に、この御方のお傍に仕えておると申すかっ!!?」
「申し訳御座いませぬ、イリ様。神獣狩りだとは露とも思わず、つい・・・。」
ヨミが精一杯の誠意を込めて謝罪した。
「話にならんっ!!東官吏揃って私を陥れたのであろうっ!?それ相応の処分が下される事を覚悟しておれっ!!!!」
「いくら君でも、俺を通さずして東官吏に関与する事はできぬ。既にシャイマンから御許しを頂いてもおる・・・頼むから、機嫌を直してくれ。すまなかった。」
「・・・わ、私は貴方の身を、心から案ずるが故に、貴方を監視し閉じ込めるような真似を・・・なのに、斯様な仕打ちを受けるとは!〝屍使い〟イリ・アイオン一生の不覚っ!!」
「イ、イリ様!そのような御召し物では・・・!!」
と、キナの慌て声。
荒々しい足音を立てながら、イリが黒豹のアバターに薄い寝巻き姿で寝殿から出てきた。漆黒の長い髪が、均整のとれた美しい身体に波打ち纏う。
テトラが見とれていると、イリは彼女を見下ろして「お退きっ!」と冷淡に言い放った。テトラが慌てて飛び退くと、彼女は素足のまま庭に下りて大股で中門へと向かっていった。
「・・・リョウと、ナラ。送って差し上げろ。」
ヘルは疲れ切った様子で2人の鬼面官吏に指示した。
「はっ!」リョウとナラは、キナから羽織と履物を受け取り、「イリ様、どうか御待ちを・・・!」と、彼女を急いで追っていった。
ヘルは大きなため息をつき、「疲れた。寝る。」と呟いて寝殿の奥へ戻っていった。
「・・・お疲れさんだな。」
ナリは、ヘルの背を見ながら哀れんだ。
「あの人、ヘルの事よっぽど大切に思ってるんだな・・・。」
テトラは、鼻息荒く舟に乗り込むイリを見ながら哀れんだ。
「何、お前。あの大女に同情してんのか?」
「・・・だって、本当に辛そうだった。なのに、ヘルは・・・本気で謝ってなかった。」
テトラは不服げに寝殿奥を睨んだ。
「・・・くだらね。」
ナリの何気ないその一言が、テトラを刺激した。
「くだらなくなんか無いっ!!何で、そんな意地悪言うんだっっ!!?」
「う・・・うるせぇ!お前、もう向こう行けよ。」
テトラの怒気にたじろいだナリは、あとずさって彼女のアウラから逃れようとした。
「何でそんな事言うんだっ!?あたし、気に障ること言ったか?ホントの事を言っただけじゃないかっ!!」
テトラはナリに詰め寄りながら、声を荒げて主張した。
「な、何で、そんなお前が怒るんだ?意味分かんねぇ・・・稽古の邪魔だ、さっさと寝ろ!」
テトラは白イタチのアバターを乱暴に外して、ナリに突き出した。
「・・・返す。」
「は?いいよ、やったんだから・・・。」
「返す!ほら、割るぞっ!?」
テトラが面を持つ腕を振りかざして脅すと、ナリは慌てて受け取った。
「おやすみ。」
「・・・・。」
「おやすみっ!!」
「お・・・お休み。」
鼻息荒く去っていくテトラを、ナリは呆気にとられて見送った。